本日は、朝からひとり書斎にこもり、次年度の事業について考えておりました。
深く考える時間が最近は日曜午前中だけしかとれず、頭のトレーニングが不足し、
思索することが苦行に近い状態。トレーニングの大切さを痛感します。
さて、3年ほど前、タイトルの「肯定的無抵抗(ポジティブ・ノンレジスタンス)」を
テーマにガリラボ通信を書いたことがあります(ガリラボ通信2011/12/4)。
改めて読み直したのですが、どうしてこの時期にかといいますと、M1(14)吉村と
院ゼミとして読んできたテキスト「高校・大学から仕事へのトランジション」で、
このエントリーと直接関係するようなことが書かれていたからです(ガリラボ通信2015/2/26)。
そこには、学生から社会人へと変化していくとき、あまりにやりたいことが先行
していると、結果的に人生がうまくいかないという事例が紹介されていました。
今までのキャリア教育では「やりたいことを見つけろ」、また就職活動が近づくと
「君は何がやりたいの」とか聞かれ、「やりたいこと」を見つけることが若い世代に
強要されてきました。
キャリア教育を担当してきた私も当初はそういったことを強要していた気がします。
(もっとも最近は多様なモデルの提供に徹することにしてますが)
テキストで紹介されていたのは、やりたいことが先行してしまい、そこから抜け出せ
なくなってしまう事例でした。
事例として紹介されていた方は、その結果として、社会人としてのキャリアもしっか
りと歩んでいけなくなってしまっていました。
その逆の事例も紹介されていました。
極端にやりたいことが明確でないものの、周囲からの勧めでやりたいことを変更して
いく事例です。
この方は、社会人へとうまい具合に転換ができ、キャリアも順調に歩んで
いかれているようでした。
もっとも、人のキャリアには複雑な条件が絡んでいるわけで、上記の理由だけで
そうした結果になるとは思えませんが。
ただ、私がこのテキストを読みながら思い出していたのが、オリンピック400m
ファイナリスト高野さんの生き方でした。
3年前の繰り返しになるので、詳しくはガリラボ通信2011/12/4を読んでほしい
ですが、高野さんの
私の場合はどうなのかと振り返ってみると、ここまで述べてきたように、
何とも無抵抗な生き方をしてきた半生がそこにありました。
とにかく、目の前におかれた状況を受け入れてきただけだったのです。
はひとつの考え方としてどこか頭の片隅においておくべきだろうと思うのです。
自己主張の強さも大事だとは思います。
が、それと同じく自己を主張しないことも重要で、社会人としていい感じでキャリアを
積み重ねていくには、両方のバランス感覚が必要なのではないかと思うのです。
何とも無抵抗な高野さんは、こう続けられています。
ただし、一旦受け入れを決意してからは「仕方ない」とか「この程度でいい」と
思って取り組んだことは一つもありませんでした。
とにかくワクワクドキドキが好きな性格も手伝ってか、与えられた環境に対して
挑戦的に取り組むようにしていましたし、日々創造力を働かせていました。
様相が一変し、ここには先の無抵抗感といった雰囲気は全くありません。
無抵抗とは全くの反対、ギラギラした非常にアクティブさを感じます。
静から動へと変化し、徹底したこだわりがそこに見えます。
意思決定においては、(自分をよく知っている)他者に自らの選択を委ね、しかし
決定した後は自らの強い意思で目の前のことを徹底的に磨き上げていってる。
自分に向いていることというのは、意外に他人の方が知っているものです。
その部分はだから他人に任せる。
だけど、そうして与えられたチャンスはしっかりと自分のものにするために、
全精力を傾け自分の意思を貫いていく。
矛盾している行動ですが、非常に合理的なやり方ではないかと思います。
今週末、11ゼミ生は卒業です。
高野さんのような柔軟さを、どこか頭の片隅においておくと良いかもしれません。
善きことはカタツムリの速度で動く(ガンジー)。
卒業に向けていくつかメッセージを書きましたが、今日のガリラボ通信もそのひとつに
加えてもらえればと思います。
・・・・・
ここまで書いたところで、M1(14)吉村からメールが届きました。
明日、もやいすと講義のサポートに申し込んでくれた勇気ある13ゼミ生有志に
向けたキッキオフ会議を開催しますが、その企画内容についての確認してほしいと
の内容です。
明日のことではありますが、日曜日もこうした作業していて嬉しい限りです。
メールを読みながら、吉村こそ、肯定的無抵抗を続けてきた代表ではなかった
ろうかと思いました。
ガリラボの卒業証書には確か「あなたは津曲先生の無茶ぶりに耐え・・・」と
いったフレーズがあったかと思いますが(今年もあるのかな?)、たぶん今までの
ゼミ生の中で一番無茶振りをしてきたのが吉村です(ちなみに、私がかなり真剣に
怒ったのも吉村だけです)。
「そうそう、そういえば・・・」と私が思いついたことを即座に話し、それを肯定
的に受け入れてくれ、受け入れた後は、今日のメールのように自分なりにしっかりと
考えてカタチにして返してくれる。
2年以上前に書いた「そうそう、そういえば・・・」と言える空間の大切さに
ついては、ぜひ、次のガリラボ通信を読んでほしい:
「そうそう、そういえば・・・」といったやりとりが簡単にできる環境の大事さ
(ガリラボ通信2012/10/14)
アイデアってナマモノです。
新鮮なうちにやり取りをして手を入れないと腐ってしまい、使いものにならなくなる。
そんなものです。
ガリラボが色々と新しいことに挑戦しているのは、この「そうそう、そういえば」と
いうやり取りが簡単にできることが大きい。
特に吉村はいつも近くにいるので、私が思いついたナマモノのアイデアをすぐに
手渡すことができ、すぐに料理できない場合には、とりあえず腐らないように冷蔵庫に
入れてくれるなど工夫をしてくれます。
そうしたやり取りを繰り返してきたことで十全的参加が進行し、私の持つ知識資源や
社会関係資本のようなものにまで深く入り込んできているように思います。
ポジティブ・ノンレジスタンスによって人は成長するのだということを教えてくれる
優れたサンプルは身近にあることを、メールが届いて気づきました。^^
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