2017年1月31日火曜日

13ラストゼミ会議(77回目)

またひとつ終わりました。今日は13ゼミ会議のライトでした。2年生の時から
数え77回目でした。
77回も次の4人と一緒にゼミの運営について「あーでもない、こーでもない」と打ち合わせを
続けてきました。
その積み重ねが13ゼミを方向付け、13ゼミの色がクリアになっていたったのでした。
私の思う13ゼミとは、多様なタレントの揃った  旅芸人一座 でした。笑


そのことについてゼミ会議の最後にコメントしたのですが、そのことを副ゼミ長4年(13)松崎が
さっと議事録で次のようにまとめてくれていました。
エビフライのシッポの話を久しぶりにしました。見事なシッポを持つ4年(13)塚田ゼミ長の
存在が13ゼミの大事な特徴であったと、そんなこと話したようです。
もちろん、誉め言葉です。^^;


毎回、その日に議事録を送ってくれる4年(13)松崎。議事録が添付されたメールには
次のメッセージがありました。

  今日でゼミ会議は終了しました。計77回、あっという間でしたね。毎週ゼミ室の
  真ん中のテーブルで、5人でわいわい会議していた時間が無くなると思うと、か
  なり感慨深く、また寂しいです。
  私自身、幹部に入ってから、毎週の議事録を残してきましたが、記録の重要性を
  実感しただけでなく、13ゼミがどういう動きをしてきたか、いつ何をしたか、先生は
  なんておっしゃっていたのかパッと思い出すことができて、今では得した気分です(笑)。
  毎週のゼミ会議、週に1時間程度でしたが、この時間がたくさんのものを生み出しました。
  何気ない会話も、爆笑の連続だったことも、ただただ懐かしいです。もともとの意義は、
  ゼミの運営を行うことでしたが、私にとって、それ以上に、幹部や先生、周りに座っている
  みんなとのコミュニケーションの場でした。
  本当に楽しく、にぎやかで、13ゼミがきちんと前を向くような会議になったのも、みなさんの
  おかげです。心から、ありがとうございました。
  いつかまた、幹部と先生の飲み会もしましょうね♪

形のないものにカタチを与えていくのは言葉です。言葉が、それにカタチや意味を付与
していきます。
あーだこーだと適当に議論したことを松崎が言葉にして、そこにゼミ会議と言う形を
作ってくれたのでした。
毎回、終わったらその日のうちには作成し、送ってくれていたので、非常に助かりました。
また、議事録に添えられたコメントが毎回楽しみでもありました。

思うに、こうした作業を通して、松崎の言葉の力はかなり鍛えられたのではないでしょうか。
最初、議事録をすぐに送ると宣言していましたが、それを最後まで実行したことは素晴らしい。
実に優秀でした。
 
松崎の議事録の最後(上の画像)に次回のゼミ会議の予定が書かれていません。
次回の予定がない。ラストとは寂しいものです。

終わって、幹部の4人からメッセージと何故かチーズケーキのプレゼントをもらいました。
なお、会計4年(13)飯沼からのメッセージにあった最後の「大人になります」には吹き出しました。^^



さて、明日はいよいよ最後の13ゼミ。13ゼミ生の締めくりくりとなります。
13旅芸人一座の最終公演「ガリラボからの脱出~消えて証書と13の危機」(120分)を
楽しみにしておきたいと思います。


 

<おまけ>本日のガリラボ(14:30頃)
締め切りの迫る2・3年生もいて、この時、全部で16名が狭いガリラボにひしめいていました。




2017年1月30日月曜日

もやいすと2016ラスト/15ゼミ会議/Hope+の取材

本日は今年度大変な苦労をして続けてきた「もやいすと(地域・防災)ジュニア育成」
プログラムの最後の講義を行いました。昨年末12月24日発表会をしましたが、最後に、
この授業全体としての意味付けをやってから終わろうと思いました。
大ホールに集合した地域ジュニア。

中ホールに集合した防災ジュニア。堤教授とIR室(OB(M08))佐藤が担当しています。


もやいすとジュニアは、まだ専門性を持たない1年生が集合して、知恵を絞り、
またフィールドに出て体も使ってグループで課題に取り組みました。
多くがまだ専門性を持たない無色のメンバーが集まったグループだったわけです。
ただこれだけでは何かやっていくには弱すぎます。
無色すぎます。
強力に問題解決を進めていくには専門性を持った人たちが集い、専門家集団で
立ち向かうのが良さそうです。
1年生は、今後、専門性を身につけていく人たち。
iPS細胞同様です。可能性に満ちている。

これから上学年にいくのに従って、きちんと専門性を身につけていってほしいと伝えました。
それが自分のためになるわけですが、それ以上に、バラバラの専門を持った人たちが、
将来、集ったとき、そしてそれが学生時代に同じことを経験していた時、それは強力な力に
なって、自分のため、友人のため、さらには地域のためにと、繋がっていくでしょうから。
社会学が明らかにしてくれたように、「弱い紐帯」というのはかなり強力な力を発揮します。
「もやいすと」という授業は、将来、専門性を持った人たちを地域においてつなげていく役割を
担う、この授業自体が「もやい」の意味を持ったものではなかったかと思います。
専門を異にする人たちが、大学の時に一緒に何かやったことがあるという経験は、将来にお
いてこそ大事だと、そうしたことを打合せの時に佐藤らに話していたら、佐藤が、次のセリフを
見つけて来てくれました。
まるで我が大学の「もやいすと」の授業のために考えてもらったフレーズではないかと思う
ぐらいでした。


以上のようなことを最後の授業で伝え、7月から続けてきた「もやいすと2016」は終了しました。
この地域で将来活躍していくであろう520名の人材の頭又は心のどこかに、共通の意味を刻み
込めたのではないかと思っているところです。

520人もの学生に対するこの困難な講義を実現するため、長い間一緒に闘ってきた教職
員5人で、戦いを振り返るため、今日はこれから(18:30)、外にでかけてきます。^^;


お昼、15ゼミ会議を開きました。
議題は今週最後になるゼミの内容をどうするかです。まだ慣れていないので、話し合いが
ぎこちないですが、とりあえず、やるべきことは決まりました。
また話の中で15ゼミ生には春休みの宿題を課すことも決まりました。宿題を通して、自分に
リズムを埋め込み活性化させ、時間がたくさんとれる休みを有効に利用するための企画です。
随分前、09ゼミ生ときには「春休みの友」というのを作ったように思います。こうした企画は
もちろん、アイデアウーマンだったOG(09)森田(谷)(=当時、鬼の会計長でした)が考えた出
したように思います。
15ゼミ生もドシドシと企画を考えだし、大変だけど、楽しい&充実したゼミになっていくと良い
かと思います。それは自分たち次第です。
<お土産>2年(15)藤川からの博多土産です。



お昼前、Hope+が益城町の屋台村の方の取材ができたようです。
3年(14)谷口、塚田、秋山の3人で取材してきたようです。
詳しい話は聞いていませんが、今日の取材からまた別の方を紹介してもらった
ということでした。
少しづつですが、先に進んでいるようです。

 
ここ最近話題にしていたM2(15)福永の修士論文がとうとう完成しました。
背水の陣状態で挑んだ修論は第6稿で完成となりました。
5万文字修論を6回ほど読み、添削したことなります。
専門性が強くなっている内容なので、高校などの学校現場では恐らく誰も読めない
代物になっていますが、内容は非常に素晴らしいものに仕上がりました。
人間、切羽詰まると難局も乗り切っていくものだと、感動しました。笑
 


2017年1月29日日曜日

偶然を計画的に作り出す(4001回目の投稿&600回目のコラム)

暖かい1日でした。冬の中休みですね。

本日もCoho'zuの書籍化の原稿添削に明け暮れておりました。
本日までに取材した18人分(約12万文字程度)添削を終えました。
添削を終えた原稿はすぐに4年(13)飯沼に送っています。
飯沼らのCoho'zuが添削した原稿に、大津町役場から提供してもらった
震災関連の写真群から適切なものを探し、組み込んで、取材したご本人
確認用用の原稿として仕上げています。
飯沼も、今日も作業していたようです。今日だけで7時間ほど作業をしていた
ということでした(「もう帰ります」とのメールが先ほど届きました)。
企画を立ち上げることも大事ですが、その企画を具体的に実現していくのは、
飯沼のような地道な作業があってです。こうした経験をたくさんしてきた飯沼は
仕事場では有能な人材としてきっと重宝がられるだろうと思います。
 

ところで、私がキャリア形成論という授業を担当するようになってもう8年に
なります。
この授業を担当するようになって、それまで全く知らなかった未知の領域を学ぶ
ようになり、そのおかげで、それまでだったらあり得ない領域の本を読み、そして
経験をさせてもらうことになりました。
振り返ると、この授業を担当するようきっかけは、全くの偶然でした。
当時の学長の勘違いによるものでした。
どういった勘違いであったかは省略しますが、キャリアのこととか何も知らない
無知の私でしたが、勘違いからきた依頼を受諾したのです。
まあどうにかなるだろうという根拠など何もなりませんが、自信のようなものが
あったのかもしれません。
それから、キャリアセンター長を引き受けることになり、そこからまた今の私にも
繋がっています。

キャリアとは、自分で計画・設計して作り上げていくもの。
その側面はもちろんあります。だからキャリアデザインという言葉を使っています。
計画がないことには前に進むものではないでしょうから。

だけど、キャリアをつくっていく過程は、それ以上に偶然による側面もあるだろうと
思います。
私の乏しい経験でもそうでした。

こうした偶然性を考慮したキャリア形成の理論があることを本日知りました。
計画的偶発性(プランドハップンスタンス)理論というのだそうです。
この理論によれば、個人のキャリアの8割は予想しない偶発性によって決定される
とのことです。

偶然ということは、自分で何かできるわけでもないわけです。
そうなると、ただひたすらその日の空気に任せて生きていくしかないようですが、
そうでないとこの理論を提唱したクランボルツ教授は言います。
偶然性を計画的に起こせば良いのだと、ちょっと形容矛盾しているようことをおっしゃいます。
要するに積極的になれということなのですが、それを実践するために同供述は次の5つの
行動指針を提唱されています(参照)。
(1)「好奇心」 ―― たえず新しい学習の機会を模索し続けること
(2)「持続性」 ―― 失敗に屈せず、努力し続けること
(3)「楽観性」 ―― 新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること
(4)「柔軟性」 ―― こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること
(5)「冒険心」 ―― 結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと

なるほどその通りだなと思えるものばかりです。
そして、ガリラボでよくゼミ生に話している内容ばかりだなとも思いました。

理論と言うよりも、精神論に思えますが、騙されたと思ってこの行動指針に従って
行動していくのも良いかもしれません。
それによって将来素晴らしいキャリアが待っているかどうかはわかりませんが、とりあえず
何か変化はしていきそうで、自分の人生がワクワクするものになっていくのではないでしょうか。
 
人生を楽しく生きていけそうです
 


これで4,001回目の投稿、そして600回目のコラムとなりました。

 



2017年1月28日土曜日

4000回目の投稿~継続できたのは熱量の高いゼミ生たちのおかげです

4年(13)生は全員が卒論を提出し、M2(15)の2人もひとりは提出し、もうひとり福永もここ数日の
頻繁なやりとりで本日どうにか修論を完成できる目処が立ちました。メデタイ!
福永は完成が遅れてヒヤヒヤでしたが、しかしギリギリまでやっていたからでしょうが、非常に
熟成され、実に味わい深い内容に仕上がっており、そのことをコメントとして添え、午前中に添
削した論文を返却したところでした。
最初にもらった第1稿は修論としては読むのに値しないようなものでした。眺めてすぐに添削す
ることなく返却したのです。しかし、人間、背水の陣の追い込まれると、変わるものです。
本日もらった5稿目も添削はしておりません。ただし、今度はもう添削する必要がないほどに
完成度が高くなっていて、非常に素晴らしかった。感動さえして、通読しました。良い論文です。

そろそろ1月が終わります。平成28年度も最終コーナーとなりました。

年度の最終コーナーというより、大学生活の最終コーナーを迎えている4年(13)生は来週の
水曜日がラストゼミになります。
13ゼミ生にとって2月1日が13ゼミ生の大学生としての最後のゼミになるので、どうせならば、
「日本一、いや世界一のゼミを計画してみろ」と話していました。
そうなると俄然燃えるのが13ゼミ。演劇集団です。
持っている知恵を絞るだけ絞ったようです。
そして、昨日も午後から、ある手紙を作るだけにすべて捧げたようです。で、夜、21時ごろ、
廊下でチンベルが鳴り、
  こんちはー、タガ郵便です
と4年(13)多賀が入ってきました。
  つまがりさんに届け物があります
とのこと。
私の誕生日、卒論発表会後のパーティへの招待状をもってきた時(ガリラボ通信2016/12/14)の
あの郵便屋でした。笑

届け物は、ラストゼミへの招待状でした。

私への招待状の内容は、2月1日(水)のラストゼミのプログラムでした。の主な内容は
  ガリラボからの脱出~消えた証書と13の危機~
のようです。13ゼミ生らしい。謎を解いてガリラボから脱出(卒業)しようという企画のようです。
素晴らしいアイデアですね。感動します。

ほんと素晴らしい。企画の首謀者は松崎副ゼミ長でしょう。それに塚田ゼミ長や多賀が加わって
考えているのでしょう。
そして私が感心するのが、上の招待状をこの日の午後全ての時間をかけて作ったということ。
企画を考えながらだとは思いますが、ガリラボで培った様々な能力のすべてをかけて最後の
ゼミ(120分間)を作り出すようです。

1.賢くない人は、やるべきことに時間をかけません。
2.賢い人は、やるべきに時間をかけます。しかし、下らないことには時間をかけません。
3.非常に賢い人とは、下らないことを真剣に捉え、それに膨大な時間をかけます。
ガリラボで、1は論外ですが、2もあまり面白くはない。
目先のメリットだけに動いている人でしょうから、優秀ではありますが、あまり楽しくはない。
本当にすごいのは、それが役立つかどうか分からないことにも真剣になって時間をかける
3の人たち。短期的にはどうかとおもいますが、実はそれが長ーーーーい目で見た時、それこそ
人生においてかなり良質の利益をもたらす可能性が高いのです。
こうした3の人たちがもっとも賢いと私は思います。
 
3のレベルのことをやっていける熱量のすごさを13ゼミ生は持っているなと思います。


ところで、ガリラボ通信は今回で4000回目の投稿となりました。
投稿を開始してから7年半が経過し、それなりの歴史をもったように思います。
7年半の間、毎日最低1回は投稿してきました。
2年前の3000回目の投稿(ガリラボ通信2011/3/31)の時、イチロー選手の安打数は超えたいと
書いています。現在の2016年のシーズンを終えたイチロー選手の安打数は4308本で、今回も
超えることができませんでした。
ただ、この調子でいけば、おそらく超えることができるものと確信しています。

ガリラボ通信では、よくイチロー選手の言葉を使わせてもらっています。
今回も、性懲りもなくですが(そして、ネタもないので)、イチロー選手の言葉を引用させてもらおう
と思います。^^;
それぞれ味わい深い10個の言葉です。

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(1)他人が言う成功を追いかけ始めたら何が成功か分からなくなってしまいます。

(2)プロ野球選手は怪我をしてから治す人がほとんどです。しかし、大切なのは怪我をしないように普段から調整することです。怪我をしてからでは遅いのです。

(3)何かをしようとした時、失敗を恐れないでやってください。失敗して負けてしまったら、その理由を考えて反省してください。必ず将来の役に立つと思います。

(4)本物でないものはすぐに見破られます。

(5)「できなくてもしょうがない」は終わってから思うことであって、途中にそれを思ったら絶対に達成できません。

(6)バットの木は自然が何十年も掛けて育てています。僕のバットはこの自然の木から手作りで作られています。グローブも手作りの製品です。一度バットを投げた時、非常に嫌な気持ちになりました。自然を大切にし、作ってくれた人の気持ちを考えて僕はバットを投げることも地面に叩きつけることもしません。プロとして道具を大事に扱うのは当然のことです。

(7)夢は近づくと目標に変わる。

(8)夢を掴むことというのは一気には出来ません。小さなことを積み重ねることでいつの日か信じられないような力を出せるようになっていきます。

(9)壁というのは、できる人にしかやってこない。超えられる可能性がある人にしかやってこない。だから、壁がある時はチャンスだと思っている。

(10)小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています
- イチロー -


なお、イチロー選手ほどの能力はもちろん持っていないので、10個全部を実践するのは無理です。
せめてひとつだけと思い、最後の(10)だけをとりあえず心掛けております。

(10)を実践する試みとして、ガリラボ通信を継続していますが、これが継続できているのは
もちろん13ゼミ生のように熱量の高いゼミ生たちがいるからです。
そうしたゼミ生がいるから書き続けるネタに困りません。

4000回を通して、ガリラボ通信でたくさんのたくさんのゼミ生を紹介して来たはずです。
03ゼミから始まり現在の15ゼミ生まで、そして大学院生まで入れると、ガリラボは150人を
超えるゼミ生がいて、今はその多くはガリラボを巣立ち、社会で活躍しています。

非常に偶然ですが、昨晩、22時過ぎに帰宅途中、横断で信号待ちしていたら「先生」と
呼ぶ声がするではありませんか。
振り向くと、なんとOG(03)菅原でした。シクラメンを贈ってくれた菅原です。
現在、天草の河浦高校で教員をしています。平日のあの時間に、こんなところで何をしているの
かと思ったのですが、出張で熊本市内に出てきたということでした。
それがまた私と遭遇するとはですね。あまりの偶然に驚きました。
菅原の努める河浦高校はこの3月で閉校なります。
菅原はその最後の卒業生を送り出し、河浦高校から永久に脱出することになるわけです。
閉校する河浦高校では、河浦高校が存在してきた証しを残すために菅原は生徒たちに色々な
活動に挑戦させてきたようでした。Facebook経由でその活動をみておりました。
熱量の高いガリラボのゼミ生がここにおります。

先日、玉名市での講演会で待っていてくれたOG(M13)坂口も、玉名中でNIEを利用した斬新な
取り組みをやっていて、同じく熱量の高いゼミ生だと思います。

また数日前にフォーラムで遭遇したOB(05)阪本も、学生時代にゼミで非常に下らないことを続け、学生時代からのリーダー気質に、社会人としての素養が加わって現在、会社で活躍しているようです。

昨日のキャリア形成論に来てくれたOG(11)上田ももちろんそうです。そしてさらにOB(M08)佐藤
などは、特にこれといったものは食べていないはずですが、とてつもなく高い熱量で、その強力な
エネルギーで冷静に、人生を力強く歩んでいってる。

他にもたくさんいますが、こうした熱量の高いガリラボのゼミたちのおかげで、イチロー選手の
記録に近づく4000回の投稿が可能でした。

今後もそうした熱いゼミ生が紹介しながら、次の5000回(2年後、2019年春の予定)を
クリアできるよう、継続していきたいと思います。
 
  

2017年1月27日金曜日

たまラボ引継ぎ/キャリア形成論(卒業生)

「ついに、次世代へ」とのスライドの前に立つたまラボリーダー4年(13)松崎。


午前中、平成28年度学生GPチームとして玉名をフィールドに活躍した「たまラボ(4年(13)松崎、
塚田、中村、藤村)」が、次のチームへと、引継ぎの儀式を行いました。


たまラボがどういったことをやってきたかそのポイントをメンバーが、それぞれの想いを込めて
プレゼンしていきます。
非常に楽しかったので、私も、例年以上に一緒にこのチームと玉名に出かけたので、思い出す
ことも多く、感慨深いものがありました。
リーダー松崎の底抜けの明るさ、明るさしかない松崎のキャラクターがこのチームの楽しさを
醸成していったのだと思います。
もちろん、楽しさは大変さを乗り込めるためのものでした。
そうした大変さを乗り越えた活動は、充実したものでした。
たまラボメンバーは達成感を感じてているのではないでしょうか。
会議に呼ばれ、一緒に玉名に出かけたこのチームが解散し、別れるのは非常に寂しい限りです。
ただしまだしばらくは活動を続けます。
タマにゃんとの最後のロケ、市長への表敬訪問、そして市役所チームとの懇親会等です(ロケ
以外は、徐々に定番になってきたように思います)。
沢山の濃厚な8ヶ月を1時間ほどに濃縮して話をしてくれました。


その話を熱心に聞いているのが、新メンバー(チーム名はまだありません)。
3年(14)秋山、塘添、古谷、島田、塚田の5人です。
玉名の地名も何もほとんど知らない、そして市役所職員の顔と名前もわからないでしょうから、
たまラボの熱い話もなかなか伝わっていなかっただろうと思います。
が、必死で聞いて、質問もたくさんしておりました。
最初はヨチヨチ歩きでしょうが、これからメンバーで協力してしっかりとした足取りとなり、これ
までのチーム同様、玉名の地を力強く駆けまわっていくことになるでしょう。
新メンバーの未来もきっと明るいはず。明るく、楽しく、真面目に(真摯に)やっていってほしい。


たまラボメンバーと新メンバーで。新旧メンバー全員での写真は最初で最後に
なるかもしれません。貴重な写真となるかもしれません。



最後の記念撮影をして、メデタシ、メデタシで終わる・・・・と思ったら大間違いです。
ガリラボはそんなに甘くありません。
楽しそうに写真を撮っていますが、私からのたまラボへの宿題です。

引継ぎは、主として口頭での引継ぎでした。雰囲気は伝わりましたが、緻密な部分が
あれでは全く伝わりません。
たまラボが8ヶ月も濃厚に活動し、玉名で培った知識があれでは伝わりません。
引継ぎには、書類が必要です。
例えば、たまラボが玉名で獲得してきた人脈がまるで伝わっていません。連絡先とか、
名前とか、どういった人なのか(所属、性格)とか、そしてそういた人たちが所属している
組織とその関係とかですね。
玉名の地域資源リストも作っておいたほうがいい。
他にもたくさんあるはず。
玉名での行動に熟達していくごとに自分たちの暗黙の知識となってしまったものを、きちんと
振り返り、言語化・図式化して、それを引継ぎ書類として残していってほしい。
引継ぎの書類とは、こうあるべきという見本を示してくれると嬉しい。
たまラボの持っている能力であればやれるはずです。

そうでないと、あれだけ活動してきたたまラボ4人の貴重な知識資源が4人が卒業すると
同時に消えてしまうように思います。

Coho'zuは書籍として活動の証しを残していきます。
たまラボも同様に活動の証し=たまラボの遺伝子をきちんと残し、次の世代に手渡してほしい。
以上、宿題です。^^;


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3限目。 4年(13)ゼミ・・・・に一瞬見えますが、もちろん違います。
冒頭、塚田4年ゼミ長が3年生にお願いがあってやってきたのです。

塚田が去り、本来の3年(14)ゼミが始まりました。児玉3年ゼミ長が取り仕切ります。



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お土産。OG(11)上田からです。


本日5限目はキャリア形成論の最後の授業。
今日は卒業生によるキャリア形成体験談でした。

卒業生には「流動化した現代社会を生きる」というテーマで話をしてもらいました。
1人目がOG(11)上田。

淡々と話していく上田。自分に降りかかったある問題が、上田の生き方に強い影響を与え、
それが上田の、前に進んでいく原動力になっていることがわかりました。
人にはやはりそれぞれにドラマがあり、そうした文脈において人生を歩いているのだな
と思います。
引き込まれました。
大学1年の頃から知っていて、その頃のことも話題として出てきましたが、知らない話も
あったりして、当時、そして今の上田の生き方に深く感動しました。
自分のことを振り返る機会を持つということはこんなにも豊かに生きていくことにつな
がることを上田が教えてくれました。感謝。


2人目はOB(M08)佐藤。現在、教学IR室で特任講師として本学の教育の中心部分で
活動している佐藤です。
流動化している社会を逞しく生きている代表的人物だと思い、話をしてもらいました。
菊池市役所にいたところを、ヘッドハンティングというか、半分強制的に連れてきた(拉致?)
のですが、期待以上に優秀な活躍をしてくれています。

その佐藤も大学の初年次ではダメダメだったということ。それをあることを契機に深く
反省し、ある意味では人生をやり直すつもりで、考え方と行動を変えたということでした。

日々の少しの行動の変化は、様々な変化を引き起こしていきます。その変化をきちんと
捉える力を持つことで、この流動化した社会も逞しく生きていけるのだというのを、
非常にわかりやすい講義で1年生に教えてくれました。
ところで、話を聞きにきていたガリラボの3・4年生が佐藤の授業のうまさにはしきりに感心
しておりました。
確かにうまい。私などは、しっとしそうです。杭として出てくるようであれば、しっかりと見張っ
ていて、きちんと叩き潰しておこうかと思うぐらいに、上手です。
人はやはり、苦労していないといけません。そう思います。


キャリア形成論が終わり、ガリラボでそのことを振り返っていると、上田の話はもちろんですが、
佐藤の話などは特に卒業する前の4年生に聞かせた方が良いのではないかという話になりました。
流動化した社会にすぐに出て行く時期なので、特にそうだなと思いました。
卒業前のキャリア形成論とういうのが必要なのかもしれません(どこかの大学ではそういう
授業を開講していたような。。東大とかはかなり早い時に取り入れていたような・・・)。

上田と佐藤の2人で60分ほど。大ホールには貴重な時間が流れていたように思います。

Photo by ゼミ新聞部


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M2(15)有馬と福永からのお礼とお詫び(?)を兼ねた差し入れ。
有馬は修論が終わったお礼、福永は終わっていないお詫び。
安堵と苦悩が表現されたカップ麺。
思いのこもったカップ麺ですが、段ボール箱を開けたら、ガリラボのゼミ生はそんなことには
無頓着にただただ喜んでおりました。笑



2017年1月26日木曜日

思わぬ場所で卒業生と遭遇

午前中、わき目も振らず、Coho'zuのグループからもらったインタビュー原稿の添削。
必死でやって2.5人分が終了。
これで12人分を終えました(読んだ量が8万5千文字ほど)。残り10人(残り7万文字ほど)と
なりました。
1月29日までに終えることが私に課せられていますが、どうにも終わる気がしません(涙)。

午後、大学の仕事の一環で、熊本駅近くのホテルニューオータニであった企業関係団体の
新春の集い記念フォーラムというのに出席してきました。参加者は200名ぐらいでした。

フォーラム前半では高校生による発表がありました。たぶん、賞をもらったのだと思いますが、
それはそれは見事な内容と、それ以上に見事な発表で、学生GPでのたまラボやCoho'zuも
とても敵わない表現力でした。かなり顧問の先生が力を入れているのだろうなとは思いましたが、
それでも素晴らしい発表でした。
商業部門の代表は球磨商業高校。OB(M06)小松が校長先生をしているところです。よく準備
された見事な発表でした。


ところで、この場で、意外な人と遭遇したのです。前の方に座って本を読んでいたら、
  せんせー
との声が。。。
なんと、OB(05)阪本ではありませんか。
びっくりしました。
会社から派遣されフォーラムに参加したのこと。
会ったのは11月の興津会以来です。今日改めて会社の話を聞いていると、学生時代か
らかなり成長した阪本の姿を見たように思います。
こうしたフォーラムに会社の代表として参加させられているところをみると、会社内で
かなり信頼されているのだろうと感じました。
1日100通ぐらいメールが届き、それに対応しているとか。
会社内の情報のハブになっているようですね。
製品開発のところの重要なポジションで仕事しているようでした。

意外な人物に会うことができて、参加して儲けた気分でした。

18時頃に帰ってからHope+メンバーの本日の取材の報告を受けました。
ただ、すぐにM1(16)大野と山口との院ゼミでだったので詳しいことは後日、聞こうと
思います。
院ゼミは今日も21時まで。
3時間ぶっつづけで色々な角度から議論をしていました。
私が教えるわけでなく、ほぼ議論です。本来のゼミって、こういう姿を言うのではないかと
思います。刺激的で面白いものです。

終わって21時にM2(15)福永がやってきました。
とりあえず概ね終わった修論の件です。
お詫びが半分ですが、とりあえず明日には終了するはずなので、どうにかして明日は
時間を作り、福永の修論添削の時間を作る予定です。
Coho'zuの添削は、それもあって、終わる気がしないと思っている次第です。
といった状況なのでCoho'zuはしばし原稿を待ってほしい。


お土産
左は3年(14)谷口から。福岡に行ってきたそうです。
右は4年(13)時松から。こっちは東京からのお土産です。
有り難く頂こうと思います。



2017年1月25日水曜日

13ゼミ生卒論提出の儀式/玉名で会った卒業生

今日も寒い朝でした。が、空気は澄んで阿蘇方面をきれいに眺めることができました。

阿蘇中岳から噴煙が上がっているのが見えます。火山活動はまだ継続しているようです。



さて、本日の2限目は4年(13)生恒例の卒論提出儀式でした。

いつもの4年(13)ゼミの風景に、3年(14)秋山が加わっています。秋山は、儀式の
写真撮影を担当する記録係としての参加。塚田ゼミ長が依頼したようです。

奥に電子ピアノ(?)が置いてあります。こんな大きいのをいつ、だれが? そして
何に使うのでしょう? 誰も教えてくれませんでした(それ以前に、質問したかどうか
覚えていませんけど)。



13ゼミ生卒論提出の儀式
全員、書き上げた2万字の卒論を手にしております。添削も大変でした(笑)。


学籍番号順に教務入試課へ。教務の方の手間を最小にしようとの配慮(になっているはず)。

一列で入っていったはずですが、中では溜まっていますね。一列で入ったのは
意味あったのでしょか?笑

提出を終え、全員戻ってきております。

儀式を終え、ガリラボに戻っていくようです。


いつも通り、この日の様子が、松崎4年(13)副ゼミ長から記録として送られてきました。
記録のWordファイルを添付したメールに、これもまたいつも通りにコメントが添えられて
いました。今日のコメント(一部)は次の通りでした:
  無事に卒論を提出できました。
  これも、先生がお忙しい中添削をして下さったり、私たちの相談に乗ってく
  ださったりしたおかげです。
  本当にありがとうございました。
  1年間卒論と向き合ってきて、楽しいこともたくさんありましたが、それ以上に
  キツイこと、投げ出したくなることもありました。
  今総じて楽しかったといえるのは、きっとそういったキツイ想いをしたからだと
  思います。
  きつかったこと程ずっと記憶に残るし、達成感を感じるのだと思いました。
  提出した時のすがすがしさは、みんな一生忘れないと思います。
  卒論を言葉で表すのは難しいけれど、私の中では常に頭に存在する、つきまと
  われているような存在でした(笑)
  それだけ毎日卒論のことを考えた4年生の日々は、他のゼミでは経験できないだ
  ろうし、宝物です。
私を上手に誉めて色々と引き出すのがうまい松崎ならではのコメント。
とりあえず、きついのはそうだったろなと思います。いつも、いつもたまラボは会議をして、
企画を考え、その後は、現場に行って実践をし、帰ってきてからはまた会議で反省会と
ずーーーーーーと卒論を四六時中やっていましたので。
学生らしい1年間ではなかったろうかと思います。

13ゼミ生のゼミも残すところ後1回のみとなりました。
ジャンプしている先は、きっと、13ゼミ生の先に広がる未来でしょう。
未来があって非常に羨ましい。^^




お昼、私は玉名市に出かけました。久々に講演を頼まれました。
出かけた先は玉名市文化ホール。

到着して驚きました。
あまりに大きな垂れ幕を見て・・・。そんな大それた話ではなかったのですけど。


時間があれば、玉名中に立ち寄り、OG(M13)坂口に会っていこうと思っていて、1月
当初には立ち寄るつもりとのメールを出しておりました。
そうしまたら、とてもそういう状況になく、添削に追いまくられております。
2、3日前に「立ち寄るのは無理」とのメールを書いていたのですが、講演を終わり、
急ぎ戻ろうとしていたら、市の職員さんから「坂口さんと言うお客さんがお待ちです」と
の伝言が・・・。
何のことかわからずぽかんとしていて、会場の外に出ると、坂口がいるではありませんか。
私の講演が終わる時間を職員に聞いて、それに合わせて、わざわざ顔をだしてくれたのです。
驚くと同時に、感激をしました。
お土産をもらいました。

ガリラボに戻り、松崎や塚田に、ふせんの文章を見せ、色々な意味を込めつつ「ほら
こんな感じにならないと」と話ながら坂口のお土産を開封しました。

沢山のゼミ生がいたガリラボ。あっと言う間、30秒ほどでなくなりました。
 

いつか時間を作り玉名中に行ってみたいと思います。
しばらくはとても無理ですけど。
 


 


2017年1月24日火曜日

管理表の活用/64回目の会議

今朝7時に気温は-2℃だったようです。厳しい寒さでした。
厳しい寒さの中、ガリラボ前のシクラメンは、徐々に花が落ち、残りわずかとなりました。
もうすぐ葉っぱだけとなるのでしょう。13ゼミのラストゼミの時まで果たして持つでしょうか?


ガリラボのキャビネットには現在、いくつかスケジュール表が貼ってあります。


一番手前は、ビデオカメラの貸し出し記録表のようです。この時期、複数チームが
カメラを利用するので、利用が重ならないようにしているみたいです。
簡単なことですが、ガリラボのゼミ生たちのひとつのアイデアですね。



奥にあるのはCoho'zuのスケジュール表。4年生ですが、3月まで予定が
書かれています。
大津町で調査したオーラルヒストリーの書籍の完成までの工程表がここに書いてあります。
現在、私が添削するという工程に入っていますが、時間が取れず、どうも私の工程で遅延が
発生しそうです。申し訳ない。


もうひとつ。これもCoho'zuの管理表ですが、これはイベント管理に使っているものです。
今現在、誰の原稿は、どこに移っていることが書き込んであり、複数人で作業しているので、
漏れや遅延を防止するためのものです。しょせきかプロジェクト「どりぃむ」の際にもこの
管理表によって予定通りの発行にこぎつけました。今回も威力を発揮してくれるだろうと
思います。
ちなみに、この管理表をシビアに管理しているのは、4年(14)飯沼です。この件について、
飯沼は、節分にはまだ少し早いですが、「」となっております。



今日はお昼、13ゼミ会議でした。ゼミ会議のみですと、64回目となります。
毎回その議事録を書いている4年(13)松崎が、その日のうちに今日の会議の
議事録を送ってきましたが、それが添付されたメールに

  今日は第64回ゼミ会議でした。
  そして、次がいよいよラストのゼミ会議です。
  2年生が作業をしているのを見ると、ここから2年間もまだ活動ができるため、
  羨ましいなと感じますが、ここまで紡いできた13ゼミの歴史を、最後まできち
  んと記録していきたいと思います。

とありました。次がラスト。13ゼミ会議は65回で最後となります。13ゼミ生の
色々な企画のスタートの議論をしてきたこの会議が終わるのだと思うと、涙が出
そうなほどに感慨深いものがあります。
最後までしっかりと打ち合わせをしなければと思います。
13ゼミ生最後のゼミ会議は
  1月31日(火)10:30~
となります。そして2月1日がラストゼミ。