2019年9月14日土曜日

秋よそろそろ/09ゼミ生の結婚披露宴

カチリ
石英の音


この詩はよく読んでいるブログで知り、それから、井上靖文学館にも次のように井上靖の言葉で紹介してあることを知りました。

―カチリ
  石英の音
  秋

中学三年の時、友人からこういう自作の詩を見せられたことがある。それから六十余年、私はついにこの詩から自由になれないでいる。秋になると、どこからか石英の触れ合う音が聞えてくる。その友はとうに他界したが、秋になると、両手に石英の欠片を持って、どこからか現われてくる。
 一九八四(昭和59)年1月1日発行『すばる』新年特大号に発表。
詩集『シリア沙漠の少年』、一九八五(昭和60)年8月、教育出版センター収録。
http://inoue-yasushi-museum.jp/kotoba/1410.html

たった3行で、秋の澄み切った情景を表していて、なんとも味わい深い詩です。

暦の上ではすで秋のはず。
しかし、日中はいまだに連日の暑さ。
そろそろ暦通りの季節に切り替わるよう、秋のスイッチを「カチリ」と入れてほしい。


今日は09ゼミ生の結婚式でした。


桜町のオープンイベントも本日で、熊本市にとっても記念すべき日に結婚式を挙げたのはOB(09)志柿です。

乾杯の音頭をとらせてもらいました。


集まった09ゼミ生たち。
元気のあった(ありすぎた)代でした。特に女子学生。あまりに元気がありすぎるので、虐げられていた男子学生たちが立ち上がるために「男飲み」が始まったのですが、もうそれも歴史の中に埋もれた過去となりました。
元気の象徴であったゼミ長・村中と鬼の会計長の谷(森田)。笑

その隣は本多と中島。

そしてその隣が、09ゼミ生で活発に地域活動を展開したきくりん人のメンバーの中島、松崎(現・緒方)と緒方(緒方夫妻となりました)。

そしてまた、その隣にいるのが市川。


この市川が、ほぼゴジラの如くガリラボ内でわがもの顔に君臨していたのです。
白亜祭の実行委員会でも企画長で怖い存在だったようです。
最近のゼミ生だともうわからないかもしれませんが、この当時、「いっちー」というと、誰も逆らえないという感じでした。
(私に対しても厳しかったぐらいです。なお、いっちーだけでなく、同じぐらい村中ゼミ長や谷会計長もそうでしたが・・orz)
ちなみに、玉名女子高校の吹奏楽部の部長をやっていました。最近、玉名女子に出かけ、吹奏楽部のあの厳しい練習を見たせいか、君臨していく理由がよくわかりました。笑


集合したきくりん人。
3年の時から2年間、菊陽町をフィールドに活躍したメンバー。
かなりの活動でそしてかなりの成果も出したので、それをまとめ、4年の最後には100ページ近い報告集を出版するほどでした。


エンディングに近づくと、感動してゼミ長は涙しておりました。


この日集まった09ゼミ生たち。
ほんとに元気があり、ガリラボを拠点に様々な活動を展開した09ゼミ生たち。
09ゼミ生たちが今現在も続くガリラボの文化の多くを築いたように思います。

卒業してもう7年目。みんなあまり変わってはいない。
ただし、それは見た目だけで、みんなそれぞれの職場でかなり責任のある立場になっていました。活躍ぶりを聞き、驚きました。
やっぱり学生時代に活躍している人たちは社会人になっても活躍していくようです。



2次会も賑わったようです。次の写真を村中ゼミ長が送ってきました。




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