2011年に北アフリカの国チュニジアに起きたジャスミン革命はまだ記憶に新しいのではないかと思います。
そのチュニジアで、数日前にテロが起き、それに日本人も巻き込まれ、大きく報道されました。
ジャスミン革命は賞賛され、中東の国々に連鎖し、多くの国で革命につながり、その後、
それは「アラブの春」と呼ばれました。
この時の革命は、当時普及を始めていたソーシャルネットワークが重要な道具となりました。
若者がSNSでつながり、それが基盤となって革命へと進行したのでした。
それについては、2011/2/20にNHKスペシャルで「ネットが”革命”を起こした
〜中東・若者たちの攻防」とのタイトルで放送されています。
SNSという新しい道具が活躍するこの革命は、当時、多くが賞賛していたかと思いますが、
しかしながら、この革命は中東の安定化どころか、混迷の契機になってしまいました。
先の放送から2年後の2013/2/22には、NHKスペシャルで「激動イスラム アラブの
春はどこへ〜エジプト 変質する民主化革命〜」としてその混迷の様子が放送されて
います。
それからさらに2年。
現在、イスラム国が台頭、混迷はさらに深まっています。
そうした中、3月18日、革命が起きた国々の中で政情が比較的安定していたチュニ
ジアで観光客を標的にしたテロが起きたわけです。
先月のことです。
次のコラムが熊日新聞に掲載されていました。
熱狂について警告したコラムです。日曜日の朝、深く納得した内容でした。
M1(14)吉村と4年(11)藤本の2人には、何かの雑談の折に、この話を(少し真面目に)
していたところでした。
熱狂が内包する本質的な問題を理解するために一度は読んでおくと良いかと思います。
なお、私は、熱狂し、熱くならないわけでもないですが、熱くなりつつも
最後の最後には冷静になる性格だと思っています。
若い時の写真を見返すと、同じ世代で熱く燃えた直後の写真などには、端っことか
後ろで少し距離を置いて写真に収まっている(乗れない)自分がいます。
どこか、最後には冷めて物事を見る癖があったようで、三つ子の魂百までと
言われますが、今もその性格は継続しているように感じます。
物事を前に進ませるためには一種の熱狂という狂気の状態になることは不可欠ですが、
しかし、そこを突破したら熱狂だけではいけない。
突破後の歩みを始めたらそれを冷静にモニターしていくことが不可欠です。
そうでないと、熱狂は暴走のアクセルを踏んでしまう。
アラブの春ほどのレベルではないにしても、身の回りのローカルなところでも、そう
いった現象をたまにみかけます。
熱狂しているとき、人は興奮剤を注入された状況に陥り、目は曇ってしまいます。
恋愛とかも、それと同様の状況だといいます。
熱狂状態に陥っている!
「選択の科学」で著名なシーナ・アイエンガー教授がそういった意味のことを言われています。
恋愛という熱狂の中にいると、相手の良い面しか見えなくなるのだ、と。
熱狂は、悪い面にフィルタをかけ、見えなくする特徴があります。
熱狂の一種である恋愛には、そうした効果があるのだ、と。
ところが、結婚して熱狂が覚め冷静になってみると、良い面だけでなく、
悪い面も公平に見えるわけです。
そうなったとき、後者の側面が目立つとなると悲惨なことになるわけですね。笑
話のレベルは大きく違いますが、アラブの春では、民主化というものに対する
恋愛がすごく、それについての熱狂へと人々が巻き込まれたのかもしれません。
SNS(FacebookやTwitterなど)が熱狂を増幅する装置として働き、熱狂という興奮の中で、
国(夫婦)が持つ多様な特徴についてはフィルタがかけられ見えない状態で革命が進行し、
勢いで国(夫婦)ができてしまった。
冷静な議論を経ていない、そうした国(夫婦)が問題をはらんでいないわけがありません。
そういった国(夫婦)を安定化させていくには、その後、内包する問題をひとつづつ
粘り強く解決していく必要があります。
そこでは、熱狂とはおよそ反対の、冷静で粘り強い力が求めらるのです。
アラブの国々、そして世界中が今そうした力が要求されているのだろうと思います。
「熱狂しつつも、冷静に」という相矛盾していますが、この態度が、物事を進ませ、
そしてその物事を具体化していくのに必要なんだろうと思っています。
このことは、ガリラボ通信で良く使う言葉で言えば「泣こよか、ひっ飛べ」と
「神は細部に宿る」の2つをバランス良く身体化している状態と言えるでしょう。
仕事に向かう態度としても身につけておきたいものです。
心がけねばと思います。
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