そのJR九州の社長さん(現在は会長)のネット記事をちょうど1カ月前にガリラボ通信2019/1/14で紹介しました。
この話のポイントは勇気とフットワークの軽さでしょうか。
勇気は重要ですが、フットワークの軽さも重要です。
興味を持ったので、この方の著書を取り寄せました。
「感動経営」というタイトルで、2時間ぐらいに読み終わる、非常に読みやすい本です。
1月14日の記事の話題も226頁に出ていました。
「2メートル以内で語り合えば何でも解決する」とか、「すぐに会いに行ってうまくいかなかったことはない」といったフレーズを目にし、学生から届くメールを思い出してしまいました。
ひょっとして何でもとりあえずコミュニケーションを取れば、メールで十分に問題は解決するのだと思っている(希望している?)ふしがあります。
確かにそんな場合もあるでしょうが、それは会うことが不可能な状況(時間とか距離とか)であった時ではないかと思います。どうでしょう。
そんな時であれば、とりあえずメールで第一報というのは意味がわかります。
しかし、どうもそうではないときも結構あって・・・
こうした話とも関係するのですが、この本の中の「ななつ星」で出される料理について書かれたところで、JR九州の会長さんが、
お客さまが喜ばれる究極のメニューとは。
と問いかけられています。この方の答えとして、次の行には
手間
だとありました。
瞬間的に同意してしまいました。
私もよくゼミ生に言います。
人が感動するのは、その背後に膨大な努力を感じるときだ、と。
ドミノを10個、100個倒しても特に感動しませんが、これが1万個になると感動するはずです。
その感動の源は、たぶん、1万個を並べた人の努力に対してだと思うのです。
見ている人たちのために捧げた努力が、見る人の感動につながっているのではないでしょうか。
なので、会長さんの料理についての見解について、強く同意した次第です。
料理のお話の最後には、
感動させる仕事は、思いと手間がすべて。
とありました。
これもまったくその通りだと思います。
それ以外にもたくさんのことが書いてありましたが、頻繁に出てくるのが「掃除」でした。
いらないものを捨て(整理)、必要なものをいつでも取り出せるように順序よく並べ(整頓)、ゴミや汚れのないようにきれにする(清掃)。
これ全体を掃除とおっしゃてます。
どうもあの二宮尊徳もこうしたことを言ってるらしいです。
また、その昔、半導体や光ファイバの研究で著名な西澤潤一さんの本を読んだことがあります。
この方も研究室の掃除ができないやつは研究もできないと書かれていました。
ただし、ただ掃除をやるだけでもだめなんだと。
掃除して出てくるゴミを顕微鏡とかで覗き、侵入経路を検討し、可能な限り防ぐような手立てまで打てるともっといい、といったことが書かれていました。
半導体の研究をやっているところなのでゴミは大敵です。
なので掃除はなおさら重要だったのだと思いますが、基本的に私も掃除(整理・整頓・清掃)はそうした半導体の場以外でも極めて重要だと思います。
ガリラボが、ほぼいつも同じ状態になっている理由は、毎朝私が掃除して片づけているからですし、ゴミがないのはこれまでであれば4年(15)八並ゼミ長や八並不在の時は3年(16)川上や岡林が片づけてくれていたからです。
また、研究室内の10台ほどのPCがいつも使えるのも定期的に私の方でメンテ作業(これも掃除の一種)もやっているからです(朝はほぼゼミ生がいなかったので、前からやるつもりでいたソフトのメンテナンス作業を合間にやりました)。
掃除(メンテ)がされていないのに、ふらりとやってきて何事もなく普通に使えるということはあり得ません。
何事もなく使えているというのは、そうした場のインフラを誰かがメンテナンスしているからです。
支障なく使えるというとき、それが当たり前でしょうが、そうした当たり前がどうして成立しているのか、当たり前を成立させているインフラは何なのか、そうしたところに目がいくようになると、日常の当たり前にも痛く感動するかもしれませんね。
与えられた環境をただ消費するの人と、そうした環境を作る人たちがいます。
この差は大きい。
なので、まずはこの差の存在を気づき、環境がどれほどの手間で掃除(メンテ)され維持されているのか、そうしたことに把握していくことから始めるとよいかもしれません。
ちなみに、M2(17)多賀の修士の研究では、生活の場におけるインフラがどのように維持されているのかを発見(気づくこと)が重要でした。
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