2023年7月26日水曜日

最後のもやいすと(地域)ジュニア~成果発表会

昨夕、もやいすと(地域)ジュニアの成果発表会を行いました。
玉名、宇土、阿蘇地域を対象に、それぞれ18,18,17チームが大ホール、中2教室、中3教室に別れ、取り組んできた課題についての成果を5分間でプレゼンしていきました。

事前学習を経てグループで集まって議論したのは5回(5コマ)。
5回を、5回もと考えるか、わずか5回と考えるか。
初めて出会ったメンバーなので、わずか5回程度と私は思いますが、発表を聞いていると、わずか5回程度の議論にしては成果がうまくまとまっているように思いました。
受賞したチームなどは恐らく時間外にも随分と議論していたのではないかと思います(自主的で素晴らしい限りです)。

昨年も感じたことですが(ガリラボ通信2022/7/26)、1年生の発表内容は、ガリラボの4年生の現時点でのレベルよりも高いように感じました。
議論だけであれば4年生はもう10回以上も会議をしているので、1年生よりも随分と時間をかけているのですが、それでもなんだか1年生の一部はガリラボの4年生を超えているように思えます。

考えられる原因は、問題解決力と問題設定力の違いなのかもしれません。

1年生の場合は、問題自体はおおよそ設定されたものが提示され、その枠組みの中でさらに自分たちの中で小さな問題設定を行って、それについて解決していくスタイルになっています。
これに対し4年生の卒論では、枠が全くないわけではないですが、非常にぼんやりとしたものなので問題の枠組み自体を自分たちで定義していかないといけません。
実はここが実に難しい。
卒論に取り組み始めるとほぼ全員がここで躓きます。
問題を作る(問を立てる)ことは、実は問題を解くことよりもるかに難しいものです。
良質の問題を作る(設定する)のは至難の技で、相当な能力が要求されます。

発表会で私が感じた印象は、4年生でもまだ問題設定力という部分が弱いということに起因しているのだろうと思います。

問題解決自体は、今後は大いに機械が手助けしていってくれるでしょうから、我々人間に求められるのは、問題をどう設定するかというところで、この能力は相対的にこれまで以上に重視されていくようになるでしょう。
極端なことを言えば、問題を定義した後、その定義をChatGPTに入力し、その後「解決案を提示してくれ」と伝えれば、AIはそれなりの解決案を出してくれるはずです。
もっともそれが良いかどうかはAIでは難しいので、その点については人間の担当で、案が妥当かどうかを我々は判断する必要があります。

私のもやいすとについての仕事は概ね昨日で終わりました。
発表会での1年生と4年生とを比較しながら上のようなことを考えました。終わって、ほっとするのかと思いましたが、意外に何も感じず・・・でした。
感慨もなにもなく、ただ淡々とで、頭の中は次やるべきことにシフトしていたように思います。

思い起こせば、このもやいすとについて大きな改革を行ったが2014年でした。
私が担当することになり、せっかくだから(大げさにいえば日本一の)講義を設計したいとの想いを持ちつつ、ゼミ生と協働する形で設計に着手しました。
そのとき誕生したのがゼミ生有志でつくる
 もやいすと研究会ガリラボ通信2014/3/29
です。この時のもやいすとは集中講義であったため授業は9月の予定でしたが、研究会メンバーは4月には集合して検討をスタートさせました。
 もや研キックオフガリラボ通信2014/4/9
キックオフ会議後は夜な夜なこの研究会メンバーで勉強会を開き、議論をし、もやいすとなる授業の新しい枠組み(問題設定)を進めていったのでした。

この時、ゼミ生たちは、ドラマに登場しそうな大学大衆化以前の古典的大学生のような雰囲気を漂わせていたように思います。
現在、もやいすと(地域)ジュニアの授業で使われている授業資料の元になっているものは、この研究会のゼミ生の手で生み出したものでした。
通常のゼミや卒論をやりながら、こうした研究会もやっていたわけですから、今思うとほんと逞しいゼミ生たちだったと思います。
もや研の後には、後継チームとして「もやい塾」も結成されました。
 「熊本発☆もやい塾」の誕生ガリラボ通信2015/3/20
このネーミングは、東日本大震災後、復興に向けて誕生したNHKの番組「東北発☆未来塾」からもらったものです。番組「東北発☆未来塾」は、復興を担っていく東北の若い世代の学びの場となっており、興味深い内容が多い放送でした。この未来塾を真似ながら、もやいすとで熊本の未来を支えていく人たちを育てようという壮大な夢をチームの名前には込めたもだったように思います。
もやいすとの授業は、もや研が現在の原型を作り、そしてその後もやい塾で成長させていきました。この授業があったため、その後、2016年4月に熊本地震が起こると、被災の中心となった益城町を支援する活動にスピーディに行えたように思います。
この時、SAとして1年生と一緒に被災地で活動したのは、このもやい塾を経験したメンバーたちでした。
また、被災地支援で中核となったのは特任講師としてこの当時勤務していたOB(M08)佐藤でした。ガリラボのゼミ生と佐藤とがうまく連携したことで、他大学の追従できないレベルで1年間継続的な被災地支援を可能にしたように思います。
被災地益城に何度も足を運んでいたわけですが、あるとき空港近くの仮設住宅「テクノ仮設団地」での支援の帰り、バスの座席に横に座っていた佐藤から「こんなところで何ですが・・・。結婚しました」と報告されたときの衝撃はなんとも忘れられません。笑

昨晩、発表会が終わったのは20:30頃ですが、その時は感慨も特になく終わったと書きましたが、振り返るとやはりたくさんの出来事が詰まった講義で、私の県大教員生活でもっとも思い出深い講義だったのかもしれません。その次は、キャリア形成論です。