昨日は七夕。あいにく天気が今一つで天の川を見ることはできなかったと思います。
ガリラボには七夕には恒例行事がありました。その出発点になったのは、13年も前のことですが、OG(08)大塚の行動でした。
→ 七夕飾り@ガリラボ(ガリラボ通信2010/7/4)
その後、しばらくこの文化は後輩に引き継がれていきましたが、ある時、消滅してしまいました。この伝統は、竹を持ってくるという行動が要請されて成立するもので、一定程度の努力が必要っだったからでしょう。引き継がれたコミュニティにおいてその努力の担い手がいなくなると伝統は消えてしまいます。
ガリラボの七夕行事の消滅は、小さな事例ですが、しかしこれは、現在継続している伝統とは、全てそれを担う人たちの努力があり、それが継続しているのだということを教えてくれます。
伝統とは自然に継続するものではなく、努力が要請されるものです。
さて、ガリラボには興津会という伝統行事が存在しています。
その担い手となっていたのはガリラボの在学生からなるコミュニティの3年生でした。今年はもう3年生がいなくなり、担い手を失った伝統は消滅する予定でした。
ここで立ち上がったのが卒業生有志でした。興津会というガリラボのお祭り(伝統行事)を残そうと担い手となる有志が集まった。
昨日の七夕の夜、その有志達がオンラインで打合せを行い、私も参加しました。
対面でなくオンラインというサイバー空間に集う様は、まるで天の川という宇宙空間に集っているかのようです。
集った担い手たちは、どういった祭りにするべきか1時間ほど激論を戦わせていました。
ガリラボという実体は、今年度で消滅しますでので、「ガリラボ閉店」を主テーマにした祭りにすることが決まったようです。
その祭りでは、私からお題として「ガリラボとは何だったのか(仮)」という問いかけを行い、社会人となった卒業生は、社会人となった立場から見たガリラボの意味についての答えを持参してくれるはずです。そしてその答えの心を語る中で、ガリラボとは何だったのかが表現されていくといいかなと思いました。
有志が担う祭り(興津会)は、ガリラボの卒業生全体で、ガリラボとは何だったのかを表現する展示会のようになるのかもしれません。