2019年7月9日火曜日

赤の女王仮説の実践を怠ってた/OBネットワークについての話題

午前中は16ゼミ。
その後のゼミ会議で、白亜祭に向けた活動について連絡のトラブルが起きていることが判明。
昔もそういったことはあったのでしょうが、以前はガリラボを活動の拠点にしているゼミ生ばかりだったので、その都度、「どうなっている」と思いついた時に聞けたので、それがトラブルを事前に処理できていた大きな理由でした。また、他にもやはりガリラボを拠点に活動しているゼミ生が何か拙いことが起きている時に「先生、あれ大丈夫ですか」と私にサインを送ってくれ、それで処理できていました。
これまでは、ガリラボを拠点にするゼミ生が比較的多くいたのであまり深く考えていませんでした。
これからは、会議でしか会わないことを前提に物事を考えていかないといけないのかもしれません。
3年生も今のところほぼガリラボを拠点にしておらず(授業が多いこともあるでしょうが)、会議とゼミの時間しか会うことがないので、今後の色々な行事について上と同じことが起きるでしょうから、やり方を変えないとまずそうです。
今は以前に比べると
  これ→そうそう、そういえば・・・ガリラボ通信2012/10/14
ができにくくなりました。
ガリラボの新しいアイデアのほとんどは、この「そうそう、そういえば」的な雑談ができる環境の賜物でした。
脱皮できない蛇は滅びる(ニーチェ)。適応したものだけが生き残る(ダーウィン)。そして、不思議の国のアリスの赤の女王仮説(ガリラボ通信2010/9/23)もあります。
これらを実践していなければ、消滅するしかありません。
学生たちの継時的変化に、私自身の学習(=適応)ができていなかったようです(反省)。

何か方法を考えていかねばと思いつつ、しかし、最近は発想力が極端に弱くなっていて困っております(涙)。

 



・・・・・・・


以下、上とは、まったく関係ない話題ですが、私自身が興味あった話題なので書き留めたものです。OBのネットワークについての話題です。
 

今週の週刊ダイヤモンドにOBネットワークなる特集があり、息子が同窓会ネットワークの研究をやっていることもあり、それで私も興味が出てきて、特集をじっくりと読んでみました、
記事の中心は名前をよく聞く高校、そして大学は早稲田・慶応・東大・一橋といったところですが、全国各地の様子も取材されていて、九州については、次の図が描かれていました。
この図は上にいくほど、ネットワークの結束力が強く、社会への影響力も強い形で描いてあるそうです(定量的な調査をされたかどうか不明です。取材情報からの直感で描かれたのではないかと思われます)。



九州では、大学に関していうと、九州大学のネットワークが1強状態とのこと。
熊本のネットワークでは、熊本大学や熊本学園大学という名称が出ています。
公立大学だと北九州市立大学が出ています。
ただ、残念ながら(?)、熊本県立大学の名前が見当たりません。
図の下に注意書きで「取材を基に本編集部作成」とあります。
取材の対象にならなかったということでしょうか。。。。残念。

この図を眺めていると、名前が出ている大学については、その大学の特徴があり、それが多少なりともわかる気がします。
アイデンティティがそれなりにしっかりしているように思えるのです。

別に読んだダイヤモンドオンラインの記事(こちら)に、早稲田大を出て起業した人たちの話題が出ていて、この人たちが集まって飲むのが大学近くの安い居酒屋だとのこと。
上場企業の社長さんたちが、早稲田の学生たちが騒いでところで集まって飲んでいるというのですから驚きます。
そのあたりがその大学で培ったもの(文化)で、それがひとつの共通言語なんだと記事を書かれた社長さんは綴られていました。

自分たちは何者なんだというのは大切だと思います。
別の人とそのことが共有されていると、共通言語として機能し、卒業後もそれを通して卒業生間で会話が成り立ちます(私もリアルにその経験をしています)。
そのためかどうかは不明ですが、自校教育というのを教養教育の一環で行っている大学があります。
私立大学では実施している割合は4割を超えているそうです。入学定員が300人以下の小規模校になると9割が行っているのだとか。
自校について深く学ぶ事で、共通言語を共有することになっているのではないかと思います。

熊本県立大学の卒業生はどういった共通言語を持っているのでしょう?
本学ではもやいすとが必修科目としてありますが、必修化して、その科目内容を決めていくとき、短期的には地域理解のための内容にしていましたが、長期的な視点としては、もやいすとと科目自体が本学卒業生の共通言語として機能していくことを期待して設計していったように思います(今から思い返すとですけど)。
将来的にうまく機能するかはどうかはもちろん未知数ですけど。
いずれにもして、アイデンティティを形成し、そして共通言語となるには、何か共通のものを体験していることが大切なだろうと思います。
 
ガリラボについてこのことを考えるとどうなるでしょう。
ガリラボについては、名刺づくり(私、こういうものです)、ひのくに殺人(?)事件ワークショップなど、長年ワンパターンで同じことを歴代のゼミ生がやってきました。課題として。
しかし、そうだからこそガリラボの卒業したゼミ生にとってはそれらが共通言語として語れるものになっているのではないかと思います。
あるいは、直接的にそれを口に出すことはなくても、そうした課題を通してガリラボに一定の文化が醸成され、それを共有しているはずです。
そして、そうした課題の洗礼をくぐってきてガリラボのゼミ生というアイデンティティ形成をしているのではないかとも思います。また白亜祭の10年近く、そして玉名とも10年連携しています。白亜祭や玉名というコトバも、ガリラボの卒業生にとって共通言語となっているのではないかと思います。
その意味で、とりあえずガリラボの存在する間は、ガリラボのゼミ生としてのアイデンティティを身につけるべく、同じ課題を最低限はクリアし、そしてそうした課題についていつも「昨年を超えろ」をスローガンにしておいてくれるといいかなと思っています。
なので、そのためには、昨年が(昨年ぐらいは)どうだったかはしっかり研究しないといけません。





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