天気が良かったので出かけた先のコッコファームのバナナ園に入ってびっくりでした。
オーナー制なんですね。ちなみに、私のバナナではありません。^^;
バナナはさておき、アップルウォッチが一昨日発売され、話題になっています。
非常に気になっているデバイスです。
(携帯を持ち歩かないせいか)スマホにはそこまで興味が湧きませんでしたが、
いつもウェアラブルデバイスとして欠かせないアナログ時計を身につけいる身としては、
それを拡張するアップルウォッチには非常に興味があります。
今後、アップルウォッチはまた私たちの生活に大きな影響を与えていくことになるはず
です。
そう思っているのですが、アップルウォッチどころではないですね、ここ最近のメディアは。
今、メディアはドローン一色。
空の産業革命ツールであるドローンがニュースで毎日話題になっています。
4月22日、首相官邸屋上にドローンが落下しているのが発見されたからです。
この事件性についてはおいておき、これだけ毎日報道されると、ドローンのことが一般の
人たちに急速に普及していくでしょうね。
出頭した容疑者は反原発の主張としての行為だったようですが、この事件によって、
ドローンは一気に知名度を獲得したことは間違いありません。
それまで日本人の多くはドローンという言葉を知らない人がほとんどだったでしょうから。
それが1億人ぐらいが知る言葉となった。
今回のことはドローンが一般に普及していく契機となり、それで空の産業革命が一気に
進行していくことになるのかもしれません。
NHK NewsWebより
私がドローンの存在を意識したのは1年前のことでした(ガリラボ通信2014/3/9)。
一目見て、これはガリラボで取り組むテーマだと直感し、それから半年後、ガリラボに
ドローンがやってきました(ガリラボ通信2014/10/4)。
その後、ドローンの可能性について4年(12)田中を代表として12ゼミ生が取り組んだ
のでした(ガリラボ通信2015/1/10)。
やってみると誰でも使えるいいながらもまだややこしい面があることがわかりました。
しかし、今回の事件で知名度を獲得したドローンは、急速に実用化が進んでいき、
安定した利用が可能な日用品へと向かっていくでしょう。
そのための実験が開始されているようです。
ドローンウェイターといった実用実験のことを先日知りました。
2kgぐらいまで搭載できるとのことで、料理の運搬は簡単そうです。
映像を見ていると、まだ危なかっしい感じです。
ただしこうしたトライアルを繰り返すことで、ドローンは改良されていくでしょう。
ドローンの改良と同時並行的に、ドローンを使うための周囲の環境も変化していくでしょう。
自動車を利用するために、道路というハード環境と法整備や保険といったソフト環境と
いったインフラが高度に発達していったのと同様です。
ひとつの新しい道具は、その普及に周囲の環境(インフラ)変化を要請します。
道具とそのための環境とがうまく調和していったとき、道具は生活の中に空気のような
存在として定着を始めることになるでしょう。
今、私たちが車を無意識に利用しているように。
道具が日常化した時、その存在に人は無自覚になっていきます。
そうなったとき初めてその道具は実用の域に入り、私たちにとって真に重要な存在に
なったといってよいでしょう。
騒がれているうちは、生活にとってあまり重要なものではありません。
人は、自分にとって重要なものほど認識しなくなる、そんな性質を持っているようです。
今回の事件を通して、インフラ整備(規制、そして標準化等)も進むことになるでしょう。
(まさか、そういうことを進ませたい人たちがいて、そのために今回の騒ぎを仕組んだわけではないでしょうね??
考えすぎでしょうが)
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ドローンは、映像として人々に提供しやすく、そして空の産業革命として注目され始めて
いたツールであったこともあり、今回の事件はマスコミで大きく報道されることになりました。
そうした話題に目が引き寄せられている中で、本日熊日新聞の次のコラム(論壇)を読み、
はっとさせられました。
騒ぎの中にいると、目の前の見える部分だけに目が行き、それ以外は不可視になって
しまうことに改めて気付かされたように思います。
ちなみに、私など大学にいる人間にとって現在大きな騒ぎの一つとして地方創成なるものがあります。
地方創成という騒ぎ(熱狂?)の渦中に大学や地域は現在あります。
そうした渦中にどっぷりと浸っていると、その枠組み内の思考へと狭められ、自由な思考を失ってしまいかねない。
そうなったとき、多様な視点の存在は不可視になってしまう。恐ろしい限りです。
多様な視点を意識化しなければ思う次第です。
中島さんは別に興味深いコラム(論壇)も書かれていて、それについては先月の
ガリラボ通信2015/3/22で紹介しました。(ゼミ生には、ぜひこの時の通信も読んでほしい!)
そこでは熱狂の持つ危険性について指摘され、今回同様、ぎくっとさせられました。
本日のコラムそして3月のコラム双方を読むと、やはり、何事も広い視点でものごとを考えて
いかなければならないのだと改めて思わされます。
当然のことなのですが、騒ぎの中に真っ只中にいるとどうしても忘れてしまいます。
学問を生業としている大学であってはそれはまずいですね。
賢くなければならない。
狭い視野のままで、単純な結論を出すのではなく、多様な視点の中で誠実に考えていかないと
いけない。
このことについては「賢くあること」として鷲田さんの話として先日のガリラボ通信2015/4/19で
紹介した通りです。
(これも是非読んでほしい。なお、ここで出しているクイズは解けたでしょうか?)
(改めて)どういったものにも、ひとつの視点でなく複数の見方があります。
これって極めて重要なことですが、ひとつの視点しかない人にはそれがわからない。
自分の主張だけでなく、他の視点に自覚的になり、ひとつの視点だけに単純化せず、
広い視野でものごとを捉えていくこと。
これは、「もやいすと」なる人物像のひとつの要素であろうと思っています。
このため、もやいすとシニアの講義で多様な視野の意味を掴ませることを裏テーマとし、
山崎亮さんのコミュティデザインの手法などを勉強してきた中で、平田オリザさんの対話劇を
見た瞬間、そのための訓練手法として良さそうだと直感したのでした。
多様な価値観がぶつかる場をどう表現し、それをどうまとめていくか、もやいすととしての
非常に重要なトレーニングを対話劇をつくるという手法の中に埋め込めそうに思えました。
もやい塾の塾生にはそのことを踏まえて講義を設計していってほしいと思っています。
そして、塾生自体が、この設計作業を通して、頭が良いのではなく、鷲田さんがいう意味で
賢くなっていってほしい。
深く、深く考え、あーでもない、こーでもないと色々な方向から考えていってほしい。
その時には効率的な議論など無用です。
5月2日のワークショップでは1日中議論できればと思います。
付き合います。
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