2020年3月31日火曜日

共に活動してきたOB(M08)佐藤との別れ/サクラ便り2020(8日目)

数輪の開花を見つけてから(ガリラボ通信2020/3/25)、世の中の目まぐるしい動きにおたおたしていたらもう随分と桜は咲いていました。

状況は深刻ですが、桜はやはりきれいです。


桜の季節は別れの季節。年度末の今日は特にそうです。
今日は教学IR室に勤務していたOB(M08)佐藤が別れのあいさつに来ました。
佐藤にはほんと影響を受けて、私が随分と変化をさせられ、その点は感謝しかありません。
今の私のこの状況は佐藤がいた結果であることは間違いありません。
そんな佐藤は今日が本学での最後の勤務でした。
話をしているときっと悲しくなるので、さっさと追い返しました。


明日からは九州産業大学地域共創学部の教員として新しいスタートを切ります。
決まった時はほんと嬉しかった。
大学としては惜しい人材を取りそこないました。
手放すのは惜しいのですが、今後は国内でも稀有な研究室をつくり、面白い活動を展開していくだろうと思っています。
佐藤研究室構築がもし私の定年までに間に合うようであれば、ガリラボと佐藤研究室の共同活動とかもやらせてもらいたいと思います。
福岡と熊本との比較●●とか、リアルタイムに福岡と熊本で並行して何かをやるとか、異なる地点だからこそのメリットがあるはずなので、そんなことをやってみたいものです。
そんなことがもし実現出来たら、手放した甲斐があります。^^

佐藤には、その優れた英知と行動力とで、ガリラボよりもはるかにスケールの大きな研究室を作り、これからの新天地で大きく花開ていほしいと願っています。
がんばれよー。



追伸
本日熊本市長の会見で、熊本市民に対し、平日・休日に関わらず不要不急の外出を控えるよう要請が出ました。
https://garylabnews.blogspot.com/2020/03/obm082020.html
新年度に向けてゼミ生と色々と打ち合わせも必要ですが、これまで実験的にやってきたLINE会議にて当面は乗り切る予定です。



2020年3月30日月曜日

16ゼミ生卒アルと16ゼミ生最後の登校

16ゼミ生の卒アルが届きました。立派なアルバムでした。
全てのゼミ生から私へのメッセージも入っていて、感謝の言葉もありません。


ガリラボの卒業式写真まで掲載したため完成がこの時期となり、すでに旅立ったゼミ生も多くいます。
それらのゼミ生へは16ゼミ費を使っての郵送するようで、今日午後
   4年(16)川上、岡林、大友
がその封入作業をやっていました。
16ゼミ生としてガリラボでの最後の仕事姿が次に写真です。


17時ごろ作業が終わり、帰り際に写真を撮らせてもらいました。
今の世の中を表現するためにあえてマスク姿で。


最後は「2年半、お世話になりました」と言いながらガリラボをドアを出ていきました。
いや、毎年そうですが、別れる瞬間というのは非常に寂しいものです。

16ゼミ生みんな、コロナの災いに負けず頑張っていってほしいと思います。
この騒動が克服されたら、できなかった追いコンという名の飲み会をぜひやりましょう。
みんな、元気で(涙)。



2020年3月29日日曜日

キャリアとは単線的なものばかりではない

「先生、キャリアセンター長だったんですね」と少し前に3年(17)ゼミ生から声をかけられました。
それが感想なのか、疑問なのか良く判別できませんでしたが、「ああ、そうだったよ」と答えました。

実は、キャリアセンターを立ち上げたときの初代のキャリアセンター長で、現在の大学のキャリア教育もその頃にやった仕事のひとつでした。
トータルでは5年間ほどキャリアセンター長を務めました。
初代センター長の頃、もう今から10年以上も前になりますすが、キャリア教育の必要性(今のキャリア形成論とか)を会議で主張し始めたときには猛反発する先生方が多くおられて(特に年配の先生方)、「大学で、就活の話なんてやるとか、とんでもない」といった意味のお叱りをたくさん受けました。
叱られましたが、最終的には本学では全国でも早い段階でキャリア教育が誕生しました。
その後、5年前になりますが、これも私が関わってキャリア教育の見直しをしますが、大枠はこの10年間ほぼ変わっていません。
 
就活協定の廃止、そして近年のインターンシップを活用した採用活動の急増、また今年になって新型コロナウィルス騒動でオンライン就活が台頭と、就活を巡っては劇的な変化が起きています。
学生調査などを利用して実態を把握し、変化への対応として即座にできることや大学全体の教育のあり方として組み込んでいくべきことなどの検討が不可欠になっているはずですが、どこかで議論は始まっているのでしょうか?
 

さて、「キャリセンター長だった」ということで、その頃に随分とキャリア関係の論文を読み、この分野に興味を持つようになり、その後、主体的にキャリアについてのニュースや書籍を読むようになりました。
キャリアセンター長になっていなければ、興味を持つこともなく、そうした分野の学びをしたいとも思わなかったでしょう。
人のやりたいことって、「動く前」でなく「動いた後」についてくることも多いかもしれません。

次はオンライン就活に関わる記事
https://diamond.jp/articles/-/231215
の中で紹介されていたグラフです。非常に興味深いグラフです。


大学生の多くが実は就職活動を始めてから、色々な企業を見るようになってから、やりたいことが決まっていくことを教えてくれるグラフです。
やりたいことがあって、それに適合する企業をピンポイントで選んでいるわけでもなく、色々な企業を見ていくうちに、知らない世界が広がり、そうしてやりたいことを発見していくみたいです。
興味関心とは、自分の具体的な行動と強い相関を持っていることを教えてくれます。
興味があるから動くというよりも、動いていることで興味が生成されていくことが多いというわけです。
動くことでワクワクすることに出会い、それに刺激を受けてやりたいことが決まっていくのだと思います。
私なども若いころ、物理現象とか数学にしか興味がなく、自分の性格だとその方向しかあり得ないと思っていました。しかし、キャリアということを考える分野とか、地域のこととか、いざ接するようになるとかなり面白いものだと思っています。

ある卒業生が、30歳になって、それまでの超安定していた職場を退職し、挑戦のために転職をしていきました。学生のときの就活では安定したところを選ぶ傾向にあると思いますが、仕事をして自分の人生を生きていくというのは、それだけがすべてではないのことを教えてくれます。

学生たちと話をしていても多くが安定志向の中にある気がして、もう少し発散させていく力をある程度は養成していく必要もあるのかしれないと思います。
先日、進級できなかったゼミ生と3時間ぐらい話をしていました。実に面白いものでした。半年あれば不足分はカバーできるので、残り半年は、いわゆる「ギャップイヤー」としてその時間を利用して多くの学生がやれない挑戦をするといいのではないかとそんな話で盛り上がりました。勉強することの意味を問い直す時間にもできるでしょう。
院OB(M08)佐藤が、随分前にキャリア形成論に呼んだとき、1年生の前で自分でのことを「タックしながら前に進む」と表現していたようにも思います。タックとはヨット用語のようで、前に進むために横移動が必要だということだったと思いますが、エンジンを持たないヨットはジグザグ行動でしか前に進めないということのようです。
たとえ話ではありますが、人のキャリアも該当する場合はあるのかもしれません。
キャリアとは単線的なものばかりではありません。
進級できなかったゼミ生には、タックするチャンスが得られたわけです。
空海の「空白の3年間」の話もしておきました(ガリラボ通信2012/2/4)。
わずか半年しかありませんが、長い人生からみたら「空白の時間」にできる可能性を秘めた時間となるでしょう。



2020年3月28日土曜日

12年前にも同じようなことがあった

次は3月26日の熊日記事です。新型コロナの影響でJR九州は利用客が半分になっているのだそうです。
また、2021年春の駅ビル開業も予定通りにいかない可能性に言及されていて、4月からの経営計画を見直すことになりそうでとあります。
予定している人の配置が変わるということにあるでしょうから、当然ながら採用計画が変更されることなるはずです。
現3年生の就職活動には大きな影響が出ることになりそうです。



先日、初代のコミュニケーションノートを手にして、その中にOG(06)熊井の新聞投稿が貼ってあるページに目が留まりました。
天草市内でのフィールドワークに関して朝日新聞に投稿したものです。
この頃、ちょうどリーマンショックの時期だったのですね。2008年9月15日のリーマン・ブラザーズ・ホールディングスの経営破綻に端を発した金融危機で学生たちにも大きな影響を与える事件でした。


JR九州の窮状を見ると、業界によっては同じレベルで影響を受けているところもあるでしょうから、2008年と同様に企業の採用に大きな影響を出ることは間違いないでしょう。
熊井たちはこのとき3年生。この新聞投稿の後から就活を始めることになりました。
厳しかったはずですが、とりあえずほぼ就職していったので、ガリラボのゼミ生は優秀だったのだと思います。
今回採用活動において直接影響を受けそうなのは17ゼミ生です。
12年前の06ゼミ生は就活サークルなど作って向上しあう関係を作っていました。
人は協力すると豊かになれます(ガリラボ通信2012/8/17)。
17ゼミ生も、協力し合って力強く活動していってほしいと思います。


2020年3月27日金曜日

ガリラボの全てを詰め込む

久々に右手を酷使しました。
ガリラボの歴史をアーカイブ化する作業をもうずいぶんとやっていて、ここ最近だと朝から晩までずっとマウスをカチカチとやってます。
朝8時から19時ぐらいまで、昼食は10分程度で済ませてるので、トイレ以外はずっと座って休憩なしで作業をやってました。

悲鳴も上げることもなく、実に健気に作業しているわが右手にかなり驚いています。
まだやれそうですが、そろそろ休ませないと4月になってダウンするかもしれません。
まだ製作途中なのですが、用心して、しばしここで中断。

中途ですがガリラボ関係者のみの限定公開で、作成した
ガリラボ・ポートフォリオ
を提供したいと思います。
過去のデータを蓄積したものなので卒業生にとっては単に懐かしむ程度ものでしかありません(それでも何十年も経てば価値がでてくるはず)。
しかし、随分と整理をしたので、これからガリラボで学んでいくゼミ生にとっては(といってももう残り4、5年ほどしか時間がありませんが)、乗り越えるべき先輩たちの作品(のごく一部)を系統だって閲覧できるので、ずいぶんと役立つはずです(そう信じています)。

15年分ほどをまとめた本サイトで使用しているデータ量はわずか3GB程度のものです。
ただ、必要箇所はガリラボ通信とリンクさせているので、背後に相当なデータがあります。



これまでずっとさぼっていたので、整理・整頓作業をある程度できて、ちょっとした充実感を味わっています。
残りはこれからまた時間をかけて作業していく予定です。
  


2020年3月26日木曜日

17代目コミュニケーションノート

先日のことですが、ガリラボのテーブルに16ゼミ生からの贈り物が2つ置いてありました。
ひとつは贈呈品の加湿器。その横に新しいコミュニケーションノートがおいてありました。
17代目。17ゼミ生がガリラボのメインになるので、それに合わせて新調してくれたのではないかと思います。川上らしい気配りだなと思いました。


(16)川上ゼミ長からの贈り物のようで、上が17代目の新しいノートで、下が16代目のノートの最後に書いてあった川上からのメッセージです。


以前に比べるとコミュニケーションノートを使う機会は減りました。
紙の上に記録を残していく文化が薄れ、今はLINE上にコミュニケーションの記録が残していく時代になっているからでしょうか。
2008年から始まった初代ノートと17代目までを並べてみました。
なんか、ちょっとしたものです。


ちなみに、初代ノートは2008年4月から始めたようで、その最初のページは私が書いていました(この頃はまだ読める字を書いていたようで、ずいぶんと懐かしい)。
ノートが終わったころには歴史書になっていると書いていますが、まさにその通りで、これまでの16代(12年間)にわたる記録はガリラボの貴重な記録になっているだろうと思います。
大事に持っておきます。



<おまけ>
上とは何の脈絡もない写真です。デジカメではありません。アナログの「写ルンです」で(16)岡林が撮って現像したものを送ってくれました。
なんか、アナログ感が満載で、いい感じです。


コミュニケーションノートもアナログ感満載で、デジタルとは随分と異なる味わい深い記録になっていると思います。 



2020年3月25日水曜日

ゼミ生の旅立ち/サクラ便り2020(2日目)

2日目のツマガリザクラ。まだ10本の指で数えることができるレベルです。


夕方、(16)小島から「ラインですいません」との前書きのあと、これから旅立つとの連絡がありました。
こんな私でしたが無事卒業することができました。
全て先生のおかげです。
ありがとうございました。
好き放題させてもらえたおかげで悔いはゼミ卒業式に出られなかったことだけです。

ガリラボの卒業式の時(ガリラボ通信2020/3/21)、体調不良で出席できなかったのです。ほんと残念でした。ただ、翌日は回復したようですね(たくましい)。
上の文章に続き、
私は今から京都へ旅立ちます。
田舎娘から舞子はんになってきますね。
帰ってきたら会いに行きます!
短い間でしたがとってもお世話になりました。
心ばかりの気持ちではございますが受け取ってください。

とありました。受け取ってくださいというプレゼントは次の写真でした(笑)。


なんかやっぱり別れというのは悲しいものですねぇ。
バカな子ほど可愛いとはよく言ったもので、小島からの連絡を受けて、なおさら悲しくなりました(笑)。
コロナウィルス騒動真っただ中、今までの新社会人が経験したこともない状況で新社会人となっていくわけで大変心配です。
ほんと、大丈夫かな・・・。
あんまりよく考えてない気もするので、チョーがつくほど心配です。^^;
 

夕方、就活で「大阪から帰ってきました」と3年(17)松本がお土産を持ってきました。
大阪の人混みはかなりものだったそうです。感染には気を付けていましたとは話していましたが、そんな人ごみに常時さらされる中に小島は向かったわけで、さらに心配になりました。



就活の動きなどを聞いていると、春休み中、学生たちはかなりの移動をしているはずなので、そしてこれからはさらにその行動が増加していくことになるので、大学(学校)関係者で感染が確認されるのはたぶん時間の問題でしょう。


 

2020年3月24日火曜日

サクラ便り2020(1日目)/16ゼミ卒アル完成

桜が咲きました。昨年の第1報は3月20日でしたので(ガリラボ通信2019/3/20)、昨年よりちょっと遅めです。

川面(健軍川)の桜はこれからきれいになっていくでしょう。


研究室下にあるツマガリザクラは実はご覧の通りです。枝しか見えませんが、近づくと1輪だけ咲いていました。昨年の3月20日が同じく1輪だけ咲いていて開花宣言していますので、それを踏襲し、ツマガリザクラについては今日を開花宣言としたいと思います。^^


ところで、この桜はもうずいぶんときれいに咲いています。今日、4年(16)岡林が、熊本城前の坪井川沿いで撮影してきたもので、あまりにきれいだったので写真をもらいました。^^;
コロナ騒動がなければ、これから随分と賑やかになっていったのでしょうけど。残念です。


その岡林は今日は16ゼミ生の卒業アルバムの最後の作成に出てきました。
最後は私にチェックしてほしいということだった、一緒にチェックして、その後、岡林が発注をしてました。
ただ、届くのが3月30日以降になりそうなので、手渡すのはちょっと厳しくなるかもしれませんね。
だったら・・・、夏になればコロナ騒動が少しは落ち着き、またその頃は新社会人の大変さも少しは緩和しているだろうから、熊本市内で集まれる16ゼミ生で飲み会を企画して、その時に渡せばよいのではと話しておきました。ただ、そんな先の話、新社会人となりあまりの環境変化でそんなことを記憶しておく余裕はないかもしれませんけど。
ま、しっかりしている岡林のことなので、なんとかするでしょう。^^



さて、私はガリラボのゼミ生が蓄積してきたデータをアーカイブ化する作業を粛々と進めています。今日は白亜祭のデータをおおよそアーカイブ化しました。今年度でちょうど10回目でした。10年分のデータを集め、書式等を統一し、Webサイトに掲載するのに、8時間ほどかかりました。
閲覧したあっという間でこれといった複雑なものでありませんが、誰もがあっという間に把握できるようにする作業の背後にはけっこう面倒な作業があります。
学生の時は、表の部分だけでこうした裏の作業をやることは少ないですが、社会人となってからは、こういう裏方の連続で、それを仕事と呼びます。
来週から社会人となる16ゼミ生はそのあたりの心の準備をしておいてほしい。




<メモ>
今日午前中、ある件で県の担当者と打ち合わせする中で、話がそれて小・中・高校の問題について雑談する機会あり。
熊本市外の高校の競争倍率には衝撃を受けられていて、自分も同じく、惨状に驚愕していたのでこれについてずいぶんと話し込む。
コロナ騒動で、オンラインについての考え方が全国レベルで変わっていく可能性が高く、実際にその変化を経験している子どもたちがいるわけで、それを前提にしたポスト・コロナ社会を見据えた教育や地域づくりを考えていかないといけないのだろうと思う。
  


2020年3月23日月曜日

九州大学のオンライン卒業式(学位記授与式)を見て

たまたま見かけた九州大学の学位記授与式。
本日が、いわゆる卒業式だったようです。
新型コロナウィルスの影響で全体式典については学生代表だけの参加でしたが、会場自体は本来のところで行われたようです。
広々した講堂の前方に総代の学生たちが座っているの見えます。
この式典はネットによって公開されていました。
少し前に私もそのやり方が今現在もっともベターなやり方だろうと思っていました(ガリラボ通信2020/3/13)。
九州州大学の場合、迅速にそれを決定したんでしょうね、1時間ほどの式典の全てがYoutubeでライブ配信されていました。


夕方、配信されていることに気づき、その時点で視聴数を確認してみたら4,000回ほどありました(下の画像参照)。
卒業生総数は学部・大学院あわせて2,300名ほどということだったので、きっと卒業生の多くがライブ配信を視聴していたのではないかと思います。


講堂はスカスカですが、ネットを通して多くの卒業生が参加したと思われます。
完全に中止するという選択肢はもちろんあると思っていますが、実施するのであれば、九大のやり方が卒業する学生たちのことをよく考えている方法だと思いました。
卒業生の2倍近くの再生数があったわけですから、数字にもそのことを表れている気がします。

県立大もせっかく(限定した)式典を開催したのだからネット配信があると、多くの卒業生があちこちで袴姿でいたのでたくさん視聴したのではないか、と。
ネットを介して一緒に卒業式を共有できたのでしょうけど。


今回の経験から、ネット社会になって久しいわけですが、ネットをツールとして活用していく術をどこも身につけていくべきでしょう。
ネットはもう専門知識など必要なく、TVと同じレベルの日用品と変わりありません。
学生たちは極めて普通に動画なども使いこなしています。
前にもこの通信で書いた記憶がありますが、飲み会の場でのゼミ生の行動に衝撃を受けたことをよく覚えています。道に迷ったゼミ生がLINEで連絡をしてきて、それ受けたゼミ生が「動画だして」と伝え、その後はTV電話を使ってお店まで誘導していったのです。
数年前のことです。4Gになって起きた行動変化だと思いますが、動画を何でもないごく普通の道具として扱っているゼミ生を見て衝撃を受けたことを覚えています。
5Gが始まるともっと強烈な行動変化が起きていくことは目に見えています。
ネットはまったくの日用品なんですよね、若い世代には。
日用品にできていないのは多くの大人なのだと思います。しかしそういうと「そんなのわかっている」と言われるでしょうが、それは頭でわかっているだけでしかありません。
ネットを日用品化できていない、頭でわかっているだけの人は、非常時にはそれは使えないのです。
熊本地震でもそれは明らかでした。日常的に使っているものでないと緊急時には使えなかった(私の研究室で調査した町ではほぼそうでした)。
頭だけでわかっている世代に今回の新型コロナウィルスは、行動に関わる部分での課題を突き付けているのかもしれません。



2020年3月22日日曜日

県立大学卒業式(だった日)

新型コロナウィルスの件がなければ、今日は大学の卒業式の日でした。
平常時であれば、いつもの如く、県立劇場の掲示板の前で集合写真を撮るはずでした。
が、全体式典が中止。学科代表だけによる限定的な式典が学内であったようですが、それとは無関係に卒業生がいろいろと集まっていたようです。

今日、大学の桜が開花していました。
 
そんな大学内でゼミ生と撮った写真を4年(16)川上と岡林が送ってくれました。



やっぱり卒業式の主役は女子学生ですね。
男子学生は付録かおまけにしか見えません(笑)。
たいへんきれいです。

その後、広報部のメンバーで熊本城や県立美術館にでかけたようです。



当初は、雨の予報でしたが、雨にならなくてほんとよかった。
コロナで随分と苦しめられた16ゼミ生たちですから、さらに雨で大変な思いをすることがなくてほんとよかった。
みんな、卒業おめでとう。

夕方、昨日のガリラボ卒業式を取り仕切った3年(17)岩奥ゼミ長から16ゼミ生全員に次のメールが送られたようです。
昨日、道場にて開催しました「ガリラボ卒業式」に参加していただいた皆様、急な開催にもかかわらずご参加いただきありがとうございました。
例年と違うかたちで皆さんを送り出すことになりましたが、この式がガリラボでの日々を振り返る機会となり、次の道へと進まれる皆さんの背中を押すことができたのであれば私も嬉しく思います。
残念ながら昨日ご参加いただけなかった方々にも、卒業証書や記念品等は卒業アルバムと共にお届けする予定です。
お手元に届いた際には、卒業記念品であるUSBメモリの中に17ゼミ生で制作した動画データが入っておりますので、ぜひご覧いただければと思います。
最後に、改めましてご卒業おめでとうございます!
16ゼミ生の皆さんと共に過ごしたガリラボでの日々は、たくさんの学びと楽しい思い出でいっぱいでした。
本当にありがとうございました。ゼミ生を代表してお礼申し上げます。
これからはそれぞれの道に進まれますが、この世の中、様々なことが皆さんに襲いかかってくると思います。
たとえその中であろうとも、皆さんが輝きを放つ希望の星となりご活躍されることを心から願っております。
そして、時にはガリラボに“お土産を持って”遊びに来てくださいね!
お待ちしております。
それではまた会う日まで、お体にはくれぐれもお気をつけてお過ごし下さい。

ガリラボのゼミ生はしっかりしてます。
大学の卒業式は中止になりましたが、かえって色々な思いを伝え合う機会が出来たようにも思います。
それで、川上と岡林から送られてきた写真なども見ながら、はて、卒業式とはなんだろうと感じました。
岩奥からのメッセージ、16ゼミ生の写真の中のいい笑顔を眺めていると、特に式典などに参加しなくても、十分であったのかもしれません。
多くが十分に卒業の気分を味わったのではないかとも思いました。
成人式とかもそんなものですかね。
式典には参加せず、友人間で成人したことを確認しあっている気がします。

今回のコロナウィルス騒動は、卒業式というセレモニーの在り方はもちろんですが、暗黙のうちに踏襲している社会ルールを再考する機会を提供しているのかもしれません。


<おまけ>
袴姿のゼミ生もたいへんきれいですが、昨日ゼミ生からもらった花束もすごくきれいです。

包装を解いて、家内が花瓶に差していました。家内も、ほんときれいと言っておりました。
しばし鑑賞させてもらいたいと思います(感謝)。

なお、花瓶は13ゼミ生からのプレゼントのものです。


16ゼミ生の中でも次の2人は特別なゼミ生でした。
先読みして、ゼミの運営を助けてくれた2人でした。
2人とも今後はほぼ公的な仕事をやっていくことなります。最初は苦労するでしょうが、将来はきっと貴重な人材となっていくのだろうと思います。


その2人から昨日メッセージをもらいました。左は川上から、右はArtractを代表して岡林からです。

ArtractのDVDにはビデオレターが入っていました。今日、しっかり見ました。
最後までどうもありがとう。


今日で16ゼミ生とは学生としての関係は終わりました。
明日からOB/OGと表現すべきでしょうが、3月31日までは4年(16)と表現しておきたいと思います。
OB/OGと表現するようになって初めて、手元を離れた実感を湧いてきそうです。

頭では理解しているもののやはり卒業していくのは大変残念です。


 

2020年3月21日土曜日

(初めての)ガリラボ卒業式を挙行

100年に一度レベルの非常事態の影響でガリラボ恒例の追いコンは随分前に中止の判断をし(ガリラボ通信2020/2/28)、その後、卒業式も中止になるとの連絡があり(ガリラボ通信2020/3/12)、その翌日はガリラボの卒業生にはガリラボの在学生手作りの卒業式を行うことを決めて周知したのでした(ガリラボ通信2020/3/13)。

ガリラボ卒業式の実行委員長を急遽担当することになった3年(17)岩奥ゼミ長から事前に卒業生に向けて次のメールが発信されました。


本日、16時前、都合のついた16ゼミ生が卒業式会場(道場)に集まっていました。

卒業式を取り仕切る事務局は、17ゼミ生幹部の4人です。


ホワイトボードには、本日の次第が事務局によるまごころのこもった手書き文字で記載されていました。

BGMも流れておりました。


16時ジャスト、司会を担当する3年(17)河野が前に立ち、開会の辞を担当する3年(17)岩奥を紹介しました。


実行委員長3年(17)岩奥による開会の辞です。


その後すぐにガリラボの卒業証書授与式に移り、第193号となる4年(16)荒木から始まり最後の山下まで、本日参加できた16ゼミ生に私から証書を手渡しました。
すでに引っ越しをしていたり体調不良者などで本日参加できたのは
 荒木、大友、岡部、岡林、笠原、川上、西野、益田、松寺
の9名でした。写真は川上ゼミ長に証書を手渡しているところです。


その後、少々長くなりましたが、私から式辞と祝辞とを16ゼミ生に伝えました。
入学直後の熊本地震による1カ月の大学休校、そして新社会人になると新型コロナウィルスによる困難が待ち受けているなど、それぞれ100年に1度のレベルの困難を2度も経験することなる16ゼミ生に、大変だったガリラボの課題や卒論で身につけた精神とスキルとでエールを贈りました。


祝電・祝詞披露。

玉名市役所職員さん2名からのビデオメッセージです。

そして県立美術館職員さん総出でのビデオメッセージなどがあり、それ以外にも卒業生からもたくさんのメッセージが届いており、代表してひとりだけOG(15)八並からの祝電・祝詞を河野が読みあげました。


3年(17)岩奥ゼミ長による送辞。

そして、16ゼミ生を率いてきた4年(16)川上からの答辞です。
2年半の間、ずいぶんと助けてもらいました。感謝しかありません。


卒業生からの記念品贈呈。本来は会計長の4年(16)小島から手渡す予定でしたが、体調不良によりピンチヒッターは4年(16)笠原から。

記念品は、加湿器ということでした。^^


30分の予定でしたが、大幅に時間を超過しての閉会の辞。


(初めての)ガリラボ卒業式の予定していたプログラムは無事すべて終えました。

卒業式を終えて、16ゼミ生から4年(16)川上ゼミ長とガリラボの管理をずっとやってくれていた4年(16)岡林にプレゼントが渡されていました。

その後、なんと私にも花束をプレゼントしてもらいました。
新型コロナウィルスの関係で送別会が激減してお花の需要がずいぶんと低調だとのことですので、16ゼミ生の気の利くプレゼントに感謝でした。



卒業する16ゼミ生(一部)です。


毎年卒業生を送り出すわけですけど、いつもは県立劇場、そして追いコンの場でした。
教員生活をしていて初めて大学内で送り出すことなり、長い教員生活の中でも忘れがたい卒業式になりました。
どの学年にも色々な色がありました。16ゼミ生についての色は、学生でなくなった彼らが手元を離れた結果、失ったモノやコトを実感していく中で考えてみたいと思います。



これまでの長かった学生生活を終え、4月からは社会人としてのスタートを切ることになります。
16ゼミ生みんなの未来が明るくなることを祈ってます。
ただ、卒業式の場でも話をしたように、苦しいことがあったら、愚痴を言いにガリラボに遊びに来ると言い。
何もできないけれど、愚痴を聞くことができるので。

ガンバレ、16ゼミ生!! by 津曲

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この日の卒業式を主催した在学生代表(事務局)と卒業生による記念写真です。



この日、事務局が用意した卒業生向けの記念品等です。
色紙とUSBメモリ(卒業記念映像入り)、そして祝電・祝詞一覧です。
どれもずいぶんと時間をかけて準備していたようです。



せっかくなので・・・・川上ゼミ長の発案で、卒業記念映像(20分)を全員で視聴しました。全員、大爆笑でした。
17ゼミ生が時間をかけて制作したことがよくわかりました。社会人となって苦しくなった時、この映像でストレス解消してくれるといいかもしれませんね。^^

今日の卒業式を取り仕切った3年(17)阿部、河野、岩奥、橘です。



大学の卒業式が中止となり、代わりにガリラボ独自の卒業式を行ったわけですが、いい卒業式でした。
でも、やっぱり、全ての在学生の手で、そして追いコンの場で卒業生を見送りたかった。
その点はやっぱり残念です。