千葉からのお土産。これをみて気づきました。千葉は落花生の一大産地でした。
JALの飴は、北井の勤務先(現在、育休中)の関係です。
2023年3月31日金曜日
OG(03)北井の来室
2023年3月30日木曜日
紫苑会による卒業記念アルバム
2023年3月29日水曜日
スピードで見える景色は変わるはず
2023年3月28日火曜日
2023年3月21日火曜日
19ゼミ生卒業式
2023年3月20日月曜日
卒業生たちの密会/4年(18)山本からのお土産
2023年3月17日金曜日
おもしろきことなき世(が)おもしろく(なる?)
なるほど、AIが非言語領域を言語化できるようにあれば、現在だと物体認識レベルのAIがさらに発展していきそうです。
色々な壁を壊していけそうです。
電子メールが登場した時、耳が聞こえなくても自在にコミュニケーションできるようになりり、聴力の違いの壁を乗り越えていきました。
そのためには、この現代の電卓の使い方をまず学ぶ必要があります。
日常的に三種の神器を利用していきましょう。
追記:
今夜は街中で卒業生との飲み会。
2023年3月16日木曜日
桜咲く/時代変化が加速?
https://japan.cnet.com/article/35201354/
2023年3月15日水曜日
タイムカプセルの場所移動
2023年3月10日金曜日
2023年3月9日木曜日
OG(M20)アクストの最初の一歩の成果
書籍を作ろうというアクストの最初の1歩がなければ、この書籍が完成することは無く、その結果、ななかまどのメンバーが国外での経験を通して得た貴重な知見も、誰に共有されることもなく消えていったはずです。
この意味で最初の1歩というのはとてつもなく大きな意味を持つことが多いものです。
今はメジャーリーグに多くの選手が挑戦しています。大谷選手とか、ものすごい活躍をしているわけですが、誰が何と言おうが、メジャーリーガーとして一番すごいのは野茂選手。野茂選手がいなければ今の日本人選手の活躍はありえない。それまで常識では誰も考えなかったメジャーリーグというものが、実は日本選手でも行けるのだということを示した野茂選手の行動は日本球界の歴史に残る行動ではないかと思います。
「ゴールに辿り着くのは一歩を踏み出した人だけ」という通信を随分前に書きました(ガリラボ通信2012/9/1)。
周囲の環境を完全に把握できる人など誰もいません。周囲の認識には、まずやって(行動して)みて、環境が自分にどう反応してくるのかをテスト(試験)する以外にないのです。
組織認識論という分野での知見のひとつです(参考:濟々黌高校の組織認識論的解釈)。
アクストがともかく一歩踏み出したことで、その行動は、仕事外の時間での作業となるにもかかわらず「ななかまど」の皆さんに好意的に受け取ってもらえることがわかり、プロジェクトのスタートできることがわかった(認識できた)わけです。
そして、最終的に、メンバーの貴重な経験を形にした書籍というゴールに辿り着けました。
素晴らしいですね。
もちろん、ゴールに至る過程は未知の世界なのでかなりの苦労が伴いますが(野茂選手もかなりの苦労していました)、見たことがない景色を見るためには最初の一歩が大変大事です。
書籍「過去と今と未来をつなぐ虹の架け橋」はそのことも教えてくれているように思います。
2023年3月8日水曜日
OG(10)田中・五島の来室
2023年3月7日火曜日
OB(M19)福嶋の論文がジャーナルに掲載されました
たまrismが考えたコミュニケーションの種子
2023年3月3日金曜日
OB(11)藤本の来室
2023年3月2日木曜日
DXはどういったところに影響するか
昨日に比べると気温が下がり寒かったですが、雨上がりの澄んだ快晴の空は大変気持ちのよいものでした。
そんな中、ひとり黙々と研究室で作業しておりました。随分と捗りました。
DXなるものが進行し、作業の多くを机の上でぱっぱっと済ませることができるようになったおかげなのかもしれません。
今日やっていた作業を昭和の時代にタイムスリップさせると、紙の上に手書きで清書し、それを封筒に入れて、糊を使って封をし、そしてその封筒は郵便ポストまで走って持っていくということをやっていたはずですが、そうした作業が一切なくなりました。
封筒を使う機会が激減。糊と鋏を使うことも激減しました。郵便ポストに走る機会も激減。
ついでながら・・・
今日は会議はありませんでしたが、今では自分の机の上で会議に参加出来ることも増えたので、別の建物まで散歩(移動)することも激減しました。意識しないと歩くことが減ってしまっています。
そのため私は、万歩計をチェックしつつ、一定程度の歩数を維持するよう、通勤はわざわざ遠回りして歩くとか、なんとも無駄なことをやっております。
ちなみに、2017年8月から計測を開始して5年半ほどとなりますが、日本の海岸線1万9千kmの半分を踏破しました。(もし生きていれば)後5年ほどで日本の海岸線を一回りする予定です。
話を戻します。
コンピュータ化の名で、検索が机の上でできるようになった結果、図書館にいくことがほぼなくなりました。昔だと、欲しい文献は、文献のタイトルが掲載されている紙媒体の冊子をじっくり眺め、必要なものがあれば図書館に複写依頼をするという流れでした。それらのほぼすべての工程で図書館での作業が不可欠でした。今はもうその工程がほぼ全てなくなりました。ネット検索とpdfのダウンロードがそれらを代替してくれており、ネット検索で出てこないものはもうこの世に存在しないのと同じような状況になっています。
ここ最近だと、世間を大いに賑わせいるChatGPTのようなAIを比較的容易に利用できるようになったので、これまで何度も検索していた作業が非常に楽になりました。検索そのものをAIに肩代わりさせることができるようになりましたので。
一昔前、レコードが登場したとき(明治期?)、学校の先生は不要になるのではないかという議論がありました(寺田寅彦がそんなことを書いていました)。またCDが登場した時、動画をコンピュータで視聴できるようになった時も似たような議論が起きました。
しかし、幸か不幸か、学校の先生という職業がなくなることはありませんでした。将来もそうかどうかは自信ありませんが、恐らく先生という職業がなくなることはなく、なくなる(変化する)のは、その職業を進めるのに必要であった事務処理といった「業務」です。
昔懐かしい、コピー取りという業務も消滅しました。特定の業務はコンピュータ化(DX)でなくなっていくでしょう。
DXというデジタル技術による変革は、日々の仕事の中の細かい部分(会議のため移動していたコストとか、はさみで切って糊付けしていた作業等々)を消滅させていくようです。
※ところで、ChatGPTなどの台頭で、(ガリラボ通信のような)ブログを直接閲覧する人たちは激減していくのかもしれません。直接的には多分そうなるでしょう。ただ、ブログはAIの学習リソースにはなるでしょうから、その意味では次の世代のため間接的には役立つことになるはずです(と思いたい)。今後、個人で情報発信している人たちへの影響は大きそうです。
DXは質的に新しい動きというよりも、昔からのコンピュータ化の延長線上にある動きと考えてよいだろうと思います。こうした過程で、仕事に関わる業務がどんどんと効率化されていきました。こうして、私たちの仕事の質はさらに強く問われていく時代になっていくことになるでしょう。
創造力の勝負になっていく可能性もあり、創造力は今まで以上に問われていくのではないかと思います。デジタル人材とは、実は、こうした人材なのかもしれません。
(検索をしたところ)4年ほど前にも、こうした変化について考えていたようです。
⇒パソコン視点での昭和と令和の大学生比較とか(ガリラボ通信2019/6/22)
DXやAIといった現在の流行(熱狂)からは一定程度距離を置いてその意味を考えることも必要でしょう。単純な熱狂は思考を停止させてしまう危険性がありますから。
⇒熱狂しつつも、冷静に(ガリラボ通信2015/3/22)
熱狂から距離を置いたいてやるべきひとつの方法は、歴史を学ぶことかもしれません。今、流行していることが、今後どういった影響を生み出すのか具体的なことはわからないまでも、歴史を学ぶことで、おおまなか方向性ぐらいは理解できるのではないかと思います。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
⇒ガリラボ通信2015/6/11
2023年3月1日水曜日
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