2020年3月20日金曜日

個人の行動が容易にパブリック空間に展開されていく時代

昨晩、熊日の公式LINEに次の速報が流れました。
東区在住でスペイン旅行から戻った方だそうで、その後のニュースで、幸い症状は軽いとのことでした。
なおこの速報にはセットで「動植物園再開は見送り」という文言がついています。
軽症ということで、ご本人にとっては不幸中の幸いだったと思いますが、感染による影響はご本人が想像していたよりも大きくなるのではないでしょうか。


感染と見送りについての両ニュースの因果関係は明示的には示されていないわけですが、
併記されていると多くの人がそこに強い因果関係を読み取ってしまうだろうと思います。
もちろん、再開を楽しみに本日出かける予定だった人たちも多くおられるでしょうから、早めの周知は大切で、それもあって併記されたのでしょう。
 
感染された方は、感染したことについての後悔はもちろんあるでしょうが、見送りのニュースを知った時、そして多くの人が2つの事実に強い因果関係を読み取るだろうと考えたとき、社会的責任を強く感じられてしまうのではないかと思いました。
結果の大きさから十分に自分を責められているだろうと想像できますので、周囲からの強い非難が起きないことを祈るのみです。
 
さて、現代は、自分ひとりの行動が、自分が考えている以上に増幅され影響が広範囲に及ぶ社会状況にあります。
感染症との戦いの渦中という社会状況では、特にこうした増幅が起きやすいのではないかとも思います。
もっとも、こうした状況は、今現在に限ってことでなく、ネット社会になって頻繁に起きるようになりました。
個人の限定的な情報行動が大きな社会問題を引き起こす事例をよく目にします。
個人のパワーが強力になり、それでよいこともあるわけですが、そうでないときもあります。
10年ぐらい前になりますが、1週間で500億円の預金が引き落とされるという佐賀銀行の取り付け騒ぎの発端もある若い女性の一斉送信メールがきっかけであった可能性がありました(最終的にその女性は不起訴になりましたが、大きな社会的責任を背負わされたはずです)。
最近だとバイトテロというのがありました。本人たちはSNSでの友人同士の話のつもりがいつの間にか社会に広がっていく事態になり、大騒動を引き起こしたことは記憶に新しいかと思います。

現代は、個人のプライベートな、限定的な行動が、パブリックな空間へと容易に発信されそして増幅されやすい社会が出来上がっています。
それがあるから良い場合もあるわけですが、そうでない場合もあることは自覚的になっていた方がいい。
若気の至りという言葉があります。
昔は、若い世代には比較的寛容であったと思いますが、現代は、寛容さが失われてしまうこともあり、その辺りは理解しておかないといけない時代を生きていることをきちんと自覚しておく必要があるだろうと思います。

一応、情報について学んでいることになっているガリラボのゼミ生には特にこのことは学んでおいてほしいと思います。
 


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