ラベル コラム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル コラム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年1月27日火曜日

「ヤバい」「エモい」「エグい」といった言葉を巡って

昨年末、2025年の漢字(熊)に関するコラムを通信に書きました(こちら)。言葉のことを再度考える機会があり、そのメモを残しておこうと思いました。パソコン内にファイルとして残すこともあり得るわけですが、それだと読み返そうと思ってもまず見ることはありません。その点、ブログは読み返すのに非常に便利なツールです。それで、このブログ(ガリラボ通信)を利用させてもらい、メモをここに置いておこうと思います。
それと、たまに更新すると、ゼミの卒業生に私の生存を知らせる効果もあるでしょうから。^^

----

1月で、A大学の今年度の講義は全て終了しました。A大学では「情報倫理」という科目等を担当しています。
この科目の担当を始めたのは12年も前のこと。10年以上前からこの領域が重視されるようになり、大学にこうした科目が新たに開講されることになったわけですが、開講した頃の社会状況は今からするとかなり牧歌的でした。そのため、受講している大学生も情報倫理は自分たちとは縁のないどこか遠い世界のことに感じていたようで、ぼんやり聞いている学生が多かったように記憶しています。
ところが、その頃からすると今の社会は情報の流通のあり方が激変しました。
この意味で、今の社会は情報倫理に関わる知識は、理論的知識というよりも社会を生きる上で実践的な知識になってきており、学生たちは自分たちの問題としてしっかり聴講する学生が増えています。

15回の講義で構成している科目ですが、その中で産業社会と情報産業(文化産業)の関係についての話をすることがあり、その中で関連する話題として言葉の問題ついて話をすることがあります。

今年度は、2021年度に広告賞を受賞した次の作品を紹介しました。
この広告は、広辞苑の広告ですが、人には多様な感情があるはずなのに、抽象度の高い万能語だけで表現することが増えていることに警鐘を鳴らしているようにも読み取れます。


今は、多くの感情をたったひとつの語「ヤバい」で表現することがヤバいほどに増えました。この「ヤバい」という言葉に違和感を私が感じたのは2010年頃でした。会話する中でゼミ生が「ヤバい」と言葉を使ったとき、何がヤバいのか明確に理解できなかったので、「それどういうこと?」と尋ねたのが、「ヤバい」が多くの感情を表現する言葉として若い世代に普及していることに気づいた最初でした。
もう15年以上も前のことです。それから「ヤバい」はネガティブな感情もポジティブな感情も表現する万能語としてどんどんと普及していきました。
「エモい」については、あまりゼミ生からは聞くことはなかったので、これがいつぐらいから普及してきたのかは私自身の経験ではよくわかりませんが、今の学生たちと接していると確かに「エモい」という言葉を使っている場面に遭遇するので、これも万能語として定着しているようです。

「ヤバい」などの高抽象語(万能語)の問題が、2025年4月16日放送のNHK番組「クローズアップ現代」で取り上げられました(番組HP)。番組では「エグい」という語が登場していますが、若い人たちと接すると「エモい」よりも「エグい」に遭遇する頻度の方が高いように思います。

ここでの指摘は、万能語を多用すると犯罪に走るという因果関係を主張するものではもちろんありません。そうではなくて、犯罪に走った人たち、全部ではなくその一部の人について、自分の気持ちを明確に表現できない傾向があるということのようです。
新潮新書「ケーキの切れない非行少年たち(2019年刊)」で指摘された認知力の問題と似ています。非行に走った少年たちには、ケーキをうまく等分に切れないという人がいて、非行少年たちの一部には認知力の問題があることが指摘されたのでした。
これは、大人に向けての成長に問題を抱えている人たちの中には一定のリスクを抱えている人たちがいることを指摘するものでした。

言葉を覚え始めた赤ちゃんは、動物を見ると全部を「わんわん」という万能語で捉えます。しかし、成長に伴って「わんわん」は、「わんわん」と「にゃんにゃん」に分化し、犬と猫とを区別して認識できるようになっていきます。成長とは、世の中を多くの言葉を使って詳細に捉えていく過程でもあります。
「ヤバい」「エグい」あるいは「エモい」という万能語を使いすぎることは、感情に関わる成長を止めている可能性があるかもしれません。そして、万能語による表現は、万能ゆえに表現を考える必要がなく、思考から逃走している可能性もあります。世の中とは本来非常に豊かな世界です。そうした豊かな世界へのアクセスが遮断されてしまうのは非常にもったいないことではないかと思います。
※思考からの逃走については、ゼミの院生卒業生が主催してくれた退官記念祝賀会での最終講義で話した話題でした。⇒退官記念祝賀会@水前寺共済会館(ガリラボ通信2024/5/12)
もう2年近く前にもなりますが、あの時に話したことがさらに進行していて問題としてさらに悪化しているように感じています。

思考からの逃走を始めないためには、ひとつは、本を読み、それまで知らなかった言葉に出会ってそこから知らなかった世界を想像してみようとか、あるいは他者と出会い、自分とは異なる意見にぶつかってみようとか、そういった方法等を紹介したりしています。
ただ考えてみると、このことは、若い世代に対してでなく、私のような高齢世代でも大事というか、高齢世代こそ重要ではないかとも思ったりするこの頃です。

------

講義終了後、講義の感想を任意で提出してもらったところ、言葉の問題ではなく講義内の情報社会に関して、ある学生の次の感想に驚かされました(文章は原文を参考に、私の方で作成したものです)。
自分の顔やスタイルの欠点を治さないといけないとSNSやメディアに思わされて、高額なお金で顔を切ったり縫ったり骨を削ったりして大学生活を過ごしてきたことを思い返し、悲しい気持ちになった。この4年間、もっと旅行や習い事をするべきだった。それにお金と時間をかけたら見た目なんか気にしなくて済んだのかもしれないと思った。これからは無駄な消費を減らして自己投資をしようと思えた。見た目の自己投資だけでなく、中身に対しての自己投資を頑張りたい。わたしは今日の講義の話は忘れたくないと思う。脳を鍛えるために、本を読んでイメージする練習をしてみようと思った。

ネットのフィルターバブルやエコーチェンバーといった効果によって加速され、こうしたことはこの学生だけに限ることなく、大人であっても陥ることはありえるでしょう。常にネットに接した生活をしている私などは当然その傾向の中にあるはずです(なので、そうしたことがあるんだということは常に自覚しております)。
そして、さらに最近は、SNS以上に生成AIがこの傾向に拍車をかけています。2026年1月20日に放送されたクローズアップ現代「友人や家族より 私の理解者AI!?」で、AIの持つ性質=依存性を強化させていく性質を持っていることが指摘されていました。それは、どういった発言をしてもAIは基本的にまずは肯定的に反応するよう作られているからです。そうしたAIとのやり取りは心地が良く、それが依存傾向を強めていくことになるようです。
周囲と話す機会が少ない人がAIを利用するのは悪いことではないと思います。しかし、AI利用は、周囲と話す機会があってもそれを失くしてしまっていることもあるわけで、過度なAI利用は避けるべきではないかと考えます(なにごとも「中庸」であることが大事か、と)。
この点に関して、別の学生からこんな感想をもらいました(これも同じく文章は原文を参考に私の方で作成したものです)。
今はAIに聞けば何でもわかってしまう社会になっていて自分で考えることが少なくなっています。実際、私もAIに聞いたりすることが多いです。そのため他の人と議論することも少なくなっていてコミュニケーションも少なくなりつつあります。

以前であれが、課題について友達と相談していたこともAIで間に合うため、友達同士のコミュニケーションが必要なくなっているようです。昼飯などを奢る代わりに友達のノートやレポートを拝借するといった昔よく見られた互恵行動(?)などは今はもう死滅しているのかもしれません。ネット検索が誕生してから助け合い行動が死滅する傾向にはあったわけですが、AIはその次元をひとつ上に上げてしまいました。
1990年代初期に正統的周辺参加(LPP)という学習概念を提唱した研究者のひとりWengerが、ある本で(「Communities of Practice(1999)」というペーパーバックだったはず?)の中で、ある企業の新入社員が次々に退社する理由をフィールド調査により明らかにしました。それによれば原因は新たに作られた(会社としては良かれと思って作成した)新人用のマニュアルでした。このマニュアルのために新人社員が先輩社員に仕事の相談する機会がなくなり、コミュニケーションのない職場で新人社員の組織社会化がうまくいくはずがなく、それが退社につながっていたわけです。AIは、状況によっては、このマニュアルのような役割を果たす可能性があります。上記学生の感想にあるように、AIが、大学において学生間のコミュニケーションを阻害する要因にもしなっているとすれば、何らかの対策が必要なのかもしれません。

------

ゼミ生と直に接することがなくなって2年。
講義でしか若い世代と関わることがなくなり、学生の生活感を肌で感じる機会がなくなりました。そのせいで新たな社会状況についてかなり疎くなりました。
学生のことをどこかの大学(SFCだったかな?)が「未来からの留学生」と呼んでいました。的確な表現だと今になってさらに感じています。学生たちとの接触は未来につながり、そのために進む先が広がっていた感じでしたが、今は過去と現在の中に埋没し、広がりを失っている気がします。
文章を書く能力も劣化していることにも気づきました。このコラムもどうにも話をきちんと収束させることができません(涙)。私の場合は、AI騒動どころではありません。
 

2025年12月22日月曜日

今年の漢字に関連して思ったこと

例年、今年の漢字というものが発表されます。
漢字の発表を聞いて、ガリラボでも年末になると「10大ニュース」と「漢字」を発表することを一時期恒例にしていることを思い出しました。
10大ニュースは割合と発表していましたが、漢字は選定が難しかったようで、継続しておらず、調べてみると一番新しいのが2016年の漢字でした(ガリラボ通信2016/12/30)。

さて、今年2025年の漢字は「熊」でした。
「米騒動」も起きましたが、「熊騒動」の方がより深刻だったということでしょう。
それはヒトの世界のことです。もし、クマの世界で漢字が発表されたとしらという仮定の下で合成したらしき画像をSNSで見ました。
次は両者を私が並べてみたものです。
ヒト世界では「熊」となりますが、視点をクマ世界におけば、漢字としては「人」はまったく妥当だと思います。
ヒト世界にいると一方的な視点になりがちですが、視点を相対化することの大事さを教えてもらいます。

 ヒト世界、クマ世界という表現を使ってみて、さらに思い出したのが「オニ世界」のことです。

桃太郎の話をオニの世界からみたら・・という話です。次は2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」で最優秀賞をとった「めでたし、めでたし?」というタイトルという作品です。
鬼の子どもが「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」と泣いています。


鬼の子どもの下には、
  一方的な「めでたし、めでたし」を、生まないために。
  広げよう、あたながみている世界。
との広告(コピー)がつけてあります。

視点を相対化することは、大人であれば、どの国の人であれ、どんな年齢であれ、そしてどんな立場の人であっても重要ではないかと思います。
一方的な視点だけだと悲劇しか生まない可能性もあり得ますから。
そのためには世界を広げる努力が必要です。
私の場合、随分と歳を取り、相対化することが苦手になってきています。鬼の子どもの泣き顔を思い出しては、視点・考え方を相対化する努力をしていかねばと思いました。

2024年4月30日火曜日

ガリラボについてChatGPTに聞いてみた

生成AIが登場して、いろいろな変化が生まれているようです。
教育の現場もそのようで、本日(4/30)の読売オンラインに、生成AIは「無料の代行業者だ」との中学校の先生の嘆きの声が掲載されていました。

大学生も同様で、この記事の中である大学生の言葉として、

「興味がない必修科目のリポートは基本、生成AIに丸投げ。不必要な時間をとられたり、不完全なリポートを出して単位を落としたりしたくない」

というのが引用されていました。

こうした混乱は、WWWの登場時期、そしてネット検索の発明のときにも起きていて、その時もほぼ似たような議論が展開されていたように思います。
ネット検索についての否定的な意見も散見されましたが、現在は小学生もひとり一台のタブレットで検索することを前提に学んでいるはずなので、生成AIも時間の経過とともに利用形態は収束していくことでしょう。

私も、例えば「ガリラボについてまとめなさい」とのレポート課題がでたら、間違いなくChatGPTに助けを求めるだろうと思います。
実際に聞いてみました。

私:ガリラボとはどんな研究室か。 

ChatGPT:研究室の活動から、学生が主体となって多様なプロジェクトやイベントに取り組む実践的な学びの場であると考えられます。また、ドキュメンタリーやスポーツ大会、映像コンテストへの参加など、多岐にわたる分野での活動が行われていることから、研究室が広い視野を持ち、学際的なアプローチを取り入れている可能性が高いと推測できます。これらの情報から、「ガリラボ」は革新的で学生の創造性や多様性を重んじる研究室だと思われます。ただし、より具体的な情報が必要であれば、データ内の該当する記述を探し出す作業が必要です。もし特定の情報を求めている場合は、もう少し具体的な質問をいただけますと幸いです。 


なんとも見事なもの。これなどみると、レポートは、生成AIが作ってくれるようになるのは間違いないだろうと感じます。
便利なものです。
ただ、気になるのはデータ。生成AIが動くためにはデータが必要です。生成AIの燃料であるデータの在り方については少し気になります。


2024年2月3日土曜日

現職教員としての講義終了

土曜日の午前中はいつも、オンライン講義「情報社会とコンピュータ」の課題に対するコメントを書く作業をしています。
今日で15回の講義が終わり、これで担当している講義は全て終了。
現職教員でこれが最後となります。
最後の講義の課題には、任意で感想を書いてもらっています。提出者231名の6割強から感想がありました。
感想は講義を好意的に捉えているものばかりでした。わざわざ書いてくれているので当然ですが(残りの4割近くが正直に書いてくれると厳しい意見ではないかと思います)。

次はある学生の感想です。
この講義は遠隔授業でしたが、深く考える問題がたくさんあり、非常に興味深い内容でした。遠隔授業は聞き流して終わりになってしまうことが多々あります。しかし、この講義はそうならないための工夫がたくさんなされていたと思います。そのため積極的に講義を受講することが出来ました。遠隔授業でも一方的でなく双方向的な授業だったと感じました。毎回授業内容をまとめることや自由研究は大変ではありましたが自分の為になったと思います。また、各回の課題へのコメントも興味深く読ませていただきました。学生の文章も何度も出てきましたが、同じ学生が書いているとは思えないものもたくさんあって、負けていられないなと思い精一杯課題に取り組みました。講義内容も授業後のコメントも学びが多いとても興味深い講義を受けることが出来て良かったです。

15回全て動画での配信でした。しかし一方的という感じでは捉えてくれてなかったようです。次は別の学生の感想です。

毎回の授業後で物事を見る視点が少しずつ変わっていったと思います。今まで当たり前のことだと思っていたことについてやそれまでの考えと異なっていたことなど新たな気づきが多くありました。同時に自分が今まで知らずに過ごしていたことの多さに改めて気づきました。物事を知らずに過ごすのと知ってから自分の行動を考えるのでは大きな差があると感じました。大学生で学べる時間があるからこそ、何を学んで行動していくのか考えていくべきだと思うようになりました。約半年間ありがとうございました。

よい刺激を与えることできたようで、講義をやった(講義動画をせっせと作り、せっせとコメントを書いた)甲斐がありました。^^;
そして、さらに別の学生ですが、
情報というのはコンピュータや数値などのことだけではないのだと感じました。講義を受けるにあたって、情報社会とコンピュータということで、勝手に数学的な内容やコンピュータに関係する話を想定していましたが、実際には想定していた話だけでなく、失敗の重要性や表現の方法、ロボットとの共生など、普段生活している中で、いつもは気にとめないような当たり前だと思っていた行動や知識まで、深く考えれる講義内容だったので、講義を受けて非常に良かったと思います。そして、この講義の毎回の課題を提出した後に、先生からの全体のコメントで、他の人の考え方や捉え方を紹介してあったので、同じ講義を受けても視点が違うとこんなにも異なる意見や感想になるのだと感じた上に、自分だけでは考えることの出来なかった部分を他の人の意見を見ることで考えることができたのが、嬉しかったです。他にも課題を提出する遠隔授業がありますが、講義を受け課題を提出した後に、他の人の考え方を知れるこの講義の取り組みを他の授業でも取り入れてほしいと思うくらい私にとっては良かったです。他と同じひとつの講義ではありますが、その講義内で得ることができた知識と考え方が、今後の就職活動や大学生活で活用できるものばかりで、講義を選択して良かったと心から思いました。

とあり、現職教員として最後ということがあるからでしょうが、他の学生のも合わせてですが、じーんときました。

総合管理学部は来年度から新しいカリキュラムとなりますが、この科目はなくなるようです。情報と社会とを考える科目がなくなるのは残念にも思いますが、時代の流れの中でカリキュラムも新陳代謝が必要だということなのでしょう。

コロナ禍でやもうえず作ることになった動画教材。最初はいやいやであったわけですが、いざやってみると、学生は難しいところを何度も視聴できるというメリットがありますし、また対面だとアドリブでごまかして(?)いたような曖昧なところが、動画として残るため、内容を相当に吟味せざるを得ず、結果として講義内容を随分と洗練させることができました。そして、何よりも講義の記録を残すことができたのは私としても良かったように思います。

ともあれ、現職教員としての講義は終わり、肩の荷が下りました。


2024年1月28日日曜日

講義もそろそろ最終回へ

大学でメインで行っていた講義も次回で最終回。毎回、授業後に満足度等を聞いていますが、例年、特別講義に来ていただく熊日新聞の方の評価が一番高いという結果となります。
それが、前回(第14回講義)、逆転はできなかったものの、僅差に迫る満足度となっていました。比較すべきものでもないのかもしれませんが、つい変なプライドが・・・(笑)。

(とりあえずそれなりに頑張った)第14回講義は失敗をテーマにしたもので、受講生の課題提出後に公開している補足・コメントの冒頭部分は次の内容でした(課題を締め切った後、夜中に推敲なしで書いているものです):

失敗をテーマに、そしてパート3「情報社会のリスクと安全」全体の補足説明の意味も込めて講義を行いました。満足度はこれまでの中でかなり高く、受講生皆さん、興味を持ってもらえたようです。失敗というのは、恥ずかしい、あるいは制裁(責任を取らされる)というのがあるので、なかなか表には出てきにくいものです。もし自分から堂々と失敗を話しているのだとすれば、それは成功につながった失敗だった可能性が高いのではないかと思います。

例えば、現在、学校や職場でのいじめというのがありますが、深刻な場合は自殺などにつながったりして取り返しがつかない結果になったとき、その原因を探ろうとすると情報は隠れたがり、また歪曲したりする可能性が高いように思います。しかし、そうした情報をあえて表に出して、次の失敗につながらないようにしたいというのが、失敗学の本質ではないかと思います。人の死が関わってしまったような場合、膨大な予算を費やしたのに関わらず失敗した場合、福島第1原発の問題、水俣病の問題など、世の中にはその責任が厳しく問われる事例があります。それらの教訓は後世のためには真に財産となる知見になる可能性が高いわけですが、しかしそこで関係した人は口は開かくなくなり(あるいは重くなり)、闇の中に隠れたがる傾向にあるように思います。最悪の場合、口を開くことを恐れ、関係者が自死を選ぶことだって過去にはありました。

ところで令和6年はとんでもない幕開けとなりました。能登地震に羽田空港の衝突事故など、カメラが偏在している今日の情報社会では目を疑うような映像も多く残されるようになり、ショッキングな映像を目にすることになりました。

羽田空港の事故は、当初の報道から時間が経ち、詳しい状況が明らかになるにしたがって単純なミスではなかったことは明らかなようです。ブラックボックスも回収されたようですので、講義で紹介した事故調査委員会による調査結果で最終的に何が起きていたのかは明らかになるでしょうが、おそらくスイスチーズモデルのような状況が起きていたことは間違いないでしょう。

そして能登地震。多くの方がなくなっていますが、まだ状況が明らかではないため、これについては触れようがありませんが、同じく1月に起きた阪神淡路大震災についてはかなりのことがあきらかなっているようです。数千名の方が亡くなった震災でした。目の前で人が亡くなっていったわけで、凄惨な現場であったようです。ひょっとすると助けたかったけれどできずに自分が逃げたという状況があったかもしれません。そうした記憶は思い出したくもない方もおられることでしょう。しかし、震災後、このときことを教訓として後世に残そうと、調査団が組織されました。災害の時に人々がどのように行動したか、そのリアルを記録として残し、後世の教訓とするためです。災害エスノグラフィーと言います。この調査の際、対象者には「30年間は決して表に出さない」ということを約束して本当の話を聞きだしていったそうです。それぐらいしないと失敗情報は出てこないのです。

失敗情報というのは凄惨な現場で生まれるもので、極めて難しい問題を抱えたものです。そのことを私の口頭による説明で十分に伝えることは難しいとは思いつつ、しかし重要な問題でもあるので、あえて講義のテーマとして取り上げました。

今回は218名から課題提出がありました。自由研究の振り返りの方法については154名、失敗情報をまとめた事例について調査報告をしてくれたのが84名でした。

(以下、課題コメントについては省略) 

 

毎回講義が終わったあと、課題を読み終えた後にフィードバックの意味で受講生全体に向けて講義の補足と課題についてのコメントを公開しています。第1回から第14回までのコメントについて、文字だけですが、数えてみると5万文字ほどになっていました。
動画全盛時代の今時に、文字だらけのコメントなので、たぶんあまり読まれてはいないだろうとは思います。それでも何名かは読んでくれている感触を持っているのでそうした受講生向けにせっせとフィードバックしてきたましたが、それも残すところ後1回。
最後は名残惜しさのようなものが出てくるのかと思っていましたが、特にそういうことはなく終わりそうです。
 





2023年12月4日月曜日

声にならない声に耳を傾ける

先月末、脚本家の山田太一さんが亡くなられました。
今の若い世代はあまり知らないかもしれませんが、数々のヒットドラマを手掛けられた著名な脚本家でした。
特に大学生の青春を描いた「ふぞろいの林檎たち」は大ヒットし、1983年にスタートしてから、1997年前までシリーズとして継続するほどの人気でした。
山田さんが亡くなってからテレビで山田さんの作品が紹介されていて、目が釘付けになってしまったのが、1976年から1982年までシリーズとして放送されたドラマ「男たちの旅路」の第4部の中で放送された「車輪の一歩」というドラマでした。
当時は、車いすを使っていると、バス、タクシーにも乗車拒否され、さらに飛行機でも搭乗拒否されるような社会でした。
駅も全部階段で、車いすではどこにも出かけることができず、結果、自宅に引きこもるしかなかった。
この当時の社会は、障がい者に対して非常に不親切でした。
この頃は、私が学生の時期になります。
記憶を辿ると、当時は、バリアフリーといった考え方は皆無で、障がい者に不親切というようりも、不親切であることにさえ気付けていない社会であったように思います。
今回知った「車輪の一歩」はこの問題を取り上げたドラマでした。
ドラマの中で「人に迷惑をかけることを怖れるな」という、その後、有名になるセリフがあったようで、これは山田さんが感じていたことを役者さんを通し社会に向けて発せられたメッセージだったでしょう。
ドラマのラストシーンが、Youtubeにありました。
障がいで引きこもりがちだった少女が勇気を振り絞って「声を出した」様子が描かれています。

このドラマによって障がい者がおかれている状況が社会に認知され、ドラマがバリアフリーという概念を浸透させていくのに大きな役割を果たしたのではないかと思います。

このドラマの存在を知ってから思い出したのが、是枝監督の次のツイート。
もう8年も前のツイートです。テレビの役割、映像の役割について書かれていました。


「声にならない声を音にする」を読んで、その時はうまく咀嚼できず、モヤモヤしてました。
モヤモヤをいつか解消しようと、ツイートのスクショを見えるところにおいて、意味を考えてました。
それが、山田太一さんの「車輪の一歩」を知って、霧が晴れた感じでした。
是枝監督の言葉がようやく腑に落ちました。

それと同時に、私自身について反省。
研究などに向き合うとき、こうした態度を少しでも持っていただろうか、と。
研究以外だと、どうだったろうか、と。
ひたすら、すでに注目されていることをただ拡声器としてやってきただけではなかったろうか、と。
声にする必要がない目立つ声にだけ向き合い、それだけをただ追っていく態度に終始していたのではないかと強く反省しました。

あと少しで退職。
退職後、まだ少し何かやれるとしたならば、是枝監督の言葉や山田太一さんの実践を頭のどこかに置き、声にならない声に意識を集中させながら、ひとり静かに活動していければと思いました。
これからのことはまだ何も考えていませんけど、「声にならない声に耳を傾ける」という態度はできるだけ持って、過ごしていこうと思います。

2023年9月22日金曜日

細川さんが語る学びの場

熊日新聞には月1で細川護熙さんのエッセーが掲載されています。新聞はさっと眺めることが多い中、なぜかこのエッセーはきちんと読んでいます。

今回のタイトルは「愛する人からのみ学ぶ」というもので、ゲーテの言葉とのことです。細川さんのお父さんは、西田幾多郎に学んでいたとのことで驚きました。しかも西田の自宅で学んでいたそうで、この時代は自宅に色々な人が集まって議論することが多かったのでしょう。

こうした学びの場について、細川さんの次の言葉が印象的でした。

世界一と言われるオックスフォード大学では、いまも伝統的にマンツーマンの教育が行われているといいますが、膝つきあわせての濃密な師弟関係の中で、はじめて真の意味での上質な感化が行われるわけで、ゲーテが「ひとは愛する人からのみ学ぶことができる」といったのもそういうことでしょう。尊敬し、学ぶことを請うことを悦びとするところから、学習することの真の意欲が湧いてくるのだと思います。

今の時代、大人数教育も多く、さらにはオンライン教育も普及して、「膝つきあわせて」からは程遠くなっているように思います。しかし、それでも一定程度は「膝つきあわせた」学びを実践している人たちも中にはいるのかもしれません。私は大学時代の研究室は同期が2人、そして大学の2期生ということもあったのでしょうが、指導教授には随分とかわいがってもらい、実験を終えてからよく食事に連れて行ってもらってました。
大学に赴任する前は、日立製作所の部長をされていて、当時世界最高性能の分析装置の開発などを手掛けられた方でした。大学内での研究の打ち合わせよりも、食事の場でお聞きした開発の苦労や製品を国外に営業していく話などはこの歳になってもよく覚えています。研究をやっていた時期、そしてもうすぐ社会人になろうとしている時期にざっくばらんに聞かせてもらった話に、ずいぶんと影響を受けたように思います。

細川さんのエッセーを読んで、度々連れて行ったもらい指導教授と膝をつきあわせていただいた食事の場を思い出し、あーあれは私にとって大学時代の貴重な学びの場だったなと思いました。

コロナ禍は膝つきあわせてという状態を難しくしました。そんな状況の中、ゼミ生にとって、どういった場が真の学びの場になっている(いた)でしょうか。

・・・ 

今夜は、高専の教員時代に担任し、今は高専の教員となっている教え子との飲み会です。30年以上前のこと。あの頃は、このやんちゃな連中とほぼずっと膝を突き合わせていたような記憶があります。



2023年6月14日水曜日

閑散とした中での読書

火曜日は、卒論打合せ、ゼミ、そしてもやいすとと、朝から夜までゼミ生との熱狂状態を過ごしておりますが、翌日の水曜日は、祭りの後のようで、閑散とした中で過ごしました。

今日などは特に顧問をしているサークルの部長さんが印鑑をもらいに来たくらいで、非常に静か。また、時間的余裕もあったので、授業準備を済ませた後は読書に耽っておりました。

読んでたのはWeb3関係の昨年出た新書「Web3とは何かーNFT,ブロックチェーン,メタバース」という本。
最近、AIの話が巷に溢れ、少々食傷気味になっているため、AI以外でと手を出した本でした。

Web3についても礼賛する本が多い中で、あえて斜めから、批判的な意見も必要だろうとの思いで書かれた本のようです。ブロックチェーンについての章で、

最初はエリートが夢を見るのである。Webが登場したとき私は大学生だったが、先生たちが一番喜んでいた。「世界中の人が誰でも議論に参加できる!」と。私にはそんなにいいものには思えなかった。先生たちがやればそうなのかもしれない。でも、不特定多数の人が議論をすると荒れる。そもそも議論にならない。インターネットの登場以前から、電子掲示板は荒れていた。そして、それを見たエリートは幻滅して次のしくみを探しに行くのである。それを繰り返している。(181頁)


という個所がありました。まったくその通りですね。

これに関連することは、前にも書いたことがあります。

「熱狂」状態にあるとき、あえて冷静になり、熱狂から一歩離れた思考が必要です。

今だと、例えばChatGPTに代表される生成AIに関て熱狂的状況にあるような印象を持っています。生成AIは確かにすごい。私自身、ChatGPTが登場してすぐにユーザー登録し、熱狂し利用していた記憶があります。

ところで、こうした熱狂は意図と異なる状況を生み出す危険性をあることが指摘されています。これは、前にガリラボ通信でもそのことを紹介したことがあります。

⇒熱狂しつつも、冷静に~アラブの春のその後からの教訓(ガリラボ通信2015/3/22)

熱狂しつつ前に進むことの重要性は理解しつつ、(矛盾していますが)しかしそこであえて冷静でいることが大事そうです。
上の新書を書かれた方などはそのおひとりなのかもしれません。

熱狂といえば、コロナ禍で生まれた「オンライン」なども熱狂についての事例のひとつでしょう。
大学はほぼすべての授業がオンライン。
その間、キャンパスは閑散としてました。
ただ、多くの教員が当初批判的だったオンライン授業も、やってみると意外に悪いことばかりでないことに気づき、それで改めてオンラインが教育に問いかけている意味をじっくり考えた人たちもいたようです。
例えば 内田樹「コロナが学校教育に問いかけたこと」 2021/2/21
私も、そこそこですが、似たようなことを考えていたように思います。

他にもうひとつ、教員が気づいたことがあります。
それは、オンライン授業の準備は大変だということです。対面での授業は、コロナ前、大変だと思っていましたが、実はリアルで行う授業の方が労力はそこまでないんだということにオンライン授業をやるようになってから気づかされました。

さて、5月から新型コロナウイルスも5類となり、コロナ前の日常生活を取り戻し、キャンパスも学生で賑わうようになっています。
対面での授業が大いに復活したからです。対面授業は文科省も推奨しているようです。
ただ、文科省がそう言わなくても、諸条件を考えると、自然に復活していったはずです。
定期試験なども対面での筆記試験がかなり復活し、もとに戻る気配です。

オンライン化は不可逆的過程だと思っていました。実際、コロナ前と全く同じ状況になってはいないとは思いますが、しかしなんだか雰囲気的にはコロナ前に戻っているような感じです。

2020年4月からしばらく続いたドタバタ・アタフタしていた熱狂は何だったのでしょう。
せっかくの未曽有の経験だったはず。
創造的復旧・復興が望ましいはずですが、私の場合はなんだか単なる復旧・復興で終わってしまっている気がします。
学習能力が弱まっているせいでしょう、おそらく。orz


2023年6月5日月曜日

週刊朝日:100年の歴史に幕

歴史ある週刊誌「週刊朝日」が101年の歴史に幕を下ろすそうで、驚きました。
表紙は編集局の様子だそうです。
その様子を撮影したカメラマンの名前を見て、またびっくり。
映画「浅田家!」のモデルのとなった浅田政志さんです(この映画はほんと面白かった。家族写真と言うのがどういうものかを学びました)。

101年前と言えば1922年。大正11年のことです。
戦前から戦後を生き抜き、昭和の頃にはこの雑誌がなくなるなど多くの人が思ってもいなかったでしょうが、どんなものに栄華盛衰があるということなのでしょう。

2020年にはタンクマが休刊(ガリラボ通信2020/1/27)、2021年には熊日夕刊の休刊(ガリラボ通信2021/8/11)、身近な紙メディアの相次ぐ休刊にメディア変化を身近に感じていたところです。誰もが瞬時に情報を得ることができるようになった社会では「月刊誌は、時代にそぐわない情報伝達手段になっている」とタンクマの会長さんは話されていたようですが(ガリラボ通信2020/2/9)、週刊朝日のような週刊誌でも時代にそぐわなくなっているということなのでしょうか。

速度が一段と増してきているということなのかもしれません。
速度を否定するつもりはありません。ただ、同じくぐらい、意識して立ち止まることも重要ではないかと思います。



2023年3月17日金曜日

おもしろきことなき世(が)おもしろく(なる?)

昨日、たまたま見たGPT-4についてのツイート。
画像に対応できるということでしたが、例えば、図を含む問題がある場合も、GPT-4であれば対応できるようです(真偽は不明ですが)。
もしこれが可能であれば、チャットでは不可能だった、数学の幾何学の問題とかも写真に撮れば答えを教えてくれそうです。
古文書なんかがでてきても、写真にとれば、現代文に変換して教えてくれそうです(もっとも文字だけのサービスであればそれは少し前からありました。別言語で書かれたレストランのメニューを写真にとれば日本語に変換してくれるサービスがLINEにあります)。

上のツイートを次のように引用リツイートしている方がいました。
なるほど、AIが非言語領域を言語化できるようにあれば、現在だと物体認識レベルのAIがさらに発展していきそうです。
このNishidaさんのツイートをみて、私もいくつかアイデアが浮かびましたが、まだ言語化できないので、これから色々と考えてみたいと思います。

こうしたツールを誰もが使えるわけで、世の中、非常に面白くなっていきそうです。
色々な壁を壊していけそうです。
自動車は、足の不自由な方の移動を普通の人とほぼ同じ状況にしました。
電子メールが登場した時、耳が聞こえなくても自在にコミュニケーションできるようになりり、聴力の違いの壁を乗り越えていきました。
テクノロジーとは、基本的に色々な壁を壊してくれるものです。

東大のある先生が学生に、
ChatGPTとDeepLとグラマリーといった”三種の神器”を必ず使うように。
と伝えたそうです。そして、
人間の生の脳で書いた文章なんて、へたくそですから。
とのこと。
考えなくなるのじゃないかと言われそうですが、それは昔からあった議論です。
電卓が出た頃、私も1975年に初めて使いましたが、当時、暗算力が落ちて、数学とかできなくなるのでは?と言われましたが、今時そんなことを考える人はいません。計算は電卓にさせ、人は別のことをやっています。たぶん今のAIも当時の電卓のようなツールと考えてよいでしょう。

「おもしろきことなき世をおもしろく」は高杉晋作の辞世の句です。
高杉晋作がAIをみたら、飛びついたかもしれません。
現在の新しい電卓で、これから色々なことが起きていくでしょう。近未来は楽しそうです。

そのためには、この現代の電卓の使い方をまず学ぶ必要があります。
日常的に三種の神器を利用していきましょう。


追記:
今夜は街中で卒業生との飲み会。



2023年3月2日木曜日

DXはどういったところに影響するか

昨日に比べると気温が下がり寒かったですが、雨上がりの澄んだ快晴の空は大変気持ちのよいものでした。

そんな中、ひとり黙々と研究室で作業しておりました。随分と捗りました。
DXなるものが進行し、作業の多くを机の上でぱっぱっと済ませることができるようになったおかげなのかもしれません。

今日やっていた作業を昭和の時代にタイムスリップさせると、紙の上に手書きで清書し、それを封筒に入れて、糊を使って封をし、そしてその封筒は郵便ポストまで走って持っていくということをやっていたはずですが、そうした作業が一切なくなりました。

封筒を使う機会が激減。糊と鋏を使うことも激減しました。郵便ポストに走る機会も激減。

ついでながら・・・
今日は会議はありませんでしたが、今では自分の机の上で会議に参加出来ることも増えたので、別の建物まで散歩(移動)することも激減しました。意識しないと歩くことが減ってしまっています。
そのため私は、万歩計をチェックしつつ、一定程度の歩数を維持するよう、通勤はわざわざ遠回りして歩くとか、なんとも無駄なことをやっております。
ちなみに、2017年8月から計測を開始して5年半ほどとなりますが、日本の海岸線1万9千kmの半分を踏破しました。(もし生きていれば)後5年ほどで日本の海岸線を一回りする予定です。


話を戻します。

コンピュータ化の名で、検索が机の上でできるようになった結果、図書館にいくことがほぼなくなりました。昔だと、欲しい文献は、文献のタイトルが掲載されている紙媒体の冊子をじっくり眺め、必要なものがあれば図書館に複写依頼をするという流れでした。それらのほぼすべての工程で図書館での作業が不可欠でした。今はもうその工程がほぼ全てなくなりました。ネット検索とpdfのダウンロードがそれらを代替してくれており、ネット検索で出てこないものはもうこの世に存在しないのと同じような状況になっています。

ここ最近だと、世間を大いに賑わせいるChatGPTのようなAIを比較的容易に利用できるようになったので、これまで何度も検索していた作業が非常に楽になりました。検索そのものをAIに肩代わりさせることができるようになりましたので。

一昔前、レコードが登場したとき(明治期?)、学校の先生は不要になるのではないかという議論がありました(寺田寅彦がそんなことを書いていました)。またCDが登場した時、動画をコンピュータで視聴できるようになった時も似たような議論が起きました。

しかし、幸か不幸か、学校の先生という職業がなくなることはありませんでした。将来もそうかどうかは自信ありませんが、恐らく先生という職業がなくなることはなく、なくなる(変化する)のは、その職業を進めるのに必要であった事務処理といった「業務」です。

昔懐かしい、コピー取りという業務も消滅しました。特定の業務はコンピュータ化(DX)でなくなっていくでしょう。
DXというデジタル技術による変革は、日々の仕事の中の細かい部分(会議のため移動していたコストとか、はさみで切って糊付けしていた作業等々)を消滅させていくようです。

※ところで、ChatGPTなどの台頭で、(ガリラボ通信のような)ブログを直接閲覧する人たちは激減していくのかもしれません。直接的には多分そうなるでしょう。ただ、ブログはAIの学習リソースにはなるでしょうから、その意味では次の世代のため間接的には役立つことになるはずです(と思いたい)。今後、個人で情報発信している人たちへの影響は大きそうです。


DXは質的に新しい動きというよりも、昔からのコンピュータ化の延長線上にある動きと考えてよいだろうと思います。こうした過程で、仕事に関わる業務がどんどんと効率化されていきました。こうして、私たちの仕事の質はさらに強く問われていく時代になっていくことになるでしょう。
創造力の勝負になっていく可能性もあり、創造力は今まで以上に問われていくのではないかと思います。デジタル人材とは、実は、こうした人材なのかもしれません。


(検索をしたところ)4年ほど前にも、こうした変化について考えていたようです。
⇒パソコン視点での昭和と令和の大学生比較とか(ガリラボ通信2019/6/22)


DXやAIといった現在の流行(熱狂)からは一定程度距離を置いてその意味を考えることも必要でしょう。単純な熱狂は思考を停止させてしまう危険性がありますから。
⇒熱狂しつつも、冷静に(ガリラボ通信2015/3/22)


熱狂から距離を置いたいてやるべきひとつの方法は、歴史を学ぶことかもしれません。今、流行していることが、今後どういった影響を生み出すのか具体的なことはわからないまでも、歴史を学ぶことで、おおまなか方向性ぐらいは理解できるのではないかと思います。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
⇒ガリラボ通信2015/6/11


2023年2月21日火曜日

模様替えとその方法についてのBing AIからの回答

昨日、19ゼミ生を送り出しました。この機会を捉え、模様替えを行いました。
奥の4年(19)川口が使っていた机とPCを撤去し、通れる空間を作り、長年溜まっていた汚れをしっかりとふき取りました。
ここを掃除するのは何年振りなのか不明ですが、ずいぶんと時間が経っていることがよくわかるほどかなり強固な汚れでした。

撤去したPCと机です。PCは問題なく運べましたが、問題は机。ひとりで運ぶには結構重い机でした。一計を案じ、片方の足2か所に段ボールの靴を履かせることで解決。このやり方で騒音を立てることなく、スムーズに移動させることができました。

ところで、模様替えが全てが終わってからのことですが、昨日から私のアカウントで利用可能になった今話題のBing AIに方法について聞いてみました。
驚きました。
私がやった方法は教科書通りの非常に優れた模範解答のような方法だったようです。

課題も出ているようですが、Bing AIは電卓が登場した時、あるいはワープロが登場した時、またはExcelが登場した時のような便利さを感じます。
検索そのものに手間をかける必要がなく、またこれまで自分でやっていた集めた情報についてのまとめるなど知的作業の下流工程をやってくれるので、そうしたところをAIが担当してくれるので仕事の効率はかなりアップしていきそうです。
昔、この時期は300人ものクラスを担当していると試験の採点以上に集計作業に四苦八苦していましたが、Excelが登場してその部分はExcelがやってくれるので、力を別のところに振り分けることができるようになりました。
私の家内にも昨晩Bing AIでのやりとりをやってみせたところ、「ほー」ということで便利さを実感したようなのです。私の家内が感心するぐらいですから、AIを使ったこの新しい検索ツールは、多くの人たちに新しい便利なツールとして利用されていくことでしょう。


さて、今日の模様替えの最終形態です。午前中いっぱいかかりましたが、終わってみるとあまり変化がない気がします。orz


 

2023年2月17日金曜日

H3ロケット試験機1号機/真のAIブーム?

三菱の国産ジェット旅客機MRJの初飛行は2015年11月11日のことでした。
私は、当時のライブ放送ツールUstreamでの放送をドキドキしながら見ていました。
フライト前、エンジニアが集まって円陣を組んでいる光景は今でも強く印象に残っています(ガリラボ通信2015/11/11)。
初飛行から7年半。このジェット旅客機は実用化に至らず、10日前の今月2月7日に開発中止の会見が開かれたのでした。ショッキングなニュースでした。

しかし、それから10日後の本日、H3ロケット初号機に打ち上げということで、国産ジェット機は失敗しましたが、新しい国産ロケットの誕生ということで期待が膨らみました。
本日午前10:37が打ち上げ予定時刻。
JAXAのライブ中継は9:45からでした。

種子島地方はよく晴れ、風は8m/sと、打ち上げ対し絶好のコンディションのようでした。

打ち上げ1分前。ライブ中継の視聴者は8万人を超えています。

カウントダウンがゼロとなる少し前にメインエンジンが点火したようでものすごい噴煙があがり、リフトオフとなる予定のカウントゼロになり、数秒後に噴煙が収まってしまいました。
何が起きているかまるでわからず、しばらく画面を凝視していました。
その後何も起きらず、ロケットの周囲は静かな状態になり、打ち上げがうまくいかなったことを理解しました。
補助エンジンが点火しなかったそうです。
爆発とかが起きず、幸いでした。
どういったシーケンスなのかよくわかりませんが、トラブルによりメインエンジンが自動停止したのだとするとフェイルセーフとしては見事なものです。
機体や衛星は無傷で残ったので、原因究明後に早い段階で再度打ち上げに挑戦できるのではないかと思いました。

ただ、MRJ改めスペースジェット失敗が直近のことだったので、やはりショックを覚えました。
試験機という段階なので当然失敗ということも多少は想定されてはいたんでしょうが、それもで、現場のみなさんのショックはかなりものでしょう。
ですが、ここからが本番。多くの人がさらに注視するでしょうから。持っている技術力のすべてを出して再挑戦してほしいと思いました。そして、無傷で残った機体を使って再挑戦し、「だいち3号」をみごと軌道に乗せてほしい。


H3ロケット試験機の状況を横目で見ながら、合間に、最近のチャットAIの動向について情報収集しておりました。
特にMicrosoftのBingに絡む動向をみて、Googleが非常に焦るのはわかります。
インターネットの黎明期。ブラウザはNetscapeが主流でした。シリコンバレーでNetscape社は輝いている企業でした。1994年に設立され、その後1998年に買収され姿を消しました。一世を風靡した企業ですが、今のゼミ生でこの会社のことを知っているゼミ生はいないのではないでしょうか。
Netscapeが姿を消すきっかけとなったのは、Windows95の登場でした。洗練されたこのOSは爆発的な人気となり、発売日には店頭は長蛇の列、花火まで打ちあがるほどでした。このOSに標準搭載されていたのがIE(インターネットエクスプローラー)。このときから、NetscapeはIEに駆逐されていったのでした。また、Windows95と一緒に発売されたOffice95は驚異的で、これにより日本でワープロの一太郎がシェアを激減させ、また表計算ソフトでは当時シェア1位だったLOTUS 1-2-3(県大でも初期の授業ではExcelでなく、LOTUSを使ってました)がExcelに駆逐されていくのでした。
この時の変革で重要だったのはOSのWindowsでした。ここ最近、特にChatGPTが登場していからの強烈なAIブーム(これまでも色々と言われてましたがその時はそこまでの価値を感じていませんでしたが、2023年になってから真のAIブームが到来した感じています)はWindows95の頃の熱いブームが蘇ります。今、Microsoftが仕掛けているのがBing+AIです(利用は現在登録制。私も登録しており現在順番待ち)。これがまた48時間で100万人が順番待ちになっているそうで、凄まじい人気です。
Googleが焦る気持ちもわかります。Nesscapeの二の舞は避けたいでしょう。

こうした動きをみていると、さまざまな変化が起きることは間違いなさそうです。
で、どういう動きが起きるのか。歴史に学ぶのが手っ取り早い気がします。
それか、ChatGPTに直接聞いてみるのが早いのかもしれませんけど。笑
いずれにせよ、Windows95の頃に起きたように(この頃、黒板を使わず、パワポで授業するのが普通になっている現在の状況を想像する教員は皆無だったと思います)、教育面での変革も起きるでしょうから、賢い人を揃えていて小回りの利く小さな大学ほど大きな転換を果たしていく可能性があるだろうと感じます。
鉄砲という武器が戦国時代の様相を一変させたように、AIというツールが時代に大きな動きを生み出していくことなるのかもしれません。
私は残り1年で現場から離れることになり傍観者となりますが、面白い時代がやってきそうです。



2023年2月14日火曜日

アイデア枯渇から逃れるには

最近、Youtuberの収入が減ったというニュースや記事をよく見ます。
Youtuberでない私はそれが本当なのかよくわかりません。

ただ一方では、収入は変わっていないというYoutuberもいるようなので、収入減少は、マーケットに大量に類似商品が投入されたのと似たような現象によるものかもしれません。
単に動画を作るというだけであれば、動画制作の障壁は著しく下がりました。その結果、似たような動画増えてしまい、その人たちはパイの奪い合いとなっている可能性があります。

それに対し、変化していないという人は、固定ファンを持ち、そしてコンテンツが常に新鮮な状態を保っているということなのでしょう。
ただ、常に新鮮なコンテンツを制作していくというのはなかなか骨が折れるものです。
凡才は、続けていくうちにアイデアが枯渇し、類似のコンテンツばかりになりがちですから。

テレビで信じがたいほどの長寿番組があります。NHK「鶴瓶の家族に乾杯」は1995年スタートで、それが毎週放送されていて、視聴率は今も10%を超えています。単純計算で、毎週、日本人1,000万人ほどが見ていて、それが20年近くも続ているわけです。多様性の時代と言われ、テレビをネットが凌駕しているはずなのに、この数値。すごいものです。
他にもこうした長寿番組はあるかもしれませんが、こうしたお化け番組は、主役は同じでも製作スタッフが変わり、それと、異なるロケ地で地域の人たちとすこぶる新鮮な人が登場していることが大きな理由ではないかと想像しますが、どうなのでしょう。

著名なクリエイティブディレクターで、佐藤可士和という方がおられます。佐藤さんの本に、若い時は、自分の才能が枯渇することを恐れていたと告白されていました。しかしあるとき気づいたそうです。アイデア自体はクライアントの方にあるのであって、自分はそれを引きだしてあげることが仕事なんだと。それからはアイデアの枯渇という不安からは解放されたという意味ことを何かに書かれていました。
その時に大事なのは、お客さんとの対話であり、相手の心の奥深くにある、本人も明確に自覚していないものを形にしてあげるスキルだということのようです。
なるほどです。先の番組の鶴瓶さんとかもこうしたスキルがうまいのでしょう。そうでないと素人であるはずの地域の人を生かせないでしょうから。
思うに、そうしたスキルには豊かな知識が必要条件であろうと思います。

佐藤さんや鶴瓶さんほどのレベルは無理でしょうが、多くの人がこれらのスキルは大切ではないかと思います(私たち教員はたぶん必須)。

前置きが長くなりましたが、浮き沈みの原因はこの辺りにあるのでなかろうかと、Youtuberの記事を見ながらそう思いました。


さて、今日のガリラボは、3年(20)松本、江﨑が黙々と作業しておりました。
私はその横で、同じく黙々と、水俣高校での講演準備をしておりました。
探究活動がテーマ。それについて色々と考えているうちに、津曲ゼミ自体の紹介が適しているのかもしれないと思い始めました。
それで、書籍を作るという活動なども紹介しようと、撮ったのが次の写真です。

書籍づくりが先生方にどの程度受け入れられるかわかりませんが、とりあえず熱く語ってこようかと思います。
今日までに作ったスライドは63枚になりました。
70分の講演です。こうこれ以上増やせません。というか、減らすことを考えるべきですね。
ということで、3月6日の講演の時までの間、どう減らすかが作業の中心となりそうです。


2023年2月7日火曜日

今年行くべき場所(NYT選)/Googleのバード(Bard)

今日は朝から雨です。気温は低くはないものの、日差しがないので寒い1日でした。

昼頃、3年(20)松岡が広報部の作業をしているようで、午後は試験に行ったようです。
松岡が作業していたときちょうど、東京の会社の方が来られ、玉名での活動について色々と話を聞きました。
ひょっとすると4月以降、一緒に何か活動して行くようになるかもしれません。


以下、話の流れとしてまるで脈絡ないですが、昨日初めて知ったことを書き留めておきます。
ニューヨーク・タイムズは世界の中で「今年行くべき場所」というのを毎年選んでいるのだそうです。
今年そのリストの中で、なんと2番目に盛岡市が選ばれ、そして19番目に福岡市も選ばれているのだとか。日本から選ばれたのはこの2か所だけ。

ニューヨーク・タイムズに推薦文を寄せたクレイグさんによれば、盛岡の魅力は、
岩手県盛岡市は、しばしば見過ごされ、無視されがちである。(中略)市街地は、非常に歩きやすい。大正時代に建てられた西洋と東洋の建築美が融合した建物、近代的なホテル、いくつかの古い旅館、曲がりくねった川が街中にあふれている。古代の城跡が公園になっているのも魅力のひとつだ。

ということだそうです。そして、この推薦文を受けて、盛岡の蕎麦屋の社長さんが、
歩いて暮らしを楽しめる盛岡の適度な規模感は、成熟した大人にとってこそ魅力的
と語られていることが次の記事で紹介されていました。

コロナ禍以後、ウォーキングをするようになった私としては、これらのコメントに強く共感しました。
盛岡が、歩いて楽しむのに良い街だということを発見したのは外部者であったわけで、外部の視点の大事さが改めて理解できます。
ガリラボは、来年度、自転車で玉名を散策する活動をする予定で、この記事に出会ったのは偶然とは言え、参考になりました。
また、冒頭で紹介したお客さんとは本日初対面でしたが、こうした出会いも、玉名で何かやっていきなさいということなのかもしれません。
「弱い紐帯の強さ」を肌で感じました。

行べき52か所として日本でもうひとつ選ばれたのは福岡市。
こちらは屋台文化がポイントだったそうです。福岡市は「全国的に消滅していった屋台を存続させるために取り組んでいる日本で唯一の都市である」という点も評価されたようでした。
毎週、天神あたりを屋台が準備を始める頃に歩いて通り過ぎています。機会があれば立ち寄ってみたくなりました。


追伸

昨日、ChatGPTの衝撃について書きましたが、Googleがバード(Bard)というChatGPTに対抗するサービスを数週間以内にも利用可能になると昨日発表したことを今日知りました。今後どちらが優位になっていくかはようわかりませんが、いずれにしても、これから先は検索だけという単純な利用は廃れていくのかもしれません。 



2023年2月6日月曜日

ChatGPTの衝撃と私たちがやるべきこと

最近よくChatGPTがメディアに登場し、かなり注目を浴びています。
Microsoftがこれに1兆円投資したり、Googleが非常事態を宣言したりといったニュースも飛び交っています。次はそれらの紹介記事のひとつです。

私も、いわゆるアーリーアダプターとして、ChatGPTが公開された昨年11月末から割合早い時期に登録し、年が明けてから使っています。
使った感想はというと・・・、驚愕に近いものでした。
例えば、「情報社会について300文字で模範的なレポートを書いてくれ」というと、300文字程度でそれっぽいレポートを書いてくれるのです。しかも、非常に読みやすい日本語なのです。一部、学生たちの、推敲されていない奇妙な日本語よりはるかに読みやすい文章でした。
ChatGPTの登場に対し、クリエイティブ・ディレクターの佐藤尚之さんが、最近、次のようにつぶやいておられました。
「チャットGPT」にマイクロソフトが1兆円。
あぁ「検索の時代」が終わるなぁ。
「検索みたいなアナログで不便なものを使っていたんですね」とか、いま小学生くらいの子どもたちが成人した頃にきっと言われるなぁ。
でもさ。もし検索が廃れると、ボクたち個人が想いを込めて書いたブログとかコラムとか投稿とかって、見つけてもらえるのかな。
AIに集合知的にまとめられちゃって、サンプル数のひとつになってしまうのかな。
どうなるんだろう。
わからんけど、「オープン世界」の知識や知恵はAI側でまとめてもらって、ボクたちはコミュニティみたいな「クローズド世界」で共感しあって生きていくんじゃないかな。
そうなると経済圏にもそういう変化が波及して、少子化や超高齢化なんかの「今現在の課題」も、見方や捉え方が変わるのかもしれない。
万物流転。
おもしろいね。せっかくだから変化を楽しもう。

Googleが創業したのが1998年のこと。またネット検索という新時代を開いたYahooの創業は1994年のことでした。検索を軸にそれから1/4世紀ほど、ネットは単調に発展してきたのでした。ChatGPTは次の1/4世紀=2050年頃へと向かう発展の変曲点となっていくのかもしれません。
もちろん、こうしたニュースに盛んに取り上げられる状況なので、インフラとしてはまだ全く役に立っていないのでしょうが、これから先、あとどれぐらいでしょうか、よくわかりませんが、10年もすると「検索っていうのが昔あったらしいね」という状態になるのかもしれません。

ところで、次はChatGPTに私が聞いた結果の一例です。
何も知らない人だとこの結果を鵜呑みにしてしまいそうですが、これは全くのでたらめです。一心行の大桜は樹齢400年ですので、昭和とは無関係。そして、一般の人たちの目に留まるきっかけになったのは1999年のテレビ放映でした(こうしたローカルな情報は、ChatGPTの学習がまだ進んでいないようです)。
私たちに必要なのはChatGPTなどAIが出力してくる情報の正しさを見極めていく力になりそうです。
こうした力は、検索時代も重要な力であり、恐らく今の時代だけでなく、古来から必要な力であったのではないでしょうか(流言に惑わされないために)。

ChatGPTの衝撃は確かに大きい気がします。
私はたぶんこれから手放せなくなりそうです(有料プランが2月1日に発表されました(参考)が、有料プランまで使わないように思います)。
ただ、こうした新しい技術の出現は、歴史的に繰り返されてきたことであり、その意味ではChatGPTの登場も別に驚くべき事態ではありません。
もちろんすごい技術あることに違いありませんが、そのこと以上に、こうした技術が普及していくとき、私たちに求められる力とは何かということを考えることが大事ではないかと思います。
おそらく、その答えは流行とあまり関係ないところにありそうに感じています。

すぐ役立つものはすぐ役立たなくなる。



2023年1月19日木曜日

ある女性数学者の記事

昨日の賑わいから打って変わり、非常に静かなガリラボです。

一人黙々と作業していたら、SNS上に「専業主婦になる覚悟がなかった」という記事が流れてきて、ついクリック。

https://dot.asahi.com/dot/2023011100066.html?page=1

東大名誉教授の数学者石井志保子さんについてのインタビュー記事でした。

主婦となり、その後、お子さんを生み、そしてご主人は途中から政治家(県知事)となるという状況の中で、数学という非常に集中力の必要なところで仕事をしてかなり優れた成果を出しておられ、驚きました。
子育てしつつ、そして政治家の妻という立場も無視できなかったでしょうから、それで数学の道で最高レベルにまで行かれていて、記事を読みながら、人間にそんなことができるのだろうと思ったほどです。

専業主婦になるにも確かにそれなりの覚悟が必要だとは思いますが、ただ数学の道で成果を出すのはそれ以上に覚悟が必要だと思います。
世の中にはほんとすごい人がいるものだと思います。

ところで、石井さんが研究されていたのは特異点だそうです。特異点というのは研究者にとっては非常に魅力的な対象です。私も、むかーーーし、数値解析の研究をやっていた頃、特異点には随分と苦しめられ、そのために魅力を感じたものです。
20代から30代の頃の愛読雑誌はなんと「数学セミナー(月刊誌)」でした。今の私を知る人からすると想像もできないでしょうけど、その頃の私の机の上にあるのはほとんど数学書ばかりでした。

つい先日(1月9日)亡くなった佐藤幹夫という数学者は、この特異点を上手に使って超関数についての理論を展開した方ですが、ほとんど理解できませんでしたが、基本の部分だけでも素晴らしいアイデアで、魅了された記憶あります。
ただし、魅力されただけで、モノにはできなかったですが・・・(orz)。今思うと、もっとのめり込むべきだったかなとも思いますが、どうにも私にはのめり込む力がそこまで強くなかったようです。

今でも興味はあり、超関数についてはある本は捨てずにおり、いつか読みたいと思っていますが、ただもう数学に戻ることはないでしょう。
別の興味を見つけてしまいましたので。
ただし、果たして、のめり込む力がまだあるかどうかが問題です。


2023年1月16日月曜日

人生100年時代と聞いて・・・

土曜・日曜と大学共通テストでした。フル稼働な上に、今まで経験したことないもない刺激的な出来事に遭遇し、気持ちをハイテンションにしてくれた共通テストでした。
何事もなく終わってほっとし、その後は燃え尽き症候群。
帰宅後は、いつ寝たのか記憶もあまりなく、気づいたら朝でした。なんだか健康的です。orz


ところで、今、「人生100年時代」と言われます。高齢化社会という言葉に含まれるマイナスイメージをプラスに変えるためにどなたかが作り出した言葉だと思います。

最近、リンダ・グラットンさんのLIFE SHIFTを2冊読む機会があったので、気になっていた言葉なのですが、みなさんは、「人生100年時代」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?


そのイメージについては調査した人たちがいて、結果がNHKのニュースで取り上げられていました。
調査結果の概要は、

人生100年時代 マインド調査
https://lifeshiftjapan.jp/info/9421/

に掲載されています。

人生100年時代と聞いて、4割は「ワクワク」するイメージを持ち、残りの6割は「どんより」したイメージを持っていたのだそうです。

そして、この調査結果を眺めていると、イメージには、今現在が充実しているかどうかが強く影響しているように思いました。
今現在、生活全般について「とても生き生きしている」と回答した人の実に4分の3は人生100年時代にワクワクを感じている結果となっています。

そしてそして、将来に向けて貯金しているとか、健康・体力づくりをしているよりも、自己探求とか、リ・スキリング(Reskilling:次に向けた新しいスキルを身につけること)といった「学び」に向き合っている人たちがどうもワクワク度が高くなっているという結果が出ています。

NHKのニュースに登場したLIFE SHIFTの著者リンダ・グラットンさんによれば、これからは「マルチステージ型」が重要だということでした。

社会人の場合だと、昭和の時代の主流だった「学校→会社→地域社会」という単純な3ステージパターンでなく、会社に強く依存せずに、無形資産を手に入れていく生き方がよいのではないかということです。

気になる人は、調査結果やLIFE SHIFTなどを参照すると良いでしょう。

なお学生であれば、将来役立つからという狭い意味での知識習得に向かうのではなく、そうした知識を習得する中で、新しい知識を自ら学んでいく力を身につけるように意識しておくと良いではないかと思います。
もっとも、これは昔から言われてきたことで、何も新しいことではありません。
すぐ役立つことはすぐに役立たなくなります(ガリラボ通信2011/2/27)。
すぐ役立つ流行の嵐に翻弄されている傾向にある大学ですが、基本に立ち返ると、大学で学生が学ぶべきことは昔から変わらず単純なことであるはずです。
国も人生100年時代と喧伝しているわけですから、なおさらではないかと思うのですが。^^;

(周回遅れした大学はしばらくするとトップを走るようになるのしれません。もっともそれまで生き残っていればですが。) 

とりあえず私は、身につけた学ぶ力でもって、今後はせっせとリ・スキリングにやっていくつもりです。勉強道具は、本とYoutube、そして現場での具体的実践(実験)です。^^;

<補足>
昨日、録画していた校正者を取材したNHKの仕事の流儀を見ました。まあびっくりでした。校正者の道具は、図書館にある本はもちろんですが、Googleでの検索はもちろん、Goolgeマップ、そしてストリートビューなどに表示される現地の画像など、あらゆる手段を使って現行の情報が正しいのかチェックしておられ、衝撃でした。複数の情報を使って裏を取る作業をしておられ、そのためにネットという新たな動画を使っておられるようでした。
大事なのはそうしたツールを使う能力であることをしっかりと教えてもらいました。





<追記>

昨年末に卒業生に対しガリラボの活動で役立ったことについて尋ねてみました。まだほとんど内容を確認できていないのですが、23歳から40歳までの卒業生150名からの回答によれば、役立っているのは3年次にやったゼミ課題(基本課題ですね)と卒業論文(自分で探求する活動です)を多くが挙げていました(回答者が全員がそれを経験しているので多くなるのは当然なのですが)。

ただ、その役立っている理由は興味深いものです。(まだちゃんと見ていないのですが・・・)基本について言及している卒業生が多くいる気がしています。

人生100年時代の話題と少し関連するのかもしれません。よくわかりませんが、詳しいまとめは今後ゆっくりとやっていく予定です。


2022年11月8日火曜日

今日はほぼ1人でした

今日は朝からほぼひとりでした。
(途中、見知らぬ4年生がやってきて、そして4年(19)川口もちょっと顔を出しました)
おかげで(?)、集中でき、10月中旬から書き始めていた論文を最後まで書き終えることができました。
約2万文字と少し。卒論ぐらいの長さです。
締切は12月15日頃です。これからは隙間時間をみつけながらじっくりと推敲していく予定です。
書いているときは、苦しくて吐きそうになり、目の前のディスプレイを叩き壊したくなるような破壊的衝動にも駆られましたが、そうしたことに耐えつつ(笑)、とにかく
 ゆっくりでも止まらなければ
やっぱりちゃんと進むものだと思います。
吐くこともなく、破壊することもなく、とりあえず終わりました。


土日もこの論文と向き合っていましたが、気分転換とプライベートな取り組みに向けた実験のために、日曜日の早朝、ひとり萌の里まで行ってきました。
日が昇る前、風速3m/sほどあり、かなり寒かった。
その際、何気なく撮った下の写真は、意外といい感じになりました。
自分のPCの壁紙にしております。

日が昇ったあとは多少暖かくなり、ススキもきれいでした。

寒い中、2時間ほぼこの場所で色々と試してみた実験はあまり良い結果になりませんでしたが、次に向けてやるべき課題を教えてくれました。


学部で、大学院でと、卒業論文を書いていくのに、実験をやりそれを踏まえて次の実験を計画し実行していくという過程をかなり頑張ってやってました。
他にやることもなかったので週6日は24時間大学にいて、考えているのは良い卒論を仕上げるぞと、そのことばかり。
いわゆるPDCAサイクルを回していたわけですが、若い時にかなり頑張った経験は今の私の行動原理のひとつを形成しているようで、それはプライベートな場面でも随分と役立っているような気がします。


2022年11月7日月曜日

ショート動画

イレギュラーでしたが、今日の午前中は、「たまrism」の会議でした。
今後の方向性を考える大事な会議となりました。
また、作成しているリーフレットはあくまで手段であり、なぜこの手段なのかの理解に欠けていることに改めて気づきました。手段は複数あるはずです。その中でリーフレットという手段を選んだ理由があいまいでした。

別チーム「たまNavi」では最近になってショート動画の意味について考えることが多くなりました。
タイミングよく、このことについて今朝の熊日新聞にコラムが掲載されていたので紹介します。


ここにも「タイムパフォーマンス(タイパ)」という概念が出てきています(ガリラボ通信2022/10/6参照)。
人々、特に若者の時間感覚はずいぶんと変化してきているようです。このコロナ禍で、オンラインが急速に進行したことで、その変化はさらに大きなものになっているのかもしれません。
私としては、この流れに乗りつつも、逆の方向も大事にしなければ思っているところです。
消費する側はタイパが重要でしょうが、発信する側はじっくりと考える必要があり、タイパの効率の悪いところにいないと良質な発信はできないと思いますので。