よく見ると、開花していました。
昨晩(2016/3/19)は、白川沿いのメルパルク熊本にて大学院の謝恩会でした。
M2(14)吉村が司会でした。
この日の参加者。参加している教員は主に卒業するM2の指導教員です。
静かな飲み会という雰囲気の謝恩会ですが、途中、「余興」というコーナーがあって、
恒例のようになっていますが(いつからこうなったのでしょう?)、M2の皆さんが
色々なことをされました。
ガリラボ代表の吉村がトップバッターで手品に挑戦してました。
ズボンのポケットから長~いスティックを取り出したり、何も入ってない帽子から
ハンカチを出したり、新聞紙の中に水を注ぎこみ、それを消したりとなかなかうまい
ものでした。
謝恩会のラストに、吉村から花束をもらいました。
6年間一緒にいましたが、花束をもらった記憶はありません(もっとも、私もやった
記憶はありませんけど)。
なんと、途中、1度だけビールをお酌をしてくれました。
6年間で初めてだったと思いま、恐らく。貴重な夜でした。笑
宴の最後に、参加したガリラボのメンバーで記念撮影。
2016/3/19
次は、1年前、M13坂口の謝恩会の時の写真です(ガリラボ通信2015/3/21)。
2015/3/21
上の写真を撮った1年前のガリラボ通信を読み返すと、その日も桜が開花した
ばかりのときだったようです。夜、白川沿いの桜が開花していました。
1年前の桜の開花から、昨晩の桜の開花まで1年間、吉村とはある意味で2人3脚で
ガリラボを支えてきたように思います。
ゼミ生たちが色々な活動へと展開していけるように、学びの場のデザインを行っていました。
もちろん、そうしたデザインのあり方自体が吉村の修士での研究テーマだったから、
学びの場作りをやってくれていたのですが、そのことが結局は吉村の今後にとって大事な
意味を持っていくのだと思います。
人が成長していくための学習の場とはどういったものなのかということを研究を通して
頭だけでなく体全体で理解したことで、これからの自分を成長させていくために必要な
ことは何なのかがわかるでしょうから。
文系の大学院については色々な議論があります。
決して、良い評価ばかりでもありません。
マイナス評価についての意見も、その主張は良くわかるのですが、しかし、学問に向き
合うということは、そうしたマイナス評価における意見より以上の意味があるのだと
思うのです。
このことは、次のエントリーにも書きました。
「経験という牢屋」のスピーチを読んで(ガリラボ通信2013/4/14)
吉村が学部の4年生になったばかりの時で、吉村はその頃に読んだはずです。
(なお、これを読んでいるゼミ生は、一緒に上のエントリーも読んでほしい)。
真剣に学問と向き合うこと、ご飯を食べることも忘れるぐらいに勉強する時期を持つことは、
これからの一生において大きな意味を持つことでしょう。
学生時代、そうしたことを真摯に実践してきて初めて、学生であったこと、大学院生で
あったことが意味を持ちます。
吉村に限らずですが、学部の段階では難解なテキストを読む機会がなかなかありませんが、
吉村には、学部の頃から、そして大学院でもたくさん読ませました。
自分でも主体的に難しい書籍に挑戦していたようです。
そうした学びのために、吉村は、同学年の10ゼミ生よりも2年遅れて大学を出る
ことになります。
この時間は、先日の追いコン(ガリラボ通信2016/3/19)で吉村が「花子とアン」から
引用した言葉を実現していくための時間であったと私は思います。
再掲します。
「花子とアン」で、教師が、
イギリスの詩人であるロバート・ブラウニングの詩の1節「我と共に老いよ、
最上のものはなお後に来たる」
の言葉を引いて、、
(学生)時代が一番幸せだった、一番楽しかった、と心底から感じるなら、私は
この学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。最上のものは過去に
あるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続けて、
進んでいく者でありますように。
と話したそうで・・
「学びの場のデザイン」に関して真剣に学んだ大学院の2年間は、吉村が自分の
未来を歩んでいくのに、大事な意味を持つことでしょう。
未来には難問がいくつも立ちはだかります。
順風満帆な未来などありえません。
楽な未来など、自分を堕落させるだけです。
難問は、自分を成長させるためにあり、それは自力で乗り越えていかねばなりません。
吉村は、難しい問題に出会っても逃げずになんとか乗り越えていくでしょう。
だって、乗り越えていくためのスキルを、2年間の大学院生活において、研究という
苦しい活動を通して人より多く学びましたので。
(私も、物事に向き合っていく行動原理は大学院の時に培ったと思っています(ガリラボ通信2013/5/26))
(長く一緒にいたからからもしれませんが)似なくて良いのに似てしまって、私と同じく、
吉村も表現やコミュニケーションが非常に不器用です。
それらの能力の上手な人は他者から評価を受けるのも早いでしょうが、まあそれと
比べてもしょうがない。
一足飛びに評価をもらうことは難しいでしょうが、地道に成果を上げていれば、誰かは
そうしたことを見ているもの。力のある人を天が見捨てることはありえない。いつか
飛躍していく運(チャンス)がやってくるはずです。
ガンジーが言ってます。
善きことは、カタツムリの速度で動くのだ、と。まさにその通りです。
ジグザグでも良いので、ゆっくりとゆっくりと前に進んでいってほしい。
ゆっくりでも、止まらなければ、けっこう進むわけで、研究を通して身につけた
知的体力を生かし、立ち止まることなく、自分の足で前へ歩んでいってほしい。
難しい問題で、どうして良いかわからなくても、とにかく逃げずに向き合うこと。
世界で一番、その問題を考えた人のところに神様は解決策を教えてくれるものです。
学部から大学院までの長い間、吉村に何かカタチあるものをプレゼントしたことはあ
りませんが、難しいことであっても逃げずに向かっていくための知的体力とスキルは、
(たくさん怒りながらでしたが)多少はプレゼントできたのはないかと思っています。
この先、しっかりと、力強く歩んでいって欲しいです。
0 件のコメント:
コメントを投稿