2024年3月30日土曜日

ガリラボ閉店

令和5年(2024年)3月29日、ガリラボを閉店しました。

41年の教員生活に区切りをつけることができました。

ガリラボに終わりが近づくと、最近はたくさんの卒業生がガリラボを訪問してくれました。
昨日の最後の日も、駆け込みで卒業生が色々やってきました。

OB(M16)大野(現在、小学校の校長先生)。すれ違いが多くてなかなか会えなかったのですが、昨日、ようやく会えました。

OG(07)小田原及び興梠。数日前に、「先生、29日に会えますか?」との連絡があり、最後の日なので色々と大学内の儀式があったので、2人と時間調整をして辛うじて会えました。

OG(03)菅原。
ガリラボが閉店するのを見届けたいと仕事(現在、教員です)を休み駆けつけてくれました。
菅原は、実はガリラボの卒業生を代表するミッションもあって来ておりました。
卒業生一同からの卒業アルバム、そしてお礼の品を届けるためです。
(卒業生のみなへ。どうもありがとう)
卒業アルバムの中身は、これまでの卒業生からのたくさんのメッセージで溢れていました。
最後のページあたりでは、私がガリラボを卒業する写真が飾ってありました。
アルバム内の一人ひとりのメッセージをじっくりと読み、感動しました。ゼミ生としてガリラボを選んでくれた卒業生みんなにただただ感謝しています。
つくづく教員とはよい職業だと思いました。
41年間の教員をやってきて、並行して研究者としての仕事、そして大学運営の仕事もやってきましたが、一番はやはり教員としてゼミ生と接してきたことが私にとってはもっとも幸せなことだったと退職の日に改めて強く思いました。ガリラボを巣立った253名のゼミ生は私にとって家族と同じぐらいに大事な宝物です。


17時頃、ガリラボを出ました。

最後となる施錠して、ガリラボの鍵は大学に返却しました。

最後を見届けてくれた3人と施錠した研究室前で記念撮影。

別れ際、研究室下の桜(私が勝手にツマガリザクラと呼んでいた桜です)を背景に写真を撮り、私は大学を後にしました。


3階の角部屋。3月29日でもって、この場所から、「津曲」であるとか、「ガリラボ」という語はなくなりました。
明日からは、次にこの場所を利用する先生が、新しい研究室を立ち上げ、ここは第2のガリラボとなっていってくれるでしょう。

いや、第2のガリラボはもう生まれているのでした。
OB(M08)佐藤の研究室。
九州産業大学の佐藤研究室は、ガリラボをさらに発展させる研究室になっていくのに違いありません。
佐藤研究室では「さとらぼ通信」が始まっており、それを読むと(パスワード付きなので誰でもは閲覧できません)、活発な研究室であることがよくわかります。
ガリラボの卒業生には、佐藤研究室のように、職場であるいは家庭で、ガリラボの優れた遺伝子だけを選び、それを使ってそれぞれ良好な空間を生み出していってほしい。

8年前、ガリラボの追いコンの場で大学院を卒業するOG(10,M14)吉村が、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で紹介された言葉を使って話したことを思い出します(ガリラボ通信2016/3/19)。学校の校長先生の卒業式でのスピーチで、それは次のような内容です。

今から何十年後かに あなた方がこの学校生活を思い出して、
あの時代が一番幸せだった 楽しかったと 心の底から感じるならば、
わたしはこの学校の教育が 失敗だったと言わなければなりません。
人生は進歩です
若い時代は準備の時であり、
最上のものは過去にあるのではなく将来にあります
旅路の最後まで
希望と理想を持ち続け 進んでいくものでありますように

ガリラボの卒業生は、ガリラボで培ったスキルや考え方でもって、今後も常に進歩していってほしいと願っています。

最後になりますが、これまでガリラボを支えてくれたすべての皆様にお礼を申し上げます。
ゼミ生はもちろんです。それ以外に、ガリラボは大学職員や地域の方々と関係が深ったので、こうした大学内外の方々には大変感謝しております。
多くの方の支援があってガリラボでの活動は長きにわたり継続していくことができました。
ありがとうございました。
撮影 OG(03)菅原

               2024年3月29日
                      津曲隆


※ガリラボは閉店しましたが、このガリラボ通信は、今後もたまにでしょうが更新するかもしれません。

 

2024年3月27日水曜日

OG(10)+αの襲来

昨日のことになりますが、OG(10)吉村が、そして辛島が、14時ごろにやってきました。
最後なのでガリラボをみておこうということのようです。
ただいつもの如くで、「遠慮」という語彙が吉村の辞書にありません。orz
よくしゃべります。
帰っていったのは17:30で、吉村が来たのは13:30でしたので、4時間ほどしゃべっていたことになります。
すごいもんです。

10ゼミ生が卒業記念品として寄付していった時計(道場に掛けていたものです)を2人に返却しました。

10という数字しか書かれていない極めて特徴的な時計でしたが、これでも時間はおおよそわかり、この時計に10年間お世話になりました。
その場で、10ゼミのLINEグループに「時計がほしい人」と尋ねておりました。

ところで、途中、私からのレクチャーも少し。
現在のAI化社会にまるでついてきていないようなので、ChatGPTについて解説しておききました。
これからは「検索」によって何かを探すというよりも、必要なことをその場で「生成」していく時代になっていくこと、研究やビジネスの場だけでなく、生活の場でもそれが普通になっていくことを話すと、さっそく2人で実践しておりました。

そして、、、、

吉村のLINEへの投稿に、「まだそっちにいる?」との反応があり、やってきたのがOG(10)清原とそのジュニアです。
福岡からちょうど帰省してたようで、16:30頃に急ぎやってきました。
それから1時間近くお話をすることなり、清原ジュニアはちょっと疲れ気味(笑)。

荷物がすべてなくなった研究室は広く、そして声が響く異様な空間です。
その中で4時間ほどしゃべり続けたOG(10)軍団は、最後は静かに帰っていきました。

そういえば、この軍団でした。ガリラボがもっとも騒がしかったのは。
私の誕生日の時のドタバタ劇を思い出します(笑)。
54回目の日のサプライズ(後日談)ガリラボ通信2012/12/16

もう10年以上も前のことになりますが、つい先日だったような気もします。
懐かしい限りです。

さて、2日後はガリラボは閉店となります。

 

2024年3月23日土曜日

最後の夜にガリラボでピザパ

卒業式を終えた20ゼミ生5名が夕方17時に集まってきました。
これがガリラボでの最後の日(夜)となります。

この時点ではまだ配属先が未定者もいますが、5人の勤務地は確実にバラバラとなります。
この5人と私とで、ガリラボで過ごしたこと、4月から働く先での話題などたくさん、たくさん駄弁りました。
そして、2時間が経ち、お腹がすいてきたのでピザをゲット。
ガリラボの最後の夜はピザパーティとなりました。

ピザやお菓子を食べながら、気づけば21:30過ぎ。4時間半ほどこの場でのにぎやかな時間でした。
実は、このメンバーは、卒業制作の動画づくりのため合宿と称し、道場に泊まった強者たちです。そしてこの日、このメンバーが、大学の最後の最後になって、コロナ禍前のガリラボの日常を連れ戻してくれて非常に感慨深いものがありました。ガリラボは、夜な夜な、この日のような状況の中で、新たな活動に向けた種が生まれ、そして発芽までさせていたのでした。
ゼミ生とのこうしたワイワイ・ガヤガヤした時間は貴重な時間だったことを改めて実感させられました。


解散した後、私が「ガリラボGoodGirls」というLINEグループを作り(この日、この5人を「ガリラボGoodGirls」と命名しました ^^)、「昨晩のGoodGirlsの写真を送る。みんな、元気で。しっかりと生き抜いていくように。がんばれ。」とのメッセージを添え、アルバムに写真をアップロードしました。
それに対し、5人から次のメッセージが届きました。

●物理的にも心理的にも、あんなにも先生と近い距離でご飯を食べたのは初めてだったので、とても楽しかったです

●最後に思い出が増え、楽しい時間を過ごすことができ、いい卒業式になりました🎓
先生もお元気で☺️ また集まれる時を楽しみに生き抜きます!

●思い出の詰まった研究室で先生と一緒に、ゼミ生最後の夜を過ごせてよかったです。また集まれた時にたくさんの土産話を持ってこられるよう、これからの社会を生き抜いていきます!

●とても楽しい会ありがとうございました🥰 最後の日を先生と一緒に過ごすことが出来て良かったです! 次また集まるときにgoodなままでいられるように生き抜いていきます

●昨日はありがとうございました。学生最後に研究室のみんなと先生と喋りながらごはんを食べられてよかったです。研究室での思い出を胸に人吉の1人暮らしを楽しみます!

こうしたゼミ生と教員として一緒に過ごせて、ほんとよかったと心から思います。



プレゼント
この日、5人からサプライズプレゼントをもらいました。
5人それぞれのデザインが描かれたクッキーです。いや、驚きました。
帰宅後、家内にも見せたところ、驚いた大きな声を上げてました。^^;
これはやはり誰でも驚きますね。
4年(20)藤田が私が箱を開けた瞬間の写真を撮っていました。
ほんとに驚きました。完璧なサプライズでした。
4月中旬まで賞味期限とのことですが、こんなクッキーを食べることはできないですよ。
私にとって大切だったガリラボの日常を忘れないために自宅の私の部屋に飾っておきます。
ありがとう。
 

2024年3月22日金曜日

ガリラボ最後のゼミ生が卒業しました

3月21日、県立大学の卒業式は穏やかな日でした。

ガリラボの最後の卒業生となる20ゼミ生の大学からの巣立ちの日です。

ガリラボ恒例の県立劇場外の掲示板の前で記念撮影をして別れました。
都合がつかず3人おりませんが、20ゼミ生全員が無事に卒業しました。
卒業おめでとう。

20ゼミ生の社会人へのスムーズなトランジションを祈るばかりです。

私もこれで卒業式から卒業することになりました。
最後の卒業生20ゼミ生との上の集合写真は、私が教員であったことの証として記憶に留めておきたいと思います。
 

2024年3月17日日曜日

ガリラボ卒業生一同からの退職祝い

バスケットに入ってきれいに咲いています。大学の研究室をほぼ片づけたので、代わりの仕事場として自宅の部屋を研究室化していますが、そこが一気に明るくなりました。

このフラワーバスケットは、昨年の興津会(ガリラボ通信2023/10/9)の実行委員が、昨晩、並木坂にあるガリラボにとっては思い出のお店「古酒家 和来」(ガリラボ通信2012/7/15)に集まった際にもらったものです。退職祝いということでした。

この日集合した実行委員たち。年代はバラバラですが、まあ愉快な時間でした。

現役教員の最後の時期にわざわざ設定した飲み会だったので花束はもらうのだろうと予想はしていましたが、それ以上に、ここでのプレゼントは昨年9月ごろから企画していたことをこの日に知ってびっくり仰天しました。
まだ完成していないそうなので目録だけもらいました。卒業アルバムを作成しているそうです。どんな内容になっているのでしょうか。多彩なゼミ生の集まりですので、きっと楽しいアルバムが出来上がっているのではないかと思っています。

もうひとつ。目録をもらいました。
旅行券だとその場で聞きましたが、翌朝、開けて金額にびっくりしました。
10万円の旅行券。
昨年の興津会前に、各代のゼミ長を通して、卒業生全体に寄付を募っていたのだそうです。
ガリファン」とか呼んでました。ガリラボファンディングといった意味のようです。

なんともサプライズ過ぎて、反応に困りました。
元々、挨拶はもっとも苦手にしているのですが、驚いて混乱したせいで自分で何を言ってるのか・・・なんともさっぱりでした。
「先生、泣くところですよ」と卒業生が言ってましたが、混乱で泣くどころでなく、そんな様子に、ひとりOG(03)宮川だけは泣いているようにみてましたが(目にゴミがはいっていてのかもしれません笑)、実行委員みんなは大笑いしてました。
なんだかんだと最後はOB(12)丸野の一本締めで、明るく終わりました。

私自身、あまりお世話をした感覚はないのですが、ゼミ生と一緒に過ごしてことはただただ楽しくて、私の人生に明るいものにしてもらえました。
そんな253名のゼミ生と出会えたことにほんと感謝してます。

ガリラボ通信はこの投稿で6,330回目となります。
楽しかったことを忘れないようにと、これまでここに記録してきました。
振り返ると、貴重なガリラボに集った稀有な民族のエスノグラフィーとなっているのではないかと思います。
私にとって大切な記録となりました。
 

ガリラボ卒業生みんな、どうもありがとう。
もうすぐ届くガリラボの卒業アルバムを楽しみに、そして旅行券ではこの夏に家内とどこかこれまで行ってなかったとこに二人旅をしてこようと思います。
旅したら、この通信で旅の記録を報告します。
 

2024年3月15日金曜日

OG(16)川上onTV/片付けもあと少し

先週、OG(16)川上がやってきたことをこの通信に掲載しました(ガリラボ通信2024/3/9)。
その際、熊本市の広報番組に出演するということで、それが昨晩でしたので、録画してゆっくり視聴しました。
少し緊張しているようでしたが、発音明瞭で非常に聞き取りやすい広報であったように思います。
これがこの職場での最後の仕事になるはずです。
4月からは熊本市から研修として派遣される形で、早稲田大の人材育成プログラムに参加するため、テレビに登場していた職場からは異動することになるはずです。
ガリラボの卒業生があちこちで活躍しています。嬉しい限りです。

さて、私はというと、粛々と研究室の片づけをしております。
本日、研究室内のPC類を破壊処理してもらうため運び出しました(左に見える段ボールに詰めてます)。
あと少しです。あと1回ぐらいにごみを出せば終わりそうです。
もういつでも研究室を退去できそうです。
 

2024年3月10日日曜日

退官記念誌編集委員会/でこぼこフレンズ「未来への意志」

昨夕、第12回となる退官記念誌編集委員会がオンラインで行われました。
実行委員となった大学院卒業生有志によるボランティアで作業は着々に進んでいるようです。
記念誌編集委員会という名称ですが、記念誌だけでなく、祝賀会も同時に企画してくれています。実行委員及び賛同してくれている大学院卒業生には感謝しております。


記念誌は3月中には初校が出来上がりそうだということです。
私にはたぶん完成まで見せてもらえないものと思います。
完成し、5月にもらえたら、番外のガリラボ通信を発行してその場で紹介したいと考えているところです。
祝賀会も具体化し、水前寺共済会館グレーシアの最上階になると聞きました。私の「最終講義」をこの場でやらせてもらえることになったので、そろそろ準備に入ろうか思います。

ところで、記念誌の発行についてお礼をここで伝えたい。
学部の10、11、12ゼミと3つの学年の有志で結成したでこぼこフレンズとチームが、夏休みの時間すべてをささげて作成した動画で、第2回TKU水の国くまもとビデオコンテストで最優秀賞を受賞し(ガリラボ通信2013/10/2)、副賞として賞金をゲットしました。
最優秀賞に輝いたのは「奏(かなで)」という作品でした。

でこぼこフレンズの解散式を兼ねて受賞祝賀会をチームで行ったのですが、その時に、賞金はすべて次の世代のでこぼこフレンズを生み出すよう、ガリラボの映像未来基金とすることを決めてくれました。
その賞金はこれ以降のゼミ生の撮影ロケなどでの交通費や小道具購入費等で使わせてもらいました。この基金のおかげでガリラボではその後も映像づくりを積極に行うことができ、ガリラボ自体の映像制作スキルを磨いていくことなり、それは17ゼミ生の全国大学放送コンテスト「文部科学大臣賞」(ガリラボ通信2019/12/11)へと結実しました。
でこぼこフレンズの未来への意志ガリラボ通信2013/10/26)は見事に後輩たちの成果につながったのでした。
私が退官するにあたり、映像未来基金は、少なからずの金額ままだ残っています。でこぼこフレンズの活動をコーディネートしていたOG(M14)吉村に、用途が異なりますが、私の退官記念誌作成に活用させてもらえないかと、でこぼこフレンズのメンバーい問い合わせてもらいました。全員、快諾してくれたそうです。
でこぼこフレンズの未来への意志は、最後に、私の退官記念誌として回収されることになりました。

でこぼこフレンズ全員で、コップと水とでドレミを作る実験を重ね(通信2013/8/13)、それを持参して熊本県内のあちこちの水源のロケに回り(通信2013/8/16)、そして冷房が壊れた灼熱の研究室での編集作業(通信2013/8/19)と、大変ことばかりでしたが、しかしどれもが私にとっては楽しい思い出。
でこぼこフレンズに感謝


2024年3月9日土曜日

OG(16)(17)ダブル川上の来室

OG(17)川上からのアポを受け、お互いの日程調整をした結果、昨日(3/8)の16時が都合がよく、その日時で来室を決定したところ、なんと、OG(16)川上も一緒だとのこと。
学年も職場も異なるダブル川上ですが、2人で話し合って日程調整していたようです。
それぞれ別行動でやってきたのですが、16時ぴったりの来室でした(さすが社会人)。

そして、帰っていったのはなんと19時。3時間ずっとしゃべっておりました。
口の筋肉がかなり疲労しました(笑)。
OG(17)川上の職場(病院)はさすがブライト企業です。入職1年目からいいところだと話してましたが、現在3年目になってもそれは変わらないそうです。
この職場とは偶然の出会いに近いものでしたが、どうも運が強かったようです。

もうひとりのOG(16)川上は公務員。現在、4年目。こっちはその方向で準備をしてきた結果で、そこへの入職は必然でした。
バリバリに働いていて、向上心旺盛で、自治体派遣の早稲田大学での人材育成プログラム(プログラム名は失念)に応募し、見事に選ばれて4月から勤務の傍ら、職場の仲間3人で参加するそうです。
さすが優秀だった川上です。どこまで成長していくのか楽しみです。
4月以降の状況についてもまた報告しますと話していました。

2人から、「奥様とどうぞ」とお土産をもらいました。

帰り際のショット。3時間しゃべり続け、疲れているはずですが2人は元気そうです。

ちなみに私は、帰宅後、食事を済ませると徐々に記憶がなくなり、気が付いたら朝でした。
体力が落ちているせいもありますが、ただこの日は午前中、研究室の片づけをしていて、午後は13時から会議で、休む間もなく3時間トークだったのでさすがに疲れました。^^;

2024年3月7日木曜日

公開審査会の様子@大学HP

 先日、公開審査会の様子が大学ホームページで紹介されていました。

⇒ https://www.pu-kumamoto.ac.jp/news/post-32982/

ガリラボから参加している2チーム(たま輪とたまむすび)の受賞のことが紹介されています。また総括として津曲のコメントも最後の方に掲載されています。
詳しいことは上記リンクのホームページをご覧ください。


最後に掲載されている集合写真。
その時は気づきませんでしたが、ガリラボのメンバーが主要ポジションを占拠していたようです。^^;


2024年3月6日水曜日

玉名観光協会・観光物産課へ最後の挨拶へ

たまむすび及びたま輪チームの代表と一緒に、お礼と引継ぎを兼ね最後の挨拶に、昨日、玉名観光協会(たまララ)と玉名市観光物産課にでかけてきました。
雨だったので渋滞を予想し少し早めに出てところ、なっといつも同じぐらいの時間で着いてしまい、時間があったのでしばし玉名観光。2時約束のたまララに直行せず、高瀬大橋を通り、
 玉名駅→玉名高校→北稜高校→玉名温泉
を巡てから新玉名駅のたまララに向かいました。

たまララでは柿添さんと泉さんが待っていてくださいました。たま輪から4年(20)松本・大山が出向き、今年度の活動をまとめた資料と成果物について説明し、電子媒体をお渡ししました。資料はたまララの事業報告でも使用されるようです。
1時間近くおしゃべりし、感謝の言葉を伝え、最後に記念撮影して別れました。

そのまま玉名市観光物産課は直行。受付のところで立ち話で終わろうとか思っていたのですが、事務室奥の応接室に案内されました。

応接室で持参した資料をもとにSNSに関することを職員さんに引継いできました。
私たちの活動について課長さんにお礼の言葉をもらい、その後、観光物産課とのいつもの(人に聞かせられないほどの低レベルの)掛け合いが続き(笑)、ここでも1時間近くだべっておりました。我々の関係を知らない人がみたら、何をやっているのか絶対にわからなかっただろうと思います。
最後に記念撮影・・・・
上の写真がひどかったので、もう一枚(笑)。

物産課を出ようとしたら、和田さんに引き留められ、出口近くに立たされました。
色々と温かい言葉をかけていただいた後、物産課職員のみなさん全員も起立され、拍手にて私たちを見送っていただきました。
全員がこちらをみておられるので、全員の顔がよく見え、特に指揮棒紛失事件の際の職員さんが大方おられて、14年間、職員さんと玉名の観光についてゼミ生と関わらせてもらい、もうほんとに色々なことがありました。それらはこのガリラボ通信にすべて記録されています。それらを振り返ると、どの活動も非常に楽しく、おかげで14年間充実した日々を過ごすころができました。
14年も通い、いろいろな場所を歩き回ったおかげで、玉名市内の細かい道までほとんどわかるほど玉名に精通しました。
私自身が玉名人(たまなびと)になったように思います。今後それが役に立つのかどうかわかりませんが、ほぼ故郷のようになってしまったので、暇を持て余し、どこにも行くところがなかったら玉名に出かけようかと思います(笑)。

お土産に金栗グッズをたくさんもらいました。

金栗グッズは有難いことでしたが、お腹も少しすいたので、玉名の最後に「あいあい庵」に立ち寄り、名物のお団子を手に入れ、車の中で食べながら大学に戻りました。

玉名市との関係のスタートは2010年7月14日のことでした。
 →セカイカメラプロジェクト説明会ガリラボ通信2010/7/14

2024年3月5日の玉名市での活動報告で、ガリラボと玉名市との長かった組織的なつながりは終了しました。

お世話になった玉名のみなさんには大変感謝しております。
有難うございました。
                 津曲研究室一同を代表して
                          津曲隆


2024年3月5日火曜日

OG(19)元山・岩生からの差し入れ

19ゼミ生の卒業アルバムをOG(19)市原がおいていったのは昨年の5月(ガリラボ通信2023/5/12)。
大学に来れる19ゼミ生には取りに来るようにと市原はLINEで呼びかけ、9冊ほどおいていきました。
それから7か月。2月下旬で9冊は7冊になってました。
このまま取りに来ないと捨てるわけにもいかず、困りそうなので、いつでも取りに来れる状態にして廊下の机の上においておきました。
その効果があり、今日現在、3冊減り、残り4冊になりました。
3冊のうちの2冊は(19)岩生と元山だったようで、昨日、顔を出したようです。
昨日、私は休んでおり会えませんでした。
差し入れがおいてあり(感謝)、2人だとわかりました。

もう1冊は誰がもっていったのかはわかりませんが、市原に連絡するようにと注意書きしているので、市原は把握できているだろうと思います。


2024年3月1日金曜日

広報紙15号(最終特別号)発行

前号から1年が空いてしまいましたが、20ゼミ生だけの広報部による15号が完成しました。
最後の広報紙となります。これまでに比べてかなり分厚い量になっています。

表紙
03ゼミから08ゼミ生までの集合写真で飾られています。

目次です。

中には、新聞部・広報部の歴代部長の顔がエフェクトをかけて紹介してあります。
こうしてみるとたくさんの代で新聞・広報紙が作られてきたことがよくわかり、歴史を感じました。

最後の広報紙に寄稿したわたしのコラムです。
ここに書いた通り、この冊子がガリラボを結びつけるメディアの役割を果たしてくれたと思います。歴代の新聞部員・広報部員に感謝したい。

裏表紙は09ゼミ~20ゼミ生たちの顔で締めくくられていました。

ガリラボの関係者には40頁ほどのpdf版が届いているはずです。
時間のあるときに目を通してみてください。