2017年8月28日月曜日

Nコンへの長い挑戦が本日終わりました。

15ゼミ生のNコン(NHK全国大学放送コンテスト映像制作部門)に投稿する
映像(6分間)が本日完成しました。
今日になって私からのダメ出しを受けて、その修正をギリギリまでやっての完成
でした。
その間、並行して投稿のための書類を揃え(これが非常に大変そうでした)、郵便局
から速達で投稿。無事に締め切りに間に合うようです。

チームみらいちご(1名不在)
作品名:地震対策課チュクリ~500年前(2017年)の熊本へ


チーム故郷(4名不在)
作品名:復興への願い


2年生の10月からゼミ外(サブゼミ)として始めたNコンの活動。
学生自主研究として始め、ゼミ課題をやりながら、合間を縫って企画書を作り、
大学からの支援が決まって活動を本格化。
当初は、「ら・ふれーず」と称していましたが、途中から2チーム編成となり、
チームBMWTempleRunが誕生しました。
しかし3年生となって活動が本格化し(ガリラボ通信2017/4/5)、熊本地震についての
考えを深めていくと、そのネーミングは合わないことが徐々に明らかになってきて、
2チームそれぞれ「みらいちご」「故郷(ふるさと)」と改名。
そして、Nコンの映像づくりを考えるためそのPVを作るのに至ります。
6月初旬、中間報告としてPVやポスターの発表を行いました(ガリラボ通信2017/6/7)。
その後も、ゼミ課題で様々なグループで活動しながら、Nコンについてはこの
2チームでゼミ以外の時間を使いながら、問題が出てきてはその都度に知恵や
体力を使って解消しつつ、頑張ってゴールにたどり着きました。

こんなに長期のプロジェクトで、しかも自主活動です。
それを途中で放棄することなく、とにかく地道に活動を続けたのは素晴らしかった。
それぞれ、どのようにしてグループでこの地道な活動をつづけることが出来たのか、
その理由を振り返り、文章にして残しておいた方がいい。
数年後には社会人となっていく15ゼミ生にとって、作品の完成よりも、そのことが
重要ですので。

Amazonに注文していた本が昨日届き、本日、パラパラと眺めていたら、こんなことが
書いてありました。

  唐木順三は昭和35年、彼の住んでいる相模原にアメリカ人子弟のための
  スクールバスが走り出したときに、「便利なものだなあ、という感嘆よりも、
  気の毒なものだなあ、という実感が先に来た」として次のように書いていた。
    家庭から学校までバスで運ばれる学童たちは、途中というものを喪っ
    てしまった。(略)途中は目的地への最短距離ではなくて、少年たち
    の共通の広場であり、空想の花園でもあり、遊びの場所でもあった。(略)
  目的地よりもそこに行き着くまでの途中のほうが大事、そこに、目的地にたどり
  着くよりももっと大事なものがあるということでなのだろう。(略)
  目的地にまで最短の距離で進む「最適」の道よりも、山沿い、川沿いにくねくね
  うねうねしながら、ジグザグ折れ曲がりながら進む気ままな道、そのなかで起き
  る予期しない出来事のなかに、じぶんひとりではとても紡ぎだせないような別の
  人生の意味が浮かび上がるというわけなのだろう。
           鷲田精一「<想像>のレッスン」(NTT出版)より

15ゼミ生たちはNコンの長い活動期間で、この「途中」というものをたくさん体験
してきたのではないかと思います。
誰かと、知的な問題で議論し、衝突しながらも活動していく。実に大学生らしい。
夏休みだから、夏らしいことをと、あまり考えることなく楽しさを求め遊びにいく
のは、別に大学生でなくてもできること。
そんなのは、時間泥棒(灰色の男たち)に踊らされているのかもしれない。
15ゼミ生の多くは、時間泥棒に争い、学生であることを優先してきたように
感じます(Nコンの活動についての私の簡単な総括です)。
 
余裕がないので映像をこの場で紹介することはできませんが、完成した映像を見て
驚きました。
8月25日の発表会でのコメントを反映させ、この数日(土曜日と日曜日ですね)で
修正し、随分と良くなっていました。驚きました。
「終わりよければすべて良し」という言葉があるので、15ゼミによる学生自主
研究は合格点であったと言ってよいでしょう。
8割、9割までは大方の人がなんとかやれます。
しかし実はそこから、完璧に終わらせるのが実はすごく大変なのです。
やったことがない人には、この意味はあまり理解できないでしょう。
最後の最後、「詰めの部分が極めて重要であること」、このことを15ゼミ生の多くは
このNコンの活動を通して理解できたのではないでしょうか。
もしそうであれば、今回のことは将来にわたって貴重な体験となったものと思います。

ガリラボでよく言う、
  完璧を目指すよりさっさと終わらせろ
というのは、この詰めの作業のために十分な時間を作り出すためのものです。
このことを体の芯でつかんでくれるといいかなと思います。



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