2015年11月30日月曜日

全国わがまちCMコンテスト1次審査通過

今朝のシクラメン。まだ綺麗さをなんとか保っています。


チームたまガリが玉名の30秒CMを作成して、それを全国わがまちCMコンテストに
応募していました。10月下旬のことです。


その後、全く何の連絡もなかったのでダメだったというか、応募していたこと自体を
忘れていましたが、本日、連絡があり、応募した4作品ともに1次審査通過したとの
ことでした。信じがたいですが。。。(一体全体、どういった審査だったのだろうかと)

最終審査会は12月19日とのこと。参加しませんかとの案内が来ているようですが、
東京なので参加は無理ですが、結果はどうなるのでしょう。
そのころ卒論でみんな必死の頃でしょうから、また忘れてしまう可能性もありますけど。
期待せず、結果を待ちたいと思います。
(ひょっとすると参加しないと入選の対象にはならないんですかね? まあそれは
それで仕方ないですけど)
 
 
お昼、教務の課長さんからもらったシュトーレン。

「崩れて切りにくいはず」との課長からの助言をそのまま伝え、4年(12)田中が
カットに挑戦。
慎重な(?)作業の結果、一応キレイに切れてました。
切った後、砂糖に群がるようにゼミ生が集まり、瞬時に無くなったのは言うまでも
ありません。有難うございました。

 
昼休みに4年(12)生とのゼミ会議を行った以外は、今日は朝から夜まで本部棟に
いたため、ガリラボで何が行わていたかは不明ですが、ゼミ新聞部が14ゼミ生を
入れての24号発行に向けた編集会議を開いたようです。


夜、チームすごろく(4年(12)尾堂、小田、梅田、村上)が集合して卒論発表の練習を
しています。
その邪魔をしているのが4年(12)丸野。準備は終わったのでしょうか? 実に暇そうです。
  


2015年11月29日日曜日

本を読まねばと思いつつ

今朝のシクラメン。


今日は大学は推薦等の特別選抜入試でした。

毎日やることがあるのは幸せなことですが、最近、読書量が
激減しているのが非常に気になっています。
新たに読んでるのは院ゼミで使っているテキストぐらいのもの。
情けなく、そんなことをボヤいましたら、横からM2(14)吉村が、
「先生から知識をとったら・・・・」
と言ってました。「・・・・」の部分は想像に任せますが、吉村ですから、
当然ながら、失礼なことを言っておりました。
それも面と向かって、です。orz

確かに当たっていることなので、どうにか工夫してインプットの時間を
確保しなければと思います。
バランス良く成長していくためには、活動(アウトプット)に見合うインプットが
必要でしょうから。
 
エスノメソドロジーの本が現在非常に気になっているところです。
今夜はぜひ、最初のページをめくろうかと思います。
が、今夜は無理そうです。
TV番組「下町ロケット」にはまってしまったので。


あ、そういえば3年(13)生に「たまランナーズ エピソード2をやるぞー」と
声をかけています(メンバー募集のメールをしました)。
ただ、「やるぞー」と言いつつ、内容はまだ全く決めていないのですけど。
「しょせきかプロジェクト」を開始し、多忙になることがわかっているときに、
こんな雑な計画(無計画?)にどの程度のゼミ生が興味を示すのか不明
ですが、一応、エピソード2に向けて1歩を踏み出してみました。^^;
おもしろきことなきこの世をおもしろく、です。
さて、どうなるでしょ。 (`□´)?


2015年11月28日土曜日

夢について漠然と考え、つらつらと書いてみました

グーグル米国本社の元副社長村上憲郎さんが、
  長期的なビジョンほど、誰にも見えていない。それは、ちょうど30年前に、
  電電公社が民営化され、その後、携帯電話がこんなことになること、イン
  ターネットがこんなことになることは1986年には誰も思っていなかっただろう。
と語っておられるそうです(参考)。
未来予測はあまり当てにならない、未来は誰もわからない、というわけです。
1986年というと私が大学を出て教員として働き始めた頃です。
その頃、インターネットはもちろんなく、パソコンもまだ普及していない頃でした。
その当時、どうやって仕事していたのか、思い出せないほどですが、
 もしもインターネットがなかったら・・・
とのテーマで、昭和のビジネスを再現した記事がありました(こちらからどうぞ)。
いやはや大変そうです。
信じがたい。
今だと一瞬で終わるようなことを、非常に時間をかけてやっているわけで、
昔は大変悠長な時代でした。
悠長な時代であったから、若い世代も仕事に余裕で、楽勝でついていけた。
だけど、今は仕事が新人が持つ人間の感覚を超えて、猛烈な勢いで流れる時代に
なっているように思います(全てがそうかどうかは不明ですけど)。
例えば、昭和の時代だと1週間かかっていた資料作りが、今だと10分で終わる
ことも珍しくないでしょう。
図書館に行って資料を探し、データを手書きで整理し、グラフなどは手作業で
紙の上に丁寧に清書して時代から、自分のデスク上でネット検索し、見つけたデータを
Excelにコピペしてグラフを瞬時に描いて資料を作っていく時代です。
ぼんやりしていて、こんな高速な時代についていけるとはとても思えませんね。
 
ところで、今、3年(13)生が「しょせきかプロジェクト」を開始しました。
そこでのテーマは「夢=どりぃむ」です。
夢とは多くは未来の出来事でしょう。
となると、上で述べたことから類推すれば、こうした夢の多くはそのまま実現する
ことはなさそうです。
特に遠い未来の夢であればあるほどそうなるでしょう。
夢を描いた時と、それが実現するであろう未来では、時代状況が全く変わっていて、
そして自分自身が変化しているわけで、そうした影響で夢は変化してしまうのに違い
ありません。

私自身が思うには、夢とは固定したものではなく、実はかなり変化するものでは
ないか、と。
もしも変化しないとするならば、その人は夢を実現したいと思っているだけで、
行動に移さず、前に進んでいない可能性があります。
当初、夢とは漠然としている。漠然としているけれども、その状態であえて前に
きちんと進んでいくことで、ぼんやりとしていた夢に徐々に形が与えられていき
クリアなものになっていく。
そういった(変化していく)夢を実現していくことも多いのではないかと思うのです。

次は、残念ながら先のプレミア12の準決勝で韓国に敗れた野球のナショナル
チーム監督・小久保さんの言葉です。
つい最近見かけた言葉ですが、これって夢を具体化していくための必要条件だと
思いました。


小久保さんは「花」と表現されていますが、夢のことと考えてよいでしょうね。
夢(花)は、目の前の現在をしっかりとやりきり、それを繰り返して、豊かな
過去(キャリア)が形成されていくことで実現(咲く)していくわけですが、
そのキャリア=軌跡は最初から決まっているわけでありません。
未来は誰にもわからない、のですから。
そうしたキャリアの結果として夢が実現した時、それは当初のイメージしていた
ものとは同じではないだろうと思います。
(ちなみに私の中学時代の夢は「エンジニア」でした。最近話題のTVの「下町ロケット」に
登場するよう人たちを目指していたのですが、残念ながらその夢は破れ・・・、orz)
外見上は同様の夢を実現している場合でも、前に着実に進んできた人にとっては、
その意味合いは相当に違っているでしょう、おそらく。

夢って単純ではなさそうです。当たり前ですけど。
「しょせきかプロジェクト」で3年(12)生はこの難しい夢の問題にどう立ち向かうのでしょう。
私の希望としては、そのことを徹底的に話し合ってほしいと思います。
真剣に考えないまま、取材に行くのは失礼でしょうし、それ以上に、真剣に考えていない
状態で出かけていっても取材の成果は大したものにならないし、あえて強く表現すると、
無駄になりかねない。
ということで、きちんと考え、深く考え、十分にみんなで議論してほしいと思います。
それをやること自体が、実は「しょせきかプロジェクト」の核心でしょうから。
「え〜、メンドー」とかまさか一瞬でも思わなかったですよね? 笑
「面倒」という言葉は辞書から捨てようとゼミ心得で伝えた通りです。
今目の前にあることこそが天職(取り組むのに値する大事なこと)であり、そこに
100%時間を使って(可能な限りの時間を使って)取り組んでいってほしいと
思います。
ということで、私もプロジェクトの一員としての義務感(?)から時間のあった今日、少しだけ
真剣に、そして調査もしながら考えてみた次第です。


さて、本日は久々にほとんど仕事をせず、溜まっていた私的な作業を処理するのに1日を
過ごしました。
体は使うものの、頭は暇だったので、夢の話題がつらつらと出てきて、それで
思いついたことを順に脈絡なくつらつらとここまで書いてきました。
全く見直していないので、非常に内容が揺れているでしょう、きっと。

読んで、酔いました?

4年生の卒論を添削する際、いつも私はこの酔いに苦しまされます。
酔い止めも一緒に送りましょうかと言ってたのは、確か4年(12)尾堂でした。
私にとっての優れた酔い止めの薬は、皆さんの徹底した推敲です。
どうぞよろしく。笑
 

2015年11月27日金曜日

卒論新聞/しょせきかプロジェクト/ゼミ新聞部

1日ぶりのシクラメン。ちょっと弱っていましたが、朝陽に映えて
残っている花はきれいでした。

さて、サプライズのつもりで4年(12)丸野・梅田らが出したらしいのですが、それを
ゼミ新聞部がすっぱ抜き、ツイート。昨晩中にそのことを私も知ったわけですが、
このスクープは3年(13)多賀(ゼミ新聞部員)によるものだったそうです。
ツイッター、恐るべし。笑
サプライズならなかったクリスマスツリーですが、これも朝陽に映えてきれいでした。^^;


卒論新聞
4年生(12)は卒論の概要をすべて完成させ、コースの発表会に向けて締め切り日の
本日に無事に提出できました。
添削の手伝いはしましたが、それ以外、ファイル名を一定のルールでつけておく、pdf
ファイルに変換して全員が同じ共有フォルダに入れている。
単純なことがですが、全員それをやってくれている。
実は、私がそれを全部自分でやると結構な手間がかかるのです。
1人、2人だったら問題ないけれど、10人を超えると意外な手間です。
昨年までは実際に手がかかっていました。
全員が同じようにできているのは、4年(12)田中ゼミ長が全員がルールに従ってやるよう
枠組み(環境管理型権力とも言います)を決めてくれているからです。
大変感謝してます。
また本日、卒論新聞第24号を発行しました。卒論新聞は次回で最終号となりました。
ほんと忙しくしているのに25週間x7=175日(半年間)、一度も手を抜かず頑張って
きました。皆さん、最終号はどうぞ期待しておいてください。




しょせきかプロジェクト
今日は2限目に13ゼミ幹部と「しょせきかプロジェクト」の編集会議を開き、
活動を本格化させました。
編集会議で打ち合わせたことを、午後の13ゼミで報告し、こんどは13ゼミ生で
検討してもらい、さらに具体化させていきました。
13ゼミ生からの意見収集を終え、夕方、幹部による編集会議を再度開き、
最初の1歩」を踏み出すための計画を立てました。
来週から3チームに分かれて、多様な年代の持つ「どりぃむ」について取材して
いきます。各年代についてはそれぞれ次の視点でインタビューしていくことが
編集会議で決まりました。
10・20歳代: 夢を描く
30・40歳代: 夢を掴む
50・60歳代: 夢を語る
若い世代は、夢を描く(デザイン)している時代であろうから、どういった夢を
描こうとしているのかを中心にインタビューし、中堅世代は、夢の具体化に
向けて現実的な行動を起こしていると思われ、具体的にどんなことをやって夢を
現実化しようとしているのか、「掴む」というテーマにはそういう思いを込めています。
最後、50・60歳代の「語る」とは、自分が夢を掴もうとして歩んできたことが
周囲にどういう影響を与えることになったのか、そして夢を掴もうと進んできたことが
振り返ると自分にとってどういう意味を持ったのかなどを、後の世代に向けたアドバ
スとして語ってもらうというものです。
どういった形になるのかわかりませんが、着実に一歩ずつ前に進んでいってほしいと
思います。3年(13)松崎が議事録に添えたメールの中に、
  なかなか初めてのチャレンジということで難しい問題も多く、少しずつしか前には
  進まないしょせきかプロジェクトですが、少しずつでも毎日何かやっていこうと思い
  ます。きっとそれが2月に1冊の本として形になるのではないでしょうか。手に取った
  ときの感動を夢見て、今から頑張っていこうと思います。
と書いていました。頑張っていってほしいです。

その頑張る3年(13ゼミ)生に「興津会、ご苦労様でした」とOB(05)山口から差し入れが
届いたようです。また、大学院生も差し入れをしてくれたようです。
ますます頑張ると思います。^^


津曲ゼミ新聞部
クリスマスツリーが出たことをスクープしたゼミ新聞部ですが、なんと今日はニュー
フェース(2年(14)塚田、早瀬、谷口、山本、児玉)が加わり、インデザインの勉強会を
開催したようです。


着実に時代は新しい世代へと引き継がれていってるようです。
ガリラボ自体もうまく再生産されていると思っていますが、それと同時に、その内部の
実践の共同体も同じくうまい具合に再生産されている。
何ともいい感じです。
  
 




2015年11月26日木曜日

クリスマスツリー2015

昨晩から、出張で大阪入。昨晩は雨の大阪でした。
19時頃、地下鉄を降りてホテルまでの道を迷い、雨の中、暗い中、事務局の
安達課長と濡れながら彷徨いました。
雰囲気的にホテルがありそうにもなく、また人も歩いていないところに迷い込
んでしまい、見つけた煙草屋のおじさんに尋ねたら、「このあたりにホテルは
ない」と明言されました。orz
スマホの必要性を強く感じた大阪出張でした。

元気に大阪を朝を迎えた。
そうしたら朝8:30に、M2(14)吉村が「ガリラボオープン」をGmailのチャッ
トで知らせてきました。
目を疑ったのは言うまでもありません。8:30ですよ!
修論のせいで、ついにおかしくなったのではないかと少し心配をしております。
 
心配しているはずですが、なぜか9時を過ぎたら吉村のことはもう脳裏から完全に
消え、しばらくして、フォーラム会場の大阪府立大学のサテライトキャンパスに出か
けました。
朝からかなりの雨。雨の中、歩いて会場に向かいました(今度は迷わず)。
10時から17時までみっちりと聴講し、ようやく解放され、ただいま熊本に戻る
新幹線の中からです。

現在、津曲ゼミ新聞部(3年(13)飯沼部長)はTwitterで定期的にガリ
ラボのニュースを発信してます(@garilabnews)。
新幹線の中で、恒例のクリスマスツリーが飾られたニュースを知りました。
08ゼミ生が3年の時からですから(ガリラボ通信2010/12/13)、今年で
もう6回目となります。
夏は七夕飾りですが、Xマスツリーを出すのはガリラボの冬の風物詩になりました。
昨日から急に冷えてきましたし、冬支度のようなものですね。
ただし今日は11月26日。
このままだと、これから1ヶ月ほどこの場所に置いておくことになります。
埃まみれになりそうな気がしないでもないですね。笑
その時は飾り付けをやっている4年(12)丸野と梅田がしっかりと掃除をするの
だろうと思います。

上の写真は津曲ゼミ新聞部のTwitterのスクリーンショットです。


今日の様子を16時頃、4年(12)田中がメールで知らせてきました。
以下、ガリラボで田中が見かけた人たちだろうです。
M2(14)吉村
4年(12)梅田、尾堂、嶋中、田中、丸野、目代、村上、山田、坂本
3年(13)松﨑、藤村、塚田、飯沼、上田、多賀、出口、中村


そろそろ、広島に着くのではないかと思います。
水前寺着21:25の予定。
今日はそのまま帰宅します。


2015年11月25日水曜日

ガリラボ広報見聞録チームの活動休止

昨晩、次のメールが送られてきました。
白亜祭の際に広報のために立ち上がったチーム「広報見聞録」代表4年(12)丸野から
チーム全員に向けてのメールでした(CCで私が入っています)。
  本日でガリラボ広報見聞録の活動は終わりとなります。
  今日までこのチームで様々なことを行ってきました。
  その中には、楽しかったこともあれば、辛く苦しいこともあったでしょう。
  しかし、見聞録での経験は来年のガリラボ白亜祭だけでなく、今後の
  人生にも活かしていくことができるはずです!
  このメンバーで広報チームを立ち上げることができて大変満足しています。
  今までありがとうございました。
このチームで、ガリラボ白亜祭の活動をホームページFacebookTwitterで拡散してきました。
昨日、その活動の振り返りを行い、議事録(一部)でチームの活動を次のようにまとめていました。


広報見聞録チームメンバー(4年(12)丸野、尾堂、田中、梅田、3年(13)塚田)にとって、
この活動はきっと人生において何らかの役には立つことでしょう、きっと。
そう信じたいと思います。笑
キャラクターを生み出すなど、面白い活動でした。
 

 

※本日は大阪からの投稿しています。




2015年11月24日火曜日

イギリスからの便り(12河邉)

今朝のシクラメンです。

ガリフェス、興津会の興奮が冷めやらぬ連休明けの朝ですが、ガリラボに
やってくるとOB(10)保坂のお土産を思い出しました。「ガリラボ史上一番愉快な奴より」と
ありますが、もちろんこれは間違い。「一番迷惑だった奴」が正しい。
とりあえず、珈琲はもらっておこうと思います。

天草での結婚式でガリフェスに参加できなかったM1(15)有馬もお土産を持って
きてくれました。



怒涛の3連休を終えた朝、いつも通り朝8時に4年(12)梅田はやってきました。
同じことを繰り返す。
簡単そうで、非常に難しいことです。
人間は基本、本能に従うと不規則な行動をしてしまいますので、きつめのことを
同じ様に繰り返すのは、高度に理性的で克己心がないとできません。
朝6時に起きて大学に朝8時にやってくるのを5月くらいからずっと続けているわけで、
凄い奴です。
8:30になってOG(03)松本が顔を出しました。1時間ほどして仕事だと言って去って
いきました。笑

さて、午前中は静かでしたが、午後になると4年生が増えて卒論をやってました。
3年生は道場でガリフェスや興津会の振り返りをそれぞれの担当者でやっていたようです。
(興津会のきちんとした振り返りは11月26日の3限目とのこと)

私も今日はいつくかの本部棟での仕事を除いては、ほぼ卒論概要の添削作業を
やっておりりました。後少しで全員完成の見込みです。

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イギリスから(12)河邉より近況報告が届きました。
フランスのテロでイギリス国内も騒然としていて、テロの話題でもちきりだそうです。
当然でしょう。
イギリスもフランスに歩調を合わせることがニュースで流れていました。
日本にいたらともてテロなどを身近に感じることはなかったのではないかと、そうした
感想が近況メールにはありました。
ただ、そうした状況であっても町はクリスマスモードに入ったとのこと。
テロの話題の後に、次の近況が続いていました。

  街並みはもうクリスマスモードでライトアップされています(画像をどうぞ)。
  クリスマスの前には帰りますが、十分にその雰囲気を味わえそうです。
  休日はたくさんのクリスマスイベントがあり、一か月も前から大掛かりだなあ
  とは思っていましたが、クリスマス当日は公共交通機関はすべてストップです。
  気合いが違います、、、驚きですね(笑)
  それとともに本格的な冬がやってきました。16時にはもう真っ暗になってしまいます。
  12月には15時には日が落ちると聞いて恐ろしいです。(笑)
  風邪が流行る季節ですね。ありがたいことに、こちらでは一度も体調不良になっては
  いませんが、油断は禁物です。先生ももお身体にお気をつけください。




もうすぐで、河邉が一時帰国します。
12ゼミのみんなはきっと楽しみにしているでしょう。
河邉を出迎えるため、ガリラボでもクリスマスツリーをだしておきましょう。



2015年11月23日月曜日

地域イベント「大俵祭り」への参加

学生GPの連携先からの依頼もあって、玉名市の大きなイベントである大俵祭りに
フィールドワークも兼ねて、ガリラボで参加してきました。
市役所前の駐車場は出店で多くの人で賑わってました。


賑やかな祭りの会場に午前中には到着。

到着後、すぐに玉名市役所の和田係長に合い、綿密な打ち合わせ。

何の打合せかというと、一番大事だったのは食事券の交渉でした。
それ以外は記憶にありません。笑


ご神体とある大俵の前で。昨晩、全員、興津会に参加したわけですので、調子は
今一つではなかったか、と。

団長(主将?責任者?)4年(12)丸野は元気です。


出走前、準備運動を入念に。とにかく怪我だけはしないように、と。

綿密な打ち合わせの末に入手した食事券で腹ごしらえをした後、出走者の待機場所へ。
前日まで雨の予報だったのですが、ご覧の通り、見事な快晴!
実は、2日前、和田係長から私宛に
 まだ天気が微妙な感じでレースが無事に開催されるのか、
 不透明なところです。
 あっ、
 いま、喜ばれたでしょ?
 まさか、中止になればいいと思ってませんか??
 態度判断は、23日の朝5時に行います!
 先生に電話すればいいですか?朝5時に(笑)
とのメールが届いておりました。迷惑電話が来ないようにとの私の強い願いがこの青空に
つながったのだろうと思っています。


さて、気になる対戦相手(タイムレースなので実は対戦相手はどうでもいいのですが・・・)、
なんと熊本城おもてなし武将隊のみなさん。

この人たちです(恐怖)。

勝てるとは思えない戦いに挑む、チーム「ガリラボ」の面々。
団長4年(12)丸野が、武将隊に戦いを挑んでおりました。司会をしていた柿添さん、そして
何故かこの時から登場した和田さんというむさ苦しい2人が、チーム「ガリラボ」を壇上から
からかっておられました。

和田・柿添のコメントで奮起し、そして武将隊に対して対抗心をむき出しにしたチーム
「ガリラボ」は円陣を組み気勢を上げていました。


11:55、出走です。最初、大俵はピクリとも動かず・・・・

が、懸命に引き、動き出した大俵。その後は調子が良かった。

復路も快走。

コースを外れることもなく、見事な快走。

ゴール直前。もはや余裕。

ゴールイン。1分30秒ほどでした。武将隊はコースアウトしており、チーム
「ガリラボ」の圧勝でした。

歓喜に沸いていました。「やり切った感があります」との4年(12)梅田の感想が印象的でした。」


快走したわけですが、まさかの予選落ち。
(40チーム中8チームが決勝に進みます)
タイムが少し足りなかったようです。
連日の多忙さで、疲れ果て、13:30には帰路につきました。

  

チーム「ガリラボ」のレースの様子。大俵との熱い闘いを繰り広げています。ご覧ください。


 
イベント続きだったので大変でしたが、大俵祭りの様子がよくわかりました。
それと玉より姫をかなり前面に出している祭りなんだということがわかりました。
今後、色々な企画を考えていく際の情報にしようと思います。
そういえば、タマにゃんがいなかった。
うまく活用できないものでしょうか。
 

興津会2015を開催しました

ガリラボの1年で最高に大事なイベントとなった興津会。
在学生と卒業生をつなぐコミュニケーションの場となり、また卒業生にとっては
年に1度集合する機会になっているかと思います。
今年は昨日11月22日に開催しました。会場は下通りのセカンドサイト。

6:30受付開始。受付には2年生(14)の古谷と園田が座っていました。

奥のスタッフ部屋では今年の興津会すべてのプロデュースした上田実行委員長率いる
3年生(13)全員が忙しく準備をしていました。

始まる前、13ゼミ生全員で円陣を組んで臨んだそうです。


19時ちょうどに3年(13)多賀の名司会で今年の興津会が始まりました。
私の冒頭挨拶のあと、この興津会を始めたOG(03)宮川の乾杯で開会。

70名の参加者があちこちで挨拶を交わしていました。

しばし歓談の後、商品付きクイズ大会。

長くならず、しかしワクワク感のあるやり方はどんなものがあるのだろうかと
企画チームは知恵を振り絞りました。

考えだしたのが参加者自身がビンゴカードを作るというもの。左に3択クイズが15問あり、
自分が答えられる9問を選んで、それを右の枠に配置していくというもの。

まずクイズを解くのに5分与えられ、参加者一同頭を抱えています。

その後、くじで選ばれた人が何番目のクイズにするかを決めて回答し、そこが
正解していればビンゴシールを貼っていきます。それが並べばビンゴです。
ちょっと複雑ですがやってみれば簡単で、非常に考えられた方法でした。
10分ぐらいで10個の商品が参加者にプレゼントされました。
ビンゴした人たちの中には、乾杯の挨拶をした宮川がおりました。

最後のビンゴはM1(15)福永。おめでとうございました。
(残念ながら指導教員には何も当たらず・・・。15問全部わかったのですけど・・・・)

 
クイズ大会が終わってしばらくすると、13ゼミ生が踊りだしました。ゼミが
終わってから練習していたやつかと思います。
多賀と藤村の練習を見ていましたが、吹き出したことを覚えています。^^


なんと言ってもこれが凄かった。映像があれば紹介したのですが、見とれてしまって
映像を撮るまでに至りませんでした。
アナとユキの女王の吹き替えを松崎と中村がやったのです。2人とも歌がうまく、そして
歌詞がガリラボの実状をよく表しているものだから、会場からは拍手喝采でした。
可能であれば、映像で紹介したいのですけど。。。

さらに13ゼミ生のダンス。

会は大いに盛り上がりました。ゼミ生に、ピークエンド理論の話をすることがあります。
ノーベル賞を受賞したD.カーネマンが1999年(わりあい最近です)に発表した理論で、
「あらゆる経験の喜びと苦しみの記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の喜びと苦しみの
度合いで決定する」というものです。
副実行委員長3年(13)松崎のアイデアでアナとユキの女王でピーク時のレベルを上げた
今年の興津会は、終了時には歴代の興津会の実行委員長による一本締めで終了させたいと
実行委員長3年(13)上田は考えました。
事前に卒業生にも連絡を取り、打ち合わせておいて、歴代実行委員長により今年の興津会は
フィナーレとなりました。


強いピークと強いエンディングを上手くデザインできた結果、今年も参加者の喜びの度合いは
非常に大きくなったようでした。
その証拠は、会がなかなか終わらないということでしょうか。
会場を出た外で、年代を越えてあちこちで話をしていて、別れが惜しんでいるようでした。

今年も大変ステキなガリラボの大同窓会「興津会」でした。


  
  
~エピローグ~

全てを終えて会場のセカンドサイトを後にする13ゼミ生。
この場には夏前から下見、リハーサルと何度も足を運んだのでした。

ゆっくりとカタツムリの速度ではありましたが、知恵を絞りに絞り、そして準備に準備を重ね、
「今日から未来に向けた津曲ゼミ」をテーマにした興津会を作り上げました。
今年の席次表の裏にメッセージを書きましたが、昨年参加した時、果たしてこんな
のが自分たちにできるだろうかと強烈な不安へと陥った上田と松崎でした。
それが、地道にやるべきことをやってきて一大プロジェクトを成功させましたわけです。
「善きことはカタツムリの速度で進む」あるは「ゆっくりでも止まらなければけっこう進む」を
実践した2人であったと思います。
その2人を中心に13ゼミ生12人全員がうまい具合に役割分担できたことが非常に良かった。
こんなに頑張るガリラボのゼミ生がやっぱり私は大好きです。

本当は私から何か贈るべきなのでしょうが、「気配り≒ゼロ」のせいで申し訳ない。
私の好きなブルーの色の薔薇をもらいました。私への応援メッセージ付きで。

さらにこんなものも。
友だちの絵本という、ネーミングは非常にゆるいですが、中身が非常にハードな
課題を毎年ガリラボゼミ生の登竜門として課していますが、その課題をモチーフに
したゼミ生(在学生、卒業生)からのメッセージでした。

在学生、卒業生からのたくさんのメッセージで溢れていました。

最後はこれまでのゼミ生の写真でした。


たくさんの応援でパワーをもらいました。これからもパワフルな活動をガリラボでは
展開していきたいと思います。
興津会の終わった夜、松崎からメールが届いていました。(一部)紹介します。
  本日の興津会、本当にありがとうございました。
  私自身、たくさん笑ってたくさん泣いて、楽しくて楽しくて仕方がない会でした。
  こんなに楽しい時間が過ごせたのも、先生のご協力や様々なサポートをして
  くださったOBOGの皆さん、14生の皆さん、13ゼミの仲間たちのおかげです。
  先生が最初の挨拶でおっしゃった"何のためにやるのだろう"という話、横で
  聞いていました。
  私も最初は義務感でした。去年を超えなければならないから頑張る、やらな
  きゃいけないから頑張る、そんな気持ちでした。
  でも、13のみんなが自分の限界以上のことに臨み、努力する姿勢を見ていると、
  "興津会に携われるっていうのは、すごく幸せなことなんだ"と思うようになりました。
  興津会ができるということは、それだけ多くの先輩が築き上げてきた歴史をつなぐと
  いう役目を務めていることだと思います。
  伝統って繋がなきゃいけないというより繋がせてもらえる環境に自分がいるという
  ことなんですかね。


休む間もなく活動し、そして必要な知識を吸収し、
 
みんなで一緒に大きく成長していきましょう