3年(13)生4人(塚田、飯沼、岩坂、藤村)が楽しそうに何やら見ています。
4人が見ていたのは、実は、12ゼミ生独自の卒業アルバムで、本日届きました。
(写真上左:表、上右:裏、下:中の1ページ)
ガリラボの戸棚においてますので12ゼミ生は取りにきてほしいとのことです。
なお、アルバムと一緒に卒論の概要集も持って行っていくようにしてく下さい。
届いた卒アルを持ってきたのはOG(12)村上と坂本です。アルバム委員でした。
村上は、12ゼミ生会計長でもあったので、卒アルが出来て最後の会計作業を行ってました。
12ゼミ生全員に最後の会計報告、そして13ゼミ会計長(飯沼)への引継ぎ等で会計の仕事を
終えていました。最後の最後までしっかりしています。
アルバム委員が届いたことをすでに知らせていたようで、12ゼミ生が卒アルをもらいに今日
だけでたくさんやってきました。
古賀、目代、梅田、川口です。12ゼミ生だけで6人もやってきたので、ガリラボは大変
賑やかになっていました。
<おまけ>
村上が卒アルを持ってきてすぐに卒アルを見る、3年(13)飯沼。村上と私の次、
3番目の読者になったようでした。12ゼミ生より早い。苦笑する村上。笑
ところで、冒頭写真の13ゼミ生4人は何をしていたかというと・・・・
気持ちよく4月1日を迎えるためにガリラボや道場を掃除にしてくれていたのです。
しかも、12ゼミ生が卒業記念に寄贈してくれた掃除機を使って。
掃除機はきちんと動いたようです。非常に役立つと言ってました。
掃除している3年生の4人です。
本日もお土産がいっぱいでした。
OG(12)村上からは阿蘇高森の高菜漬けをもらいました。M1(15)有馬からは
天草のお土産です。
3年(13)出口からの鹿児島土産。どら焼き?ですかね。
そして、昨日紹介してなかったので改めて。OG(10)石原のお土産です。
本日ガリラボにやってきたゼミ生:
OB(05)山口・・・明日からM1(16)となります。
OB/OG(12)村上、坂本、目代、古賀、梅田、川口
M1(15)有馬
3年(13)塚田、飯沼、岩坂、藤村、多賀、中村、出口
さて、これで平成27年度も終わりです。
卒業した12ゼミ生たちのほとんどは明日から社会人となります。
今しがた激励のメールを送りました。
みんな、社会人へとうまく転換し、活躍していってくれると、非常にうれしい。
ガンバレ、ガリラボのゼミ生たち!
2016年3月31日木曜日
サクラ便り2016(12日目)/空中庭園チューリップ観察89日目
曇り空のため写真は今一つですが、満開になりました。
晴れてるとかなりキレイだと思いますが・・・
今日はこれから雨。せっかくの満開の桜が、かなり散ってしまいそうです。
ツマガリザクラというと、ご覧のとおり。今日は上空から。ドローンではなく、
ガリラボの窓からの撮影です。
満開にほど遠いようです。ただ、万かいとは思えないのに葉っぱがやたらと
目立ち始めたのが気になります。
ホサカザクラは元気な葉っぱが出ています。
ズームするとご覧のとおりです。枯れなければ来年は咲くでしょうか!?
チューリップです。
かなり咲いてます。
ただチューリップの身長が少し低いのではないかと思うのですが、如何でしょう?
こんな品種なのですかね。
チューリップはもっと、スラリとした気品を感じていたのですが・・・
これから背が伸びていくのでしょうか?
晴れてるとかなりキレイだと思いますが・・・
今日はこれから雨。せっかくの満開の桜が、かなり散ってしまいそうです。
ツマガリザクラというと、ご覧のとおり。今日は上空から。ドローンではなく、
ガリラボの窓からの撮影です。
満開にほど遠いようです。ただ、万かいとは思えないのに葉っぱがやたらと
目立ち始めたのが気になります。
ホサカザクラは元気な葉っぱが出ています。
ズームするとご覧のとおりです。枯れなければ来年は咲くでしょうか!?
チューリップです。
かなり咲いてます。
ただチューリップの身長が少し低いのではないかと思うのですが、如何でしょう?
こんな品種なのですかね。
チューリップはもっと、スラリとした気品を感じていたのですが・・・
これから背が伸びていくのでしょうか?
2016年3月30日水曜日
異動の季節/卒業生の来室
昨日、ガリラボを不在にしているときにOG(12)森が来たようで、
森のお母さんから私の家内宛のメッセージが置いてありました。
その森も4月1日から社会人です。本日の朝刊の教職員人事異動の欄に
名前がありました。
ガリラボから熊本県学校職員への採用は森で5人目ですね、確か。
さて、本日は、私的用事で鹿児島に日帰りで出かけ(残念ながら旅行ではありません)、
ガリラボを不在にしておりました。
ガリラボは3年(13)塚田ゼミ長が取り仕切ってくれており、なんと今日は卒業したての
OB/OG(12)梅田と川口がやって来たそうです。
それと、塚田は会ってないそうですが、なんとOG(10)石原がお菓子の差し入れを持って
顔を出したとのこと。不在にしててすごく残念に思っています。今度は在室している
ときに来て欲しい。
ということで、本日は
OG(10)石原
OB/OG(12)梅田、川口
3年(13)塚田、飯沼、多賀、出口
がやってきて、かなり賑やかなガリラボだったようです。
やはり賑やかでないとガリラボらしくないですね。
塚田には(確か)初めて全てを任せましたが、きちんとやってくれたようで
安心しました。
森のお母さんから私の家内宛のメッセージが置いてありました。
その森も4月1日から社会人です。本日の朝刊の教職員人事異動の欄に
名前がありました。
ガリラボから熊本県学校職員への採用は森で5人目ですね、確か。
さて、本日は、私的用事で鹿児島に日帰りで出かけ(残念ながら旅行ではありません)、
ガリラボを不在にしておりました。
ガリラボは3年(13)塚田ゼミ長が取り仕切ってくれており、なんと今日は卒業したての
OB/OG(12)梅田と川口がやって来たそうです。
それと、塚田は会ってないそうですが、なんとOG(10)石原がお菓子の差し入れを持って
顔を出したとのこと。不在にしててすごく残念に思っています。今度は在室している
ときに来て欲しい。
ということで、本日は
OG(10)石原
OB/OG(12)梅田、川口
3年(13)塚田、飯沼、多賀、出口
がやってきて、かなり賑やかなガリラボだったようです。
やはり賑やかでないとガリラボらしくないですね。
塚田には(確か)初めて全てを任せましたが、きちんとやってくれたようで
安心しました。
2016年3月29日火曜日
ZEROの主(あるじ)交代
昨日、M2(14)吉村が全ての荷物を片付けて、主(あるじ)不在となったZERO(PCの
名称です。ジブリ映画「風立ちぬ」から命名したものです)。
そのPCの前に、コーラZEROを置いてみました。
昨年の誕生日にM2(14)吉村がプレゼントしてくれたものです(ガリラボ通信2015/12/14)。
奇しくも同じZERO。何かの縁を感じるのは私だけでしょうか。
12月から飲まず、「ずっと ずっと ずっと かたわらに」おいてました。
(決して飲み忘れていたわけでありません)
まだ少し、傍ら(デスク上)に置いておくつもりです。
さて、主(あるじ)を失ったPCのZEROですが、明日から新しい主(あるじ)へと
引き継がせようと思います。
4月以降も私が不在にすることが多いので、熟慮の末、3年(13)塚田ゼミ長を
ZEROの新しい主(あるじ)とすることにしました。
この主になるというのは、今まで以上に大変になることを引き受けるということ
ですから、塚田には打診をしてみました。
引き受けてくれました。
これまで吉村がいつもいたわけですが、それと全く同じようにはいかないでしょうが、
塚田には、ガリラボの中心として、ガリラボを拠点に活動していってもらえればと
思っています。
新しい主(あるじ)=塚田へと引き継がれ、ガリラボが新しい状態へと安定したら、
「From 吉村」と付箋のついた傍らのコーラZEROを飲み干したいと考えています。^^;
追伸
明日は休暇のため1日不在にします。
名称です。ジブリ映画「風立ちぬ」から命名したものです)。
そのPCの前に、コーラZEROを置いてみました。
昨年の誕生日にM2(14)吉村がプレゼントしてくれたものです(ガリラボ通信2015/12/14)。
奇しくも同じZERO。何かの縁を感じるのは私だけでしょうか。
12月から飲まず、「ずっと ずっと ずっと かたわらに」おいてました。
(決して飲み忘れていたわけでありません)
まだ少し、傍ら(デスク上)に置いておくつもりです。
さて、主(あるじ)を失ったPCのZEROですが、明日から新しい主(あるじ)へと
引き継がせようと思います。
4月以降も私が不在にすることが多いので、熟慮の末、3年(13)塚田ゼミ長を
ZEROの新しい主(あるじ)とすることにしました。
この主になるというのは、今まで以上に大変になることを引き受けるということ
ですから、塚田には打診をしてみました。
引き受けてくれました。
これまで吉村がいつもいたわけですが、それと全く同じようにはいかないでしょうが、
塚田には、ガリラボの中心として、ガリラボを拠点に活動していってもらえればと
思っています。
新しい主(あるじ)=塚田へと引き継がれ、ガリラボが新しい状態へと安定したら、
「From 吉村」と付箋のついた傍らのコーラZEROを飲み干したいと考えています。^^;
追伸
明日は休暇のため1日不在にします。
サクラ便り2016(10日目)/空中庭園チューリップ観察87日目
2016年3月28日月曜日
6年目の巣立ち〜ガンバレ、ゆうこ
今朝は7:30過ぎには本部棟に出かけ、そちらで色々な業務をしておりました。
お昼にガリラボに戻ると、M2(14)吉村が片づけをしていました。
特に、大学院の2年間、吉村の定位置であった机の周辺を入念に掃除しているようでした。
見違えるほどキレイになりました。
吉村がここで過ごしていた痕跡がほとんどなくなった状態を見届けると、喪失感と
いいますか、何といいますか・・・・何とも言えません。
寂しさをうまく表現できないもどかしさを感じます。
修了(卒業)記念にと、ちょうどのサイズのコンパクトな水屋(お茶やコーヒーなどを
入れる棚になります)を寄贈してくれました。
色々と調べたんでしょうね。すっきり片付いて、有り難い限りです。
2年前の同じ日、3月28日は、吉村と卒論を共にしたゼミ同期OB(10)保坂がガリラボ
から巣立った日でした(ガリラボ通信2014/3/28)。
最後の最後に、iPhoneを探すという騒動を起こしていったのですが、「ガリラボ史上最大の迷惑男」の異名を持つ保坂らしい別れでした。
そして、その1年前の3月29日には、吉村の先輩であるOG(09)がガリラボを巣立ったのでした。
村中とは別れる際、最後の夜の雑談をしました(ガリラボ通信2013/3/30)。
よく村中とは夜になって色々と議論をしていたので(その頃は本部棟に行くことが
少なかったので可能でしたが)、その意味で、夜の雑談は、村中との最後の別れに
ふさわしい時間であったと思います。
吉村との最後は、片づけが終わってからすぐ、特に話をすることもなく、
吉村:色々とありがとうございました。
私: 4月から頑張れよ。
だけであっさりと終わりました。あっけないものでした。
時間にしてわずか10秒ほどだったでしょうか。^^;
6年間を共にしたと思えないほど、ほんとあっけないものでした。
色々と話をするわけでもなく、騒ぎを起こしていくわけでもない。
吉村とのガリラボでの最後は(繰り返しになりますが)ほんとにあっけないものでした。
ただ「ありがとうございました」とだけ告げ、それ以外は何も言わずに去っていったのです。
あれだけ、表現の重要性を伝えてきたのに、これ以上ないほど「シンプルな最後」でした。
(もっともこのシンプルさは互いに意図的だったような・・・。少なくとも私はそうでした)。
吉村がガリラボを後にして、吉村の車が動き出すのを研究室から見届けると、これまでの
6年間を思い出しながら、誰もいないガリラボで、ひとり自分の机でぼんやりとしていました。
しばらくして、ようやく椅子から立ち上がると、ガリラボテーブル上に手提げ袋がおいてあるのに気づきました。
一瞬何のことか、状況を理解できませんでした。
私が本部棟からガリラボに戻った時にはなかったので、私には何も言ってないわけですから、
吉村がゼミ生にと、置いていっただろうと思いました。
そう思いつつ眺めていると、遠目に「津曲先生」という宛名が書かれた封筒が見え、
それで完全に「???」となりました。
その直前、わずか10秒ほどの別れを済ませたばかりでしたから。
12ゼミ生が卒業して、ここしばらく、誰もいないことの多いガリラボで、ひとり静かに
手紙を、じっくりと読ませてもらいました。
吉村からこんな手紙をもらうのは初めてのような気がします。
(吉村が怒りそうですが・・・、以下、その極一部です)
校長先生!(笑)。
1年の時、吉村はある間違った判断でMOREに入りました。
そのためにガリラボと出会うことになり、そして、その出会いがなかったら面倒くさがりな
吉村がゼミ選択の際にガリラボを候補にすることもなかったでしょう。
いくつかの偶然が働いて(その偶然は、入試とから始まったような気がします)、この出会いが実現したように思います。
吉村の1年の時にMOREの間違って入ってくれた判断に、今は感謝しています。
出会えてよかった。
ゼミ生には、コミュニケーションノートにメッセージが残してありました。
ガリラボの後輩たちに大きな影響を残した吉村です。
ほとんどのゼミ生が「ゆうこさん」と呼び、慕っていました。
吉村がいなくなり、ガリラボは大事な軸を失ったように思います。
(これから急ぎ新たな軸を作らないといけません。)
それにしても、お昼、吉村が立ち去る際、私は吉村のすぐ目の前にいたのです。
そこでの最後の会話は一言、二言だけでした。
まさかですね、置手紙での別れになるとは想像もしていませんでした。
恥ずかしがり屋なので思ったことをそのまま表現しきれないのですよね、きっと。
優しい性格なのに、ぶっきらぼうだし。気は利きませんけど。笑
そうした性格を総合して、置手紙という方法を使ったのでしょう。
4月1日からもまだ学内にはいるので、完全に巣立ったというわけではないのですが、
可能であれば、吉村とも最後は夜の雑談とかでじっくりと話をして別れてみたかったなと
今になって思います。
ただ今後も話す機会が十分にあるので、そんな必要はないのかもしれませんが、ゼミ生と
教員という関係ではもう無くなるので、今後は今までと同じような感じでは話はできないだろうとも思いますので。
吉村は、これまでたくさんいるゼミ生の中で、わが子と同じぐらい真剣に何度も怒ったゼミ生でした。
伸びようと愚直に頑張ろうとする意志がヒシヒシと伝わってくるゼミ生でしたので。
人は伸びようとしている人に手を差し伸べる性質を持つ動物です。
その特徴通り、私の方も可能なかぎり叱ったのでした。
その結果、もっとも印象に残る愛弟子となりました。
楽しかった。大変感謝している。
色々なことが今後あるのでしょうけど、自分の夢に向かって徹底的に考え、課題を
着実に乗り越えながら豊かな人生を歩んでいってほしいと思っています。
がんばれ、ゆうこ!
吉村が去った後のガリラボは、非常に静かでした。
静けさを破ってくれたのは、3年(13)飯沼。
お礼状を書いています。「どりぃむ」制作でお世話になった紫苑会事務局に出来上がった本をお渡しするのに添えるお礼状です。
お礼状が出来上がると、図書館で勉強していた3年(13)多賀を呼び出し、2人で紫苑会
事務局に「どりぃむ」を寄贈しに出かけていきました。
次は、紫苑会に届けた時の様子だそうです。
お昼にガリラボに戻ると、M2(14)吉村が片づけをしていました。
特に、大学院の2年間、吉村の定位置であった机の周辺を入念に掃除しているようでした。
見違えるほどキレイになりました。
吉村がここで過ごしていた痕跡がほとんどなくなった状態を見届けると、喪失感と
いいますか、何といいますか・・・・何とも言えません。
寂しさをうまく表現できないもどかしさを感じます。
修了(卒業)記念にと、ちょうどのサイズのコンパクトな水屋(お茶やコーヒーなどを
入れる棚になります)を寄贈してくれました。
色々と調べたんでしょうね。すっきり片付いて、有り難い限りです。
2年前の同じ日、3月28日は、吉村と卒論を共にしたゼミ同期OB(10)保坂がガリラボ
から巣立った日でした(ガリラボ通信2014/3/28)。
最後の最後に、iPhoneを探すという騒動を起こしていったのですが、「ガリラボ史上最大の迷惑男」の異名を持つ保坂らしい別れでした。
そして、その1年前の3月29日には、吉村の先輩であるOG(09)がガリラボを巣立ったのでした。
村中とは別れる際、最後の夜の雑談をしました(ガリラボ通信2013/3/30)。
よく村中とは夜になって色々と議論をしていたので(その頃は本部棟に行くことが
少なかったので可能でしたが)、その意味で、夜の雑談は、村中との最後の別れに
ふさわしい時間であったと思います。
吉村との最後は、片づけが終わってからすぐ、特に話をすることもなく、
吉村:色々とありがとうございました。
私: 4月から頑張れよ。
だけであっさりと終わりました。あっけないものでした。
時間にしてわずか10秒ほどだったでしょうか。^^;
6年間を共にしたと思えないほど、ほんとあっけないものでした。
色々と話をするわけでもなく、騒ぎを起こしていくわけでもない。
吉村とのガリラボでの最後は(繰り返しになりますが)ほんとにあっけないものでした。
ただ「ありがとうございました」とだけ告げ、それ以外は何も言わずに去っていったのです。
あれだけ、表現の重要性を伝えてきたのに、これ以上ないほど「シンプルな最後」でした。
(もっともこのシンプルさは互いに意図的だったような・・・。少なくとも私はそうでした)。
吉村がガリラボを後にして、吉村の車が動き出すのを研究室から見届けると、これまでの
6年間を思い出しながら、誰もいないガリラボで、ひとり自分の机でぼんやりとしていました。
しばらくして、ようやく椅子から立ち上がると、ガリラボテーブル上に手提げ袋がおいてあるのに気づきました。
一瞬何のことか、状況を理解できませんでした。
私が本部棟からガリラボに戻った時にはなかったので、私には何も言ってないわけですから、
吉村がゼミ生にと、置いていっただろうと思いました。
そう思いつつ眺めていると、遠目に「津曲先生」という宛名が書かれた封筒が見え、
それで完全に「???」となりました。
その直前、わずか10秒ほどの別れを済ませたばかりでしたから。
12ゼミ生が卒業して、ここしばらく、誰もいないことの多いガリラボで、ひとり静かに
手紙を、じっくりと読ませてもらいました。
吉村からこんな手紙をもらうのは初めてのような気がします。
(吉村が怒りそうですが・・・、以下、その極一部です)
校長先生!(笑)。
1年の時、吉村はある間違った判断でMOREに入りました。
そのためにガリラボと出会うことになり、そして、その出会いがなかったら面倒くさがりな
吉村がゼミ選択の際にガリラボを候補にすることもなかったでしょう。
いくつかの偶然が働いて(その偶然は、入試とから始まったような気がします)、この出会いが実現したように思います。
吉村の1年の時にMOREの間違って入ってくれた判断に、今は感謝しています。
出会えてよかった。
ガリラボの後輩たちに大きな影響を残した吉村です。
ほとんどのゼミ生が「ゆうこさん」と呼び、慕っていました。
吉村がいなくなり、ガリラボは大事な軸を失ったように思います。
(これから急ぎ新たな軸を作らないといけません。)
それにしても、お昼、吉村が立ち去る際、私は吉村のすぐ目の前にいたのです。
そこでの最後の会話は一言、二言だけでした。
まさかですね、置手紙での別れになるとは想像もしていませんでした。
恥ずかしがり屋なので思ったことをそのまま表現しきれないのですよね、きっと。
優しい性格なのに、ぶっきらぼうだし。気は利きませんけど。笑
そうした性格を総合して、置手紙という方法を使ったのでしょう。
4月1日からもまだ学内にはいるので、完全に巣立ったというわけではないのですが、
可能であれば、吉村とも最後は夜の雑談とかでじっくりと話をして別れてみたかったなと
今になって思います。
ただ今後も話す機会が十分にあるので、そんな必要はないのかもしれませんが、ゼミ生と
教員という関係ではもう無くなるので、今後は今までと同じような感じでは話はできないだろうとも思いますので。
吉村は、これまでたくさんいるゼミ生の中で、わが子と同じぐらい真剣に何度も怒ったゼミ生でした。
伸びようと愚直に頑張ろうとする意志がヒシヒシと伝わってくるゼミ生でしたので。
人は伸びようとしている人に手を差し伸べる性質を持つ動物です。
その特徴通り、私の方も可能なかぎり叱ったのでした。
その結果、もっとも印象に残る愛弟子となりました。
楽しかった。大変感謝している。
色々なことが今後あるのでしょうけど、自分の夢に向かって徹底的に考え、課題を
着実に乗り越えながら豊かな人生を歩んでいってほしいと思っています。
がんばれ、ゆうこ!
吉村が去った後のガリラボは、非常に静かでした。
静けさを破ってくれたのは、3年(13)飯沼。
お礼状を書いています。「どりぃむ」制作でお世話になった紫苑会事務局に出来上がった本をお渡しするのに添えるお礼状です。
お礼状が出来上がると、図書館で勉強していた3年(13)多賀を呼び出し、2人で紫苑会
事務局に「どりぃむ」を寄贈しに出かけていきました。
次は、紫苑会に届けた時の様子だそうです。
空中庭園チューリップ観察86日目~開花宣言
あまり変化がないので間を3日間ほど空けていたら、
なんと開花していました。
前回の観察(82日目:ガリラボ通信2016/3/24)と比べてください。
予想していた手前のチューリップとは違うのが開花しており、綺麗なピンク色の
花を咲かせました。
拡大します。
一方、桜(ホサカザクラ?)の方というと、新緑が芽吹いています。
保坂のような力強さを感じます。
期待通り、桜を開花するまで成長するのでしょうか。楽しみですね。
なんと開花していました。
前回の観察(82日目:ガリラボ通信2016/3/24)と比べてください。
予想していた手前のチューリップとは違うのが開花しており、綺麗なピンク色の
花を咲かせました。
拡大します。
一方、桜(ホサカザクラ?)の方というと、新緑が芽吹いています。
保坂のような力強さを感じます。
期待通り、桜を開花するまで成長するのでしょうか。楽しみですね。
サクラ便り2016(9日目)
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