2024年1月30日火曜日

20ゼミ幹部会議/OB(M15)有馬からの差入れ

今日の昼は、(最後のと思っていたら最後は来週になる)20ゼミ幹部会議でした。
4年(20)松岡、松本、江﨑と私の4人で今週のゼミ内容について約1時間ほど打合せをしました。この中で、20ゼミ生で進めている卒業制作の進捗が大丈夫かということになり、今週のゼミでそれについて話すことになりました。
毎回の幹部会議がゼミ進行についての課題発見の場になっているおかげで、ガリラボのゼミはスムーズに進行できていることを改めて理解しました。
さて、ガリラボでは毎回普通に行ってきた幹部会議も残り1回となりました。
最後もしっかりと打合せをして終わりたいと思っています。
 
ところで、昨日、私が不在にしているときにOB(M15)有馬が差入れを持ってきてくれていました。
人間ドッグの帰りだったようです。
ゼミ生が大変喜んでおりました。有難く頂きたいと思います。
 

2024年1月29日月曜日

OG(03)菅原からのシクラメン

廊下に見慣れないものが・・・。メッセージが添えてありました。

OG(03)菅原からのプレゼントでした。
年末に一度持ってきてくれていたのですが、私の都合で「再度」ということになり、今回になりました。


見事なシクラメンです。水差しも一緒にもってきてくれたので、しっかりお世話をしようと思います。

 

2024年1月28日日曜日

講義もそろそろ最終回へ

大学でメインで行っていた講義も次回で最終回。毎回、授業後に満足度等を聞いていますが、例年、特別講義に来ていただく熊日新聞の方の評価が一番高いという結果となります。
それが、前回(第14回講義)、逆転はできなかったものの、僅差に迫る満足度となっていました。比較すべきものでもないのかもしれませんが、つい変なプライドが・・・(笑)。

(とりあえずそれなりに頑張った)第14回講義は失敗をテーマにしたもので、受講生の課題提出後に公開している補足・コメントの冒頭部分は次の内容でした(課題を締め切った後、夜中に推敲なしで書いているものです):

失敗をテーマに、そしてパート3「情報社会のリスクと安全」全体の補足説明の意味も込めて講義を行いました。満足度はこれまでの中でかなり高く、受講生皆さん、興味を持ってもらえたようです。失敗というのは、恥ずかしい、あるいは制裁(責任を取らされる)というのがあるので、なかなか表には出てきにくいものです。もし自分から堂々と失敗を話しているのだとすれば、それは成功につながった失敗だった可能性が高いのではないかと思います。

例えば、現在、学校や職場でのいじめというのがありますが、深刻な場合は自殺などにつながったりして取り返しがつかない結果になったとき、その原因を探ろうとすると情報は隠れたがり、また歪曲したりする可能性が高いように思います。しかし、そうした情報をあえて表に出して、次の失敗につながらないようにしたいというのが、失敗学の本質ではないかと思います。人の死が関わってしまったような場合、膨大な予算を費やしたのに関わらず失敗した場合、福島第1原発の問題、水俣病の問題など、世の中にはその責任が厳しく問われる事例があります。それらの教訓は後世のためには真に財産となる知見になる可能性が高いわけですが、しかしそこで関係した人は口は開かくなくなり(あるいは重くなり)、闇の中に隠れたがる傾向にあるように思います。最悪の場合、口を開くことを恐れ、関係者が自死を選ぶことだって過去にはありました。

ところで令和6年はとんでもない幕開けとなりました。能登地震に羽田空港の衝突事故など、カメラが偏在している今日の情報社会では目を疑うような映像も多く残されるようになり、ショッキングな映像を目にすることになりました。

羽田空港の事故は、当初の報道から時間が経ち、詳しい状況が明らかになるにしたがって単純なミスではなかったことは明らかなようです。ブラックボックスも回収されたようですので、講義で紹介した事故調査委員会による調査結果で最終的に何が起きていたのかは明らかになるでしょうが、おそらくスイスチーズモデルのような状況が起きていたことは間違いないでしょう。

そして能登地震。多くの方がなくなっていますが、まだ状況が明らかではないため、これについては触れようがありませんが、同じく1月に起きた阪神淡路大震災についてはかなりのことがあきらかなっているようです。数千名の方が亡くなった震災でした。目の前で人が亡くなっていったわけで、凄惨な現場であったようです。ひょっとすると助けたかったけれどできずに自分が逃げたという状況があったかもしれません。そうした記憶は思い出したくもない方もおられることでしょう。しかし、震災後、このときことを教訓として後世に残そうと、調査団が組織されました。災害の時に人々がどのように行動したか、そのリアルを記録として残し、後世の教訓とするためです。災害エスノグラフィーと言います。この調査の際、対象者には「30年間は決して表に出さない」ということを約束して本当の話を聞きだしていったそうです。それぐらいしないと失敗情報は出てこないのです。

失敗情報というのは凄惨な現場で生まれるもので、極めて難しい問題を抱えたものです。そのことを私の口頭による説明で十分に伝えることは難しいとは思いつつ、しかし重要な問題でもあるので、あえて講義のテーマとして取り上げました。

今回は218名から課題提出がありました。自由研究の振り返りの方法については154名、失敗情報をまとめた事例について調査報告をしてくれたのが84名でした。

(以下、課題コメントについては省略) 

 

毎回講義が終わったあと、課題を読み終えた後にフィードバックの意味で受講生全体に向けて講義の補足と課題についてのコメントを公開しています。第1回から第14回までのコメントについて、文字だけですが、数えてみると5万文字ほどになっていました。
動画全盛時代の今時に、文字だらけのコメントなので、たぶんあまり読まれてはいないだろうとは思います。それでも何名かは読んでくれている感触を持っているのでそうした受講生向けにせっせとフィードバックしてきたましたが、それも残すところ後1回。
最後は名残惜しさのようなものが出てくるのかと思っていましたが、特にそういうことはなく終わりそうです。
 





2024年1月26日金曜日

20ゼミ~発表への準備&卒アル表紙写真

今日の20ゼミは、2月16日に開催される地域連携型学生研究の公開審査会での発表に向け、次の評価基準を踏まえ

地域連携型学生研究の評価基準
【知識・理解】 研究にあたって地域社会の背景、地域課題を十分に理解している。
【思考・判断】 地域課題の解決へ向けて、創造的かつ現実的な研究方法を選択している。
【関心・意欲】 報告内容から、学生研究として十分な努力が見て取れる。
【 態度  】 発表に向けて、入念な準備が図られていたと感じられる。
【技能・表現】 発表(及び抄録)は、論理的かつ簡潔で、聞き手(読み手)が理解しやすいよう工夫されている。

たまむすびとたま輪の発表するポイントについての検討会を行いました。

たまむすびチーム
たま輪チーム

両チームについての地域課題は何か、またその課題解決に向けた研究成果をどのように伝えればよいかをじっくりと議論しました。
プレゼンの方法(あり方)についても入念に打ち合わせました。今日の議論を踏まえ、2月9日に両チームの発表リハーサルを行います。


その後、20ゼミ生オリジナル卒業アルバムの表紙(?)撮影のため空中庭園へ。
表紙に使う写真は以下となるはずです。

2024年1月20日土曜日

OG(09)3人組の襲来

昨日の夕方の16時頃のこと。
OG(09)市川、村中がやってきて、少し遅れて同じくOG(09)谷が生後3か月(興津会のすぐ後に生まれました)のジュニア(第2子)を連れて来室。

谷は17:30頃に帰っていきました。市川、村中が引き上げたのは19時ごろ。

3時間近くだべっていたわけですが、何をしに来たのかと振り返り、一言でまとめると飲み会の日程調整でした。
3月中旬土曜日に飲み会が決定しました。
それだけのために3時間近くも居座っていったのでした(笑)。

しかも市川は埼玉から駆け付けてのことです。。。orz

もちろん駄弁るため・・というのはジョークで、市川の熊本への帰省の本当の目的は母校「玉名女子高校のニューイヤーコンサート」に聞きにいくためということでした。
今朝の新聞に大きく玉名女子高校吹奏楽部が取り上げられていました。
日本一を継続するというのは、ほんとすごいことだと思います。
ガリラボも2018年「指揮棒紛失事件」のときに米田先生と吹奏楽部員のみなさんには大変お世話になりました。こんなすごい団体に気軽に演奏を依頼したわけで、厚顔無恥ゆえのことですが、思い出すと冷や汗が出てきます。
さて、だべりにやってきた市川は、実はこの伝統ある吹奏楽部で部長を務めておりました。
大したものだと思います。 
 

2024年1月17日水曜日

お饅頭の差入れ

差入れです。


何も言われないと気づかないでしょうが、表示をよくごらんください。
私も後で気づいてかなりきました。

こんなのが売ってあるんですねぇ。びっくりです。

20ゼミ生は卒論以外に並行して、卒業制作を2チームに分かれ行っています。
それぞれのチーム名は「別班」と「テント」。

このお饅頭を持ってきたのは、その別班チームに所属する4年(20)藤田です。
VIVANTが高い評価をもらったことは、他局であるのにかかわらず、昨年の紅白歌合戦の審査員に堺さんが呼ばれていることでもわかります。
視聴者を番組外でも釘づけにし、ネットが主流となった今の時代に、リアルタイムのテレビ放送のひとつの在り方を示した優れた番組でした。
VIVANTが放送されているとき、VIVANT製作者たちの思惑に乗せられ、藤田とはゼミ室で大いに盛り上がってました(笑)。
 

2024年1月16日火曜日

最後のガリラボ卒業式、そして閉ゼミ式の日程決定

今日のガリラボは多くのゼミ生で非常に賑やかでした。
そんな雰囲気の中、お昼のゼミの幹部会議で、 20ゼミ生に対するガリラボ卒業式の日程が決まりました。ちなみにこの日は20ゼミ生だけでなく、私(津曲)のガリラボからの卒業式ということにもなります。

  (最後の)ガリラボ卒業式
  2024年2月20日(火)12時開式

夜は打ち上げならぬお別れ会も実施することになりました。

みんなでワイワイと話をする中で、20ゼミ生が卒業するとガリラボも終わるわけですから、

 20ゼミ生の卒業=ガリラボの閉ゼミ

という等式が成り立ちます。となれば、2月20日は、学校の閉校式同様

  ガリラボ閉ゼミ式(?)

を行う必要がありそうです。

さて、それがどんな内容になるのか。まだ誰も経験したことがないわけなので、今後検討する必要があります。
最後になってまた。新たな創造性を要求されるイベントが20ゼミ生には待ち受けています(笑)。




2024年1月15日月曜日

長く研究室に貢献してくれたモノの廃棄準備

ガリラボ前の廊下から見た快晴の空の下の阿蘇。
昨日の午前中、この写真の左端の方角に黒煙が立ちのぼり、消防車のサイレンがけたたましく鳴り、しばらくするとキャンパスでも煙の臭いが漂うようになり、大学共通テストの真っ最中での出来事で緊張感が走りました。
大学から煙をみたとき随分と現場は近くだと感じましたが、後ほど新聞記事等で確認すると1kmほど離れたところだったようです。

今日は、4年(20)松本、徳田がやってきてそれぞれ卒論執筆、玉名市での発表準備をせっせと行っているようでした。
卒論については第2陣6名の私への提出締め切りが明日(16日)となっています。

2人が作業している間、私も仕事していましたが、昨日の共通テストの監督業務で疲労が溜まっているせいか仕事がなかなかはかどらないため、気分転換に、研究室内のモノの廃棄に向けた片づけ作業をやってました。
2006年から研究室においてあったモノの処分となります(17年間も稼働してたわけで、故障もせずよく頑張りました)。03ゼミ生と私とで折半して購入したモノです。
実際の廃棄作業はもう少し先にやる予定ですが、今日の作業で室内の様子が少し変わりました。
 

2024年1月9日火曜日

編集に奮闘中/卒論第1陣提出締切

朝から4人がやってきてガヤガヤ。
4年(20)藤田、徳田、松岡は卒業制作として進めている映像(ドラマ)の編集を始めたようです。
たいへん賑やかでした。

もうひとり4年(20)松本は卒論をやっているようです。


卒論といえば、今日が第1陣(6名)の私(津曲)への提出締切日としています。
17時現在、提出したのは松岡、大山、安田の順に3人。
残り3人。
今年から規定文字数が半分になったので、全員問題なく書き上げることでしょう。


 

2024年1月5日金曜日

2024年最初の会議

新年あけましておめでとうございます。
残り僅かとなりましたが、どうぞ今年もよろしくお願いします。

さて、新年最初のガリラボの活動は、たま輪とのオンライン会議でした。
1月のゼミが共通テストの関係で1月19日となるため、あまりに間が空くので、その前に打ち合わせをしておこうということで本日の会議となりました。

1時間ほどの打合せで、次のゼミの時までにやっておくべきこと(マップ作り)が決まり、1月初旬が空白の時間となることを避けることができました。