探していたら次の写真しか良いのがありませんでした。
2016/10/15の時の写真です。
もちろん、OB(11)清田の写真を探していたのではありません。
ガリラボの入り口から見て左側、写真では右側の壁側の写真が欲しかったのです。
通信を遡っていっても、意外と、こちらの側面の写真が残っていないことに驚きました。
数か月も遡って見つけたのが、清田が写っている写真でした(もっと写真映りの良い
人の写真だと良かったのですが笑)
さて、どうしてそんな写真を探していたのかと言うと、次の写真と比較するためです。
(先週金曜日、センター前で1日休講の日にこうなりました)
変化が分かりますでしょうか?
KODAMAが新しいPCになりました。新PCを配置する際、見えにくいのが
気になっていた「ガリラボ歴代ゼミ生」のパネルの配置を変えました。
左右を入れかえ、歴代ゼミ生のパネルを持ち上げました。
金曜日、センター試験前の夜、誰もいないときにやった作業なのですが、
週明けの月曜日(昨日)、誰か気づいて、声にするのかと思っていました。
今日までの時点で、特にそういった気配もなく。。。
全く気付いてないのでしょうか? 笑
それとも気づいても、何も感じることもなく平然と利用しているのでしょうか。
蓮實重彦が随分昔に
いつもとは何かがわずかに違っているという差異への敏感さを
欠いている知性は、およそ知性の名に値しません。
と書いていたことがあります。20年ほど前のことです。
その当時、この言葉に強く影響を受けました。だから今も記憶しているのですが。。。
また、関連して、
知性本来の資質とは、何よりもまず、変化を察知し、みずからも
変化することにつきているはずであり・・・
とも書いています。
難解な話であり、完全に理解しているわけでもないのですが、そうした知性で
ありたいと、それから過ごしてきたように思いますが、これがまたなかなか。。。^^;
20年間、無駄な抵抗だったようにも思いますが、ひとつ分かったことは、微細な
差異への気づきがないところで優れたもの(こと)を仕上げていくのは無理だと
いうことでした。
可能ならば、日々の微細な変化に敏感でありたい。
ただし、同時に、鈍感でもありたいとも思っています。
極めて矛盾していますが、この2つの感覚をバランスよく両立させていくこと、
私個人がそうありたいと思っていることです。
昨日から今日にかけて、ガリラボにやってきたゼミ生で、何人ほどがPCと
パネルの変化に気づいたでしょうか?
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