2011年5月31日火曜日

ゼミ紹介プログラム作り

今週に迫った4年生によるゼミ紹介イベント。

今週に迫ったのにまだどういったプログラムでいくか決まっておりません
でした。
本日のゼミで突貫工事でアウトラインについて話し合い。

粘り強い話し合いにより、決まりました。

4年(08)矢田がイベントプロデューサーとなり、司会も担当すること
なりました。

ということで、プログラム自体は空白のままですが、後は全部
矢田に任せます。
矢田も「やります!」と力強く宣言をしてくれました。
チカラを込めて宣言する矢田の顔を見て、私は成功を確信しました。^^


終了後、全員、道場からガリラボに移動した4年生たちは、大塚の
持参してきた大量の「うまい棒」によってしっかりと餌付けをされて
おりました。

すごい威力ですねぇ、「うまい棒」は。
なんと安上がりな方法なんだと感動を覚えました。
手前の長井など完璧に餌付けされていたように思います。
 

100カウント/日

毎朝の日課でガリラボ通信のカウンターを見ています。
今朝の数値を見てびっくりでした。
昨日から丁度100回増えていました。

100人が見たということではなく、100回カウントしただけですが、
それでも1日にこんなにカウントしたのは記憶にありません。



どうしてこんなに増えたのか記憶をたどると、そういえば昨日は
4年生が活動のまとめ作業をしていて、ちょうど4年(08)谷口が
おにぎりを頬張りながらガリラボ通信を一生懸命に検索している
のでした。
カウンタが一気に上がったのは多分このせいです。
前のガリラボでの自分たちの活動を、このガリラボ通信をデータ
ベースにして検索していたのです。

100カウント/日は、毎日の記録を積み重ねるとそこにひとつの
価値が出てくると改めて思った瞬間でした。


そういえば、何のために過去を調べるのか、未来を考えるのに
無駄ではないかといった、もし本気で言っているのだとしたらおよそ
恥知らずな質問を以前に聞いたことがあります。

過去とは全くの過去であることではありません。過去とは
現在からみるものであり、その意味で過去は現在のあり方に
よって変化します。
また、現在が、どうしてそうなっているのか教えてくれるのは
過去の情報でしかありません。
過去を知ることは現在の自分を捉えている常識がなんである
かを知ることにつながります。
自分の常識を何であるかをはっきりと悟り、それが絶対的でない
ことを知った時、人は新しい地平へと跳躍する権利を手にします。

ガリラボ通信を、自分たちの現在を知る上での過去のデータ
ベースとしてどしどしと活用してほしいと思います。


2011年5月30日月曜日

奇妙なオブジェ

ガリラボ前に奇妙なオブジェがおいてあります。
風船オブジェです。


学生GPチームが先週末玉名に出向き、花しょうぶ祭り実行委員会の
方々と接触し、一緒に作ってきた(練習してきた)ものです。
こういった接触を足掛かりにして、このチームは今週末に玉名での調査
活動にでかけてきます。

なお、今日のガリラボは、午前中はM1(10)白樫、冨田が参加しての院の
講義(情報社会論)。約1月半ですが、1冊の本を読み終わりました。
次回から別の本に挑みます。
 
お昼には4年(08)のゼミ会議。
大塚、坂本、戸高、谷口、中村が参加して、明日のゼミの内容を打合せ
ました。
6月3日に行うゼミ紹介についてちょっとダメ出しをしてしまいましたが、
頑張ってやってくれると思います。
 
午後からずっと会議で不在だったため、その後のガリラボの様子は不明です。

18時過ぎにガリラボに戻ってきたら、こんなに楽しそうに谷口がおにぎりを
食べておりました。
「初めてのかしわおにぎり」だそうです(矢田の解説による)。

 
現在21時過ぎ。 谷口や坂本がさきほど帰り、大塚と矢田はまだ作業しております。

学生自主研究事業が新聞で紹介されました

平成22年度の学生自主研究事業が本日の熊日朝刊で紹介されていました。

その中でも3年(09)村中ら、MOREのグループが取り組んだ事業が大きく
取り上げられており、夏の暑い時に頑張って企業訪問した努力が報われ
たのではないかと思います。
 

次はガリラボでの活動で頑張っていきましょう!!
 

2011年5月29日日曜日

久々のKW塾

昨晩(5/28)、かなり久しぶりにKW塾のメンバー全員と会いました。
『炙り焼き 火蓮』なるお店で、少しリッチな和食をいただきながら、
メンバー間でそれぞれ情報交換をされていたようです。



1次会は21時に終了し、そのまま全員で2次会に直行。
結局、午前様でした。

KW塾は6月中に勉強会を開催するようになったようです。
良いことですね。

この日参加したメンバーは、ガリラボ関係者は次の4人でした。

院OB(06)黒田
院OB(08)佐藤
OG(03)宮川(佐藤)
OG(04)井口

これ以外には伊藤さん(大津町)、平野さん(玉名市)、米山さん(市町村会)
が参加されてます。

佐藤は、何人かを同乗させて、大牟田まで帰って行ったようです。
いった何時に帰りついたのでしょう?

土曜日のたくさんの来客

初期報告会(昨日の5/28開催)で院OG(09)の伊藤が私の後ろに座っていて
驚いたことは前のガリラボ通信で書きました。

終わってから、その伊藤が、ガリラボにやってきました。
同じ頃にM2(10)松尾もガリラボに来ていて、報告会の振り返りをやっていた
ところ、廊下を急ぎ走ってくる音がしました。

4年(08)の坂本が来ることになっていたので坂本を想像していたら大外れ。

なんとOB(05)の山口でした。
親戚の結婚式のため帰省してきたとのことでした。
(なんとまたこの結婚式に関することもその後で色んな関係が判明して
びっくりでした。世の中はやはりSmall worldのようです)


山口が持参した大量のシュークリームです。


しばし談笑しているところに4年(08)坂本がやってきて、そして伊藤が
帰った頃にM1(11)冨田が顔を出しました。

さらに冨田、松尾が出て行った頃に、4年(08)大塚がやってきました。
研究室に入り、山口の顔を見るなり、歓声を上げておりました。


さて、土曜日にこんな色々な出会うことになるとは思いもせず、サプライズ続きの
5月28日にでした。

大塚、坂本はこの日は夕方から玉名に向けて出発。
矢田と戸高も同行し、4人で高瀬のしょうぶ祭りの手伝いに出かけたのです。
来週(6/4)の調査活動の事前準備を兼ねたものでした。
夜遅く、実のある訪問だったとの連絡がメールでありました。

私と山口は二人で、バスで街へ。
私は飲み会、山口は福岡に帰る高速バスに乗るためです。

私はKW塾のメンバーとの飲み会でした。
そのメンバーであるガリラボOG(03)宮川(佐藤)とOG(04)井口とダイエー前で待ち
合わせていたので、驚かせようと山口も一緒に連れて行きました。

案の定、二人ともかなり驚いておりました。

それにしても土曜日にこんなに卒業生に会うことになるとは・・・・
驚きでした。


山口がこの日行ってきた結婚式場は、実は、OG(03)宮川が結婚した場
所でした。
偶然、判明したことですが、驚きました。
さらに、なんと、山口の親戚というのが、KW塾のメンバーがよく知っている
人だったという事実です。

山口と別れ、KW塾の飲み会の席で、そのひとりのメンバーと山口の親戚は
同じ職場で、しかも同じ課だということで判明。
世間の狭さに驚かされました。
同じ課なので、そのメンバーの方はもちろん結婚式に出席されていて、山口と
同じ会場にいたようでした。
もちろん会場では、そんな事実は、お互いに知らないままだったわけです
けれども。


ほんと世間は狭いと思います。

2011年5月28日土曜日

大学院初期報告会

大学院2年生による初期報告会が開催されました。
ガリラボからはM2(10)松尾が
   サービスラーニングが学生の学びに与える効果に関する調査研究
として報告を行いました。


学部から進学した院生としては非常に上手な発表だったと思います。
後は、これからの具体的調査が問われることになります。
 
 
なお、松尾の発表の際のベル係りはM1(11)冨田でした。

同じM1の白樫は、都合により、午後は会場を離れていました。

 
驚いたことに、会場に3月に卒業した院OG(09)の伊藤が来ておりました。
発表を聞きに来たとのこと。
いつの間にか私の後ろの席に座っていたのですが、帰り際に気付いて
大変驚きました。
 
 
 

大ホール天井修理

ガリラボとは全く関係ないことですが、院生の報告会で中4教室に
行く途中大ホール内に組み上がった足場を見て、思わずシャッター
を切りました。
 

足場の一番上には作業員の方が立ち、作業をしておられます。

かなり長くこの大学におりますが、初めて見る珍しい光景でした。

2011年5月27日金曜日

写真と鉛筆画のコラボ

さっと見たとき、一瞬何の事だかわかりませんでしたが、少しして
その凄さに感動しました。
写真の空間の一部を鉛筆画によって置き換えているのです。
素晴らしいですねぇ。

ガリラボゼミ生たちへ

楽しく緻密なこんな表現を期待しております。




これらの写真はこちらのサイトにあります。
     ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
New Pencil vs Camera Artwork by Ben Heine

ご堪能ください。

 

半年ぶりの再会

本日の午前中はほんっとに静かでした。
ちょっとだけ3年(09)中島がビデオカメラの充電ために顔を出したぐらいで
ほんとに静かでした。
本日午後の講義準備は着々と進み、余裕で、お昼ぐらいには終わりました。

その頃にはもう色々とゼミ生がやってきてました。
3年(09)村中や4年生の玉名ガリラボ軍団(大塚、坂本、松永、矢田)。

急ぎ昼食を済ませ、私は講義へ。
今日の講義はちょっとやりにくかった。
3年生に指示している映像作りで講義風景をテーマに選んだチームがあったの
です。
迷惑な話ですが、それを私の講義にしている。
4人(中島、小川、高倉、市川)がニヤニヤしながら」最後列で冒頭10分(?)ぐ
らい撮影して引き上げていきました。

それが終わってから講義はエンジン全開。
パラダイムの転換なる話をじっくりと語ってきました。
 
研究室に戻り色々と話していたら、大塚から次の映像「ダイスキ!
くまもとファイヤーANDもてなし隊~県北バージョン~」の存在を
教えてもらいました。
一部の人にはおなじみですが、玉名の紹介ではよく知っている人が
登場されています。
注意深くご覧ください。


なお、ここに出てくる映像は、昨年のフィールドワークの事前準備のために
私と4年(08)坂本が二人で玉名に出かけたときに偶然出くわしたときのものの
ようです。
ガリラボ通信にその時の様子を書きましたが、縁とは不思議なものです。
あれから約半年後にYoutube上で再会することになるとは思いもしませんでした。

さて、それにしてもくまもとファイヤーなるものを私は初めて知りました。
何気なくそう話したら、ゼミ生たちからは明らかに呆れた表情をしてたように
思います。
 
本日より大塚と次の本(英語の本です)で勉強会をしていくことにしました。
今日はその1回目で、英語がというより、専門用語の理解が難しく1時間で
わずだ1ページで終わりました。
気長に勉強を継続していく予定です。

原書購読が終わった後は、今度はM1(11)冨田との研究打合せ。
こっちはほぼ雑談で終わりましたが、とりあえず研究のフィールドは
玉名を第1候補としました。
今後どう展開するかわかりませんが、山鹿などとの比較をしながらやって
いくことになるかと思います。
  
20時現在。
M1(11)冨田、4年(08)大塚、長井、3年(09)小川が作業をしています。

2011年5月26日木曜日

雑談ゼミ会議

今日もほんとに多忙なガリラボでした。
誰がどれほどやってきたのかもうあやふやですが、可能な限り
再現したいと思います。
 
私の出勤とほぼ同時に3年(09)村中がやってきました。
講義に出かけてお昼に戻ってきて、3年のゼミ会議。
村中、中島、小川、谷、草原にて次回の打合せをしましたが、
なんと、特に打合せをすることがありません。
結局ながら雑談に終始した気がします。
時間の無駄と言うなかれ。
これが大事です(たぶん)。

おかげで、話す予定のないことを熱く(?)語ってしまいました。
自分の言葉を相手の心に届かせるにはとか、プレゼンの極意の
ようなことを具体例を使って話しました。

ガリラボではよく話していることなのです。
さて、3年ゼミのゼミ長たちにきちんとその言葉は届いたでしょうか?
不明です。^^;

  
午後になり中島は残り、お昼前に来ていた4年(08)大塚は
作業しながらガリラボの留守番。
 
14時から大塚は学生GPラボでのリーダー会議とのことでした。

私も会議で不在にし、18時頃に戻ると、M2(10)松尾、M1(11)冨田、
4年(08)大塚、矢田、松永がいて、さらに3年(09)村中がいました。

18時からはM1のゼミをする予定だったのでM1(11)白樫の
アクシデントで中止にして、代わりにM1(11)冨田に4年(08)
大塚向けの講義をしてもらいました。
地域メディアのテキストについての解説でしたが、大塚が
言うには分かりやすかったとのことでした。
それが終わってからM2(10)松尾との短めの研究打合せ。
今日は短時間で終わりました。
 
夕方、院OB(06)黒田が久しぶりに顔を出しました。
今後やろうとしている菊陽町での研究についてのことでした。
まだ何も固まっていません。
これからじっくりと固めていこうと思います。
ただし、ひとつだけ決まりました。
ガリラボ院生会の飲み会(歓送迎会)の幹事を黒田に任せたと
いうことです。
院生のみなさん、そのうち黒田から連絡が来ますので是非ご
参加ください。
 
 

ゼミ新聞部反省会(1日遅れの報告)

ゼミ新聞第10号(記念特集号)の完成のお祝いと反省会を
兼ねてゼミ新聞部部長4年(08)川崎の幹事で街で行いました。
 
ほぼ誰も遅刻することなく19時ちょうど開始。
4年(08)川崎、長井、矢田、3年(09)草原、中島、市川。

 
語り合いながらのたくさんの反省をした150分(?)ほどでした。
 
反省しながら、様々な攻撃があったりして大変でしたが、どうにか
持ちこたえ、最後は大人しく記念撮影となりました。

4年生はこの日で引退となります。
川崎が部長を3年(08)草原に譲り、草原はしっかりと決意表明して
おりました。
 
11号は10月に発行予定です。
   

2011年5月25日水曜日

弁当およびゼミ講師

女子学生にプレッシャーを与えてくれとの4年(08)坂本からのたっての
依頼で撮った写真です(↓)。

坂本が作ってきた弁当です。
男子学生が弁当作ってきて、研究室で食べている!
時代は変わりました。


夕方の3年ゼミの前、誰が言ったか忘れましたが、
「先生も行かれるんですか?」との質問。
参りました。
もちろん、行ったのですが、今日は4年(08)大塚の講義だったからです。
映像制作からガリラボのことまで3年生全員に対し色々と教えてくれたようでした。
感謝です。

時代は変わった・・・いや、これは昔からそういうものです。
兄弟子が新入りを教えるのです、普通。



といいつつ、感謝です。

その間、私はMOREの学生の相談にのっていました。
その他もたくさんの方(外部の方も含め)が来られました。


で、夕方からはゼミ新聞部の10号記念号完成祝賀会。
街へ。
これの詳細は明日にでも紹介します。

2011年5月24日火曜日

なんたる偶然

OGがやってきました。

たまたま現役のゼミ生も居合わせました。

松尾が途中で気づき、あまりの偶然にびっくり仰天。

なんと歴代ゼミ長が揃っているではありませんか。

なんたる偶然でしょうか。
こんなことがあるのものなのですねぇ。
驚きました。


偶然居合わせたゼミ長は

 04 井口
 05 田中
 06 松尾
 07          ・・・ 残念ながらこの学年(07)だけいません
 08 大塚(代行)
 09 村中

でした。

これはいつか「ゼミ長会」とか開催しないといけないかもしれません。
 
追伸
田中からはお土産にと、葉っぱをもらいました。
なかなか優れたお土産だと感心しています。
 

卒論2011に向けての第一歩

今日の4年生のゼミはそれぞれが考えているテーマを書きだしてもらいました。
様々なテーマがでています。

けど、苦言を少しばかり述べました。
それが自分自信とどう関わるのかということ、そしてあまりに素直すぎると言う点。
常識的な対象でも、「おぉーー、そうきたか」と思うものが見当たらない、と。
まあ、そういったことを話しました。

終了後、4年のゼミ生一行は回転寿司に出かけていきました。
きっと私のコトバを受け止めて、寿司を食いながら卒論について話をしたの
だと信じています。
お寿司のお土産を持ってきなさいと伝えていたつもりだったのに、忘れて戻って
くるぐらいでしたから。

今度からみんなが出かけるときは、きついことは言わないでおこうと思います。
 
 
お土産と言えば、4年(08)戸高が東京からお土産を買ってきました。
表参道とあります。
4年生全員ほとんど残って作業していたので、なかなか上品なお土産でしたが、
あっという間に食べ尽くされました。


 
お土産といえば、先日いただいた岩手県一関のお土産は、こんな感じの
梅でした(↓)。梅の香が漂う大変美味しいお団子でした。

ちなみに梅を持つ手は4年(08)坂本です。
この後、もちろん、坂本の口の中に梅は吸い込まれていきました。
 

   
   

2011年5月23日月曜日

休み明けのガリラボ

土日に来れなかったからでしょうが、今日のガリラボは凄まじいの
ほどのゼミ生で溢れた1日でした。
記憶にあるだけ、時系列で書いていきます(ガリラボの記録として)。

8:30
3年(09)村中着。ある講義について受講者同士の打合せが
あるとのことでした。
同じく3年(09)本多もやってきて名刺を印刷していきました。
二人とも9:00には一旦出ていき、またお昼には戻ってきた
ように思います。

10:20
院の講義でした。M1(11)白樫、冨田を交えての情報社会論の
授業。本日は白樫の担当で共の原理について学びましたが
ややこしくて少し消化不良気味でした。

同じころには4年(09)ガリラボの玉名軍団襲来。
坂本、松永、大塚の順にやってきて白熱する院の講義の横で
なにやら作業していました。

お昼時間は、会議のため私はガリラボ不在。

13:00
会議から戻ってきたら、3年(09)村中、本多、谷、4年(08)坂本、
松永、大塚、矢田、岩本、谷口、長井とかがいたように思います。
13:00からは4年のゼミ会議。

その後、ガリラボの活動紹介のための撮影とかを始めました。
撮影している横で谷口が食事しています。
 
14:00
玉名チーム(坂本、松永、大塚、矢田)の会議開始。

14:30-16:00会議で不在のためその間、何があったのか不明。
 
16:00
打合せあり、作業あり、Youtube鑑賞あり、色々あったガリラボでした。

21:30
最後のゼミ生、矢田が「先生、お先します」とのセリフを残して
去っていきました。
  
途中、OG(04)の井口ともチャットでやりとしつつ、月曜日の今日は
嵐が吹く荒れているような感じでした。
  
  
 

ガリボイス2011(4月)~8人目の掲載

5月20日の谷の記事で4月分は最後だと思っていましたが、そうでは
ありませんでした。
今日になって3年(09)松崎のガリボイスが掲載されていました。
時期がずいぶんとずれましたが、何にしても掲載されるのは良いことです。
これで8人目。
掲載率5割を超えました。

2011年5月22日日曜日

場所の記憶を取り出す

かなり前に買った吉村昭著「三陸海岸大津波」なる薄い本をようやく
読了しました。

最初は、「海の壁-三陸沿岸大津波」とのタイトルで1970年に発行
されたようです。
それが「三陸海岸大津波」と改題され1984年に中公文庫として発行
されています。

福島第一原発の第1号機の営業運転開始が1971年3月のことなので、
その直前にこの本は出ていることが分かる。
どの程度、関係者の目に留まったのでしょうか?
高度成長にひた走っているとき、この小さな書物の記録は影響を
与えることは難しかったようです。

原発の問題はおいておき、この本を読んでいると、日常性を犠牲に
してまでも、災害等の教訓を守り続けることの難しさが伝わってきます。

明治29年の大津波で2万人以上が犠牲になり、その教訓から 高台への
住宅移転が行われたようです。
現在もそれが議論されていますが、当時もちゃんとそういうことが議論されて
いたわけです。
しかし日常生活の不便さ、特に漁業の場合、海から遠くに自宅があることは
不便この上ないことですから、不便さに 負けて記憶が薄れるとともに逆戻り
していったようです。

このことに関して、この本の151頁にこういう記述があります:


  つまり稀にしかやってこない津波のために日常生活を犠牲には
  できないと考える者が多かったのだ。
  しかし、明治29年につぐ昭和8年の大津波によって、徐々にでは
  あるが、住宅の高所建築がすすめられていった。

このような対策が取られながら、しかしやはり同じように災害の記憶は薄れて
いったのです。

昭和35(1960)年、チリ地震津波によって東北は大きな被害を受け、岩手県
下で100名を超す犠牲者を出すことになります。

吉村昭は、いくつかの津波を体験してきた早野氏(当時87歳)を取材し、その
早野氏の次の言葉でこの本の最後を結んでいます。

  津波は、時世が変わってもなくならない。必ず今後も襲ってくる。
  しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、 
  死ぬ人はめったにないと思う。

初版本が出されてから40年後、早野氏の前半の言葉は正しかったことが
わかります。
しかし後半の言葉は間違っていたことを、311は教えてくれました。

記憶の風化に抗するのは極めて難しい。


ちなみに、風化に少しでも抵抗すべく、阪神淡路大震災については災害エスノグラフィ―
なる調査が行われていました。
  防災の決め手「災害エスノグラフィー」―阪神・淡路大震災秘められた証言
この災害エスノグラフィ―についてはNHKスペシャルでも放映されています。

こういった感じで、様々な手段を使って記憶を風化させない工夫が行われている
わけです。 


災害の記憶に限らず、地域の記憶と言うのは語り継ぐ努力が失われた時、
消滅し、その地域は場所性を失って均質な空間へと変貌していきます。

場所の記憶は意識的に語り継がないといけない。
そう思っています。


さて、ガリラボが、これまでのProduce Xという活動で行ってきたことを改めて
見直すと、要するにこういう地域の記憶を残していく活動に近かったのではな
いかとそう思うようになりました。

もちろんそのような視点で見てきたわけではありませんけれど、今後はその
観点で活動していこうと決めました。
Produce Xは今後も継続します。
特に今年は菊陽町にてそれを実践しようかと考えており、3年生に中心になって
もらいたいと思っています。

どういう風にやっていくかはまだ未定ですが、菊陽町の黒田(院(06)OB)と共に
しばし知恵を絞り、活動方針をひねり出していく予定です。

玉名は今年も活動するわけですが、こちらでも同時に似たことができればいいなと
考えています。
こちらはもう4年(08)の大塚が自主的にぐいぐいと動いています。
今日も玉名の祭りの手伝いに行き、手伝いながら地域の人たちから様々な話を
きいてきたようです。
http://twitpic.com/50rngo
すでに一人でエスノグラフィ―を実践しているようです。

2011年5月21日土曜日

監視・リーク・スモールワールド

朝、自転車で出勤してきて門に入ろうとしてきたとき、勢いよく門から
(自転車で)出てきた学生と遭遇。
4年(08)宮下でした。
奇遇です。
自転車にまたがってしばし会話。
何故か馬にまたがったイメージと重なり、ツイートの最後に思わず
文久3年のことじゃった」と付け加えてしまいました。
(昨日夕刻ガリラボにいた人々にしか通じないかと思います。申し訳ありません)

同じく宮下も呟いていました。
(モバイル機器を駆使してますので、当然私よりも早いツイートでした)

内容は、自転車の私に発見して「レア」だとのツイート。
それに反応した矢田が「びっくりする」とか「レアレア」と余計なツイートまで
してました。

恐るべき監視社会、リーク社会だと思い知らされた土曜日の朝でした。
   
きっとこんな調子であちこちで「レア」とか「びっくりする」とかツイートされて
いるのだろうと思います。
リーク社会は、日本社会で滅亡しかかっていた「お天道様」を復活させて
おります。
できるだけ品行方正を心がけようと思います。
 


別の話題。

スモールワールドとか6次のつながりとか、世間の狭さを表現する

専門用語がありますが、先日木曜日の院のゼミでも話をしたばかり
ですが、そのことを本日体験しました。
 
 
暑いガリラボで、昨日の特別講義の学生からの感想をスキャンしていたら、
コツコツとの足音。
M2(10)松尾がスーツ姿で登場しました。
今日はM2の初期報告会(5/28)で使う資料提出の締切日だったのです。
昨日仕上た資料を出して、これから福岡に向かうということでした。
 
その後、スキャンの鬼となって古いスキャナを叩きながら必死で作業し、
お昼前には昨日の講師の方にデータを送信終了し一息つきました。
 
しばらくしてまたコツコツと足音がガリラボに近づいてきました。
ゼミ生ではなく、他のゼミのM2の方でガリラボから借りていた図書を返却に
来られのたです。
 
長く借りていたお詫びにとお土産を持参されてのことです。
さすがは社会人です。 
読めませんが、「献上 田むらの梅」と書いてあります。


読めないので裏を見たらこうなっていました。

 
なんと岩手県一関市のお土産です。
津波被害で大変な東北に行ってこられたようでした。
これを見ながら話題が弾み、それから色々な糸を手繰るように
次々と面白い話ができました。

東北はもちろん観光ではありません。
なんで一関なのかというと、保健師として派遣されて南三陸に行って
こられたとのことでした。
それから昔の記憶を頼りに話したら、なんとこの方、3年(09)谷をご存じでした。
私のゼミですよと言ったら、かなり驚かれていました。
そういえば昨日の谷の熊日の記事にも南三陸の話題がでてきます。

谷をご存知の背景はこういったつながりのようでした。
 
世間はほんと狭い。

さらに話をしていると教務入試課の澤田さんもよくご存知でようでした。
なんとまあ。
私も当然ながらよく知っているので、またさらに話が膨らんでいったのです。

意外な共通点を発見し、楽しくなり長い立ち話となってしまいました。
本の返却に来ただけのはずが、長時間になってしまい、話を切り上げたら
急ぎ戻って行かれました。
 

監視・リーク社会やスモールワールド化社会。
どれも情報化の進展が引き起こしてきた現象ですが、特に前二つが顕著になって
きたのはネットが大衆化したここ最近のことです。

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活動理論において境界オブジェクトという概念があります。
これは様々な共同作業を行っていく上で重要な役割を果たすものです。
本日のコトバの連携という共同作業(立ち話)において「田むらの梅」はひとつの
境界オブジェクトとして会話なるノットワーキング的活動において本質的役割を果
たしたのでした。

強制するわけでありませんよ(念のためですが)。

お土産って重要です。ほんとに。 みなさん、よろしく!  v( ̄▽ ̄)v

 

2011年5月20日金曜日

特別講義の開催

情報社会とコンピュータ(2年生の選択講義)なる私の講義では、昨年に引き続き、
総務省総合通信局の放送部長さんをお招きして、

   放送行政を取り巻く課題について
   ~地上デジタル放送への完全移行に向けた取組等~

なるタイトルで講義をお願いしました。

 
資料配布などガリラボゼミ生で手の空いていた人たちが助太刀に
きてくれました。
M2(10)松尾、M1(11)白樫、4年(08)大塚らで、その他、2年生の
吉村さんにも手伝ってもらいました。
なお、4年(08)岩本も手伝ってくれましたが、彼はこの講義の受講者
でもあるので、ついでの助太刀でした。

 
講義を聞いている助っ人の松尾、白樫です。

 
講義の途中では行政官になったつもりで、地デジ化推進のための
方法を考えてもらうという課題が出され、受講している学生たちが
解答してくれました。
マイク係は大塚でした。
解答者として、岩本も手を挙げて答えていました。
なかなかまともな解答だったので少し驚きましたけれど。

30℃を超えたのではないかと思うぐらいの暑さで、湿度も高く
ひどい状況でしたが、身近な話題でさらに講義も工夫されていて
面白く150名の学生は(社交辞令でなく)熱心に聞いていました。
 
説明も簡潔で、やり方全体を見習わなければと感じました。
 
・・・・しかしそれにしても暑い日でした。
  

ガリボイス2011(4月)~7人目の掲載

随分と時期がずれましたが、ガリボイス2011の7人目が
本日の朝刊に掲載されていました。
3年(09)谷の記事です。
4月分としては恐らくこれが最後だろうと思います。
50%の掲載率でした。

2011年5月19日木曜日

玉名への事前挨拶

午前中に4年(08)大塚、矢田、松永が玉名へと向かいました。
花しょうぶ祭りでの調査活動について実行委員会など地域の
方々に了解を得ておくためです。
坂本は現地集合だったようで、4人で玉名観光協会や市役所、
その他あちこちを訪問し、一種の営業活動をしてきたようです。

就業力育成事業の一環として取り組む彼らの卒業研究ですが、
まさにそれを実践しております。

高瀬裏川で大塚が撮影してきた写真です。
モデルはさておき、なかなかいい感じです。

 
今日はゼミ新聞のペーパー版もできました。
矢田が玉名に行ってしまったため、3年(09)中島が代わりに
印刷してきました。
これも次の世代への引き継ぎの一環だったようです。

お昼には09ゼミ生のゼミ会議。
村中、中島、小川、谷、草原で色々話し合った結果は、小川が
しっかりとまとめているはずです。
気になる方は09ゼミノートをご覧ください。
ガリラボにおいてあります。
 
夕方はキャリア形成論の講義に向けて1年生に来てもらい、
上級生に話してもらいたいことなどの打合せでした。
1年生と該当する上級生とで2時間ほど楽しい意見交換になりました。
本番でもこんな感じで話ができればいいのですけど。。。

18時からはM1(11)白樫、冨田とのゼミ。
地域メディアについて勉強しています。
なかなか奥が深いものです。
今日は特にバルネラビリティについて、熱く語ってしまいました。
次の授業が迫っているのにも気づかず、申し訳ない限りでした。
 
その後、M2(10)松尾とのゼミ。
28日の初期報告会に向けた打合せでした。
その間、4年(08)大塚、矢田も作業していて、結局、4人で長時間
雑談していたように思います。
 

2011年5月18日水曜日

ゼミ新聞10号(記念号)発行他

津曲ゼミ新聞10号(記念号)電子版を発行しました。
10号ということで記念の特集を組み、これまでにない16ページの
新聞が出来上がっています。
ご覧になった方々(特にOB/OG、あるいは保護者の方でもOK)は
コメント等をメールで頂ければ幸いです。


10号記念号は、9号の発行直後、2月には企画を開始し、記念号にする
ということで様々な案を出し、OKとなったところで、原稿依頼、編集を
続けてきました。
これらの作業全てを手掛けたのが、次のゼミ新聞部部員です。
 4年(08)川崎(編集長)
 4年(08)矢田(副編集長)
 4年(08)長井・・・全部で10号のうち5号分の編集に携わりました。
 3年(09)市川
 3年(09)草原
 3年(09)中島
どうもご苦労様でした。
4年生の3人はこの号で引退です。
ゼミ新聞部は3年の3人が主力となって今後また継続していきます。
 

別件・・・・
玉名でのプロジェクトを行う4年チームは6月4日にある玉名のしょうぶ
祭りで、アンケート調査活動を行う予定にしています。
調査を円滑に進めるために、明日、しょうぶ祭りの実行委員の方々を
訪問してくるそうです。
大塚と矢田が今日そのためのフライヤーを作っていたようですが、出来
上がったのを見てびっくり。
半分切れた顔の私が

  怪しい者ではありません・・・・・

だそうです。
これで相手方がよろしくお願いされるものかどうか気になります。^^;


本日は私は次のパワポを持参して研究会の報告に出かけてきました。
 
午後は3年のゼミがありました。
私が不在でもゼミが休講になることはありません。
理由は簡単です。
いてもいなくても同じだからです。
毎回ゼミ生たちが自主的に活動しているからです。
 
この日は次の活動に向けてチーム分けをしたようです。
この写真はゼミ活動の記録担当の緒方が撮ったものですが、
さすがはガリラボです。
 
何か決めるときはほぼアミダです。
教えたわけではありません。
ガリラボにはそういった遺伝子が埋め込まれているのでしょう、きっと。

緻密な企画書を提出の上、4チームは明日から映像制作に挑みます。
期間は1ヶ月。
6月15日が発表会の予定です。
 

2011年5月17日火曜日

企み×3

午前中は4年生のゼミでした。

昨夜、4年(08)岩本から用事があり少しゼミに遅れるとのメールが
ありました。
寝坊ではありませんので、念のためにとあったので、了解との返事を
していたのでした。

朝になって今度は4年(08)矢田から大したことはないのだけど、車と接
触したので念のために病院に行ってから大学に来るとのメールがあり
ました。
 
気になり、なんか車に接触したらしいとガリラボで話していたら、4年(08)
坂本が真顔で、「なんかそうらしいですよ、バイクでじゃないですかね」と
言うのでかなり気になり始めました。

そうこうするうちにゼミが始まり、ガリラボ道場(実験室)に出向き、
ゼミの作業内容や連絡などを4年(08)大塚が皆に周知してところに、

突然、、、、、、白い物体が・・・  矢田でした。

その姿を見た瞬間、後ずさりしてしまいました。
トイレットペーパーを全身に巻きつけていたのです。
ほんと驚きました。
要するにドッキリだったんです。
坂本など他数名がグルになって私を含め他のゼミ生を驚かせたのでした。


なお、確認したところトイレットペーパーは矢田のところからの持参品でした。
常識的でその辺りはホッとした次第です。
最後はちゃっと紙袋に入れて、持ち帰ってリサイクルするそうです。
 
事情が呑み込めた後は全員大笑いで、矢田など、「これ、女の子がすること
じゃないよねー」とか言いながらも、矢田しかやれる人がいなかったようです。
適役でした。
 
笑いが止まらないながらも、大塚による説明は続きました。
ゼミに関すること全て終了して、他に全体への連絡がないことを確認した後、
大塚が「実は、みんなに話さないといけないことがあります・・・」との静かに話
し始めました。

  事情で、実は5月いっぱいで大学をやめることにしました・・・

突然のことで一同、目がテン。静まり返ってしまいました。
こんな中途半端な時期に申し訳ないと(泣きながら)話す大塚でした。

沈黙を破り、宮下が、益田が言葉を発します。

しかし、かなり重苦しい。

重苦しいときに松永は、

  チームになって玉名のプロジェクトをやろうとしているのに、何で?

と大塚を問い詰めておりました。

申し訳ないと謝る大塚に対し、松永は非難を繰り返し、最後は怒り椅子を
けって道場を出て行ってしまいました。

松永の行動に一同完全に沈黙です。
もちろん私もずっと下を向いたまま沈黙を通しておりました。

どれぐらいに沈黙が続いたでしょうか。 かなり長かった。

 

松永が戻ってきました。しかも、こんな格好で(↓)。
 
どれぐらい驚いたかは下の写真でわかるのではないでしょうか。
下の写真は、入ってきながら松永が撮影したものです。


この企みに加担していたのは、大塚はもちろんのこと発言していた
連中や私もそうでした。
私を丸め込んだのは、松永が出ていってしまうときの私の反応を
警戒してのことだとのこと。
前日に極秘の相談があるとやってきた大塚、矢田がそう話してました。
 
松永らの企みに引っかかっていたのは実はさらにもう一人いたのでした。
予想もしない場所でひとり引っかかっていたのです。
 
 
松永の騒ぎが収まったそのとき、後ろの机の下から突然男が姿を
現したのです。
びっくりして、わたし自身は椅子から滑り落ちそうになりました。

なんと、用事があり遅れてくると前日にメールしてきた岩本です。
ずっと隠れていたようです。
出るタイミングを川崎がメールで知らせていたようです。

 
ゼミの始まる30分前から隠れていたようですので、都合1時間ほど
隠れていたのではないでしょうか。
彼のミッションは、実は下のケーキをサプライズで渡すことだったのです。


それが、松永たちの企みの知らない彼は、机の下で騙されながら、
えらい状況になっていたようです。
川崎からはまだ出てくるなとメールで指令が来ていたそうです。

隅っこの机の下に小さくなって隠れていて、ゼミの状況はめちゃくちゃ
になっているのに関わらず、出てくることもできない悲惨な状況で、
いや大変だったろうと思います。
ご苦労様でした。
 
とまあ、こんな具合に3つの計画が仕組まれていた本日のゼミでは、
それぞれがそれぞれを騙すという始めての体験でした。

わずか30分ほどの出来事でしたが、チカラが入りすぎて、かなりの疲
労を感じました。


すべての企みに関与しててのは矢田だったようです。
度を越さない常識的な企みばかりで、終わってみれば心地よい
疲れが残り、たいへん面白かった。
楽しく記念撮影もできました。

終わってみて、さてこの計画は一体どういう意図だったのでしょうか。
何かに使うとは聞いてましたが、果たしてこれを何を使うのでしょう?
謎です。
後で矢田にしっかりと聞いておこうと思います。

  
サプライズ終了後、全員さっと作業に移りました。
最後の学生が帰ったのは20時過ぎ。
10時間以上ガリラボにいたのではないでしょうか。
 
サプライズ×3

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あ、後もう2つ。
 
OB(07)森がやってきました。
沖縄駐在の名刺ができたので持参してきたのです。
これもサプライズでした。
来週あたり1週間ほどまず沖縄に出向くそうです。
 
もうひとりOG(04)井口がやってきました。
お菓子を持って。
慣れない仕事で大変そうだったのですが、どうにかなって
いるようでした。