2017年8月31日木曜日

ガリライン:ガリラボの歴代ゼミ長グループ

ようやく、やっと、、ガリラボのLINEグループ(ガリライン?)を
作成しました。
やっと、LINEというものの使い方がわかってきたからです。
今ごろですが。。。

興津会の連絡を卒業生にやろうと思って、歴代のゼミ長にメールで
連絡したところ、何人かから返信が来ないのです。
これは拙い・・・・
昨日、OG(09)森田(谷)と雑談をしていると(ガリラボ通信2017/8/30)、
谷が「先生がLINEグループを作ればいいんです」との有り難い言葉。
そうなのですが、LINEの使い方が今一つわからず、時間もなかったので
活用を先延ばししていたわけですが、メールというツールが使えなくなった
と判断し、急ぎLINEに向かいました。

今日は9:30から19:30までずっと打合せやゼミをしていましたが、
ランチタイムや10分休憩の時間に急ぎ、歴代ゼミ長を検索し、グループに
かき集めました。
現時点で残り2人が参加してくれれば、「歴代ゼミ長+津曲」のメンバーから
成る「ゼミ長LINEグループ」が完成です。



歴代ゼミ生には今後はこのLINEグループへ連絡し、そこから各代に
情報を展開してもらおうと思います。

大学院生についても新しいグループがあった方が良さそうです。
が、ラインIDのわからない院生(特に修了生)が多数のため出来上がるか
どうか不明です。^^;
 

 

2017年8月30日水曜日

卒業生OG(09)森田が顔を出しました

昨年の11月のガリフェス(秋)以来、OG(09)森田(谷)がやってきました。
出産、育児の真っ最中ですが、明日で育児休暇を終えて仕事に復帰するため
その前に顔を出したということでした。
久しぶりに会うので随分と話をしました。
メリハリのある話しぶりは鬼の会計(笑)として君臨した学生時代を思い出すもので
した(ガリラボ通信2013/3/30)。
また、興津会を今みたいな一大イベントにしてしまった(笑)のも、この谷でした
ガリラボ通信2011/11/20
育児モードから仕事モードに切り替えるのは随分と大変でしょうが、学生時代の
パワフルな谷のことですから、すぐに全速力でやっていくでしょう。
久しぶりにゆっくりと話をし、以前はこんな感じで色々と話をしていたよなと、そんな
ことを思い出し、谷たちが活発に活動していた頃に戻れた気分でした。



これは4年(14)児玉の東京土産です。


そしてこれはM2(16)大野からの差し入れ。研究室で頑張るゼミ生たちには
大変有難い差し入れかと思います。”会った時にはお礼を”のゼミ生向けの
メッセージは4年(14)児玉ゼミ長からのものです。




沈黙を破って~(14)塘添からのメール

Wiredの「すべてのiPhoneユーザーが、いますぐ買うべき曲ーそれは9分58秒の
「沈黙」だった」という記事を読み、確かにいつも何かの曲ばかりを聞いていると、
何もない状態「沈黙」が価値になることがあるだろうなーと感じます。
都会で時間に追われて仕事している人が、何もない田舎にたまに出かけて価値を感じ
るようなものでしょうか。
9分58秒の沈黙の記事を読んで、すぐに頭に浮かんだのが、
 ジョン・ゲージ 4分33秒
でした(Wikipedia)。衝撃的な曲です。
ピアニストが出てきて、特に何もしない! すべて「休止」で作られた曲なのです。


これの意味については色々な解説があります。この場では書かないので、もし興味が
あればそれらの解説をどうぞ(例えば、これなど)。

本日、イギリスに留学し、5月末からの数カ月の間、しばらく私に対して「沈黙」を
続けてきたX年(14)塘添からメールが届きました。
  昨日、北朝鮮がミサイルを日本に発射したというニュースを見てとても
  心配しています。
  地震、台風に加えてミサイル。。
  日本に安全な場所はもうありませんね。笑
  早いもので日本を離れてから3ヶ月が過ぎてしまいました。最初の1ヶ月は
  右も左も分からない状態でしたが、今ではそれも懐かしく感じます。
  とは言っても肝心の英語はまだまだです。自信を得たり失ったりの繰り返し
  で、延々とマラソンを走ってるような感覚です。先生の娘さんがおっしゃっ
  ていたように、まさに「砂漠の中の蟻状態」です。
  イギリスでの生活も残り2ヶ月弱です。
  おそらくあっという間ですね。
  初心を忘れず、実りある留学になるよう、たくさんの失敗を重ねて帰ろうと
  思います。笑

砂漠の中の蟻は、滞在予定の半分を過ぎて、ようやく「沈黙」を破れる状態になった
ということかもしれません。
帰国が楽しみにしておきたいと思います。
 


2017年8月29日火曜日

MOREの学生たちとの打合せ

今日のガリラボは非常に閑散としておりました。
朝から、お昼を除き、基本、3年(15)八並がひとりで作業していたようです。

ただ、午前中、2年生(16)川上が、前回の夏の合同発表会に参加できなかった
のでと、概要集をもらいにやってきました。
現在やっていることなどについて色々と話していたら、いつの間にかお昼。
2人で90分ほど話していたことになります。話題が豊富で、話が途切れる
こともなく、驚きました。
 
お昼12時からは、MOREの学生たちとの打合せ。
Nコンが一区切りついたので、MOREにも所属する八並は、MOREの学生自主研究の
活動に入りました。
お昼からのその打ち合わせで、ポートフォリオの活用を支援するルーブリックについ
て議論し、この場で、おおよその方向を出し、ルーブリック作成チームは解散。
13:30、八並を一人残し、私は本部棟へ。


夕方、本部棟から戻るとやはり八並が一人でした。午後はずっと一人だったようです。
 
17時からは9月30日のガリラボの中間報告会について八並と2人で打合せ、今後の
スケジュールをおおよそ決めました。
4年生の卒論個人テーマ提出は9月18日、そして概要締め切りは9月21日です。
大事なので4年生だけ先にスケジュールを伝えておきます。
時間がほとんどないので、急ぐように!

そして19時から次のMOREの会議。こっちは「もやいすと像についてのイメージ動画」
作りがテーマです。


夜も遅くなったのでお菓子を手にしながらの会議で20:30ぐらいまで打合せ、
編集方針が決まりました。
出来上がった動画は、もやいすと(地域)ジュニアの1年生の講義で流します。
9月4日には試作品を見せてくれる予定になっています。


 
今日1日、非常に静かなガリラボでした。



ガリラボ内模様替え~PCの導入と再配置

昨日までのガリラボのテーブル。
前から気になっていたのですが、奥から2番目のMAYのディスプレイの
ために顔が見えなくなり、ミーティング人数が制限されていました。
これを解消したいと思っていて、でもPCも減らしたくないと思いつつ、
このダブルバインドを解決するには・・・と(ちょっと考えた末)ノートPCを
新しく購入しました(下の写真で、3年(15)青が使っているやつです)。


新しく購入したノートPCをこれまでMAYがあった場所に置き、MAYは、これまで
KANTAのあったところに移動させました。


ついでに水槽も移動させ、コンセントの配置も変えたため、使いやすくなったのでは
ないかと思います。新しいノートPCの名前は「KANTA」となります。
前のKANTAは、4年(14)塚田が愛用しているKAONASHIのところに持っていき、従
来のKAONASHIだった5年前のPCは引退させました。旧KANTA新KAONASHI
して使うことになります。


ところで、入口のところのSATSUKIとMAYについては横置きにしました。この狭い
通路をリュックを背負ったゼミ生が通る際、リュックをPCにぶつけていく被害を
無くそうと思いました。
ところが、今度は、それで次の心配が生じました。
ゼミ生がビデオカメラをこの上において、映像の取り込み作業をやりそうに思えた
からです。そうなるともっと悲惨なことになりそうです。通路を通る他のゼミ生が
ひっかけてカメラを落としてしまうでしょうから。


ということで、模様替えを終えた21時ごろ、それから3年(15)八並ゼミ長が
作業をしてくれました。

注意書きの作成。八並作です。

拡大します。これで大丈夫でしょう。笑


ノートPCに変えたので、従来、MAYに使っていたディスプレイが余ったので、
これはJIJIのセカンドディスプレイとして使うことにしました。


配線などの変更も含めると3時間ほどの作業でした。注意力がないと変化に気づか
ない程度ですが、多少は空間の利用効率を向上できたように思います。 




2017年8月28日月曜日

Nコンへの長い挑戦が本日終わりました。

15ゼミ生のNコン(NHK全国大学放送コンテスト映像制作部門)に投稿する
映像(6分間)が本日完成しました。
今日になって私からのダメ出しを受けて、その修正をギリギリまでやっての完成
でした。
その間、並行して投稿のための書類を揃え(これが非常に大変そうでした)、郵便局
から速達で投稿。無事に締め切りに間に合うようです。

チームみらいちご(1名不在)
作品名:地震対策課チュクリ~500年前(2017年)の熊本へ


チーム故郷(4名不在)
作品名:復興への願い


2年生の10月からゼミ外(サブゼミ)として始めたNコンの活動。
学生自主研究として始め、ゼミ課題をやりながら、合間を縫って企画書を作り、
大学からの支援が決まって活動を本格化。
当初は、「ら・ふれーず」と称していましたが、途中から2チーム編成となり、
チームBMWTempleRunが誕生しました。
しかし3年生となって活動が本格化し(ガリラボ通信2017/4/5)、熊本地震についての
考えを深めていくと、そのネーミングは合わないことが徐々に明らかになってきて、
2チームそれぞれ「みらいちご」「故郷(ふるさと)」と改名。
そして、Nコンの映像づくりを考えるためそのPVを作るのに至ります。
6月初旬、中間報告としてPVやポスターの発表を行いました(ガリラボ通信2017/6/7)。
その後も、ゼミ課題で様々なグループで活動しながら、Nコンについてはこの
2チームでゼミ以外の時間を使いながら、問題が出てきてはその都度に知恵や
体力を使って解消しつつ、頑張ってゴールにたどり着きました。

こんなに長期のプロジェクトで、しかも自主活動です。
それを途中で放棄することなく、とにかく地道に活動を続けたのは素晴らしかった。
それぞれ、どのようにしてグループでこの地道な活動をつづけることが出来たのか、
その理由を振り返り、文章にして残しておいた方がいい。
数年後には社会人となっていく15ゼミ生にとって、作品の完成よりも、そのことが
重要ですので。

Amazonに注文していた本が昨日届き、本日、パラパラと眺めていたら、こんなことが
書いてありました。

  唐木順三は昭和35年、彼の住んでいる相模原にアメリカ人子弟のための
  スクールバスが走り出したときに、「便利なものだなあ、という感嘆よりも、
  気の毒なものだなあ、という実感が先に来た」として次のように書いていた。
    家庭から学校までバスで運ばれる学童たちは、途中というものを喪っ
    てしまった。(略)途中は目的地への最短距離ではなくて、少年たち
    の共通の広場であり、空想の花園でもあり、遊びの場所でもあった。(略)
  目的地よりもそこに行き着くまでの途中のほうが大事、そこに、目的地にたどり
  着くよりももっと大事なものがあるということでなのだろう。(略)
  目的地にまで最短の距離で進む「最適」の道よりも、山沿い、川沿いにくねくね
  うねうねしながら、ジグザグ折れ曲がりながら進む気ままな道、そのなかで起き
  る予期しない出来事のなかに、じぶんひとりではとても紡ぎだせないような別の
  人生の意味が浮かび上がるというわけなのだろう。
           鷲田精一「<想像>のレッスン」(NTT出版)より

15ゼミ生たちはNコンの長い活動期間で、この「途中」というものをたくさん体験
してきたのではないかと思います。
誰かと、知的な問題で議論し、衝突しながらも活動していく。実に大学生らしい。
夏休みだから、夏らしいことをと、あまり考えることなく楽しさを求め遊びにいく
のは、別に大学生でなくてもできること。
そんなのは、時間泥棒(灰色の男たち)に踊らされているのかもしれない。
15ゼミ生の多くは、時間泥棒に争い、学生であることを優先してきたように
感じます(Nコンの活動についての私の簡単な総括です)。
 
余裕がないので映像をこの場で紹介することはできませんが、完成した映像を見て
驚きました。
8月25日の発表会でのコメントを反映させ、この数日(土曜日と日曜日ですね)で
修正し、随分と良くなっていました。驚きました。
「終わりよければすべて良し」という言葉があるので、15ゼミによる学生自主
研究は合格点であったと言ってよいでしょう。
8割、9割までは大方の人がなんとかやれます。
しかし実はそこから、完璧に終わらせるのが実はすごく大変なのです。
やったことがない人には、この意味はあまり理解できないでしょう。
最後の最後、「詰めの部分が極めて重要であること」、このことを15ゼミ生の多くは
このNコンの活動を通して理解できたのではないでしょうか。
もしそうであれば、今回のことは将来にわたって貴重な体験となったものと思います。

ガリラボでよく言う、
  完璧を目指すよりさっさと終わらせろ
というのは、この詰めの作業のために十分な時間を作り出すためのものです。
このことを体の芯でつかんでくれるといいかなと思います。



2017年8月27日日曜日

Nコンチームの詰めの作業

昨日は、3年(15)生のNコンチームが最後の作業をやっていたようです。
以下、3年(15)八並ゼミ長(みらいちごチーム)からの報告です。

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今日は11時半ぐらいから故郷チームの青と長田が17時ぐらいまで(長田くんは
15時ぐらい)動画の最終編集やNコン作品を郵送する際の書類作成などの作業を
行っていました。途中、おそらく津曲先生だと思うのですが、テニスコートに
いらっしゃっていたので、ちょっとの間皆んなで応援しつつ眺めていました。笑


みらいちごチームは鍬田が映像の細かな編集を行っていました。


映像中のチュクリとフジカワの音を宿利と藤川が全部撮り直しており、先ほど
そのアフレコの作業が終わりました。これからあと少し、音声を取り込んでの
編集作業を行っていく予定です。


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以上、八並からの報告でした。
チームみらいちごは、本日(日曜日)も作業を行ったようです。
中途半端でなく最後まで、自主活動を120%のレベルでやり切るというのは、
多くの学生たちにとって難しいようです。
Nコンではそのレベルへと近づくよう努力をしているようです。
その過程で「神は細部に宿る」ということの意味をがわかっていくと、将来、良い
仕事(通常の仕事だけでなく、プライベートのことも)ができるようなるでしょう。




2017年8月26日土曜日

日常化した写真とライフ・ヒストリー

先日入手した次の本「21世紀の民俗学」をパラパラと眺めました。
そこに「自撮り棒」についての記載があったのですが、驚いたことに自撮り棒とは
約30年前、1983年にミノルタ・カメラのアクセサリーとして発売されたのが最初
だったそうです。意外に歴史が古い。


その後は、カメラは、タイマー機能が主流となって自撮り棒は姿を消すわけですが、
2014年に再発見され、ブレークすることになりました。
こうした自撮り棒は、居合わせた全員を撮るという意味で、自撮り棒を使った
撮影とは、記念撮影の意味合いが強くなります。
カメラが誕生した頃、写真が高価だった頃は、写真とは、ある特別なハレ(晴)の
日の記念撮影の意味が強く、人生の区切りの日やどこかに移動する際にみんなで撮る
ことが普通であったようです。
昔は確かにそうでした。
ただ、現代はもうそれだけではなくなっていることは明らかです。
日常が、<記念写真>として撮影され、そうして固定されるようになりました。

その日常を撮影した写真が、私たちの記憶を形成していくことになります。
先日のガリラボ通信で、写真をサルベージする災害ボランティアのみなさんのことを
紹介しました(ガリラボ通信2017/8/21)。
写真は、人々の記憶を形成し、家族アルバムとかは、家族そのものにもなっている
ようです。
私も頻繁に写真を撮っています。
それらはプライベートでは家族用のデジタルアーカイブに、大学のものはガリラボ通信
の中に埋め込んでいます。
ガリラボ通信は、もう今は非常に大事な記憶になっています。
もしこのガリラボ通信が消えることになったら、果たして、どうするでしょう。
そんな事態、想像するのも恐ろしい限りです。
 

さて、冒頭の本の中に民俗学者の坪井洋史の「故郷の精神誌」の紹介があり、
この坪井さんが、1974年の多摩川の堤防決壊、1985年の長野県の地滑りという災害の
さい、罹災者たちは家庭アルバムや写真を探し求めたそうですが、そのことを次のよう
に記述されているようです。

  水害に遭った狛江市や地滑りの被害を蒙った長野市の人びとが求めた
  家庭アルバムは、その様相を少し異にしていた。それは現在われわれが
  家庭に持っているアルバムを見ればわかることで、鶴見のいう人口移動の
  契機や区切り目の思想による非日常の状態を撮ったものよりも、そうした
  非日常を迎えるために、営々と生産的活動に従事し、努力している日常的
  写真のほうが多いのです。写真を撮る空間や時間が拡大され、人間関係も
  多様化していて、晴と晴とをつなぐ日常の生活に意味を求め、それによって
  晴の写真にいたる経過を説明するという、ライフ・ヒストリーの性格を強く
  もったものとなっていて、家や地域の居住区から離れたところまで拡大され
  ている。

最近では写真を投稿するSNSがものすごい勢いで発展をしてきて、この中では
写真は記念だけのものではなく、ライフ・ヒストリーにおける過程を表現して
いく基本的な材料になりました。
facebookやInstagramとかを見ると明らかにそうですね。
従来は文字がその役割を果たしていたわけですが、文字がなくなることはないに
しても写真(さらには動画)というメディアが、ごく普通の日常を記憶をする
メディアとして今後はさらに重要なものなっていくことになるでしょう。

ほんと簡単に写真や動画が撮れる時代になったものです。
20年前だと想像もできないほどで、メディア活用について革命=パラダイム転換に
私たちは今現在いるのだと思います。
ただし、こうしたパラダイムの中で生き生きと過ごしていくための力を養っていくのに
手軽なのはやはり文字であり、本ではないかと思います。
本を使って、主体的に考えていく力をないことには、新しいメディアの活用は難しい
でしょう。

受動的に意識を駆動されるメディアによって時間を過ごさせてもらうのではなく、
夏休み中、色々な行動の合間に、ちょっと難しい本に挑戦し、主体的に意識を駆動
させていくことをやってみてはどうでしょう。
 
 

 

2017年8月25日金曜日

ガリラボ夏の合同(14・15) 発表会

前期の活動の集大成として、3・4年生合同の発表会をCPDセンターで
行いました。
13時少し前に行くと、すでにみんな準備を終えて着席をしておりました。

昨年は、玉名市役所の商工会館を借用しての発表会でしたが、今年は
大人しく学内での発表会。ただ、その分、内容は密にしました。


内容を濃くした今年のプログラム。時間と場所が昨年のままになっているのが
ちょっと惜しい(笑)。気づかないものです。
運営をほとんど学生だけでやっていて私がほぼ関与していないからですが、事前に
目を通すことはなく・・・・ チェックする機会があれば、気づいたのでしょうけど。

発表する各チームへのコメントシート。


13時ちょうどの4年(14)児玉ゼミ長の開会挨拶で発表会が始まりました。

司会は3年(15)八並ゼミ長、タイムキーパーは3年(15)鍬田です。


発表のトップバッターは4年(14)HOPE+の3人。


前半の写真記録は3年(15)青が担当していたようです。


発表に対する質疑応答。
質問者は司会者がランダムに指名していきます。
M1(17)山下が八並に当てられて質問しているところです。^^;


質問を対し、真摯に対応するHOPE+のメンバーたちです。


2番手はチームくまラボの3人。

くまラボには3年(15)宿利が質問をしておりました。


4番目はこいたま(旬たま班)。秋山が病気で欠席のため、4年(14)塚田が
ひとりで発表していました。

パワポはLINEを模した表現で作っており、一番、時間をかけているのがよく
わりました。そして時間をかけていた分、内容は複雑であるにも関わらず、
わかりやすかった。
本日、何かの賞があるとしてら、塚田は間違いなく発表賞であったろうと思います。


4年生最後はこいたま(DMO班)の2人。

DMO班については、言葉が難しくて・・・と言いながら、M1(17)多賀が
鋭い質問をしておりました。


後半は3年生。Nコンに向けて出来上がった映像の紹介です。

チーム故郷。

チームみらいちご。

質問を受けています。


2チームともに良い映像を作っていました。初めて長い映像に取り組みんだに
しては非常に良いものでした。
ただし、音声が・・・・。レベルが合わせがまったくできていなくて、見るには
ちょっと辛いものがありました。
もう少し早く終わらせ、私に見せる時間を作っておけると良かったのでしょうが・・・
制作の途中では、しばしば相談に来ていたのですが、最後の方でそれが出来て
なくて残念でした。2チームともにそのあたり(ホウレンソウ)を今後の反省に
してほしい。
ただし、長期間にわたってモチベーションを維持して、やり通したこと点は
素晴らしかった。

チーム故郷の発表原稿の冒頭部分があったので紹介します。
私たちの活動期間はNコンに取り組むことを決めたころから数えて約1年となっています。本格的に動画を作成し始めたのは、途中にプロモーションビデオなどの製作など、何回も試行錯誤を繰り返した後の動画となっています。
テーマは復興についてで、そこさえ踏まえておけば、どのような構想にするかは自由でした。今回、私たちの動画は人それぞれの復興を表すものとなっています。
動画の対象は私たちと同じ大学生で、真剣なテーマでありつつも、コメディな部分を混ぜることで動画を見飽きないように、また、前向きな終わり方にしようと努力しました。
カメラの総撮影時間はおよそ9時間で特にインタビューの部分ではインタビューが終わって雑談が始まってもカメラを止めないようにする努力をしました。
今回の動画を作成して分かった反省点の一つに、日程調整があります。テスト期間があるにもかかわらず、動画づくりがスムーズに進まなかったためテスト期間中も集まって話し合いしたりして、時間的に追い込まれてしまいどちらも中途半端になってしまいました。また、夏季休暇中の集中講義やインターン、サークル活動への参加で、メンバー1人を残し発表前4日間を不在としてしまったことも反省点として挙げられます。2つ目の勉強不足というのは、動画の話の内容において6分間でどれだけのことを伝えられるのかを事前に様々な動画を見て勉強していませんでした。たくさんのことを詰め込もうとして動画の構成がなかなか決まらず撮影を始めるのが遅くなってしまい、そのまま完成に費やす時間が削られてしまいました。伝えたいことだけを早い段階で絞れればもう少し伝わりやすく、質の高い動画にすることができたんじゃないかと考えています。
工夫点としては2点ともカメラに関することで、カメラの回しっぱなしとカメラアングルにこだわってみました。具体的には、インタビューが終わって雑談が始まってもカメラを止めず、自然な会話をカメラに収めるように努力しました。実際、インタビューにあった高橋さんのシーンでは、一通り聞きたいことを聞いた後に雑談をしている最中に撮れた映像を採用しており、インタビュー中より生き生きと喋られる様子を撮影できていました。また、カメラアングルに関しては様々なアングルから出演者3人をとっており、視覚的にも飽きさせないような撮り方で撮影をおこないました。時には机の上に立って撮ったり、車から身を乗り出して撮影したりもしました。

チームみらいちご、なかなか良い発表をしていましたが、残念ながら、原稿は
もっておりません。
2チームの映像は、来週月曜日にNHK全国大学放送コンテスト事務局(京都)に
郵送します。
その時までに本日指摘された点をある程度修正したものが出来ているでしょうから、
可能なようであれば月曜日にこの場で紹介したいと思います。

全ての発表が終わった後、今年の白亜祭についての報告が、実行委員長の4年(14)谷口
からありました。
今年も謎解きをやります。テーマは
 怪盗ファントムを捕まえろ~幻の天才と辿り着いたアジト~
となりました。
具体化に向けて企画・作業していくチームが本日発表されました。
この発表会が終わったら、ガリラボは次は白亜祭一色になっていくのではないかと
思います。


発表を終えて。


「ちょっと待った!」の号令で、ガリラボ体育委員長3年(15)園部の
一本締めで本日の合同発表会は全て終了。

お疲れ様でした。



・・・と、言った直後、すぐに終わらないのがガリラボ(?)。

3年生は全員が道場に集合し、3年生前期の活動の振り返りを行いました。
自分にとってのゼミの位置づけ、印象に残った課題、前期を通してどういった
スキルが伸びたかといったことの発表とその発表に対し別の人がコメントする
といった形で振り返りをしました。なかなか良かった。
記録を取っていてくれたでしょうか。共有しておけるといいかなと思いました。


さらにそれが終わって興津会に向けた実行委員会(作業チーム)の発足式。
どういったことがやっていくか(企画はおおまかに決まっています)、そして
作業チームの編成作業が今日のミッションでした。

作業チーム編成で難航しているようでしたが、私は院ゼミがあったので中途で
抜けました。果たして決着したのでしょうか?




2017年8月24日木曜日

徹底的にやったでしょうか

明日がガリラボの夏の合同(14・15)発表会のため、3・4年生がたくさんおり
ました。
人が多すぎて、クーラーはほぼ効かない。そんな熱気に溢れたガリラボでした。涙

昨日から3年生の2チーム(みらいちごと故郷)の概要添削、また故郷については
発表原稿の添削を依頼され、合間に急ぎ添削しました。
また4年生からはチームこいたま(旬たま班)から概要添削依頼があり、これも
合間に急ぎやって返却しました。
3年生はまだ慣れていないから仕方ないですが、4年生は明日のことを今日というのは
ちょっとですね・・・
もっとも添削依頼がないよりは良いと思います。ただ、あまりハードルを下げても
どうかなと思いますので、この場では少しきちんと指摘しておきたいと思います。

厳しさついでに・・・
2年生に明日の発表について参加希望者はどうぞとのメールを出しました。
急だったせいもあり(だいたいこの時期、インターンシップを結構やっています)、
参加者はゼロの見込みです。
ただ、私から案内に対して、不参加についての反応してくれたのは14名中3名のみ。
参加希望者は連絡くださいとは書いていたものの、指導教員からの連絡に対し、無反
応がこうも多いとは・・・
なお、こうした事例は、大学が特別なところではなく、ユニバーサル化していることを
教えてくれるものなのかもしれません。
20年ほど前だったでしょうか、ある大学の教員が「ドフトエスキーも読まないで大学
の文系にやってくる学生がいることに驚いていては大学の教員はやっておれません」と
話されていた記憶があります。もうそんな時代はとうに過ぎてますね。
なので、こうした反応は16ゼミ生だけでなく、どの学年も2年生の時はこんなもの
でした。
2年生ぐらいまでは、こういった関係性についての訓練がほとんどされていないこと
がよくわかります(3年生以上でもまあ一部には残っていますけど)。
返信してくれた人たちのコンピテンシーは高いのではないかと思いましたが、果たして
どうでしょうか。

明日午後からCPDセンターで発表会となります。
発表するゼミ生は真剣に、全力を出してほしい。中途半端が一番いけない。

Facebook経由で日本高校ダンス部選手権で準優勝した高校の映像を知りました。
1週間前に公開されたものです。
現時点で50万回以上再生されています。すごいですね。
甲子園もすごかったですが、それだけでなく、全国のトップクラスとなると、どんな
分野でもすごいものだと思います。
この人たちに、中途半端というのはあり得ないですね。
徹底的にやっている。

若い時に、「徹底的にやる」というのがどういうことで、どうすれば徹底的にやれる
かを学べるというのは非常に羨ましい。
ひとつの汎用的技能でしょうから。このスキルを持っていれば、将来、色々なとこ
ろで活躍していくパスポートを入手したようなものかなと感じます。

さて、結果がどうなるかわかりませんが、3年生の2チームも映像を全国大会に
出します。
果たして、どの程度、徹底的にやったでしょうか。
明日の発表会が終わった後、前期の振り返りをやります。
その場で聞いてみようと気がします。

<おまけ>
ダンスではありませんが、上のダンスを見ながらつい日体大の集団行動というのを
思い出しました。最近のもありますが、初めて見たのは2009年に公開された映像
です。これを初めて見たとき、衝撃を受けました。
この映像で、今日現在で、再生数は800万回を超えています。
(海外向けに紹介された https://youtu.be/4p0DsVPkyZg では2千万回超えてます。驚愕)

ほんとに凄い。ガリラボでの成果物もこれぐらいのレベルにもっていけるとよいの
でしょうが・・・・。無理でしょうか。笑
 



 

2017年8月23日水曜日

360度映像の試し撮り⇒懐かしい「場所の言語情報化」

4年(14)塚田と360度カメラの扱い方及び活用方法を1日かけて勉強しようと
前から決めていて本日実行しました。
午前中、ハードの取り扱い及びアプリからの管理の仕方などを一通り勉強し、
その後、360度の動画が特徴を出せるような表現とはどういうものがあり
得るだろうかといったことを2人で議論しました。

いくつか案が出ました。
その中のひとつして、まちの表現!
360度映像とは、どの方向にも見渡せる自由を得るわけですが、それは視聴者に
お任せでなく主体的に映像を見ることを強制することを意味します。
VRなどでも同じことが起きると思いますが、果たして視聴者はそこまでの自由を
欲するだろうかとも思えます。
完璧な自由とは不自由にほかならず、自由は緩やかな制約が源泉となって生成され
るもの。
360度、見えるという自由がもたらす不自由をどう克服するかが問題です。

制約の入れ方が大事となります。

前に、まちを人の声(言語情報)によって表現していくことを取り組んだことが
あります(例えば、これなど)。
それを思い出し、言語情報をひとつの制約としてみるのはどうかと・・・・

そこまで考え、とりあえずやってみようとなって、横にいた3年(15)宿利と村田に
協力を仰ぎ、4360度カメラを手にした年(14)塚田が先導し、その後を2人の男子
学生がぶつぶつと話をしながら(言語情報化!)歩くという実験を行いました。

何人かとすれ違いましたが、3人の光景を見て、非常に不審そうにされていました。笑



暑い中、戻ってきて、びっくり。ボイスレコーダーに音声がきれいに録音されて
いない!
宿利と村田は、また歩くのかと恐怖を感じたかもしれませんが、まあ今回はとりあ
えずの実験なので、映像をみならが、アフレコで済ますことにしました。
アフレコ中の宿利と村田です。
この時、この後ろにはNコンの作業で3年生がたくさんいたのですが、みな、笑いを
かみ殺しているようでした。笑


とりあえず出来上がった(編集後の)360度映像です。スマートホンであれば、
360度色々な方向にスマホを向けながらご覧ください。PCの場合は、ドラッグで
行うことになります(これは非常につまらない)。
まだ、これでは360度である意味がよくわからりません。とりあえず、これを
手始めにして改良を重ね、観光地での360度映像の活用方法を考えていきたいと
思います。Googleマップ上においておくことも考えています。


一部ブラウザでは360度動画に対応していないようです。画質は1080sでご覧ください。

(すでに宿利と村田も作業に加わっておりますが)2人のアフレコの様子を笑いを
かみ殺して見ていた人たちです。


今日も3年生はほとんどが出てきて作業していました。Nコンに向けた映像は25日の
ガリラボの発表会で披露する予定です。私もまだ見ていません。どんなものに仕上がっ
ているのでしょう。気になります。^^

15ゼミ生のNコンの映像は、熊本地震を後世に伝える内容として企画しました。
ちょうど今、大学はこの熊本地震で傷んだ建物の修復作業が進んでいます。
写真は壁にヒビが入っているところに薬剤か何かを数日かかりで注入をしているよう
です。
こうした作業風景も、地震を後世に伝えるのにはちょうどよいシーンではないかと
思いました。こうした修復が今、大学のあちこちで行われております。


<おまけ>
3年(15)藤川が広島に旅行に行ってきたようです。左はゼミに、右は私にということ
でした。せっかくなので有り難く頂きたいと思います。