2019年9月30日月曜日

「タマにゃんの写経体験@蓮華院誕生寺奥之院」の撮影

たまがーると朝一番で玉名市役所ふるさとセールス課にやってきました。
恒例になりましたが、いつもの如くしばらく市役所待ち。^^;


ふるさとセールス課と合流し、蓮華院誕生寺奥之院へ。
今日は旬たま(着地型観光)の商品としての写経体験のPR映像を作るために、タマにゃんとともにやってきました。


5重の塔に入り、まずはお参り。タマにゃん、お参りをしているのか、寝ているのかよくわからないですね。┐(-。-;)┌


お参り後、2階に上がって、写経にネコが挑みます。
偶然、他のお客さんと一緒になったのですが、どうも見覚えのある方々ばかりです。


写経を終え、最後に世界一の大きさを誇る「飛龍の鐘」を突かせてもらいました。


この日、お世話になった奥之院の僧侶・川原光照(こうしょう)さんとタマにゃん、そして一緒になったお客さん、そしてたまがーると記念撮影。
写経体験PRに向けて2時間ほどの撮影でした。


 
少し涼しくなったからでしょうが、タマにゃんが無駄に動いて大変でした。
まったくじっとしてない悪ガキ状態でした。orz



<おまけ>
終了後、たまがーるの4年(16)松寺、小島がお客さんの柿添さんをつかまえてインタビューを始めました。卒論に使うためのようです。
連携を開始して10年の意味をつかむための質問をしているようでした。




2019年9月29日日曜日

第13回津曲ゼミ院生会(隆生会)2019開催

13回目を迎える津曲院生会。
今年はM1(19)が幹事となって、昨晩(9月28日)開催しました。
この会はほんと最初にM06小松、黒田と私の3人で、焼き鳥屋で始まったのものです。
それが今は院生だけで24名にも達し、アドミニストレーション研究科の中で、看護管理コース以外ではこれだけの院生がいるのはガリラボだけという稀有なコミュニティです。
その後、途切れることなく津曲ゼミ院生の同窓会は継続してきたわけですが、途中、会の名称を「隆生会」と命名したのはM15が幹事の時でした。
まさに適切な命名だったかなと思います。最近はまさに私の生存を確かめる会に変化してきたようにも思います。


会の場所は、約束の地のようになった
  HERO海(手取本町店)
でした。
開始時刻19時には私以外は集合しており、渋滞で私が2,3分遅れで到着してすぐに最古参M06小松の乾杯の音頭で今年の隆生会は始まりました。
ところで、この日はラグビーワールドカップで、日本がアイルランドに勝利するという快挙の直後だっただけに、お店内も大盛り上がりで、隣の声もなかなか聞こえにくいという印象に残る日となりました。


 
賑やかなお店の中、これも恒例の参加者による近況報告。
この日の参加メンバーは
  M06 小松、黒田、M07山部、M08佐藤、M10松尾、M12大塚、
  M13坂口、M14吉村、M15藤本、M17多賀、M19福嶋、塘添
がひとりづつ近況を語ってくれました。
この会の目的のひとつが、それぞれが私に元気な姿を見せるというのがありますので、この目的をクリアするため、ある時期から始まったひとつの儀式です。^^



ひとり一人が近況を話してくれましたが、まあそれぞれ色々とバラバラで、なんとまあ卒業してからは多彩な活躍をしていることを知ることができました。
なお、早いもので現在県立玉名中学校の副校長の重職を担っているM07山部は来年で定年を迎えるとのこと。
来年度の隆生会は、山部への激励会になるかもしれません。
また、M08佐藤が、私が定年の頃には院生関係者で何か(ちょっと聞こえなかったのですが本だったかと思います)を作ろうと話していました。
有難い限りです。
私自身もひとつの区切りとして、何らかのものをまとめようかなと思っていたので(今のところ、漠然と考えているだけですが)、何か一緒にやれるといいなと思いました。

院生同士での情報交換などで盛り上がった会も21時にはお開き。
最後は痛々しい(内容は控えておきます)M06黒田が締めの挨拶。
そして、黒田からM07山部にバトンが渡り、一本締めで第13会隆生会は終了しました。


賑やかで楽しい会でした。また1年後に元気に再会できればと思います。
たぶんまたこの約束の地で(笑)。




<おまけ>
隆生会の前に、花畑公園で行われたラグビーワールドカップのパブリックビューイングに3人が参戦していました。
日本が、世界ランキング2位のアイルランドを逆転で破るという勝利で、ものすごく盛り上がったそうです。
時間があれば、私も行きたかった(涙)。



2019年9月28日土曜日

今年度の2年ゼミ・3年ゼミ

今年の2年ゼミは1月31日にゼミ全体でグループ発表をしないといけません。
例年通りのスタイルのままで発表ということが難しいので、やり方を変えなければと考えているところです。
 
ただ、簡単には思いつきません。
ひとつ考えているのは、2年(18)伊東が話をもってきた、DaVinci Resolveというソフト
https://www.blackmagicdesign.com/jp/products/davinciresolve/

の修得に向けたプロジェクトを行うのもいいかなと、漠然と考えているところです。
ガリラボのゼミ生であれば、誰でもDaVinci Resolveが使えるようになる(伊東からの提案)というのは確かに魅力的な提案だと思っていました。

DaVinci Resolveを私もインストールはしてみました。
ただ時間的余裕がなくてまだ1mmも触ってはいないのですが、このソフトに大変興味はあります。
魅力は、多人数で協力して編集していける機能が備わっている(らしい)点です。
チームで分担しながら映像編集を行っていくスキルを身につけていくというのは素晴らしいのではないか、と。
共同作業は将来的にも不可欠で、映像をテーマに、実際の企業の現場と同様のスタイルを体験し、2チームに別れて、共同作業のスキルを身につけることをやってみようかと・・・とりあえず現段階ではそんなことを考えているところです。

ただし、そうしたプロジェクトを始めたとき、このソフト、高機能ゆえに果たしてゼミ生全員がモチベーションを失うことなくついてこれるかが一番気になるところ。
優れた形のプロジェクトをデザインしなければ・・・

3年生も同様で、3年生は最終的に書籍という成果を出すプロジェクトを進める予定ですが、その題材をどうするか。
これも難問は、全てのゼミ生がモチベーションを失わずにやれそうなテーマをどう見つけるかです。
10月中ぐらいには結論をだしていかないといけない。

何でもそうですが、最初の企画が重要。
走り出すため、走り出したくなるような企画を考えるのが大切。
一度走り出せば、企画は随時修正しながら、もっとも適したものに変更を加えていくつもりです。
あるところで、確定させて、確定したらそのゴールに向けてわき目もふらず走るだけです。
 



2019年9月27日金曜日

後期授業の開始

9月ですが、令和元年の後期授業が始まりました。
金曜日が初日となったので、4(16)・3(17)・2(18)年生のゼミが3連続でありました。
2限目、4限目、5限目です。
合間には打ち合わせもあるので、金曜はかなりハードな1日になります。

2限目の16ゼミ。
4年生は8・9月も頻繁に顔を会わせていたので、久しぶり感はありません。
なお、後期は4年生にとっては学生最後のゼミの期間となります。
初日の今日は盛沢山でした。



4限目は3年(17)ゼミ。ここも初日は盛りだくさんです。
ただ、今日は2名がインターンシップで不在。
インターンシップは昨年とも随分と性格を変えてきているように感じます。
就活のスタイルが、以前とは一変しそうです。

まずは、夏休み中に自分に課していた課題の発表を行いました。


その後は白亜祭や興津会、そしてガリフェスの実行委員会から状況報告をしてもらい、初日は終了。
時間ギリギリになり、3年生は急ぎ次の授業に向かったようです。
新カリキュラムに変わり、時間割が随分と変化してしまい、ゼミの後に授業が入ってしまったので、非常にやりにくい。なので、みんなの都合の良いところへ移動しようかと考ええています。現在の最有力候補は月曜の4限目だそうです。


3年生のあとは2年(18)ゼミです。が、2年生は情報コース合同であるため、内容については省略します。
11月に入ってからガリラボとしての活動を始めます。
今年はやり方をかなり変えようかと思っているところです。
思っているだけで、まだ何も考えてはいませんけど。^^;


<おまけ>
4限目に、読み進めていた新書をようやく読了。 
本当は読まないといけない本があるのですが、そっちは難解なため、ついつい読みやすい方を先に読んでしまうという・・・。
意思の弱さを痛感します。
その新書の最後に、次のガンジーの言葉が引用されていました。

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。(ガンジー)

これは、行動していくことで変わらない自分を維持できると意味だと思いますが、「不易流行」とか「赤の女王仮説」とか、そういったことガンジーも皆に伝えているのだと思いました。
自分の外に向かって強く働きかけていくことが自分という存在を維持していくために重要なのだという意味だと解釈したいと思います。
考えさせられます。



 

2019年9月26日木曜日

OB(08)松永の置手紙/後期開始前の大掃除/OB(13,M17)多賀の来室

朝、ガリラボにやってくると机の上に置手紙がありました。
OB(08)松永です。昨日(ガリラボ通信2019/9/25)やってきたときに書いていったみたいです。


午前中、たまがーるとArtractと打ち合わせを終え、午後には私は来客の対応しておりましたが、ゼミ生たちは有志で道場と研究室の掃除をしてました。
明日からの後期の備えるためです。
色々と都合はあるでしょうが、自分たちが活動する場の整理整頓はすべての基本だろうと思います。
自分たちの環境は自分たちで作り・整備していくのが「自律」ということ。
そうしたことができるのが自律した大人であり、環境を整備してもらい利用するだけでは自律からはちょっと遠い。
終ったのかなと思い、道場を覗き、カメラのシャッターを切ったら、たまたまでしょうが4年(16)小島と松寺がさぼってYoutubeを見ているところでした。
たまたまだったのだと思います。


本日の大掃除参加メンバー。学年を越えたメンバーです。
 2年(18)高田、中山
 3年(17)岩奥
 4年(16)川上、荒木、小島、松寺、岡林、大友、岡部、大塚


掃除中。

掃除中。

みんなちゃんと掃除をしていたようです(掃除の様子は4年(16)川上より)。
私がさぼっている小島と松寺を撮ったのはやはり「たまたま」だったようです。^^;
終了後はみんなでお茶会をしたようです。仲良くなったのではないでしょうか。

  
  
 16時、OB(13,M17)多賀が顔を出しました。
夏季休暇をとっての久々のガリラボ。3月に卒業して以来だと思います。
純粋な社会人となっての来室。
が、まだ半年なので院生のときとほぼ変わらず、学生の雰囲気をたくさん残しているように感じました。
その後、18時からM1(19)福嶋、塘添とのゼミにもそのまま参加して、ずっと話を聞いておりました。
思えば、多賀は随分と成果を出し、特に院生2年目は新社会人となってしまい、新人であたふたしていたはずですが、その中で修士論文を書き上げたわけで、非常に優秀でした。



上の写真を撮った時、フラッシュを使ったのですが、そのフラッシュで写真を撮ったことに気づいた4年(16)小島が怒り出しました。
「どうして、私を撮らないのか!」という怒りだったようです。
仕方ないので、もう一度撮りました。orz


ところで、昨日、中間報告会発表用の小島の概要を添削したのですが、バスの中で2時間近く悪戦苦闘。
これはどうやれば添削できるのだろうかと、しばし腕組み。
小島には、私の添削能力をたいへん鍛えさせてもらっています(涙)。
  
 

2019年9月25日水曜日

OB(08)withDの来室

私は不在の際、OB(08)松永がやってきたようです。
長女を連れて。


20分ほど滞在したようですが、その間、お絵かきなどをして(させられて?)いるようです。


写真は4年(16)川上ゼミ長からのものです。
川上曰く「癒されました」とのこと。
私もそう思います。OB(08)松永とは似ても似つかぬ可愛い子です。


<おまけ>
バスの中から見た福岡天神の屋外広告。
これまで何度も見ていたはずですが、今日初めて、意味として頭の中に入ってきました。
ただ、読んで、ちょっと考えましたけど。
読んで、少し経ってから、人をニヤリとさせる。
レベルが高い表現です。
それにしてもこの広告、どういった人たちをターゲットしているのでしょう。
楽しませることで人に意識してもらおうという作戦でしょうか。




2019年9月24日火曜日

4年(15)園部の卒業/ガリフェス夏

3月にあえて卒業せず、居残りを決意し、就活をやりなおした4年(15)園部。
希望する就職も決まり、本日、めでたく卒業することになりました。
9月卒業式が終わった後、ガリラボに顔をだした(15)園部です。
メデタイ。



12:30からガリフェス夏。

午前中、準備していたプログラムや対戦表。
どういった内容でやるのか、また何時に集合なのかといったことを、全く聞いておらず、果たしてどうなるのかと思っていました。

そのハラハラを提供してくれたのがこの男4人からなるガリラボ体育委員。
3年(17)松本、稲富、西、松原です。


始まったら順調でした。冒頭、私からも挨拶(その後、所用で残念ながら退室)。


アイスブレークは、お絵描き伝言ゲーム。4チームでの競争です。

最終プレイヤーがお絵描き伝言でもらった絵が何のか当てるわけですが、変わり果てた絵になっているチームもあり、最終プレイヤーは非常に困っていました。笑
なお、レクレーションには、本日卒業した4年(15)園部も参加。ネクタイをしているのが園部です。


レクレーションはドッジボールとバレーボールの2つ。


2つの競技のはずでしたが、最後にはバスケットボールまでやったということで、臨機応変にやったようです。

ガリフェスを終えて、2年(18)、3年(17)、4年(16)、そして院生(M1)の面々。


アイスブレークが終わると退室したので、その後の様子は体育委員ではなく、4年(16)川上ゼミ長が知らせてくれました。
その川上ゼミ長から次の感想をもらいました。
-------------
最初のアイスブレイクから大盛り上がりで、良い雰囲気でガリフェスを行うことができました!
特にお絵かき伝言ゲームでは途中から違う絵になってしまうチームも多く、学年を超えて盛り上がりました^^

その後のドッジボール・バレー・バスケも、運動神経が良い人がとても多く、接戦の試合がほとんどでした…!
3・4年生やだけではなく、2年生も積極的に声を出してくれていたのも良かったです^^
(みんな声を出している中でも圧倒的な声量を誇っていたのは、みほちゃんとしのぶちゃんでした😃)
そして休憩時間もバレーやバスケをしている人が多くて、私もその体力を見習わないといけないなと思いました^^;

今日16〜18ゼミ生・院生の中を深めることができたので、今後のゼミ活動でも縦の繋がりを大切にしながら活動していければいいなと思います!
----------------

楽しかったようです。
さて、夏が終わり、次は秋。
体育委員の仕事は秋が本番となります。
ガリフェス夏の場合は、ホウレンソウがなくても、極々内輪でやるものなので、見逃していましたが(笑)、秋は違います。
秋については、何をやるのか、どういったテーまでやるのか、事前にピーク・エンド理論を踏まえた綿密なイベントデザインをしてほしい思っています。
それこそ(15)園部が体育委員長の時には「前例のないガリフェスにせよ」との指示をだして大変そうでしたが、しかしその分、かなりの支援もしました。
ガリラボで行うイベントは、基本的に、イベントデザインの勉強を兼ねています。
実行委員が「イベントづくりとはこうやるのか」を学ぶ場です。
これまでのことをただやるだけであれば(前例踏襲主義。何も頭を使わない人たち)、ゼミとして行う価値は半減してしまいます。
ゼミでイベントを計画するとき、イベントを作り上げていくため作法をきちんと学ぶこと。
ホウレンソウは徹底すること。
そうしたことができない場合は、最悪・・・・ということも考えています。
 

<おまけ=初耳>
先週末、豪雨の宮崎での研究会のときに買ってきたチーズ饅頭。
「チーズ饅頭のはじまりどころ」とあります。
ウィキペディアには確かに1980年頃、宮崎が発祥の地とあります。
宮崎には1994年まで住んでましたが、知りませんでした。


2019年9月23日月曜日

今後の自治体職員に求められる能力

高知県が「#田舎暮らしは甘くない」というサイトを作成し、移住者に向けたメッセージを発信していることを日経新聞で知りました。
次のサイトです。
https://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/inaka-amakunai/

都会の常識(文化)と田舎の常識(文化)はかなり違うため、その違いを乗り越えられることができず、(夢破れ)また都会へと戻ってしまう人たちがいるようです。
限界集落に近い田舎で育った私としては、そのことが肌感覚で理解できます。

高知県のサイトはそうした不幸な出来事をなくそうという意図で作られたもので、方法として「段階的移住」というものを考案し、勧めるものでした。

上記サイトにある動画「#田舎暮らしは甘くない【こうち二段階移住PR動画vol.2】」は9月11日に公開され約2週間ほどですが、なんと10万回も再生されています。
興味関心の高いテーマなのだと思いました。
情報発信に実際に携わってみるとわかりますが、10万回再生とか、私たちから見ると天文学的な数値に思えます。orz


高知県では、それ以外に田舎暮らしのリアルを知るためのツアーなども企画されているようです。
TURNSツアー高知 https://turns.jp/30210?_fsi=9KgMdKCM

日本各地の自治体で、色々と知恵を絞り、色々と多様な企画を実行されているようです。
自治体職員の知恵比べ、行動力比べですね。
こうした動きを見ていると自治体にはクリエイティブな職員さんが必要なことがわかります。
ちょうど今朝の熊日朝刊に自治体とAIについての総務省の記事が掲載されていました。
赤い枠で囲んだところの今後の自治体職員の仕事のイメージが描かれています。
一般の人たちが思い描いている公務員像とは随分と異なっているのではないでしょうか。


 
さて、大学も全く同様で、競争は激化していくでしょう。
特に国公立と私立の境目が小さくなっていく将来においては激烈な競争になっていくことが目に見えています。
しかし、そうしたことに無頓着でいる人も多く、そうした人たちはおよそクリエィティブとは無縁そうです。
昔、「タコツボ」という丸山真男の言葉がよく使われた時期もありましたが、今はもうそうした言葉を使う人もほとんど見かけることもなくなりました。
そうした言葉を使える場も少なくなってきて、目に見えて役立つような「ケンキュウ」偏重で、真摯にそして誠実に物事に接していくような「ガクモン」からは大学においても随分と距離が生じているようにも思えます。
クリエイティブであることを目指すとき、それはまずい事態ですね。


  
 
 

2019年9月22日日曜日

誰からのメッセージだろう?

本日は自己推薦入試の2日目。面接の業務でした。
高校生を面接して、もやいすとのことを全員が話すのに驚きました。
高校にはかなり浸透していることを実感しました。
本学の特徴的な取り組みになっていますが、外部からの認識に比べると、学内においてはその本質的理解にはなかなか至っていないのかもしれません。

ということで、入試業務で出てきてガリラボに到着してびっくり。
次のメモが置いてありました。
クレヨンで書いてあります。
もうひとつメモがありますが、こっちは開けてはみせられません。
誰からのメッセージでしょう。
手書きを見ることがないので、どうにも予想がつきません。
犯人(?)探しは休日明けから開始したいと思います。笑


ところで、その宮崎では3つの奇跡のような遭遇があったことは昨日のガリラボ通信でお伝えした通りです(ガリラボ通信2019/9/21)。
次は奇跡ではありませんが、思わず写真を撮りました。
「すみません回送中です」と表示して走っているバスをみました。なんでもたまに「すんません回送中です」というのもあるそうですが、それはレアものらしく見つけるのは至難の業だとか。
腰の低さは宮崎特有かもしれません。私はその宮崎で生まれ育ちましたので、宮崎の方々の「腰の低さ」はよく理解できます。そんな方が多いところです。


これに対し、次は熊本のバス。粋な表示です。
ただ、宮崎のバスの「腰の低さ」を見てからは、ちょっと見方が変わってしまいました。
宮崎県内でこうした表示でバスが走っていたら、宮崎の人たちはどう反応するでしょう?
反応が見てみたい気もします。^^;

https://twitter.com/1at1n/status/1171689988032847872




2019年9月21日土曜日

3つの奇跡的(?)遭遇@宮崎市

今日は午前中、宮崎駅そばにある会場で研究会でした。

泊まっているホテルを出ようとしたら、ものすごい豪雨。
外に出てたまげました。
とてもではないけれど、歩けるレベルではありません。
昨日、宮崎の有名なお菓子「なんじゃこりゃ大福」(のポスター)を紹介しましたが、その表現がほんと妥当するような「なんじゃこりゃ」状態でした。
道路はほぼ池!
徒歩で会場まで15分ほどでしたが、歩いていくのはほぼ不可能でした。
 
後で気象庁のホームページをみましたら、この時間帯、時間雨量120mmだったようです。
なかなか経験できそうにもない豪雨です。
それを旅先で経験するとは・・・ orz
豪雨との悲惨な遭遇でした。

やっとのことで会場に着くと、受付付近で「津曲先生」と声をかけられました。
顔を見ると、なんか見覚えのありそうな・・・。
記憶をたぐると25年前に高専の教員時代に教えたことのある学生でした。
今は長崎の大学の教授で、数年前に東京の大学から長崎に異動したとのことでした。
25年ぶりの再会。
しかも宮崎で。
いや、ほんと驚きの遭遇でした。


研究会が終わり、帰りのバスに乗り込みました。
帰る頃は雨は上がってました。
バスはネットで予約していたのですが、座席指定の隣の席はなんと山田先生。
あんなにたくさん座席があるのに、まさかとなりが山田先生とは。
驚きました。
最近は会議でも会うことがなくなったので、久しぶりに隣合わせになったのは色々と話をせよということだったのでしょう(・・・と勝手に判断しました)。
熊本までの3時間。ずっと話をしながらの道中でした。
周囲はうるさかったかもしれません。^^;
が、久しぶりに色々な話ができて狭いバスの中での3時間はあっという間でした。
有意義な時間をもらえた遭遇でした。
 
 
ガリラボのゼミ生との接触は今日は特に何もなかったので、以上、本日は3つのちょっとした奇跡的な遭遇についての私個人に関する記録でした。




2019年9月20日金曜日

「災害のあった前日のことを思う」ということ@宮崎市内

熊日紙面がネットで閲覧できるようになって、即日、申し込みました。
料金はプラス300円ほど。
非常に便利です。
不在の時も外出先で目を通せますし、何より見逃した記事が過去1ヶ月分は閲覧できる点もいいですね。
誰かと話していて、「一昨日の記事だけど・・」となったとき、それを読んでなかった時、紙媒体だと家に帰りってから家探しとなり苦労してました(まとめておいてありますが、チラシは入り混じっているし、そしてなぜかおいてある上から順に日付通りになってないのです、我が家は)。
ネット閲覧では、検索機能があるともっと良いのでしょうが、ついてません。
そこは我慢。

前の記事を改めて眺めていて9月1日の次のコラムを発見。
読み飛ばしていました。
この方のコラムはいつも興味深く拝見しています。
ただ、なぜかこの時は読んでませんでした。
この回も興味深いものでした。


災害の日ではなく、災害の前日に思いをはせようとの提言が書かれたコラム。
読み、その考えに強く共感しました。
そして、この方の他者を思いやられる優しさにも心を打たれます。
学生と接していると、こうした心を持ったゼミ生にはよく出会います。
しかし、大人になると、特に周囲では、利害が交錯しているからでしょうか、こうした優しさの持ち主に出会うことはなかなかありません(自分自身も含めてです)。
唯一例外は、2年前までお仕えし、テニスでもよくご一緒させてもらった五百旗頭前理事長でした。
五百旗頭前理事長ほどの人格者に出会うことはそうそうないのではないかと今でも思います。
他者に対する態度を学ばせてもらいました。
ただし、実践はできてません。しかし、いつかはあのようにできるようになりたいという想いだけはまだ持っています。


上のコラムでも出てきますが、災害といえば熊本で忘れられないのは平成28年熊本地震。
そして、その前日に何をしていたのか、ガリラボ通信を開いてみると、ガリラボでは玉名市との打合せが行われていたようです。
ガリラボ通信2016/4/14
賑やかな打ち合わせでした。この時、直後にあのような大地震に見舞われるなど誰も思っていなかったでしょう。
ついでながら、東日本大震災の前日もどうだったか見てみると、
ガリラボ通信2011/3/10
という具合で、私は東京におりました。
まさかその翌日に大震災に発生するなどもちろん思っているはずもなく、何事もなく羽田から熊本に戻った来ました(1日遅れていたらどうなっていたのでしょう)。


本日は研究会があり宮崎に来ています。
南海トラフによる大地震が発生した場合、宮崎は甚大な被害の発生が予想されています。
宮崎は私の故郷でもあります。
明日も何事もないように!
と、旅行者として来ている今はやれることは、そうして祈ることぐらいしかできません。




 
宮崎市内に足を運ぶのは大学が法人化した頃に派遣されて講演のために訪問して以来のこと。
宮崎に住んでいた頃はよく来ていたのですが、とりあえず十年ぶり(?)ぐらいの宮崎市内はあまりの懐かしいものでした。
ついつい、カメラを片手にひとりでまち歩きた。
OB(M06)黒田、OB(M08)佐藤、玉名市の平野さんなどが始めた写真を撮りながらのまち歩き行動は今はもう体の奥深くに入り込み、無意識にそう行動する習性になっております。^^;