午前中、自宅で仕事していてお昼ぐらいに大学に来たら、入口付近が水浸し。
15ゼミ生がたくさんいましたが、誰も気づいていない。。。
慌ててそのあたりを拭き、特に13ゼミ生から贈呈してもらった棚が濡れて
いるのに気づいたときは慌てました。OG(13)塚田のお父さんに特別仕様で
作ってもらった大事なものなのですが、急ぎ取り出して乾かしました。
夕方までに乾き、とりあえず剃るなどの不具合にまで至らず、ほっとしました。
ところが・・・・
ガリラボの入り口ドアのストッパーとして10年以上活躍していた段ボールが
濡れて完全に壊れました。歴史をひとつ失った気分です。この段ボールは、大学
院室を開設したとき(大学院生室の立ち上げは実は私と事務局とでやりました)
のノートPCを入れていた箱です。ちょっと残念。。(涙)
水でばたばたしている時、13時頃、3年(15)生のチームみらいちごが撮影
依頼していた卒業生(環境共生学部の卒業生)の丸目さんがいらっしゃいました。
みらいちごは、クーラーもない暑い研究室で丸目さんと事前打ち合わせ。
その後、13時過ぎに、丸目さんの車に乗せてもらって撮影に出かけていきました。
行先は、益城町総合体育館。
その後のことは、いつも通り、3年(15)八並ゼミ長からのレポートで紹介します。
---以下、八並レポート---
丸目さんには益城の体育館前で撮影をさせて頂きました。
とても暑かったので、途中途中休憩を挟みながら(宿利が資料で女優丸目さんを仰ぐ
AD的な役目を果たしていました。笑)
丸目さんのシーンを撮っていきました。(最終的にはテレビ電話でチュクリ、フジカワと
話すシーンになる予定です。)
14時半頃、無事に撮影が終わった後、丸目さんに体育館の周辺を周りながら
当時の地震についての事を事細かに教えて頂きました。アスファルトの沈殿化、
避難所の様子、色々な方がいる中で起きるトラブル、県を跨いでの繋がりなど、
本当にたくさんの事をお聞きすることができました。
また、益城の体育館から帰る際、仮設住宅の前を通って帰りました。そこを通りながら仰ってた丸目さんの「あの地震での避難所生活からもう一年経ったのかが未だに信じられない、あれは夢だったんじゃないかって思うぐらい」という言葉が、地震からの復興に深く関わってきた丸目さんだからこそ言える事だなと個人的に思いました。
15時過ぎにYMCAの丸目さんと別れ、ゼミ室に戻って来ました。
ゼミ室に戻ると故郷チームが撮影を行っていました。
エキストラで宿利が先輩役として参加していました。
---以上、八並レポートでした---
クーラーのつかない暑い中で、みらいちごも、故郷も汗だくで頑張っていたようです。
OG(10)石原、吉村らのチーム「でこぼこフレンズ」が水の国くまもとビデオコンテス
トに提出する映像作りを頑張っていたときのことを思い出します。
あの時はほんと凄まじかった(ガリラボ通信2013/8/19)。
最後に八並たちが研究室を後にしたのは17時20分頃だったようです。
8月の長い1日だったことでしょう。
色々な人に協力してもらって進んでいるNコンです。
最後まで頑張り、良いものを作り、協力してくださった人たちに胸を張って見せる
ことができるレベルにもっていってほしい。
なお、八並の報告メールの最後に、
途中、吉村先輩が私達への差し入れと先生へのお土産を持って
来て下さいました!
津曲先生、吉村先輩と無事お会いできたでしょうか?
とありました。
なんとか、無事に会えました。
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