この投稿で5,000回目となりました。
10年間近く、ほぼ毎日投稿してきました。
雨の日の風の日も、元気な日も病気の日も、熊本地震の日でも・・・。
読まれようが、読まれまいが・・・ ^^;
せっせと投稿してきたわけですが、覚えている限り、2回だけ書いていない日があります。
ひとつは、
2011年3月12日(東日本大震災の翌日)
です。東京の大学に通っていた息子と連絡がとれず、さらに娘の婚約者が福島(の原発の近く)にいて連絡が取れず(そのまま数日間音信不通で・・・ひょっとして・・・と慌てふためいておりました)、そういことで、何も手がつかず、10年間の中でも最も混乱したときだったようです。
そしてもう1回が
2012年11月23日~26日
で、なんとこの時は連続で投稿していません。
この時は混乱していたわけでなく、娘の結婚で東京に滞在しており、そしてこの頃はWiFiどころか携帯電話も携帯しておらずで、ネットから切断されていたためでした。
いずれもプライベートな事情での欠損です。
もっとも、気づいていないだけで他にも投稿していない日があるのかもしれませんが、とりあえず10年間、
ほぼ日刊
を続けることができたのは、間違いなく、ガリラボのゼミ生が活発であったからです。
書くネタに困らなかったというか、積極的に活動を紹介したいと気持ちを起こさせてくれたので、その結果が「ほぼ日刊」につながったのだと思います。
ゼミ生がやる気も何もないメンバーであったら、いくら何でも土日も休まず毎日それなりの時間を費やし書き続けることはなかったでしょう。
何かを生み出していこうと、頑張る、やる気に満ち溢れた学生と一緒にいることは非常に楽しいものです。
そうした人たちの傍にいて、ガリラボ通信を5,000回ほど綴ってきたわけですが、続けてきてその節目になった日は以下の通りでした
・2009/09/10(初回) ガリラボ通信(研究室ダイアリー)開設
・2010/10/03(500回目) ラーニングコモンズとしてのガリラボ活用(500回投稿記念!)
・2011/09/18(1000回目) 1000回~ひとつの変革の時を迎えて
・2012/07/24(1500回目) 1500回目の投稿
・2013/05/05(2000回目) 2000回目の投稿~10、11ゼミ生への期待と次の方向について
・2500回目投稿(不明)
・2015/03/31(3000回目)3000回目の投稿~新しい道を進む11ゼミ生へ、
そして社会人となったゼミ生へ
・2016/03/20(3505回目)3500回目(+α)の投稿~サクラ便り2016(1日目)/
12卒業アルバム制作/たまラボ8回目
・2017/01/28 (4000回目) 4000回目の投稿~継続できたのは熱量の高いゼミ生たちのおかげです
・2018/03/08 (4500回目) 4500回目の投稿~8年半が詰まったポートフォリオに成長
・2019/05/10 (5000回目) 今回の投稿
5,000回・・・・結構長い歩みでした。
県立大学に赴任したのが平成6年4月。
ガリラボの体制が新しくなったのは03ゼミ生からでした。
この3月に15ゼミ生が卒業し、大学院生は06から17まで修了しました。
数えるとこれまでに学部生・大学院生延べ189名の卒業生を、ここガリラボから社会に送り出しています。
ガリラボ通信を始めたのは平成21年9月でした。
このため、全てのゼミ生の記録はなく、ガリラボ通信に登場するのは残念ながら06ゼミ生からです。
今から思うと、もう少し早くからやっておくべきでした(ただ、大学内だけで閲覧できるサイトには少しだけ残してあるので、時間が出来たときにガリラボ通信に移行したいと思ってます)。
ちなみにこうしてゼミの情報を発信するきっかけとなったのは、OG(03)宮川の一言でした。
OG(03)宮川、菅原、OG(04)平野が卒業後に興津会というガリラボの同窓会を作り、その飲み会やまた卒業後も一緒に活動していて何度も顔を会わせており、そうしたときふと宮川が、在学中のゼミ生とのつながっていくために、ゼミの活動の様子を知りたいと話したことがきっかけでした。
それをきっかけに始めたのですが、当初は今とは別の形で情報発信をしていました(現在はサービスを停止しているGoogle Groupを使ってました)。
そのサービス停止を機に、平成21(2009)年9月にこのブログでの発信に移行したのです(急な停止宣言でその時は困りましたが、GoogleGroupが停止され、ブログに移行するいい機会となり、結果オーライでした)。
教員をもう長くやっていますが、宮川を始め多様で活動的なゼミ生たちがいて初めて「教員としての私」という存在はあるわけで、ゼミ生が教員として大学で仕事をしていく根拠を与え続けてくれました。
また、私の教員生活の大半は平成という時代です。
その意味でガリラボのゼミ生たちと過ごした「平成という時代」は私にとって貴重でした。
その平成の最後、朝日新聞が、平成時代の天皇陛下を振り返る「祈りの旅」という特集(こちら)を組んでいて、読みました。
ちょうど、5,000回目を意識していた頃です。
大変感動しました。
また、この特集の少し前、「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」にて北野武氏が、祝いの言葉として、次のことを述べられています(全文はここを参照)。これにも大変感動しました。
陛下が、1月1日の四方拝を始め、毎日のように国民のために儀式で祈りをささげ、多忙な毎日を過ごされていることは、知ってました。皇后陛下におかれましては『皇室は祈りでありたい』とおっしゃいました。お言葉の通り、両陛下は私たちのために、日々祈り、寄り添ってくださっていました。私は、感激するとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。
恐れ多いことですが、「祈り」ということが、私にも少しだけ理解できます。
ゼミ生との直接的な付き合いは在学中のわずか2年と少しだけです。
一緒にいてFace-to-Faceで話ができるときは色々と注文をつけたりしていますが、ゼミ生にとってはそれからの人生の方がはるかに長く、そこでは、私が何かできるわけでもないので、やれることと言えば祈ることぐらいのものです。
ゼミ生が今後もそれぞれの人生を充実していくことを祈るのみです。
大学で一緒に過ごし、また一部のゼミ生とは卒業後もよく会っていますが、教員として充実した時間を過ごさせてくれた、これらのゼミ生たちには改めて感謝したい気分です。
「祈りの旅」より
どうも退職しそうな勢いの文章になっていますが(笑)、5,000回というひとつの節目が、平成から令和への時代への移行と重なったこもあり、ついつい筆が暴走してしまいました。^^;
5,001回目以降もまだしばらく、とりあえず退職の日(令和6年3月予定)までは、読まれようが、読まれまいが、ガリラボの奥の狭いデスクの上でせっせと、ゼミ生がいる限りガリラボ通信を続けてみようと思います。
ガリラボ通信発信スペース
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