卒業映像制作を続ける藤坂梅吉(90)チーム。「自販木」という映像を撮って
いますが、そのエンディングに悪戦苦闘中。
紙粘土で作った子どもたちに紙芝居を見せているシーンを撮影しようとしていますが、、、、
紙粘土での小道具づくりに慣れていないようで、撮影しようとしたら、紙芝居の
フレームを固定していた土台が壊れ、急ぎ修理。
さらに首がもげてしまったものあり、これも急ぎ、接着剤で修理。
修理の方が多いのではないかと思うほど修理しながらの、とにかく試し撮り。
良さそうだとのことで、すべてを箱に入れて、外にロケに出かけていきました。
空中庭園での撮影は見事に失敗だったようです。
それでこの後、テニスコートをミニチュアの子どもたちが座る芝生に見立て、再度のロケに
出かけていきました。
その後、私は会議だったのでどうなったのか知りませんが、撮影できたのでしょうか?
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ところで、空中庭園に出て、昨日、OB(10)保坂たちが植えた桜(ガリラボ通信2016/3/14)を
この目で見て、驚きました。
盛り土されていて、そこにただ木が差し込んであるように見えました。
見た瞬間、思ったことは、「これは、墓標なのでないか」、と。
そう見えました。
土が盛られて、その上に何かおいてあるといったら、そう想像するのは私だけでしょうか。
それからの類推で「一心行の桜」に思い至りました。ホームページによれば、一心行の桜は、
○一心行の由来
この桜の老樹は、中村(峰)伯耆守惟冬(なかむら(みね)ほうきのかみこれふゆ)が眠るとされる墓地の菩提樹になっています。惟冬は、天正年間峰村に建築された鶴翼城に住んでいたとき、阿蘇家の命令を受け熊本県宇土郡内にあったとされる矢崎城城代もまかされるようになりました。しかし、今から400余年前、1580(天正8)年に島津の侵略により戦火に散りました。残された妻子、少数の家臣は峰村に戻り、戦死した惟冬と一族の霊を供養するために桜の木を植え、一心に行をおさめたといいます。このことから、「一心行」という名がついたとされます。
との由来を踏まえて名がつけられたものです。
ひょっとして、保坂は私を葬り去って、その弔いにと思って、桜の植樹を考えたのだろうかと、
そこまで想像してしまいましたが、たぶん、それはないですね。
私の弔いとか、やるとは思えませんから。
以上、桜の木の盛り土を見ての妄想でした。
墓標かどうかとか、一心に行をおさめるかどうかとか、そんな妄想はさておき、とりあえず、
この桜が、枯れることなくたくましく成長してくれることを一心に祈っておこうと思います。
サクラサクの吉報は果たしていつになるでしょう?
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