2014年8月31日日曜日

津曲ゼミ院生会2014を開催しました

昨晩、今年度も津曲ゼミの院生会を開催しました。8回目となります。

参考: 院生会2013   院生会2012  院生会2011  院生会2010

例年、新入りの院生(M1)が幹事となって場の設定をしてくれています。
今年は、席を決めるメモ帳が会場においてあり、また入り口では、折ると名札に変身する
プログラムが幹事から手渡されました。

プログラム。2次会の会場まで抑えてあります。完璧・・・・^^

この日、あることで吉村に電話したのですが、それを聞いて、早く行って皆さんを会場で
お待ちしておきますということになったのです。
ということで、」安心して出かけたら・・・期待通りでした。orz
他の院生会メンバーの方が吉村よりも先に到着しておりました。笑
到着した吉村、入り口で席を決めるくじを取り出し、大急ぎで処理していました。
とりあえず開始時間は守れました。セーフ!
席は、手渡されたスタンプがメモ帳のスタンプと一致しているところに座ってくれとの
ことでした(ちょっと凝っておりました^^)。

 
今年の1次会会場は「HERO海」。
昨年と同じ会場です。
それを院生会メンバーに知らせる吉村のメールには、
  場所は去年と同じ場所にしました!
  去年のことを懐かしみながらお酒を酌み交わしましょう!
とありました。
現在、津曲ゼミ院生会は15名になりました。その中で、この日集まれたのは10名。
1期生院OB(06)小松の乾杯の音頭で始まった院生会は賑やかに進み、去年のみ
ならず、修士論文作成の頃の昔を懐かしんでいたように思います。
あの頃は、ほんとに寝れなかったとか、また落ち武者状態になっていたとか、そんな
エピソードが繰り広げられる中で、M2(13)坂口が実はほぼ論文が出来上がっている
ことを披露すると、場はちょっと騒然となりました。
この時期におおよそ出来上がっているなど、これまでなかったからです。
ほとんどが締切間際の年明けに必死の形相でPCに向き合う人ばかりだったからです。
院OB(09)吉本など、このまま出来なかったら、県庁前で一緒に土下座しましょうと私に
言ってたたぐらいですから(ちなみに、一緒にとは私との意味だそうです笑)。
そんな苦しい修士論文が、もうおおよそ出来上がっているわけですから。
信じがたい。

賑やかな1次会は、小松の1本締めで21:30過ぎに終了しました。


ところで、1次会の途中、OB(05)山口が乱入! 10分ほどのことでした。
(興津会10周年に向けての映像撮影のためです。色々なことを企んでいるようです)

 
1次会会場(HIRO海)を後にし、2次会へ。
院OB(09)吉本は、明日も仕事のようで、最終電車に乗るため、ここで別れました。

2次会。

あちこちで、楽しい時間が過ごせていたのではないでしょうか。


学校関係者の多い津曲ゼミ院生会は、この時期に行っている関係で、毎年、夏休み最後の
イベントのようになっています。
夏を終え、次の仕事に向かう通過儀礼のような役割も持ち合わせているかもしれません。
最後に場を締めてくれたのは2期生の院OB(07)山部でした。(下の写真は乾杯ですが^^;)


終わったのは午前0時前でした(11白樫は終電があり撮影時不在)。


新しい仲間を増やし、また来年もこうして集まれるといいかなと思います。
何かの縁でこうして同じ仲間になったわけです。
院OB(08)田中が現役ゼミ生の時に書籍「つなげる力」を紹介したことがあります。
田中はこの時に得た知識で、学校現場で、新しい学科設置に向かっていったと
のことでした。
院生会メンバーは職場に戻れば、それぞれに要職についている優秀な人たちばかりです。
永久に継続することはありませんが、継続できる限り、この仲間たちとつながり、
それがうまく組み合せていけば面白いことができるはずです(まさに、アドミニストレーション!)。
自然な形でつながり、自然に面白い方向にいけるといいですね。
(余談ですが、院(12)大塚が空港に仕事で行って、くまモン名刺を差し出したら、(株)空ビルの伊藤さんに、
「あなた研究室のドアに張り紙してた方でしょう!?」(ガリラボ通信2014/8/3)と言われたとのこと。
伊藤さんもガリラボ通信を読まれているのですかね。どこでどう人はつながっていくか分からないものです^^)

最後に、こういったつながりの場(プラットフォーム)を作り出してくれた幹事(M1(14)吉村、
漆島)にお礼を言いたいと思います。
毎年、工夫された場が生まれているのは、幹事たちのクリエイティブさと献身的な
準備のおかげです。
どうもありがとう。
 

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