午前8時前のキャンパス。
きれいな秋空が広がっておりました。
賑わっていたメインステージン前は誰もおらず、祭りの後の静けさを強く
感じさせる朝でした。
賑わったガリラボの会場14番教室も、まるで何もなかったかのようです。
今朝はみんな心なしか登校時間が遅い感じでした。
いつも通りに4年(12)梅田が8時に登校したのを除き、少し遅め。
次にやってきたのが4年(12)丸野で9:30のことでした。
私はそれから本部棟に出かけたので、その後の状況は不明です。
ところで、今朝5:55にOB(10)保坂からメールが届きました(さすが社会人。朝が早い!)。
夕暮れが日に日に早くなるのに驚かされる今日この頃お変わりないでしょうか。
今年の白亜祭も大盛況だったようでお疲れ様でした。通信を拝読しながら見に
行きたかったなと魅力に魅せられつつ、卒業してからは1度も足を運べてないなと
思いました。
私にとってガリラボ白亜祭は、フォトモにパネルなど普段の自身の活動を全力で
表現出来たステージの様な場面だったのでかなり思い出深いものです。なので、
毎年自ずとゼミ生の活躍を体感しに行きたいのですが、今年も本当に残念でした。
白亜祭に参加したかったようです。普段も強烈でしたが、白亜祭当日になるとさらにパワー
アップしてましたから、保坂は。
来れなくて、残念です。
ただ、週末の興津会に参加できるようで、メールは次のように続いていました。
いよいよ週末は待ちに待ったガタガタウェディング&ガリフェス&興津会ですね。
転勤になるまでは、すべて参加‼ 皆勤賞をとるつもりでしたが、最終的にはガリ
フェス&興津会のみの参加がギリギリ出来るかどうかの状況となりました。
それさえも今週の頑張り次第では怪しくはありますが。。。
取り敢えずどうにかします。。笑
死ぬ気で仕事をして、休みを取ってやってくるでしょう、必ず。
ただですね、そうなると、私はもちろん迷惑ですが、周囲も迷惑でしょうねぇ、きっと。
ただですね、そうなると、私はもちろん迷惑ですが、周囲も迷惑でしょうねぇ、きっと。
特に4年(12)尾堂とか。笑
この私の見解に尾堂はきっと同意するものと思います。
この私の見解に尾堂はきっと同意するものと思います。
次のメール(一部です)は、4年(12)田中から昨晩22:00過ぎに届いたもの。
2日間、本当にお疲れ様でした。
あっという間に最後の白亜祭が終わってしまいました。
とても充実していました。
今回感じたことは、人が心から楽しめるものを
作るためには、時間と知識と労力がいるということです。
今までも、数々の企画を作ってきましたが、お客さんの反応を
ダイレクトに感じることの出来た今回はとても貴重な経験でした。
「一番楽しかった!」と直接お客さんに言っていただいた時は、
本当に嬉しかったです。
組織を立ち上げて、企画を考えて、それを更に練り、アイディアを
形にし、具現化する…
今年はそういった流れが、院生の方も含め、ゼミ生全員で取り組め
たのではないかと思います。
夏から企画を開始し、9月(?)からのリーダー会議に参加し、特に14番教室全体の
デザインリーダーを務めた田中も、この2日間、全力で駆け抜けた白亜祭であったろうと
思います。
保坂同様に、苦労した白亜祭は田中にとっても強烈な思い出として残るだろうと思います。
非常に大変なことは、それが終わってみると最も愛おしい思い出に変わるものです。
中途半端にやってたことは何の記憶にも残らないし、その時間は消滅さえしてしまう。
一生懸命にやった時間は、自分が生きていた時間として、強烈に記憶に残るものです。
ゼミ生より長く生きている分だけ、少しだけですが、そのことがわかります。
あの坂をのぼれば海が見える。(ガリラボ通信2012/10/7)
白亜祭が終わったときとは、ゼミ生一同、海が見えた瞬間だったはず。
終わったときは疲れて果て、それどころではなかったかもしれませんが、しかしそのことは
すぐには感じなくても、後になって実感としてして分かってくるものです。
すぐには感じなくても、後になって実感としてして分かってくるものです。
保坂がよい例です。
大掛かりに仕掛けに取り組んだ、今回の白亜祭は非常に苦労した分、特に12ゼミ生に
とっては貴重な青春の1コマになったろうと思います。
大掛かりに仕掛けに取り組んだ、今回の白亜祭は非常に苦労した分、特に12ゼミ生に
とっては貴重な青春の1コマになったろうと思います。
そんな学生生活を過ごせるというのは羨ましい限りです。
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OB(M08)佐藤からの差し入れ。ようやく普通になります。よかった。
最後になりましたが、今朝のシクラメンです。朝陽に照らされ、大変きれいでした。
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