2019年4月7日日曜日

最終的な形はない。一番の方法は遠回り。

イチロー選手が引退を決めた後、3月31日に放送されたNHKスペシャルはイチローさんを追ったドキュメントでした。
ところで、一昨日は、国民栄誉賞の再度の打診を改めて辞退したというニュースも流れてました。


番組の、この尋常でない特別な人物の言葉に感動しました。
自分が求めることについて、

   最終的な形はない。

と断言していました。
これで十分という、ある特定の「決められた状態」はないのだということでしょう。
成長する人は、段階が上がっていく度に理想は変化していくわけで、手に届きそうになったら逃げていくようなものだと思います。
そして、そこにたどり着くことが目的でなく、いつもその時々で「理想を作り」ながら、そこ辿り着こうとする、そうした「過程」をしっかりと生きることがイチローさんの目的になっているようです。
しびれます。
その過程を進んできた経験を踏まえ、次のようなことも話してました。

  はっきりしているのは近道はない。
  あとで考えるとこれは遠回りだったと思うことはある。
  省けるとよかったな。
  そう思うことはある。
  でも、それが一番近い。
  あるぼんやりとした自分の理想に近づくには
  一番の方法は遠回りをすること。
  今ははっきりとそう言える。

その時は遠回りに思えても、実はそこでの経験が重要な役割を演ずることになるということでしょうか。
イチローのような人間でさえ、遠回りをしている!
いや逆ですね。
こんな人だから遠回りができるのかもしれません。
普通の人も遠回りをすべきでしょうが、普通の人は近道をせっせと進むことを選びものです。
今は近道できるツールが身の回りに溢れていますので。
見方にはよってはかなり悲惨です。
さらに悲惨なのは、固定したゴールをひたすら目指し、その結果、自分の進んでいる過程でどういったことがあったのかも気づかない状況にあるときかもしれません。
  

さて、こんな話題の時にいつも思い出すのが、山田洋次監督「学校Ⅳ」という映画です。
この中で登場する引きこもりの青年の詩を思い出します。
ガリラボ通信2015/8/31でも紹介していますので、背景はそっちを参照ください。
その青年が書いていた詩は次です。
浪人の詩
草原のど真ん中の一本道を
あてもなく浪人が歩いている
ほとんどの奴が馬に乗っても
浪人は歩いて草原を突っ切る
早く着くことなんか目的じゃないんだ
雲より遅くてじゅうぶんさ
この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ
葉っぱに残る朝露
流れる雲
小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない
だから浪人は立ち止まる
そしてまた歩きはじめる

山田洋次監督も天才的な表現力の持ち主の方だと思います。
この方もどうもイチローさんと同じ感覚をお持ちのようです。
いや、逆ですかね。
そうした感覚を持っている方が、そういう人たちになっていくのでしょうか。
天才的な人たちと同じようにはやれないかもしれません。
でも、ちょっとは真似してみたい。

最終的な形はないけれど、
しかし、そこに行こうと、懸命に過程を生きる。
そうありたいですね。
 
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本日は統一地方選。
構図はどういった感じに変わるのでしょう。
宮崎県や鹿児島県では、私の古い友人たちが何人か必死で戦っていたようです。
当初、私もこの友人たちも学生時代そして社会人になってしばらくは、全員が同じエンジニアというゴールを目指していたわけですが、徐々に理想の形が変わっていって、この友人たちは今は議員として地域づくりに奔走している。
何かに懸命になっている人たちにはやはり固定した「最終的な形」というのはないのだと思います。
 



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