2016年10月31日月曜日

白亜祭ポスターのパワーアップ

10月17日に学内にガリラボの白亜祭ポスターを掲示しました(ガリラボ通信2016/10/17)。
2週間で掲示期間が終了するということで、最後、貼り直しへ。

そこで、一考。

前に掲示した場所にはほとんど掲示物がありませんでした。
チェックしていると、これまでほとんど掲示が追加されることもないようです。
スペースはたくさんあります。
ならば・・・・

いわゆる単純接触効果を活用しようと4年(13)塚田と松崎が行動しました。

デザインや広告の分野で反復効果とか露出効果と呼ばれていますが、人は何度も接触した
もの(こと)、見たもの(こと)、聞いたもの(こと)に意識を強めていく性質があります。
もちろん、不快なものは逆に嫌悪感を増強することになってしまうのですが、好感を持てるもの
であれば、ポスターの多重掲示はガリラボの白亜祭に対して興味を持ってもらうのに効果が
あるはずです。

ガリラボの「タマずきんちゃんを探せ」は多くの人に好感を持ってもらえると信じ、掲示枚数を
増加する作戦を実行したのです。笑

1号館、学生ロビー横の掲示板。7枚貼ってきたようです(塚田13ゼミ長)。


中講義室前廊下の掲示板。こちらは8枚貼ってます(松崎ガリラボ白亜祭実行委員長)。


きっとすごい効果が出ることでしょう。
あまりの効果で、ものすごい数のお客さんがやってきたら、大変なことになるでしょうねぇ。
どうするんでしょう。笑


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3年(14)谷口からのお土産。●活(?)で博多に行ってきたようです。早っ!



ハロウィン2016

ハロウィンの日のGoogleトップページです。毎年、面白いものが登場します。
Googleの変化に気づいたのが5年前の2011年(ガリラボ通信2011/10/31)。
・・・と同じことを昨年のハロウィンのガリラボ通信2015/10/31でも書きました。^^;

ゲームスタート。

今年は、お化けをマウスのドラッグパターンで退治していくゲームでした。
朝、ステージ1をクリアしましたが、たまラボと玉名に出かけないといけな
かったので、ステージ2以降がどうなっていたかは不明です。^^;


Facebookにもハロウィン用の動画がありました。昨年もこうした投稿があったのでしょうか!?



以上、ネット空間での恒例のハロウィンでしたが、ガリラボのリアル空間でも
恒例行事となりつつある(まだ定着はしてないかと思います)ハロウィンパーティが
お昼すぎに始まりました。
企画は、ガリラボ文化委員長の4年(13)多賀と副委員長(?)の松崎。


ある時、大変寂しいハロウィンになった時があって、それを読んだ13ゼミ生がイベント化
することを考えたようです。
 
ガリラボハロウィンの歴史
ガリラボ通信2011/10/31  ハロウィンと言うのがまだ意識されていなかった頃です
ガリラボ通信2012/10/31 お菓子が集まり始めました。
ガリラボ通信2013/10/31 みかんのジャコランタン登場。盛大にお菓子も集まっています。
ガリラボ通信2014/10/31 この時、かなり寂しいハロウィンでした。
ガリラボ通信2015/10/31 イベント化されたハロウィン。忙しくて大変な時期ですが、
             だからこそ楽しもうということではなかったかと思います。

私は、昨年はちょうど高知に出張していたようですが、その間に12ゼミ生、13ゼミ生で
楽しんだようです。
優秀な人たちというのは、それまでのことをしっかりとリサーチして、それを乗り越えていくべく
改善のアイデアを出して実践をしていく人たちです。
過去と同じことをそのまま踏襲するのは衰退の第1歩。
関係している人たちがまるで考えていないからです。

文化委員の2人(多賀と松崎)はたぶんその点が優れているのでしょう。この時期のガリラボは
ほんとに半端ないほどに忙しいですが(実は、その大変は自分たちで忙しくています)、その
忙しさをさらに増やしながらも、しっかりと考えていくことで楽しさに変えていってる。
そう私は思っています。賢くて、実行力がなければならない。
こうした能力は、社会人になって、あるいは親になって必要な大事な能力だろうと私は思います。
企画力って、特別な時に必要なものではなくて、日常の中で、普通に必要な能力です。
それがあると周囲を楽しませていくことができる。
ガリラボはそういう能力を鍛える場として優れていると思います。

考えてきた企画を実行に移そうとしている多賀と松崎。
手前は、この日はお客さんの4年(13)塚田ゼミ長です。^^


このツーショットを生で見て、1.2男をゼミから破門しようかという衝動に駆られましたが、
松崎に免じて許すことにしました。笑


たくさんのお菓子が集まりました。


一応、紹介します。「ハロウィンでしょ!?」と私の家内も差し入れをしてくれました。
私は自宅からの運搬係という大事な役目を果たしております。


この日集合した13、14ゼミ生たち。この後、多賀、松崎の企画で楽しんだようです。


何度も書きますが、卒論、白亜祭、興津会で普通の社会人よりも超多忙な毎日(土日も
含め)を過ごしているゼミ生たちです。
が、その多忙さもこうした仲間がいると楽しさに変わるものです。
仲間がいないときの多忙さは苦痛ですが、今この時期のガリラボはゼミ生の多くが充実
しているだろうと思います。
卒業したゼミ生の多くもそう思っているのではないでしょうか。
 


たまラボの玉名市役所での打合せ

早朝よりチーム「たまラボ」と玉名市役所に出かけ、たまラボの4人と観光係とで、
ゆるキャラグランプリ2016の結果が発表される11月6日以後の対応(記者発表)
について話し合っていました。責任問題をどう回避するかを主に話し合ったようです。笑
その後は、たまラボの4年(13)塚田と松崎の卒論に協力してもらい、和田さんの
取材を行っていました。

記者発表(11月17日午前になったようです)の打ち合わせが長引いて、卒論についての
取材は非常に短い時間となりましたが、短かったからでしょうが集中してマインドマップに
取り組んでおりました。


我々がふるさとセールス課に到着した時、たまたま観光協会の柿添さんも来られていました。
旬たまWEEKのスタンプラリーでゴールした人数を聞いたところ、なんと、Zero
スタンプラリーを卒論にしている4年(13)藤村はがっくりと肩を落としておりました。
さて、この悲惨な結果でどう卒論を書くのでしょう。笑


たまラボが打合せをしている間、私は、文化ホールにある玉名市コミュニティ推進課に
出かけ、簡単な打ち合わせを行ってきました。担当課の職員さんは本学総合管理学部の
卒業生。あちこちで、本学のOB/OGを見かけるようになりました。地域に根差した大学だ
と感じるこの頃です。
文化ホールから出る時、ふるさとセールス課のある商工会館の方向に曲がれなかったので
一旦、逆方向に運転。Uターンする機会をうかがっていてようやくUターンできそうな場所に
入って驚きました。
なんと、8月にたまラボで同田貫とタマにゃんのロケ地としたところではないですか!
暑い日でした(ガリラボ通信2016/8/20)。


この時撮影し、作製した30秒弱の映像がTwitterで投稿されていましたが(こちら)、
リツイートが500を超えているのです。
驚くべき成果ではないかと思います。
ちなみに、この映像は、上でがっくりと肩を落としていたと紹介した4年(13)藤村が
作ったものです。笑
 

2016年10月30日日曜日

もやいすと(地域/防災)ジュニア育成~モノづくりワークショップ

本日はもやいすとジュニア(地域と防災)で活動③としてワークショップを行いました。
活動③を選択しているのが合計で100人ほど。それを2つに分け、午前が地域ジュ
ニアの50人、午後が防災ジュニアの50人でワークショップを行いました。
今日のワークショップは、仮設住宅を作り、体験し、被災後の生活を考えることを狙いに
しているものです。
また、模型作りを通して、チーム内でモノづくりを担当する人材として意識してもらい、
12月24日の発表会では、モノづくりを意識した発表につなげてほしいという願望も
組み込まれています。
朝8時に教職員、SAが集合。モノづくりワークショップの準備を1番教室で始めました。


一方、1番教室の外では、同時に別の準備が始まっています。

KASEIプロジェクトに参加している居住環境学科の2年生たちが協力して
作り上げた仮設住宅の実寸大模型の組み立てを開始しました。

床が設置されていきます。

壁は巨大な段ボールで作られていました。

それを木材の固定し、内部には畳も運び込まれ、実寸大の仮設住宅が
学生ロビーの隣に突然姿を現しました。


教室で、ワークショップが始まりました。

本日のワークショップを計画してもらった居住環境学科の佐藤先生がワークショップの
進行役を務めていただき、ジュニア一人ひとりが、スケール1/50の仮設住宅のモデルを
組み立てる作業を行います。

ケント紙にレーザーカッター(?)で切り込みを入れた精巧な型紙が、佐藤先生の手で
100人分準備してもらいました。100人分! 大変だったろうと思います(感謝)。


型紙には意図的に説明が省略されており、どれがどの部品なのかを、前列の学生に
伝え、その学生は後ろに学生に教えていく伝言ゲームで情報を伝える方法を採られて
いましたが、教室内にコミュニケーション&インタラクションを生成させるなかなか面白
い方法だと思いました。

佐藤先生の解説と伝言ゲームの併用で、学生たちは説明のない型紙から仮設住宅の
模型を作っていきました。

SAのメンバーそれを支援しています。

支援しているはずです(3年(14)塘添)。

横に座って支援しています(3年(14)秋山)。


1時間ほど教室で模型作りを行った学生たちは4グループに分かれて交代で
手を休め、外へ。
実寸大模型を作った居住の2年生が、仮設住宅について解説をしてくれました。

ジュニアは、それぞれ(まだ中途ですが)、自分の作成した模型と見比べながら、
実寸大の感触を確かめていたようです。

丈夫に作ってあるので、住宅内部にも入っていきました。

4畳半の畳の部屋で説明を聞きながら、仮設住宅の特徴をしっかりと理解して
いったかと思います。


全体で2時間のワークショップが終わったら、1時間ほどの振り返り。
本日のワークショップの内容を議論を通して振り返り、知識を固定化する作業を
行いました。
ファシリテーターはIR室のM08佐藤。

ジュニアが議論している際には、COC推進室のM1(16)山口やSAの学生たち
(4年(13)岩坂、飯沼、多賀、3年(14)秋山、園田、塘添)がサポートとして
入りました。

 
最後に、ジュニアに発表をさせました。本日の感想を含め、課題をどう捉えたかに
ついて話していもらいました。さらに、その発表に対し、他の学生が指名されて、
コメントを言うという公開討論会スタイルを前回同様に行って、白熱した議論を
1年生の間で行ってもらいました。


片付けまで終わったのが17時半過ぎ。
今日もなかなかハードな1日でした。
 

2016年10月29日土曜日

Coho'zuの大津町外牧区インタビュー取材

Coho'zuの取材に同行し初めて雨でなかったように思います。
たいへんキレイな青空でした@大津町役場。

8:40に大津町役場駐車場で、地域づくり推進係の岩下さんと井手尾さんと
待ち合わせて、取材先に向かいました。


取材場所は大津町外牧区公民館。
ここで、区長さんと民生委員の方に地震以後のことをお聞きしました。


外牧区の区長さん。4月に区長になられたばかりで、状況がよくわからない
中での熊本地震で、非常にご苦労されたようでした。区長として色々と判断を
しなければならないときが大変だったということでした。よく分かります。
特に皆さんの生命に係わるような状況でしたから。さらに、この地区は、地震から
少し経った後の豪雨で、震災の後遺症もあったせいで、水害に見舞われました。
地震よりもこっちが酷く思えたと区長さんは話されていました。豪雨で避難指示が
出た後の対応でも苦労されたようです。そういった話を90分ほどじっくりと聞かせ
てもらいました。


引き続き、この地区と周辺地区で民生委員をされている3人の女性にお聞きしました。
特に一人暮らしのお年寄りの方を支援されているわけですが、地震後は家族も家も
すべてを後回しで、そうした支援に走り回ったということでした。「さしより、目の前を
ことをやらなけらば」と奔走され、自宅に目を向いたのは地震後1週間経ってからの
ことだったそうです。こうした行動の原動力はと、4年(13)多賀が聞くと、「いつもやって
いることだから」と答えておられました。
日々適当にやっていると、いざという時に役立つことはないということでしょう。日頃から
リズムよく安定して物事に取り組んでおくことの大切さを教えてもらいました。


取材の様子。
本日のCoho'zuは4年(13)多賀と上田がインタビューを行い、4年(13)飯沼は記録係。
後ろで撮影されているのは大津町の井手尾さん。広報誌に使う写真を撮っておられました。

同じ記録係で、飯沼と何やら意見交換をされていました。


公民館を後にして、すぐ近くの山の崩落現場に向かいました。
大津町に初めて来た時(ガリラボ通信2016/6/30)にも見学に来たところです。
その時よりも、倒木が多くなっています。
昨日も強い雨が降ってました。こうした雨で崩落が少しづつ進んでいるのかもしれません。


崩落現場をCoho'zuの3人で仲良く歩いております。


何をやっているかというと・・・
カメラを引くと、ご覧のとおり。広報おおづの表紙に使う写真を撮っておりました。

 
最後に井手尾さんとCoho'zuで少し打合せ。この時、岩下さんはおられません。


岩下さんは取材が始まる頃には出て行かれました。
勉強会で長崎に行かれたようです。
ほぼ休みをとらず、地震からの復興についてなど色々なところで勉強をされているのだとか。
実は、一昨日、岩下さんから長文のメールをCoho'zuにもらいました。
そこには、Coho'zuの「広報おおづ」への寄稿記事(の草稿)に対し厳しい注文が書かれて
いたのです。
千本ノックだと思い、この指摘に応えほしいとの熱いメッセージも添えてあり、地震への
岩下さんの思いの強さを感じたのですが、その理由がよくわかりました。
ご自分で、自主的に地震以後の町の復興について大変勉強されているからなのですね。

実は、Coho'zuへの厳しいメールを読みながら、「あれっ?」と感じていました。
何だ、このこだわりは、と。
そこには、単なる批判ではなく、いいものを仕上げようという岩下さんの並々ならぬ
意志を感じたのです。
大津町にも熱い公務員がおられました。

という経緯もあって、決めました。
岩下さんを取材させてもらい、津曲研究室版「<持ち場>の希望学」に加えなければ、と。
「一区切り」がついた時に、お願いしようかと思います。
 
 
9:00に公民館に到着し、12:30に全ての取材を終えて、大津町を後にしました。
取材に協力していただいた区長さん、民生委員さんたちとCoho'zuです。




<おまけ>役場駐車場のくすの木を下から見上げてみました