2024年2月29日木曜日

ガリラ語録の撤去

道場を閉場する際、残っていた最後の廃棄予定の品々はすべて研究室の奥に移動させました。
ここで一時保管し、燃えるもの、そうでないものに選別した上で廃棄します。

この日、10年前(2014年)に12ゼミ生が作成した「ガリラ語録」のパネルも撤去しました。道場においてあったものを研究室に移動させ、それから10年近く。
ガリラボのゼミ生はこのパネルを見ながら、ここガリラボで活動していたはずです。


語録を撤去した後の研究室では、最後の広報紙発行に向けラストスパートしている広報部員の姿がありました。 

 

2024年2月28日水曜日

道場の初期化、そして閉場

ガリラボで10年以上使用させてもらった情報実験室3。
ここをガリラボ生の鍛練の場という意味で「道場」と名付け、歴代のゼミ生がこの場所でガリラボの成果につながる数々の活動を行ってきました。

この道場を、20ゼミ生の最後のゼミの時間に大掃除を行い、そしてこの場所の最後の利用となったのが2月20日のガリラボ卒業式でした。
残っていたモノを昨日すべて廃棄し、道場を完全に初期化し、ガリラボ以前の姿「情報実験室3」に戻しました。

通信を見返すとわかるように、道場はガリラボの活動を支えてくれた、思い出がたくさん詰まった場所でした。
ガリラボでここを使用することはもうありません。
2月27日午前、電気を消し、閉場しました。

感謝  <(_ _)>

2024年2月27日火曜日

OB(M15)福永の来室

OB(M15)福永が来室。
午前中はゼミ生もいなかったので2人でじっくりと、近況などで会話が弾ませた1時間でした。
私としては、いつも大学にしかいないので、福永の仕事の視点からみた熊本等の状況を聞くのは大変新鮮でした。

ゼミ生に出張先で買ってきたという長崎土産をおいていってくれました。
そして、私には「飲まれますよね?」とのことでコーラと焼酎をおいていきました。
冬場は全く飲みませんが、その一方で暑くなってきたら、私にはコーラは必需品です。
暑くなるまで保管しておこうと思います。(^^)
 

2024年2月26日月曜日

05ゼミ生の粋な企画~復興城主に

昨年の興津会(ガリラボ通信2023/10/9)での05ゼミ生のラストプレゼンは、
  熊本城の「復興城主」に応募した
ことをOG(05)田中が発表したのでした。
それで、証書が届いたら「飲みましょう!」ということだったのですが、その飲み会が先日(2月24日)実現しました
北は山鹿、南は八代と、熊本県内に住む05ゼミ生10名が集合しました。

届いた城主証
津曲研究室の名前が熊本城の復興に刻まれることになり、出来の悪かった05ゼミ生にしてはナイスアイデアだと思います。笑

新市街の酒湊にて2時間。気のおけない友人たちと飲んでいるようで、非常に楽しい時間でした。

05ゼミ生は、NHK大学映像コンテストに初めて参加した代です。
第1回NHK大学対抗映像コンテストガリラボ通信2007/11/29
また私も若かったので一緒に遊んでおりました。笑
アタック・ザ・日本一@日本一の石段ガリラボ通信2007/11/17

出来は悪いし、やんちゃだった(男子学生のことです)05ゼミ生。
この時のゼミ生は2組カップルが誕生し、2組ともにこの日参加しておりました。
その中のひとり、濱洲の結婚式で、お祝いの言葉を私が話すことになったのですが、濱洲には05ゼミ生には感謝しないといけないと伝えたように思います。
周囲の出来が悪くぼんくらばかりだったので濱洲が目立ち、それで結婚できたのだ、と。
出席していたぼんくら集団が、奥の席の方からブーイングをしてたように思います。笑
そういった学生たちでしたが、不惑の歳が近づいたせいか、皆それぞれによい大人になっていることに驚かされました。
社会の教育力の素晴らしさを感じます。笑
また、卒業して15年も経つと多くが転職をしており、その転職先がそれぞれ素晴らしく、あのやんちゃだった連中が大事な役割を担い始めており、それにも驚かされました。
大人になったこれらのメンバーとの飲み会は、あまりに楽しく、かなり飲み過ぎました(おかげで、翌日、孫たちと相手するのは悲惨でした)

卒業して15年。熊本県内にいるメンバー全員が集まっているのに驚きました。
大学時代が、そしてゼミでの活動が楽しかったということでしょう。
その場に居合わせた教員としては嬉しい限りです。
今後も定期的に飲み会をするのだそうです。


最後に・・・
楽しい会を企画し、誘ってくれたOG(05)田中ゼミ長にはこの場を借りてお礼を言いたい思います。
どうもありがとう。

 

2024年2月22日木曜日

閉ゼミ式~未来に羽ばたく津曲研究室

令和6年2月20日に挙行した(最後の)ガリラボ卒業式ガリラボ通信2024/2/21)の際、ホワイトボードに4年(20)松岡ゼミ長が何やら書き加えています。

閉ゼミ式!


20ゼミ生の卒業は、津曲ゼミが終わることも意味します。
このため、最後の卒業式は、ガリラボの閉ゼミ式も兼ねました。
卒業式内で、ブランドに吊り下げられた(笑)ゼミ旗が降ろされ、私に返却されるという儀式では、ガリラボもこれで終わるんだという気分になっています。

そして、その気分にトドメの一撃を加えたのが次にサプライズでした。
最後のゼミ生20ゼミ生から私が卒業証書をもらったのです。

手のひらよりは少し大きい、小さめサイズの証書でした。

ガリラボからは253名の卒業生を送り出しました。
253人目が最後かと思っていましたが、20ゼミ生がそこにひとりを付け加えていました。
「津曲研究室の全ての課程を修了したことを証する」と書かれたこの小さな証書は、私(津曲)をガリラボの254番目の卒業生として、ここから巣立つようにとの意味でしょう。

県立大学で30年、ガリラボという研究室を立ち上げて約20年。

ここで253名のゼミ生と色々なことをやってきて、全国的にみてもかなり異色な研究室となりました。
2022年の社会人基礎力グランプリ全国大会で審査委員がガリラボを評してそういうったことを話され、なんとなく思っていたことが全国的にみてやはりそうなんだと認識しました。
全国的にも稀有な研究室だったわけですが、20年のゼミ生たちの取り組みは、自転車操業の連続でした。コロナ禍前は、帰宅は午後11頃が定時という生活でしたが、やり切った感はあります。
小さな証書にあった「全ての課程を修了」との言葉には感無量でした。
そして「共に未来に羽ばたく津曲研究室」には今後に向けての激励をもらえたように思います(20ゼミ生の気配りに深謝)。

小さな証書ですが、ガリラボの終わりを迎えるにあたり大事な証書となりました。
今までもらったどの証書よりも一番大切な証書となりました。
昨年の興津会のときに卒業生一同がプレゼントしてくれた感謝状の中に入れて自宅に飾っておきます。


約20年間でガリラボからたくさんおゼミ生が巣立っていきました。 みな、今はそれぞれの立場、おかれた場所で活躍しているようです。





ガリラボは、これら25名の大学院生と253名の学部ゼミ生がいて存在しました。
色々なゼミ生たちでした。
大学院は06ゼミ生から始まり、学部は03ゼミが始まり、ゼミ生以外にも多様な人たちが出入りしていたガリラボでした。このガリラボ通信のタイトルの下の説明には、
様々な人々が交差しコミュニケートする場としてのガリラボ。その日常を少しだけ描写していきます。
とあります。まさに色々な人たちの交差によって形成されていたのがガリラボでした。

無数の選択肢の中から半ば偶然にこの場所を選び、出会った人たちが、2年間あるいは2年半の間、様々な言葉を交わしながら総合管理学部棟3階のここで学生として過ごし、青春の思い出を作って別れていく。多様な人の交差が繰り返されてきた20年でした。3月末でそれが停止します。

停止に向け、20ゼミ生が戸締りをしっかりとやってくれました。
最後のゼミ生「20ゼミ生」は、3月21日の大学の卒業式を機に無限の未来へと羽ばたいていきます。

私も、20ゼミ生が巣立った後、ガリラボ全ての戸締りを終えたら、20ゼミ生の後を追い、ただし20ゼミ生とは違って未来が有限なので気持ちが異なりますが、同じように、ここガリラボから羽ばたいていきたいと思います。

総合管理学部棟3Fの角部屋。
ここで、ゼミ生が色々な活動で、あーでもない、こーでもないと悪戦苦闘している様子を奥の机から眺めているのは実に心地よいものでした。
大学に出勤していたのはゼミがあったからでした。
ゼミはほんと楽しかった。

名残惜しいですが、2024年2月20日に津曲ゼミ(ガリラボ)は閉ゼミしました。
(往生際が悪いですが、まだ少しだけ活動(残務処理)は続きます。^^; )
 

2024年2月21日水曜日

公開審査会の賞状届く

地域連携型学生研究公開審査会(ガリラボ通信2024/2/17)での賞状が届きました。

賞状の手にするたま輪リーダーの4年(20)松本とたまむすびリーダーの4年(20)藤田


ところで、次は中間報告会(ガリラボ通信2023/10/20)の時の賞状です。
賞状をよく見比べると、渡す人の名前が変化しているだけで、それ以外は全く同じ!
全く同じ結果ということになったわけですが、学生GPの他グループも成長していたはずなので、たま輪とたまむすびチームはそれ以上に成長したことで、この結果になったのでしょう。

 

 

(最後の)ガリラボ卒業式を挙行

昨日、20ゼミ生の卒業式を行いました。

ガリラボで独自の卒業式を開催したのは16ゼミ生の時でした。
コロナ禍が始まったころで、全国で相次いで卒業式が中止になっていたのでした。
特に何か悪いことをしたわけでもない16ゼミ生に対して理不尽さを感じ、ガリラボ独自で送り出そうと決めたのでした。→ガリラボ通信2020/3/13
そして、第1回のガリラボでの卒業式を、後輩の17ゼミ生主催にて開催しました。
(初めての)ガリラボ卒業式を挙行ガリラボ通信2020/3/21

最後となるガリラボ卒業式には後輩がいません。なので、卒業する20ゼミ生自体がその準備もするわけで・・・、1人2役をやりました(最後ならでは、ですね^^)。

卒業式準備中の20ゼミ生(その1)
卒業式準備中の20ゼミ生(その2)
卒業式準備中の20ゼミ生(その3)
卒業式準備中の20ゼミ生(その4)

数日前から行っていた準備もすべて完了。

12:45 最後となるガリラボの卒業式開始
入場前に廊下で待機する20ゼミ生。もちろん、入場する会場には誰もいません。
独特の卒業式ですが、みんな明るい。

後輩がいないため、司会もいません。
が、さすがは20ゼミ生。司会をちゃんと用意していました。
なんと、司会は、式次第を掲示しているPCです!
AI音声による司会進行でした(なんとも現代風 笑)。

4年(20)松本による開式の辞。

4年(20)藤田、徳田によるゼミ旗掲揚。
ブラインドの紐を上手に使ってゼミ旗がしっかり掲揚されました。

卒業式のメインイベント。卒業証書授与。
1人目は4年(20)稲田。ガリラボ卒業生第242号となります。
そして最後の4(20)安田が第253号でした。ガリラボから253人の学部生を送り出したことなるわけで、その番号をみて、たいへん感慨深いものがありました。

次に教員からの式辞&祝辞。
いつもであれば送り出す卒業生には、卒業後もガリラボから応援していると話しているわけですが、もうそれは叶いません。ガリラボという場所が消滅するため、会うことも難しいでしょう。しかし、「みんなには津曲ゼミがある、津曲ゼミのつながりはずっと残るので何かあればそのつながりが味方になってくれるはずです」と伝えました。
そして、ある卒業生がある場所に書いていた感謝の言葉を紹介しているとき、いろいろな思いが込み上げてきてしまい、言葉に詰まってしまいました。
慌てて、卒業生から20ゼミ生にお祝いビデオメッセージを流しました。OG(19)川口が送ってくれたメッセージです(ありがとう)。
そして、昨年の興津会(ガリラボ通信2023/10/9)を主催した卒業生たちが20ゼミ生には素敵なプレゼントを用意してくれていました。全員に「20 Garilab」と刻印されたボールペンを贈ってくれました。
津曲ゼミの「つながり」は強力だと改めて思いました。「津曲ゼミ」は、弱い紐帯としてガリラボの卒業生にかなり力強いものを提供してくれるものと思います。

合唱「旅立ちの日に」
20ゼミ生全員で歌いました。私はその合唱を後ろで聞いていて、不覚にもまた涙が出てきてですね。今までそうしたことはほとんどなかったのですが、最後というのは人を感傷的にさせるようです。


4年(20)坂本と竹下によるゼミ旗後納。
その後、2人から私にゼミ旗が返却されました。

閉式の辞は、20ゼミ生を引っ張っていってくれた松岡ゼミ長からです。
松岡ゼミ長のリーダーシップのおかげでほんと助かりました。

最後に記念撮影。
この人たちとここガリラボで出会い、そしてまたここから送り出すことができて感無量です。



卒業式のプログラムを終えた後は表彰式等
20ゼミ生では活動のいくつかにポイント制を導入してきました。そのポイントの高い順に表彰しました。
1年間のポイントレースを制したのは4年(20)藤田でした。私のイラストの入った表彰状の発案も藤田です。なんとこのイラストもAIを使って描いたそうです。
卒業式の場ですが、若い世代はもう普通にAIを道具として使っていることを実感しました。

そしてひとりひとりから大学生の振り返りと社会人への抱負を語ってもらいました。
学生を終わり、学生であることをアンラーニングし、社会人としてのラーニングのスタートになってくれると嬉しく思います。

記念品贈呈。
贈呈といっても、20ゼミ生自身が手作りした、自分たちへのプレゼントで、卒業アルバムとDVDの2つが記念品となります。

DVDのタイトルは「ひのくに荘殺人事件~明かされる真実~」で、ガリラボのゼミ生のほとんどが経験したワークショップをドラマ化しものです。
20ゼミ生が卒論と並行して卒業制作として取り組んでいました。
並行していたせいで、進行速度はカタツムリ的だったようです。それで最後は、この卒業式の前、合宿をしたとのこと。道場の床に寝袋を着て寝ていたようで、徳田の寝袋姿をあとで見せてもらい驚きました。道場で一晩を過ごしたのはあの「史上最大の迷惑男OB(10)保坂」以来ではないかと思います。笑
最後が実に学生らしく、学生として実によい終わり方でした。

卒業アルバムも並行して作成していて、なんと、これは配布を予定して卒業式にギリギリ間にあったそうです。
表紙を開くと、ゼミ生の写真がでてきます。その後も、楽しいページが続き、やはりゼミで作るアルバムは面白いものです。
実は私も高校時代の(というか、私は高専の出身なので高専時代の)アルバムは手作りで、楽しいページや(今の言葉で言えば「やばい」)ページがあり、あれから45年が経った今見返しても楽しいアルバムです。

卒業アルバムに言葉を寄稿してくれという依頼が4年(20)松本からあり、寄稿したのですが、なんと裏表紙にでかでかと掲載されているではありませんか。驚きました。
硬めのことを書いていますが、もちろんそれだけでなく、明日はどうにかなるというリラックスさも同時に持ってほしいとも思っています。
やるだけやったら、後は開き直り「運を天に任せる」というのがこの言葉の意味だと私は解釈したいと考えてます。



20ゼミ生が最後の私のゼミ生で、そして最後までしっかりと活動してくれたことに感謝しています。
20ゼミ生の人生はこれからが本番。
幸せな人生となるよう心から祈ってます。






夜は新市街にある「月〇」でコンパ。

20ゼミ生との初めてのコンパ(前回は私がインフルで欠席)。ただ、今回も風邪のため前日病院だった私は、セーブしつつの飲み会でしたが、目の前のふたりはまあよく飲む。笑
楽しい飲み会でした。
プレゼントもらいました。見えにくいでしょうが、時計が描かれていて、6時5分をさしています。私の65歳の誕生日に渡そうと思っていたそうですが、間に合わずで・・ということだったそうです。笑
しばし自宅の私の部屋においているOG(15)八並のおばあちゃんからプレゼントして頂いた油絵の前に飾っておきます。