2020年3月4日水曜日

もし今が何らかの変革が促されているとしたら、これを何革命と呼ぶべきか

先日、顔を出したOG(10,M14)吉村からのお土産がテーブルの上にあり、次のようにおいてありました。
3年(17)岩奥によるものだと思います。感謝の気持ちが表れている場面に接するのはなんか気持ちの良いものです。
くれぐれも、フリーライダーにはならないこと。
フリーライダーばかりになるとお土産を持ってきてくれる人は皆無になるでしょうから。


次のお土産はOB(M06)黒田からです。
昨日、菊陽町への調査協力依頼の件で連絡したら、お土産を手に急遽顔をだしくれました。
フットワークが非常に軽い!
地域調査について菊陽町を対象に行えることになりそうです。良かった。
ガリラボの強力な社会関係資本の存在を強く感じた昨日の夜でした。
巣立った学部学生200名以上、大学院生20名以上。半分ぐらいは連絡は簡単に取れるので、何かあったら相互に「ガリラボ」を縁にした社会関係資本を活用していくと良いのではないかと思います。もちろん、その際、フリーライダーになることは避けることは言うまでもありません。


黒田とは都合3時間近く2人で雑談してました。
ほんと色々な話題でした。
その中では今のコロナウィルス騒動も当然ながら出まして、オンラインでの様々な活動への転換点になるのかもしれないねぇといった話をしていました。
そうなると、後の歴史家は、この時の変革をなんと呼ぶことなるのでしょうか。
不謹慎かもしれませんが、これだけの影響を世界的に与えているわけですから、例えば「(新型)コロナ革命」などというのもあり得るかもしれません。
そうした名称をつけておきて、今後、こうした未知のウィルスあるいは未知の何かで困難に見舞われたとき、今回の経験を忘れないためにも重要だと思いますので。


黒田との話の中で外国語の問題も出ました。
つい最近もガリラボ通信で話題にしました。
消える仕事、生まれる仕事ガリラボ通信2020/1/15
自動翻訳の力が侮れなくなってきたことに私自身が非常に注目をしているのですが、つい先日Newsweekで「AI時代の英語学習」が特集されていました。


もしも自動翻訳が今以上に高度になった時、グローバル社会の公用語である「英語」という位置づけはどうなるのだろうかと問いかけがそこにありました。
英語圏以外の人たちとコミュニケーションするためには「英語」を用いるのが最も簡単だったわけで、その状況では英語習得は世界中のグローバルに活動している(英語を理解している人たちとの)コミュニケーションのために重要でした。
しかし、自動翻訳が日本語を直接先方の言葉に翻訳してくれたとすると、どうなるのでしょう。
今は日本語を何か国語にも翻訳しているツールがいくつかあります。
単純な話ではないことはわかっています。
しかし、自動翻訳の能力は今後も向上していくことは間違いありません。
そうすると、後10年も経ったとき、果たしてグローバル教育というとき、英語教育はどういう位置づけになっているのでしょうか。
グローバル教育についての認識は相当に変わっているのではないかと思います。


NHKの英語講座にもよく登場される著名な鳥飼さんが次のようなショッキングなことを語られていました。
1年程度の留学で身につける英語力ぐらいならばAIが簡単に代替してくれる時代です。
これも単純な話ではないことはわかっていますが、大きな方向性としては鳥飼さんの主張はかなり納得できるものです。


今後、自動翻訳は大きな影響を与えるでしょう。
さらにまた、先日もガリラボ通信で熱く語ったオンラインでの会議への移行はそのままオンライン授業普及の可能性を開くように思います。
小学校からのデジタルデバイスを用いた授業の普及は、10年もあれば(小学校3年生が大学生になります)、これらの変化を後押ししていくでしょう。
今どこもこうした変化への対応を考える時期に来ているのかもしれません。
 
今現在の大学生はどっぷりと過去の教育スタイルに浸ったまま社会に出ていくことになります。
10年後は社会は(コロナ革命?で)大きく変わっています。
今からでも遅くない。
浅い議論だけで済ませている現状を見直し、ややこしい本などにも挑戦して、深い議論(熟議)によって思考を深める訓練をしていくべきはないかと思います。
どうも、近年は徐々に深い議論に耐える体力が弱くなってきていると感じているのは私だけでしょうか。
 

 

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