2017年3月31日金曜日

13ゼミ生ラスト(1/3)~13タイムカプセル

サクラ便り2017(4日目)。ガリラボ下のツマガリザクラはまだ咲く気配も
ありません。2016年度に咲くことなく、13ゼミ生を見送ることになりました。


年度末の本日、13ゼミ生が朝から集まっています。


最後の仕事のタイムカプセル作りです。封印するアイテムを丁寧に、丁寧に
カプセル(段ボール箱ですが!)内に収めていきました。


これはラストゼミ(ガリラボ通信2017/2/1)の時に使った横断幕です。
ゼミが終わった後、その裏に、みんなで寄せ書きを書いたそうです。
これもカプセルに封印。


2年半の思い出すべてをカプセルに収めました。


塚田ゼミ長、松崎副ゼミ長、そして多賀で13ゼミ生の最後の仕事を終えました。


塚田ゼミ長の手で戸棚の鍵がかけられました。開封するのは7年後になる予定です。



塚田ゼミ長のホームポジション。まだ荷物がおいてありますが、今日でここを
引き揚げます。

最後に、自分たちが活動した2017年3月の行事をすべて消していました。


立つ鳥跡を濁さずといいます。行事予定がきれいになりました。


今日は朝から雨でした。私にはこの雨は、涙雨に思えていました。


タイムカプセル作りなど終えた後、4年(13)松崎の自撮り棒で記念撮影。
朝、雨を見ながら、13ゼミ生を見送ることはやめようと思っていました。
私が先にガリラボを出ようと決めていました。
まだ用事はなかったのですが、写真を撮った後、すぐに本部棟に出かけました。


               ・・・・・・・・・・明日へ続く。

<おまけ>
今日届いたお土産。北海道土産は3年(14)谷口から、ニューヨーク土産は
4年(12)河邉からです。
その横は、明日から大学院生としてのみ活動することになるM1(16)山口からの
差し入れです。

 
 

2017年3月30日木曜日

サクラ便り2017(3日目)/大野からの差し入れ/ガリ之介

3日目のケンダイザクラ。

まだまだです。


夕方、差し入れが届きました。M1(16)大野からです。今日で通常の登校は
終了で、いよいよ現場復帰となります。
その前に、ゼミ生にとカップ麺を差し入れてくれました。みんな喜ぶでしょう。
付せんのメモは、3年(14)児玉ゼミ長によるものです。


ガリラボのテーブルにおいてあったガリラボ13ゼミ生の卒業文集。
中身をパラパラとめくると・・・・

ゼミ評価アンケートというのがあります。
ゼミの活動(課題)で何が楽しかったのかとの質問に対するトップは、
「ひのくにワークショップ」でした。さすがは旅芸人一座ですね。
役者が揃っていたからでしょう。ガリラボで伸びた能力はコミュ力や企画力等で
社会人となってからもきっと役立つことでしょう。


ところで、気になった人もいたかと思いますが、文集の横においてあった
コミュニケーションノートの付せんに書かれたキャラクター。
その上の「ガリにゃん」は、4年(13)塚田が作ったガリラボのキャラクターだった
かと思いますが、付せんの「ガリ之介」も面白い。ただ簡単に書けそうにないのが
難点ですが(私だけかもしれません)。
なんかいい感じです。誰の作でしょう・・・


4年(13)飯沼の手で創造されたキャラクターとのことです。
今後どうなっていくかもちろんわかりませんが、「ガリ之介」は、飯沼が、
ガリラボの残した貴重な痕跡となっていくかもしれませんねぇ。


追記
夕方、4年(13)塚田と学生生活最後となる面談(?)を行いました。
塚田が是非時間を作ってほしいと依頼した面談でした。
取り留めのない話題に終始したようにも思いますが、楽しい人生を送って
いくために、最後のメッセージとして可能な限り「他者のためになるように
やっていくこと」そして「Yesウーマン」でいなさいと伝えておきました。
簡略化すると誤解されそうですが、みっちりと話したので、塚田にはきちんと
伝わったはずです。
夕方、「ガリ之介」を編み出した飯沼と落ち合い、食事をするとのことでした。
学生最後となるはずの友達との晩餐は「食べ放題」とのことでした。
学生らしい。笑
 
 

  


2017年3月29日水曜日

サクラ便り2017(2日目)/藤村の置き土産は?/15作品試写会/片づけ/女子会

サクラ便り2017
2日目の大学の桜です。少し寒くなったので、昨日からあまり変化はなさそうです。

クローズアップ。


藤村の置き土産はあるか?
9時に4年(13)藤村がやってきました。明日から会社の研修が始まるらしく、
その前に出来上がった卒業アルバム(ガリラボ通信2017/3/25)、卒業文集
ガリラボ通信2017/3/23)、Coho'zuの本(ガリラボ通信2017/3/10)他、
4点セットを取りにきたとのこと。
ただ、まだ取りに来ることが想定されていなかったようです。
4点セットはバラバラ、誰が持って行ったかもわからない状況でした。
気の利く藤村。「私が名簿を作っておきましょう」とPCを立ち上げました。
本部棟に行く予定があったので、作業を始めた藤村に「元気で。またな!」と声を
かけて別れ、お昼、戻ってきて出来上がっていたのが、次のシートでした。

手書き・・・・orz
PCを立ち上げたのはどういった理由だったのでしょう? 謎です。
いや、そうではないですね。藤村のことです。まさか、こんな単純なシートだけ
残して立ち去るはずがありません、あの藤村が。
キット、立ち上げたPCをフル活用し、自分の痕跡や仕掛けをガリラボ内のあちこちに
残していったのだろうと推測しています。
後輩諸君、(13)藤村の隠された足跡(秘密のメッセージ)をこれからじっくりと
読み解いていきましょう。宝探しのようで、非常に楽しみですねぇ。笑

15Nコン作品試写会
午後、2年(15)長田が門前町で撮影してきた映像を使ってNコンに出す
予定の作品の試写会を行っていました。
居合わせたのは4年(13)多賀、中村、塚田、3年(14)児玉、秋山です。
奥に4年(13)飯沼がいましたが、Coho'zuの残務整理をやってました。


先輩からたくさんのコメントをもらっていました。それをせっせと長田は
メモしていました。長田が、「ここにいなかった2年生は損をしたように
思います」と話していたので、刺激的なコメントだったようです。
メモは議事録としてまとめ、夕方、帰る前には私に送ってくれました。
行動がシャープでなかなかいいですね。



片づけ
13ゼミ長・塚田と14ゼミ長・児玉と打ち合わせをしてようで、今日、この
2人と4年(13)飯沼とでガリラボの片づけをしていました。
色々なところが整理されていました。テプラで場所が指定されています。

卒業記念品の棚(ガリラボ通信2017/3/14)はお菓子置き場になってました。
なお、4年(13)塚田から説明されないと私には変化は分からず、説明した塚田は
呆れているようでした。^^;

13ゼミ費を清算した残りは、13会計長の飯沼が気を利かしてカップ麺を
買ってきておりました。麺税で文化委員会の活動資金がまた増えますね。
文化委員はきっとこれから大いに活動をしていくことになりそうです。
そういえば、この時居合わせていた2年(15)長田は、文化委員の3年(14)児玉から
文化委員に入りなさいと命令されているようでした。長田はどう返事をしたのでしょう?



ゼミ長、会計長による女子会
片づけ等が終わり、4人で女子会を始めていました。笑
よく見たら、ゼミ長と会計長のコンビ同士ではないですか!
あまりこの組み合わせはないなと思って、写真を撮らせてもらいました。
この場で、このメンバーが一緒にいるのは、おそらく、この日が最後に
なるでしょう。
名残惜しそうに、4人でひたらず話を続けてました。
果てしなく・・・。
ラスベガスのお土産のポップコーンを食べつくし、果てしなく・・・
女子会、恐るべしです。


4年(13)飯沼は今日が学生最後の登校でした。
20:30頃、帰っていきました。
1年生の時、私の情報処理入門を受講している時からよく知っていて、
そして4年生の最後には執念にも近いほどものすごく頑張った学生でした。
何故か話が合った(と私が思っているだけかもしれませんが)学生でした。
別れはほんとに辛いものです。



  

2017年3月28日火曜日

サクラ便り2017(1日目)

まだ固いですが、蕾が徐々に膨らんできています。


そろそろだなと思っていたところでした。
アリーナ前の桜の木が開花しているのを今朝、発見しました。

クローズアップ

さらにクローズアップ。2017年のケンダイザクラです。


昨年の開花は2016/3/19だったので(ガリラボ通信2016/3/20)、今年は遅れる
こと約10日での開花となりました。


昨年、サクラ便りを終えたのは23日目(ガリラボ通信2016/4/11)。
2016/4/11日のことでした。
それから3日後に熊本地震で、サクラの見納めが困難と試練の始まりでした。

今年はそうならないことを願っています。
しばらく大学のサクラ便りを続けていきたいと思います。

さて、今日、ガリラボにやってきたのは2年(15)鍬田と青の2人のみ。
午後数時間ほど映像編集をやっていたようです。
青には特に会計の件で話をし、4年(13)飯沼が残した会計ボックスとメッセージを
しっかりと渡しておきました。

3月のこの時期は4年生がいなくなって閑散としているのですが、例年、こんなに
少なかったかなぁ??
例年だと、4年生がいなくなり、目の上の●●がなくなって3年生が徐々に陣地を
占拠を開始している気がするのですが。笑


 

 

2017年3月27日月曜日

13ゼミ生のいない1日/ながみね防災祭り参加

本日は非常に静かなガリラボでした。
4年(13)生が初めて誰も来なかったように思います。
新鮮でもあり、寂しくもありでした。

朝、3年と2年生と打合せ、お昼にM1(16)大野、山口との4月以降のことで
打合せ。
その横ではチーム「こいたま」の3年(14)秋山、塚田、塘添が打ち合わせを
していました。どんな話になったのでしょうか。ワイワイ、ガヤガヤと楽しい
打合せになっていくときっと良いもののが出来ていくはずです。
エンジョイではなく、ぜひ、プレイフルにやっていってほしい。
さらにその横では2年(15)鍬田、江藤、青とかが映像編集をやっているようでした。
2年生はまだぎこちない感じです。
ガリラボでの活動が普通にやっていけるようになると楽しくなっていくはず。
4月以降、そうなっていくといいですね。

私も夕方から4月からの準備に精を出していて、帰ろうかとしていたら、21時頃に
OB(08)松永が「先生、報告があります」と顔を出しました。
報告があるということなので、とりあえず聞いておきました。^^;
明日は休みらしいです。


本日のことではありませんが、昨日(3/26)、YMCAながみね主催で開催された防災
祭りにM1(16)山口、4年(13)多賀、中村、3年(14)児玉、塘添、秋山、塚田、
2年(15)宿利が手伝いに行ってました。


その様子を山口が簡単にレポートしてくれました。
そのpdfファイルを画像キャプチャし、いくつかに分割して紹介します。


今日、会いましたが、特にこの話題は出てこなかったですが、
参加したゼミ生たちにとって、防災祭りはどんな感じだったのでしょう?
 
 

2017年3月26日日曜日

若者と大人の化学反応を実践する卒業生

昨晩は「九州がっ祭」の学生たちの踊りの審査員の仕事で、熊本城にでかけました。
外に3時間座っての審査員ボランティア。
まあ、寒いのなんの・・・ 芯から凍えました。
「寒い、寒い」といつもぼやいている4年(13)飯沼だときっと死んでいたでしょう。笑


学生団体26チームの踊りの審査員をやっていて感じたことがひとつ。
主に大学生が参加しているのですが、その大学生チームのほとんどはほぼ
オーソドックスな内容でした。
一方、県外、福岡、愛知から参加していた高校生チームのオリジナリティと
いうか、創造性に溢れた表現は素晴らしかった。
そして完成度も非常に高い。
そういった高校生チームだから、遠くまで遠征してきたのでしょうが。
大学生はオーソドックスで、(特別な高校生だったと思いますがその)高校生は
表現が突き抜けていて非常に斬新でした。
 
寒さを必死で耐えながら、高校生はなぜクリエイティブなのだろうかと
考えていました。
  
辿り着いた答えは、活躍する若者には、背後に大人がいるということ。
逆かな? 大人に若者がついているのかもしれません。
高校生にはきっとコーチとしての優れた顧問の先生がいるのではないかと思います。
たぶん、高校生だけでこうして遠征にやってくることはないでしょうから。

もっとも大学生でも、コーチを求めるグループはいるでしょう。
突き抜けるほどに成長していこうと思っている学生たちほどそうです。
そういったところは高校生をはるかに超える表現に達しているだろうと思います。
若者だけがいても今一つ、大人だけだったら全くもって今一つ。
双方がうまくコラボできたとき、非常にクリエイティブなものになっていく
のではないかと思ったのでした。

色々と書きましたが、要するに、2つの非常に性質の異なる「物質」が接触し、
そこで条件がうまく揃ったとき、化学反応が起こり、爆発的な変化が生まれるのでは
ないかと思ったのでした。
もちろん、2つの物質があるだけでは反応は起きません。
反応を起こすためには条件を揃えるための試験管等の場(環境)が不可欠です。
反応の場としての環境が整ったとき、非常に面白いものが創造されていくのでは
ないかと思います。
素晴らしい事業が行われている時、そのほとんどがこうしたパターンを持っている
のではないかとも思った次第です(違っているかもしれませんが)。
 
 
なお、こんなクリエイティブな活動を行っている事例が私の身近にあります。

先週金曜日(3/24)夕方、OG(M13)坂口が夕方、ガリラボに顔を出しました。
たくさんの玉名のチーズ饅頭を持って。ガリラボで非常に人気の高いお土産です。^^;


通常の教諭から昇格し、管理職となるためその報告を兼ねて顔をだしてくれました。
坂口の話を聞くと、坂口は、勤務校の教育改革について(ガリラボ通信2016/11/29)、
明確な考えの下で行っていることを知りました。
ガリラボでの学びがその動きの基盤に多少はなっているのかもしれませんが、それ以上
にもともと勉強家だった坂口なので、そうした学びを土台に中学生を(さらには地域も)
巻き込んだ学校の教育改革を突き進んでいるようです。

2人で、数時間、いつも通り、話があっちこっちに飛びながらの雑談でしたが、坂口の
やっていることで私もかなりの刺激をもらいました。
その日、次のメールをもらいました。

  今日は貴重な時間をいただき、ありがとうございました。たくさん大切な
  ことを教えていただきました。仲間、汗をかく、環境、学生の成長を思い描く、
  早めの準備、等々たくさんのキーワードをもとに、やってみます。
  コツコツがんばります。

逆です。坂口の話の方が遥かに刺激的でした。引き込まれました。
管理職となっていくため、厳しさが増すことになりますが、パワフルな坂口ですから、
いつの間にか課題をクリアしていってるのでしょう。
「今度、タマにゃんを連れていきますので」、と話したので(笑)、連れて行けるような
理由を考えないといけないですね。
「こいたま」の諸君、頑張って考えてほしい。^^
 

もうひとつの事例は、今度閉校となった河浦高校で教諭をしていたOG(03)菅原。
卒業して10年。体は小さいですが、パワフルすぎる先生へと成長しています。
河浦高校の生徒たちに色々な経験をさせながら、地域をベースにした優れた教育を
実践しているように思いました。教員としてはこれからが真に活躍していく年齢と
なるので、同じ女性教員の坂口などもモデルに成長していくと良いかもしれません。
坂口はよく本を読んでいます。見習うべきでしょう。
若さのエネルギーだけで今後もどうにかなっていくほど教員は甘いものでもないでしょう。
菅原は、熟達していく過程にあり、この過渡期を乗り切っていくには学び(=自分を
変化させていくこと)しかありません。
そのためには学びが不可欠。もっとも低コストでできる学びが読書です。
坂口を模倣し、学びのための読書を実践していってほしい。
菅原のFacebookより

その菅原からは昨日、次のメールが届きました。

  本校は早めの転退任式が昨日終わりました。
  いよいよ河浦を離れることになると思うと、
  寂しい限りですが、昨日もやかましいくらいの元気な
  卒業生が来てくれてパワーをもらいましたので、
  新年度も頑張っていこうと思います。
  これまでより研究室に近づいたと思いますので、
  さらに今後ともよろしくお願いいたします。

4月から新設校の球磨中央高校に異動します。「地域未来探究科」という
新しい学科があります。そこに新入生がやってくるという記念すべき年に、菅原は
異動していくわけです。
OB(M08)田中教頭先生が熊本商業に異動になったので、河浦高校でトレー
ニングを積んできた菅原に、OB(M06)小松校長先生はかなり期待をしている
のではないかと想像しています。^^;
頑張ってほしい思います。
余計なことですが、知っている熊日の記者さんが球磨に異動になったようなので、パワフルな
菅原のいる球磨中央高校に注目しておいてくださいと伝えておきました。^^
 
ガリラボの卒業生である2人の女性教員は非常に元気です。
生徒を巻き込みながら、学校を新しい優れた形に変化させていくでしょう。
安定はいけません。
安定とは衰退です。
変化こそが、真の安定につながる=赤の女王仮説ガリラボ通信2010/9/23)。
そのことをまさに実践している坂口と菅原かと思います。


ついでに、もうひとつ。
この3月で派遣教員としての1年目が終わり、4月からM1(16)大野が現場に
戻ります。
大野には、1年前とかなり大きな変化を感じます。向こうの人から、こっちの
人になってしまった。笑
坂口の話を聞きたいと言ってましたが、金曜日は4月から復帰する現場に行ってました。
大野から月例報告書とともにメールに次のようにありました。
 
  当たり前なんですが、あれだけ馴染んでいた代陽小だったにも拘わらず、
  同じ釜の飯を食わなくなると、浦島太郎のように1年前に時間が止まって
  しまっている自分を感じました。
  なぜかな?と思いながら、職員と自分との関係を観察していると、
  人は、相手の反応(行為)が知れた人と会話をしたがるようです。自分も
  なのですが・・・
  同じ釜の飯を食っていると、相手の行為が可視化され、相手との関係が組織
  化されます。
  そのことによって相手のと関係に秩序が生まれます。
  同時に、組織化によって可視性が与えられ、背後期待も確立していきます。
  こう考えると、1年というブランクによって、背後期待が更新されなったのが
  原因のようです。
  会話のしづらさという違背実験から、私達は、この背後期待を上手く利用して、
  相手にあった言葉を選び、会話を進行しやすくしているんだということがよく
  分かりました。
  さらに、私達は、相手の行為と自分の行為を関連づけて生活しているんだな
  ということも感じることができました。
  より快適に過ごすために、カテゴリー化や背後期待、自然言語の習熟、カテゴ
  リー化装置、可視化を上手く活用していることをエスノメソドロジーを知って
  体感すると、ガ-フィンケルの本当のすごさが理解でき、感動さえ覚えました!

このメールについて、こっちの人である私はすっとわかるわけですが、異なる
パラダイムの人にはやはり通じにくいでしょう。
なので、しっかりとリハビリ(アンラーニング)をして、自分をまた変化(元に
戻すのではなく、らせん階段のように、同じ場所に戻ってもステージは上がって
いるような変化)させなければなりません。
1冊をほぼ1年かけて読んできた忍耐力(3時間×33=99時間ほど一緒に
議論しました)で苦しいリハビリもきっと大丈夫かとは思います。
大野が、毎月、勤務校の先生方に発行してきた「ガリラボの学び」通信の
今月号です。自分の学びのまとめを他者に公開していくことで、自分の学びを
加速させているわけです。自律的な学びになっていて素晴らしい。



この通信だけでなく、学びを言葉にすることをたくさん実践してきた大野。
記録を取るといえば、4年(13)松崎が思い浮かびますが、大野の記録はその
かなり上をいってます。そのため、非常に苦しみながらの言語化の作業であった
ようです。
ですが、これからの人生においてその経験は、いつか(いつになるかは不明ですが)
意味を持つようになるはずです。
 
ゼミ生は、大野を、身近には松崎の行動を学んでいってほしい。
 


<おまけ>
昨晩の審査員の仕事(ボランティア)の前、明るいうちに見えた熊本城に様子。
改めて、ひどい地震だったと思いました。
熊本城はそれを表象する貴重なシンボルだとも思いました。
修復が始まっていますが、元に戻すような修復をやるのでしょうか?





13ゼミ生から始まる新しい歴史

OB(11)藤本がガリラボ白亜祭の実行委員長を務めた時に作ったRealFacebookが
その時以来、道場の入り口に掲示してあります。
道場の風景と化しているいますが、これが13ゼミ生は撤去しました!
(もちろん私の許可を得てですが)


RealFacebookは撤去され、新しい何かが貼ってあります。


ガリラボヒストリー
歴代のゼミ生が何をやっていたのかは、ガリラボ通信などを読めば分かるには
分かるわけですが、以前を遡って読むことないですね、普通。
ぱっと歴代のゼミの活動や誰がいたかがわかるといいなと話していたのですが、
13ゼミ幹部会議の時、ではそういうものを作りましょうとなって、出来上がっ
たのが次の「ガリラボヒストリー」です。


サイズは、私が定年までに担当するゼミの分のスペースが出来るようにということで
決まりました。
13ゼミ生の活動の証しをこの場で「見える化」されました。
次の世代は、これをモデルにして、これを越えていくように活動していくことになる
でしょう。
そのための歴史の最初の1歩が13ゼミ生から始まったことになります。

ガリラボヒストリーというガリラボの新しい歴史が始まった瞬間です。

 
 


13ゼミ生卒業旅行とお土産

4年(13)松崎から最後の活動記録が届きました。
先日(3/22-23)の卒業旅行の記録です。


非常に楽しかったようです。


夜はゼミTで過ごしていたみたいです。誰のアイデアでしょう。

 
楽しい様子が松崎の記録からほんとよく伝わってきました。
(卒業文集の中にこの議事録を入れておくのも良いのではないかなと思いました)


ちょっとした裏話
実は、旅行に行った日、あるメールがCoho'zuに届きます。多賀、飯沼、私もCCに
入っていましたが、何故か飯沼と私にはそのメールが届ておらず全く気付いていま
せんでした(結局、今も届ていません。不思議です)。メールが届いた多賀がひとり
焦り、旅先で飯沼に伝え、私にもCCがいってると思っていた2人は私から反応を待っ
ていたようです。が、私には届いておらず、22日はそのことを知らないまま。
あまりに反応がないので夜になって飯沼からそのメールが転送されてきました。
深刻な内容に思えたので、その意味をどう解釈するか、そして具体的にどう対応すれば
良いか、朝になってすぐに動けるように朝方まで色々な可能性についてシミュレーション
しておりました。
こういう時はメールでなく、電話や直接出かけるのに限ります。
直接出かけることになった場合(そのつもりでした)、その日入っている予定をどう調整
すればよいかなど夜中考えながら、朝すぐに電話をかけてみたら、すぐに終わりました。
その場で解決。
メールを深読みし過ぎていました。
決着したので、飯沼には「気にせず楽しんでおいで」と口頭で伝えようと電話ました。
そしたら、出ない!
多賀にしたけど、同じく出ない。
塚田、松崎と次々と電話したけれど、誰も出ない!!
後で塚田から電話がありました。朝食を食べていたそうです。笑
22日は気になってあまり楽しめなかったかもしれませんが、23日は楽しめたのでは
ないでしょうか。
が、2人にとってはこのおかげで卒業旅行が強く印象に残るものになったはずです。
将来、「あの時、こういうことがあったよね」と非常に懐かしい思い出になっている
だろうと思います。
 

13ゼミからの卒業旅行のお土産
全体で1つだとつまらないから、みんな1個づつ買っていこうとなったそうです。
何も打ち合わせをしなかったそうですが、ご覧の通り、全員が違うものになって
いました。
協調性はありますが、個性はそれぞれ違っているということでしょう。理想的です。

 


一番トップに乗っていたのは、次の藤村からのリンゴが入ったリンゴのカタチを
したバームクーヘン。さすがは藤村です。他とはかなり異なる色をだしております。笑


 
ゼミ新聞部部長3年(14)塚田から見たこの日の様子(新聞部ツイートから)。