もらいました。
中には、自分たちの経験をまとめ、後輩用にと本作成のマニュアルが入って
いました。私用になっているのは最後にCoho'zuのメンバーからも寄せ書きが
入っているためです。
冊子のタイトルは「本完成へと向かう1歩~本作りに関する物語」とあります。
いいですね。
マニュアルの冒頭のページです。後輩に向けての心構えが書かれています。
ページをめくっていくと、具体的な本作成のプロセスが詳しく書かれていました。
何をやらないといけないのか、スケジュールのこと、業者さんとのやりとりのことなど、
詳細に書かれていて、まとめるのは大変だったろうなと思いました。
マニュアルを入れたドラえもんの袋の後ろです。アイデアは多少は渡したかもしれませ
んが、それ以上にたくさん行動すべきことを教えてもらいました。
その夜遅く、4年(13)飯沼から長いメールが送ってきました。Coho'zuとしての
活動について次のようにありました(一部省略)。
1年前のちょうど今頃、私たちは期待と不安を抱きながら卒論活動に入ろうと
していました。今思うととてもとても昔のことのように思います。広報紙の課
題で卒論が書けるだろうか、そんなことを先生と話していた時期がとても懐か
しいです。
そんな中、熊本地震が起こり事態は、卒論どころではなくなりました。
この先どうなるのだろうという不安と恐怖。学校に行けない日々が続き、空白の
1カ月となりました。
そこから新たに決まったCoho'zuのテーマ。重いテーマに戸惑いもありました。
取材中に地震のことを思い出しては苦しくなることもありました。でも、地震の
記録を残すことは、大津の人々だけでなく、私自身にとってもとても意味のある
ことだと思い、取り組みました。
そんな思いでガムシャラに突き進んできたこれまでの期間は本当にあっという間
でした。
チームで悩んだり、1人で悩んだり、その時その時はとても大変だったはずなのに、
今振り返るとどれもあっという間だったなと思います。
終わってみれば、確かにあっという間であったことでしょう。フィールドとして
活動してきた大津町について、
私にとって大津町は、最初は卒論活動を行うためのフィールドでした。でも今は
学生であるということを実感させてくれる存在だったのだと気付きました。
もう大津へ行けないということは学生生活の終わりを示しているからです。
と書いていました。地震によって、日常の意味を捉え直すことになった人が多くいる
ように、活動しているその時には、何も思わないものですが、それが失われることに
なったとき初めて、その意味が理解できるものです。
なったとき初めて、その意味が理解できるものです。
Coho'zuにとって、また私にとっても大津町、特に役場職員さんには大変お世話に
なった町となりました。
全てが終わった今、改めて感謝したいと思っています。
飯沼にはさらに別の役割もありました。飯沼は13ゼミの会計長で、13ゼミの
活動財源のすべてを管理していました。
活動財源のすべてを管理していました。
その会計の仕事についても昨日全てを終わらせていました。
私にもと、2年半の会計報告を通帳風に作っていました。
通帳内部が会計報告の一部となっています。
昨晩のメールには、この会計の仕事のことも書かれていました。
会計という役割は、13の中で私だけの役目でした。興津会や白亜祭、その他の
イベントには必ずお金が関わります。その度に私も役目があって、、と考えると
たくさんのイベントに携わることができていたということになり嬉しく思いました。
会計はイベントが終わった後に、大きな仕事が待っています。みんなへ返金をし、
金額を合わせ、会計報告をすることです。難しかったですがお金がぴったり合った
時の嬉しさはハンパないです(笑)。
(きっとありちゃん、青ちゃんは分かってくれると思います。)
空っぽになった13の会計Boxを見て、そんなことを思っていました。思い出いっぱ
いのBoxを処分してしまうのは寂しいなと思っていたら15のみんなの会計Boxとし
て使ってもらえることになって良かったです。
おさがりとして、今後は15の活動を支えてくれると思います。
細かい作業をきちんと(きれいに)やれる飯沼だったから務まったことだったのしれ
ません。
やはり、誰に会計をやってもらうかは、ゼミを運営していく上で非常に重要だなと思いました。
飯沼が愛用した13の会計ボックスは、2年(15)生に譲りたいということでした。
15ゼミの会計長は青です。飯沼を超える会計担当になっていってもらえるといいなと
思います。
通帳の裏面の飯沼から13ゼミ生へのメッセージです。
長い間、ご苦労様でした。
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