2016年4月30日土曜日

「日常」へと向かう~ガリラボ復旧作業終了

先日、多数のゼミ生の協力を得てガリラボのおおまかな復旧作業を完了できました(ガリラボ通信2016/4/27)。
そして卒業生から差し入れやメッセージ等の後方支援をしてもらいました(ガリラボ通信2016/4/262016/4/282016/4/29)。
こうした行動を目にすると、ガリラボとは、私と言うよりも、ゼミ生(在学生と卒業生)が作って
いることがわかります。
そのガリラボについて、最後の詰めの部分の復旧作業は私でないとわからない部分が多い
ので、本日出てきて、ひとり黙々と1日かけて作業を行いました。
9時から始めて、終わったのが17:30。途中、10分ほど昼食で休憩した以外はさぼらず
ずっと作業していたのですが、書籍の分類と不要物の仕分け、配線に手間取りました。

やってもやってもなかなか終わりが見えないので、途中、果たして今日中に終わるだろうか
と心配していましたが、やはりどういったことでもそうで、ひとつひとつ着実にやっていけば、
必ず終わることを本日も教えてもらいました。
ゆっくりでも、止まらなければ、いつかは終わる(変形版^^;)

片づけが完了した新生ガリラボです。前のガリラボとは少々違います。

前から変えたいと思っていたところを改善しました。

今回の復旧によって、元通りに戻すのではなく、以前よりも優れた状態に
できたように思います。


5月から新たなガリラボにゼミ生が集い、平成28年度の活動を始めることになります。
ようやく、です。
ガリラボの空間と機材は、そのための準備を終えました。
4月、思うように活動できなかった分、存分に活動してほしいと思います。
ただ、今年の活動では、今回の熊本地震のことを無視することはあり得ないでしょう。
今回の地震のことを私たちが出来るレベルで、何らかの形で活動の中に組み込んで
いければと思っています。


朝、ガリラボに上がる前に、久しぶりに環境棟中庭の木を見てみました。驚きました。
私の記憶では新緑だったはずですが、もう深い緑の葉へと変化しています。


地震以後、猛烈に過ごしてきて、こうした変化に気づく余裕もありませんでした。
そろそろそうした余裕のある「日常」を取り戻したいですね。
  

2016年4月29日金曜日

卒業生からの救援物資

朝からガリラボで復旧作業をしていると、10時ごろ、段ボール箱を
手にしたOB(10)保坂が現れました。
箱には「津曲研究室早期復興記念物資」とあります。私がいないときには
おいていくつもりだったようです。
昨日、徳山から福岡に入り、今朝、福岡を出て、4時間かけて大学に到着
したとのこと。有り難い限りです。

物資には食料も入っていましたが、保坂が一番届けたかったのは、これ(↓)。

ガリラボに日常を取り戻してほしいとのことで、水槽をもってきました。
今度は割れにくいやつださそうで、大きさは少し小さめ! ちょうどよいサイズ
かと思います。
さらに、滑って落ちないようにと「滑り止めマット」までもってきていました。
頭は悪いですが、非常に気が利きます。そっちの方面の頭は非常に賢い。
バランスが悪いです。笑

一緒に、立派に育ってきた空中庭園のホサカザクラを見に行きました。

鯉のぼりとも一緒に撮ってみましたが、こうしてみると不審者ですね。笑

 
私が不在の時を想定し、置手紙が段ボール箱には入れてありました。
メダカ購入用にと500円玉までつけるという気配り(果たして、この500円玉を握り、誰が
買いにいくのでしょう^^)
いつもながら、ガリラボのことを気にかけてもらい、有り難い限りですね。
今日は、たまラボの会議があったので、4年(13)松崎、塚田、中村、藤村の顔を
見て14時ごろに帰っていきました。
熊本には星野村からのボランティアも入っているそうです。その方たちと合流する
のでしょうか。ボランティア活動して帰るそうです。保坂らしい。
いつも保坂からはこの上ない思いやりをガリラボに提供してくれ、有り難く思ってい
ます。


たまラボとの打ち合わせをしていたら、開いてるドアからひょこりと2人が、「よっ」という
感じで手を挙げて入ってきました。
保坂同様、予告なしだったので驚きました。
OB/OG(06)熊井と田村です。
熊井は地震で実家を心配し、帰省してきたとのこと。田村と合流し、ガリラボに顔を出して
くれました。

次のお菓子(これはその後、たまラボのメンバーが、今日は4年(13)出口のところで
飲み会するらしいので、そこに持っていきました)とカロリーメイトなどの差し入れを
ガリラボにもらいました。
なお、田村は自宅が少々被害を受けたとのこと。ガリラボの復旧もですが、田村も
自宅を復旧させないといけないようです。1児の父親にもなったので、頑張るでしょう。^^
熊井は明日はボランティアに出かけると言ってました。


そうこうしていると災害時の服装に身を包んだOB(M06)黒田が仕事帰りに立ち寄って
くれました。たくさんのお茶とカップ麺の差し入れを持って。
菊陽町についてはあまり報道はされていませんが、被害はあるようで、その対応に
あたっているとのこと。
菊陽町は、ガリラボではきくりん人が活動させてもらったところです。
古い街並みがどうなっているのか気になるところです。
ただ、黒田の自宅や家族には被害はなかったとのこと。お子さんがいるのでほっとしました。
明日も復旧に向けて仕事だそうです。自治体職員は住民を直接的に守る立場なので、
大変でしょうが、頑張ってほしい。


さらにそうこうしていると、今度は昨日を差し入れをおいていたOB(11)清田がやってきました。
清田も会社の復旧のため、本日仕事だったそうです。
最初の地震のとき、出張で新幹線に乗っていたようで、地震とともに新玉名駅の1km手前で
停車。それからしばらくして、みんな線路上を歩いて新玉名駅に向かったそうです。
貴重な経験をしてたようです。清田もケガ等なくてよかった。


 
今日、卒業生から差し入れてもらった物資です。避難所並みにもらいました。
GW明けにみんなでいただきましょう。
(5月2日にはガリッジ塾の一部で作業があるようなので、そのメンバーが一番
最初にいただくことになるかもしれません)。

 

さて、今日、たくさんの卒業生から色々とパワーをもらいましたので、張り切って
ガリラボの復旧作業を進め、GW明けにはゼミ生がすぐに活動していけるように
しておこうと思います。
後少しです。
 

救援物資を届けたくれた卒業生のみなさん、どうもありがとうございました。
在学ゼミ生一同、喜ぶことと思います。

※今日顔を出した卒業生には全員に「どりぃむ」を手渡しておきました。
 OG(M13)坂口、OG(09)森田(谷)には手渡せてないですね。
 4年(13)塚田ゼミ長へ→覚えておいてほしい。



 

2016年4月28日木曜日

ランナーズハイ状態からの切り替え

木曜とういうことで、地震前に宣言していたとおり、大学院生の
2人(M1(16)大野、山口)がやってきてガリラボでお昼を食べて
おりました。
学部のゼミ生は今日は誰もおらず、短い時間でしたが、私を含め
3人でよもやま話。
何か目的のある話ではないわけですが、こんな雑談がいつかは
飛躍を生み出す源泉になるもの・・・・今日は特に何も起きませんでしが。orz
ところで、この昼食会は、ガリフル(Gariful)という名称がついています。
日常へと戻るっているはずのGW明けには、木曜昼は、定例のランチタイムとなって
いるはずですので、雑談したい人は、”ガリフル”へどうぞ。^^;

現在、大学では授業再開に向けて、色々な案件の処理が急ピッチで進んでいます。
再開が近づくにつれて、方針についての判断だけでなく、具体的な作業がかなり
増えてきました。
情報収集と思考だけのレベルから、異なる意見の調整作業など、面倒で体力を要する
作業が増加していきます。
今日も朝からそうした対応で忙殺されてました。多様な意見があるので、なかなかです。
14日の地震以来ずっと、この2週間、土日関係なくずっとこの調子で対応してきて、
ランナーズハイの状態を続けているように思います。
この間、多少なりとも緊張状態を継続してきたので、授業再開を果たせたら、パタッと
倒れるといいかなと思うときがあります。
そうすれば、少し休めるのではないかと・・・^^;
ただ、どうも倒れることもなさそうです。綿密な食事管理、生活管理をしてもらって
いるためでしょうが、自分の丈夫な体を少し恨んでおります。
本日、そうした管理をしてくれている家内の誕生日・・・ということで今日は早めの帰宅。
 
それはさておき、熊本以外の地域では、明日から始まるGWにわいているかと思いますが、
熊本の地はとてもそういった雰囲気ではありません。
GWをガリラボのゼミ生たちはどう過ごすのでしょう?
ボランティアとして被災地を支援する活動にGWを活用するゼミ生もいるようです。
降って湧いたようなこの長期の休校期間を、是非とも有効に使いましょう。
地震なんぞに、何も抗わず、簡単に屈してしまうなど、悔しすぎます。
東日本大震災の時、楽天の選手会長・嶋選手が言ってました(ガリラボ通信2011/4/30)。
 「乗り越えましょう、今この時を!」、と。
そのために必要なことをそれぞれにGWを利用してやってみてはどうでしょう。

私は、GW中、ガリラボを元に戻す詰めの作業と授業再開後にやっていくべきことに
ついて考えを巡らせ、深めてみようかと思っているところです。
初動期、体を使って瞬発力よく行動していくべき時から次の段階に入っていくであろう
ここ熊本の地で、大学にいる私が出来ることは何だろうかと、そうしたことをきちんと
考えてみようかと思っています(結論が出るか怪しいですけど)。
その過程で、現在のランナーズハイの状態を徐々にクールダウンさせていき、日常を取り
戻した頃に、フルスピードで走れる精神に戻すために、ですね。

地震以来、多くの人がきっとランナーズハイのモードになっているはず。
その状態のままではいつまでもは持たない。
息長く、日常を駆け回り、周囲に貢献をしていける精神へと自分を戻しておきましょう。
  

震災直後の初期行動の振り返り(学生ボランティア)/差し入れ/コミュニケーションノートから

昨晩、ガリラボの片づけをひとまず終えてから、19時にCPDセンターへ
出かけました。
本震のあった16日未明から自然に避難所となった大学で、自主的な支援活動を
始めた学生ボランティアグループの活動振り返りがありました。
後ろで様子を見させてもらいました。

各学生たちは時系列に沿ってあの日からの出来事をLINEでの履歴を使って
記憶を呼び起こしながら付箋紙に書き込んでいってました。
終わってみると16日(土)には膨大な付箋が張り付けられていました。

途中、熊日の記者さんがインタビューをされていました。


1500人以上の方が避難してくることになった本学で、ピーク時には100人以上の
学生たちが組織化され動き始めたのですが、それは見事なものでした。
たまたま居合わせた4年(13)中村をはじめとする学生たちがそれぞれのグループの
リーダーとなって活動しており、彼らの動きを(不定期ですが)見ていると、やはり
人って役割が与えられるとそれ相応の力を発揮していくのだなと思います。
多くの人が潜在能力は持っているのだと思わざるをえません。
そうした能力を発揮できる場があるか、またそうした機会を得られるかどうかが、人が
成長していくのに必要な条件であるようです。
地震という逆境は、上に挙げた3人に、そうした場を提供することになり、貴重な体験を
提供することになりました。
前にも書きましたが、そうした体験を自分の経験とできるかは、きちんと振り返りが
できるかにかかっています。
そうした意味で、昨晩の振り返りの機会は非常に良かったと思いました。

ただ、惜しいのは、客観的出来事のピックアップがメインとなっていたこと。それはそれで
重要ですが、それだけでなく、それぞれ個人では自己を内省し、あの時の自分というその
ものを振り返るともっと良いでしょう。
一生に一度も出会うことのないはずの震災という、ある意味で、貴重な機会でした。
災害をもたらした震災に、ただ屈しているだけは、悔しい。
被災し、非常に辛い方もおられるでしょうが、その中にも、逆境をメリットにとらえる思考が
あって良いでしょう。
メリットにしていくためには、少なくとも客観的事実と併せて主観的なものの振り返りは
不可欠であろうと私は思うのです。(と言いながら、私自身まだやっていないのですが・・・orz)
   
 
22時前、CPDセンターから戻ると、ドアの前に差し入れがおいてありました。
OB(11)清田からでした。冷蔵庫に入れておきます。
清田の思いやりを、みんなで有り難くいただきましょう。


 
帰宅する前、2週間ぶりにコミュニケーションノートを開いてみました。
片付けの後、4年生が書き込みをしていました。

大学再開後は、このコミュニケーションノートにまたたくさん書き込みが
増えていくでしょう。
早くそうなるよう、努力していきたいと思います。
 

2016年4月27日水曜日

「日常」へと向かう5歩目~ガリラボ復旧作業

ガリラボの復旧作業を午後から行いました。
ずれてしまった重いスチール棚の片づけと移動がメインですが、それを
するために色々な作業が派生しました。
 
研究室の片づけ作業。



 
道場の片づけ作業。



研究室のスチール棚のひとつを道場へ移動。

女子学生がスチール棚を持ち上げています。^^

地震でふたが開いた天井の閉鎖作業に挑む3年(14)廣木。みんな不安そうに
見上げていました。


スチール棚が移動した後、ガリラボの片づけ作業は継続。


2時間ほどで人手と力仕事の必要な作業は終了したので、OG(09)森田(谷)と
OG(M13)坂口の差し入れ(ガリラボ通信2016/4/26)とM1(16)大野から差し入れを
みんなで頂きました。
この日集まってくれたのは
4年(13)塚田、松崎、(12)河邉、岩坂、多賀、中村、藤村、出口、

そして3年(14)廣木、秋山、児玉、岩崎、塚田、園田、早瀬、
M1(16)大野と山口でした。

私を含め総勢18名での作業となり、比較的短時間で片付けることができたよう
思います。私でないとできない部分が残っているので完了ではありませんが、
ゼミ生のボランティアのおかげでガリラボの復旧作業は終了しました。
現状に戻すだけではなく、前よりも良くなる「創造的復旧作業」であったと思います。
すっきりとなったガリラボの窓側。こんなにすっきりとなって有り難い限りです。
手伝ってくれたゼミ生みんなに感謝します。ありがとう。


片付け終了後、時期が遅くなりましたが、13ゼミ生たちが気になっていたようで、
恒例の鯉のぼりを立てる作業を行っていました。

雨が上がった空に、地震からの復興への願いも込めて4年(13)藤村が鯉のぼりを
いつものところ(ガリラボ通信2015/5/1)に取りつけました。
震災の影響で休校が続いていたので、今年は無しかなと思っていましたが、13ゼミ
生が無事に文化を継続してくれました。OB(10)保坂ら引き継いだ文化遺伝子(ミーム)
は今も健在のようです。


ホサカザクラと鯉のぼり。
保坂へ、見えるかな? 13ゼミ生に何かご褒美を。笑

 
たくさんのゼミ生が集まってくれ久々にガリラボらしい雰囲気を味わえました。
少しだけ(最近テニスも出来ないので)ストレスが溜まり気味でしたが、ゼミ生が集い
大笑いすることで発散できたように思います。
久々に集まったゼミ生たちもきっと同様ではないかと思っています(たぶん)。

今日の片づけで、ようやく、打合せをガリラボで出来るようになりました。
5月9日からの大学再開に向けて準備万端です。
授業再開を待たず、次にガリラボにゼミ生が集うのは4月29日午後。
チーム「たまラボ」が打合せを行います。
  
ようやく日常を取り戻せそうです。
  
 

2016年4月26日火曜日

シクラメン/卒業生からの差し入れ

授業再開に向けて学内では急ピッチで作業が進んでいます。
あれからそんなに時間が経っていないはずですが、ふと周囲を見渡せば、
キャンパスには緑が増してきていました。

ガリラボに取りに行かないといけない資料があったので、朝、空中庭園に
立ち寄るとチューリップ畑はこのわずかな期間であっという間に雑草が
生い茂っておりました。雑草の成長力は凄まじい限りです。


ガリラボに赴いたら、ご覧の通り。予想はしていましたが、かなりのショックです。
4月14日以降、本部棟に詰めて夢中で仕事していたので、シクラメンにまで気が
回りませんでした。もう水をやっても再起することはなそうです。
2年前の10周年の興津会の時にOG(03)菅原からもらったものです。
菅原には申し訳ないことをしました。
鉢の中の土は空中庭園に持って行こうと思います。


久々のガリラボでしたが、ドアの前に何か置いてあります。
なんでしょう?


一つはOG(09)森田(旧姓・谷)からの差し入れでした。


もう一つは、院OG(M13)坂口からの差し入れです。

ガリラボの片付けをするゼミ生の皆さんへだそうです。


これまで経験することもなかった14、16日のあまりの強力な刺激の中で、
少なくとも当初は不眠不休に近い(少し誇張しています)状態で事に向き合い、
精神をかなり緊張させながらの作業でした。
これまで、テキトーにやってきたので、そのツケが来たのでしょうが、緊張の連続の
日々を過ごしてきた私に対し、ドア前の2つの差し入れと置き手紙は、私の緊張の糸を
少しだけ切ってしまいました。
その前に別の方からの激励のメールをもらっていたこともあり、そのダブルパンチで、
置き手紙に書かれたメッセージを読みながら、胸が熱くなってしまいました。
感情の起伏は極少ない方ですが、気遣いが身に染みました。
有難いものです、卒業生とは。
特に森田(谷)とかは、自分も被災をしているのに関わらずですから。
感謝の言葉もありません。
緊張していた気持ちを和らげてもらったお礼をいつかできればと思います。

差し入れは、明日、ゼミ生と一緒に食べさせてもらいます。


 

ガリボイス2016~(13)松崎の投稿8

新聞を読む時間も取れない日々が続いていましたが、ここ数日は余裕が出来て、
急ぎ目を通して出勤しようと思ったら(13)松崎の投稿を見つけました。
「申し訳ない」というのが読んだときの率直な感想でした。


4月14日(木)21:26、松崎ほかのゼミ生たちと私も一緒に研究室に
おりました。
打合せやら雑談している時、突然の強振。
私とM1(16)山口が書棚を抑え、松崎と上田が一緒にPCの机の下に入る
のが見えました。
それ以外のゼミ生がどうしていたかはちょっとわかりません。
終わって、警報は鳴り響き、環境棟で火災とか火災報知機は鳴るわで、
学内を守衛さんや職員さんと一緒に走り回ることになり、ゼミ生はそれぞれ
帰宅したのもわからないまま(帰宅しますとメールはもらったような・・・)、
そのまま翌日の夕方まで本部棟で地震対応にあたっておりました。

翌日の15日は松崎の誕生日だったわけです。
誕生日を知っているゼミ生には、だいたい午前零時になると誕生日メールを
送ることが習慣ですが、知っていながら送ることがなかったのは松崎が最初
かもしれません。
その時間は、本部棟で対策会議など開いていたりして、地震に翻弄され、
松崎の誕生日のことは朝刊を見るまでどこかに飛んでいってしまってました。
申し訳ない。
もう10日も過ぎたけれど、改めてこの場で、お祝いを言いたいと思う。
なお、4月15日は13ゼミ生が4年生になって最初のゼミの日でもありました。
そこで松崎に向けて密かな準備が13ゼミ生が総力を挙げて進めていたの
ですが、休校となり、それも出来なくなって・・・・

2つの歴史に残る地震の狭間という日に生まれた松崎。
ガリラボを元に戻し、そして発展させていく原動力となっていってほしい。
22歳の松崎に期待しております。
 
 
22歳、おめでとう。
 
 

2016年4月25日月曜日

本震の夜、避難者から見た県大生

今日もまた雨が降っています。
普段であれば恵みの雨なのかもしれませんが、現在の熊本で、特に被災した
地域にとって、被災した皆さんにとって、無情の雨になっているように思います。
ちかは大丈夫だろうか・・・大変心配です。
  
さて、本日もガリラボに行くこともなく、朝から本部棟に詰めております。
課題が徐々に解決されていき、当初に比べ、やることは少なくなってきました。
だからでしょうか、少々、燃え尽き症候群に陥り始めているような気がしないでも
ありません。初動時のホットな時期を過ぎて、これからは冷静にやるべきことを
着実に処理していかないといけないわけで、そうした時に、そんな精神状態になる
のはとんでもないことです。

こんな時はゼミ生の声を聞くのに限ります。
ということで、4年(13)塚田ゼミ長と3年(14)児玉ゼミ長にメールで連絡を取りました。
用件は、27日お昼からの「ガリラボ復旧隊員」募集の依頼です。
二人でささっとやってくれました。全部で10名ほど参加してくれるとのこと。感謝。
少なすぎず、また多すぎることもない。適度な人数で、うまくやっていけそうです。
27日は、あの悪夢ような4月14日(木)21:26から約2週間ぶりぐらいにガリラボに、
ゼミ生の賑やかな声が戻ります。すごく楽しみです。

なお、直接ゼミ生と話もしました。
ボランティアをやっていたゼミですが、4年(13)中村を始め、ガリラボのゼミ生も
たくさん頑張っていたんですよね。
4月23日(土)の熊日第1面に、あの時、大学を避難所として利用された記者さんが
こう記されていました。
  3日間だけだが、夜は車中や避難所で寝泊まりした。
  頭が洗える、トイレができる、風呂に入れる−−そのありがたみを初めて知った。
  非公式の避難所ながら、寝ずに立ち働き、丁寧に対応する県立大生には頭の
  下がる思いがした。
こうした感謝をされるぐらいに学生達は献身的に避難者の支援をしておりました。
自発的に生まれたグループでしたが、組織的に非常に優れた支援をしていて、
見事なものでした。




2016年4月24日日曜日

震災をどう捉えるか/新社会人となった12ゼミ生の安否

昨晩、4年(12)時松からメールをもらいました。
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 震災から1週間経っていますが、ご無事でしょうか?
 ガリラボ通信を楽しみに拝見しております。
 無情にも就職活動は待ってくれません。4年生は特に大変ですね(°_°)
 ですが、この震災を逆に味方につけて頑張ろうと思います。
 この震災を体験してどう捉えたか、どう行動したかが熊本の就活生には鍵となる
 でしょうね。  (メディアと災害について今度先生のお話も聞かせて下さい)
 一刻も早く日常へ戻れるよう、頑張りましょう!
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ガリラボ通信を途切れることなく発行してきて、ゼミ生に何がしかの役に立っている
ことを知り、大変嬉しい限りです(今後も継続していきます!)。
 
それはさておき、4年生にとって就活は現在、非常にリアルな問題なわけですね。
そうした時、時松が言うように、この震災をどう捉えるかという点は、きちんと
考えておかないといけないでしょうね。
ただ、それぞれその渦中にいてずっと慌ただしくしていたために、今回のことの意味を
深く考える余裕もなく、きちんと捉えきれていないのが現状のように思います。
一度、集まって、今回の体験をしっかりと言語化して、色々な視点で議論しておくのが
良さそうですね。
この体験を自分の経験とするために、です。
 

さて、本日の午前中、久しぶりに自宅にいる時間を取れたので、大学教育の意味などを
改めて考えたりしながら、地震以来初めて自宅のPCにスイッチを入れてみました。
ひっくり返っていたので壊れてないか心配していましたが、無事に起動。めでたい!
気持ちに余裕も出来たので、気になっていながらそのままにしていたことを実行しました。
12ゼミ生への連絡です。
新社会人になったばかりという時に、この未曾有の震災に遭遇してしまった12ゼミ生たち。
きっと大変だろうなと、ずっと気になっていたのですが、私の方も連絡する余裕がなくて・・・
ようやく本日午前中に安否確認を兼ねてメールを出しました。
まだ全員から返信はもらっていませんが、熊本市内近辺にいるはずの12ゼミ生からは
ほとんど戻ってきたのでホッとしています。
12ゼミ生相互に互いのことが気になるかと思うので、戻ってきたメールを抜粋して
紹介します。
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■村上 (村上のメールは返信ではなく前日に送ってくれたものです)
先生がご無事で何よりです。
学校の一番近くに住んでいながら、連絡が遅くなってしまい、申し訳ありません。
お仕事と地震関連の対応でお忙しいと思いますが、先生のご健康が一番なので、ご無理をなさらず出来るだけ休めるときにはゆっくり休まれてください。
近況報告になりますが、私は現在、OJT研修を受けています。
配属予定先が旅行事業部になりました。
研究室の片付け等で人手が必要な際には出来る限りのお手伝いをしますので、お声がけいただければ飛んでいきます。
■目代
先生がとてもお忙しそうでしたのでなかなかメールを送れずにいましたが私は無事です!元気です!
メダカちゃんがいなくなってしまったのがとても悲しいです…
通信で書かれていた県大の学生ボランティアの
動きはTwitterでも情報が回っていました!
自分たちも不安な中、いやな顔せずてきぱきと行動する学生は、本当に素晴らしく尊敬してしまいました!
県大を卒業してよかったと感じていました。
■丸野
僕も僕の家族も元気です!
南阿蘇村の被害が大きく、両親は避難所生活を送っていますが、前向きに自分達に出来ることをやっているようです。
僕はと言いますと、えがおを一般の方々に避難所として開放するボランティアをしたり、地震の片付け等で慌ただしい1週間を過ごしていました。
県大やガリラボが地震の後でどのようなことになっているかは、通信やツイッターなどで確認していました。
先生や後輩のみんなが無事で何よりです!
これからも大変な時期が続くことになるとは思いますが、皆でこの体験を糧に頑張りましょう!
■梅田
僕は元気です。
菊陽町は停電もなく、水道の復旧も早かったので、市内ほど生活には困りませんでした。
家はほぼ大丈夫でしたが、会社はぐちゃぐちゃでした。
壁が剥がれおち、棚は全部倒れて壊れたので、今は研修中ですが、今週はほとんど掃除をしていました。
ちゃんと毎日ガリラボ通信読んでます。
大学の様子もTwitterで見ていました。
避難所のボランティアで中村くんとか山本とか素晴らしかったです。
さすがガリラボのゼミ生ですね。いい後輩を持ったなと思いました。
何かあれば呼んでください。飛んでいきます!
■尾堂
今回こんな大きな地震が起こるなんて思ってもみませんでした。
津曲先生や奥様ご自身はご無事でしたでしょうか?
通信でメダカの水槽が割れてしまったことを知り、先生に水槽の片づけを
お願いしてしまい申し訳ありませんでした。
フェイスブックやツイッターで熊本のみんなの状態を知り、熊本に行きたいと思いながらも、ガリラボの仲間からは「危ないからまだ来ないほうがいい」と言われている状態でした。
大学時代にお世話になった大好きな熊本が被災していくのをテレビの前で見ることしかできなく、歯がゆくて、何もできない自分が情けなく感じていました。
また、同時に熊本県立大学が避難所となったときから、ガリラボの後輩が懸命にボランティアスタッフとして頑張ってくれていたことにOBとして嬉しく、誇らしい思いでした。
■森
我が家は大きな被害もなく、電気・水・ガスも使えるようになり、家族みんな元気に過ごしています。
ガリラボ通信を読み、先生、そしてゼミ生が奮闘されていることを知り、みなさんのことをすごく心配していました。
凄まじい一週間だったかと思いますが、先生は体調崩されてないでしょうか。
 私が配属された施設課では、14日の地震発生直後から、各学校への避難所開設の指示や、被災状況確認等が行われ、赴任して間もない私も各学校に電話をかけるという役を任せていただきました。その後もヘルメットをかぶり、県内の学校の被災状況を視察に行ったりと、とても貴重な経験をさせていただいた一週間でした。
先生もまだまだお忙しい日々が続くかと思いますが、どうかお身体には十分お気をつけてくださいね。県大の復活を心から願っています。
■川口
私の安否はご存知でしょうが、私は元気です。
仕事は慣れたか?とよく聞かれますが、実際慣れるほどの仕事はまだ出来ていないので何とも言えません。でも、職場の雰囲気にはだいぶ馴染めたのではないかと思っています。
かなりのショックから始まった社会人1年目ですが、必ず今後の糧となるはずなので、この最悪な状況から多くのことを吸収して、前を向いていきたいと思います。
ゼミ室の復活も心から応援しています!
■田中
ガリラボ通信を見て、先生がご無事だと知り安心しました。しかし、その後がとてもお忙しそうですね…(泣)
奥様もお変わりないでしょうか?
私の方は家族ともに無事です。
まだ余震が続くかと思うと怖くもありますが、1日でも早く日常を取り戻したいと思います。
今後もお忙しいかとは思いますが、お身体にはお気をつけてください。
■坂本
先生はご無事だったでしょうか?
ガリラボ通信は毎日見ていたので大丈夫であると知り、ホッとしていました。
ゼミ室も落下物等があったものの、今まで通りの作業ができそうで安心しています。
個人的に3年間共に過ごしてきたメダカがいなくなってしまったのが非常に残念です…
また、後輩たちがボランティアで頑張っていたということを知り、同じガリラボ生として誇らしく感じていました。
私は家族共に無事です!
家は少しヒビが入ってしまいましたが、何とか大丈夫です。
しかし断水が20日まで続いていました。今も朝方や夕方になると水が止まることがあります。
やっぱり水って大事ですね…
熊本は「水の国くまもと」と言われ、蛇口をひねれば毎日ミネラルウォーターが出ていましたが、改めてその素晴らしさを感じました。
先生のメールですごく元気をもらいました。
復興にはまだまだ時間がかかると思いますが、新市街の人達や色々な人たちと協力しながら復旧に向けて頑張りたいと思います。
■嶋中
先生はここ一週間とても慌ただしかったと思いますが、体調はいかがでしょうか?
私はなんとか無事です。
早く普通の生活に戻りたいと願っています。
仕事は研修中ですが、仕事中に余震もあり心臓をバクバクさせながら接客してます笑
ガリラボ通信見て、メダカの水槽が割れていたのを知り、悲しくなりました。
ゼミ室に当たり前にあったメダカの水槽が…と(泣)
先生は、卒論やゼミ室片付けとすることたくさんありますが、体調を崩さず乗り越えて下さい。
私も社会人として、険しい道も乗り越えていきます。
---------

返信してくれたゼミ生だけですが、みんな無事であることを確認でき、ホッとしました。
また、入社しばかりですが、それぞれ頑張っているようなので、さらにホッとしました。
ということで、ずっと気になっていたことが一つ片付きました。
  テツへ(メールへの返信)
  大学やガリラボはとりあえず個人で必要なものはなく、物資類は足りている。
  だから今は熊本入りする必要はない。
  熊本が落ち着き、ゼミ生で男飲みができるようになった時に帰ってこい!
  復興の祝って盛大にやろう。


午後からは打ち合わせもあったので、大学に出てきて副学長室で仕事でした。
写真が何もないと殺風景だと思い、大学に出てきた際に目に留まった学食を撮りました。

学食は、現在、立ち入り禁止にしています。
倒壊とかの危険があるからではなく、天井からの落下物を考慮してのことで、落下の
危険のあるものを撤去すればオープンできるようです。

徐々に徐々に復旧に向けて動いています。
キャンパスに学生たちが戻ってこれるよう、5月9日からの大学再開を目標に、日夜、
大学全体でいろいろな人たちが頑張っております。
一刻も早く、大学の日常を取り戻せたらと思います。


 

2016年4月23日土曜日

本震(4/16未明)から1週間が経って

大学が所在する熊本市東区が震度6強の地震(本震)に見舞われたのが、
先週16日(土)深夜1:25でした。
それから1週間が経ちました。

あの時からのことが、まるで夢のように思えるのは、私だけでしょうか。
14日(木)夜9:30の前震が起きてからの混乱に対応するため、夜通し大学で過ごし、
とりあえず収まったとの判断で翌日夜に帰宅しました。
寝入って3時間ほどした時、本震の激しい揺れに叩き起こされました。
家内曰く、前震ではそうでもなかったけれど、本震の時は「死」の恐怖が走ったと
言ってました。
ただ私の方は、この1週間、色々なことがありすぎたからでしょうが、本震の揺れは
もうはっきりと記憶には残っておりません。嫌なことはすぐに忘れる性格が功を奏して
いるようです。

震度6強の強烈な揺れが収まるとすぐに大学に向かいました。
学生や地域住民の皆さんが月出フィールドに集まり始めていました。
停電のため暗い中でのことでした。
教職員は誰がいたかあまり記憶にありませんが、ゼミ生では4年(13)中村、出口、
3年(14)山本、岩崎に会いました。
着の身着のままに避難してきた人たちに、前震の避難の際に入手しサブアリーナに
そのままになっていたゴザや毛布を月出フィールドの避難者の方たちに学生たちが
善意で配布を始めました。
また白亜祭実行委員会が保有していた段ボールを倉庫から取り出し、避難者に提供
していました。
避難してきた学生たちが自主的に始めた行動でした。

動きがバラバラだと効率が悪いので、学生たちから申し出てきたのか、こっちから
声をかけたのか、記憶にありませんが、代表格の学生たちが集まったところで、
自治会長の山本に避難者の支援関係のリーダー、岩崎を支援物資関係のリーダー、
そしてトイレの管理のリーダーとして中村を指名し、このリーダーを中心に学生グ
ループが生まれ、それぞれ緩やかな役割分担を設定し、学生たちは組織的に動いて
いきました。
 
それからの一瞬一瞬は凄まじいものでした。
色々な情報が洪水のように入ってきました。
何かが立ち上げっていくときでしたので、外から見ていると混乱ぶりは凄かった
のではないかと思います。
私の場合、学生や職員、教員からもたらされる膨大な課題に翻弄されつつ、矢継ぎ
早にやってくる問題を処理しておりました。
その際、目の前の課題を解決すのが先決で、それで全体としてどういったことが進行
しているのか把握する余裕は全くありませんでした。
レベルは全く違いますが、東日本大震災のときの福島第1原発で生じていた
混乱もきっとこんな感じだったのだろうなあと、1週間が経ち、少し落ち着いて
から振り返るとそう思えます。
 
この週、昼夜とほぼ大学の本部棟で過ごしてきて思うのは、緊急時に必要なのは、次々と
出てくる色々なタイプの課題に逃げずに向き合う態度、頭を急速にフル回転させて問題を
解決していく力、それを支える体力、そして大事なのが安全基地を持っていること、そういっ
たことではなかろうかと思いました。
それと人脈(=一緒に何かやってきた人たち)も非常に大事ですね。
緊急時には特にそう思いました。
私の場合、幸いなことに、大学内の教職員そして学生など多くの人を知っていたので、
情報が集まり、また急な相談をやりやすく、それで課題解決もやりやすかったように
思います。
ちなみに、外部からの急ぎの物資支援についてもそうした人脈によるものがありました。
日頃の<実践を通した>関係、大事です。

それと感じていることは、緊急時の職員さんの重要性。
前震のときは多くの職員さんが残業されていたのでその方たちを中心に事態の収拾に
向けた動きが急速に動いていきました。その時の準備が、本震が起きた深夜にも活きた
ように思います。前震がなくて、いきなり深夜の本震だけだったら、果たしてどうなっていた
でしょう。大人数に膨れ上がっていた避難の方々を抱え、かなり混乱していたはずです。
本震後も、自宅が被災し、避難生活であるにも関わらず、大学の混乱収拾に尽力されて
いるのをみていると公務員という人たちの底力、凄さを感じました。
また先生方も協力できることはないかと次々と来ていただき、混乱の対応にあたって
いただきました。炊き出し、駐車場整理、学生たちのフォロー、その他いろいろとあったと
思いますが、非常に有難かった。  
 
あまりにも多くのことがあり過ぎて、この1週間の動きの記憶が曖昧になっていますし、
また私が見ていないところで色々な動きがあったと思いますので、緊急時に人々が
全体としてどういう対応していたのか、今ひとつ私の中では明瞭でありません。
関わった多くの人たちにインタビューをして、あの混乱の場を複数の視点から調査し、
その動きを明確化することは今後につなげる知見を抽出できそうで、興味深いテーマに
なるのではないかと思っています。
エスノグラフィ調査として難しい作業になりそうですが、誰かやってみたい人は
いませんか。 

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話題は変わりますが、Facebook経由で、今回の熊本地震について、早稲田大学から
学生ボランティアに向けて出されたコメントの存在を知りました。
その中にボランティアの心得10か条というのがあります。
確かにそうだなと、感心しました。

 早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)
 学生災害支援ボランティアの心得10か条
 http://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2012/06/26/1059/
 第1条 ボランティア保険(災害プラン)に入る
 第2条 不眠不休で頑張らない
 第3条 被災地では信頼できる人と一緒に行動する
 第4条 まずは相手の話を共感的に聞く
 第5条 被災者が自分たちでやる仕事を取らない
 第6条 涙が止まらなくなったら活動をやめる
 第7条 できないことは「出来ません」とはっきり断る
 第8条 相手の感情に巻き込まれ過度な哀れみや同情をしない
 第9条 子どもと遊ぶときなどは過度に喜ばせようとしない
 第10条 ボランティア活動の運営について批判はしない

この10か条の意味についての詳細は早稲田大学のサイトを参照ください(こちら)。
思慮のない、熱狂の中での善意は、真の手助けとはならない。
全くその通りかと思います。
緊急時にこそ、熱狂するのではなく、あえて冷静さに行動する。
(参考) 熱狂しつつも、冷静に〜アラブの春のその後からの教訓ガリラボ通信2015/3/22
「思慮深さ」を核として「異質な集団で交流する」「自律的に活動する」というのは、
21世紀を生きる世代に必要な能力としてキーコンピテンシーと言われるものですが、
ボランティアにおいても大事なようです。
今後の大学教育の中でも、こうした能力の育成は避けて通れないものです。
ちなみに、そうした能力がどの程度あるかを、本学ではPROGテストというもので、
学生たちには知らせています。
熊本地震後の行動を見ていると、多くの本学の学生たちがこうした能力を持ち合わせて
いたように思いますが、特に上で名前を挙げたゼミ生たちは思慮深く行動していたように
思います。今回の震災を契機にさらに磨きをかけていってほしい。
 


2016年4月22日金曜日

「日常」へと向かう4歩目

朝、通勤時、国体道路沿いのローソンが営業していました。昨日までは確か、
シャッターを下ろし、一部のみで営業していたように思いましたが、完全営業と
なっているのを見て、また一つ日常が戻ってきたように思います。

 
私はただいま本部棟で、授業再開に向けた打ち合わせや作業に追われています。
非常時、アポなしの打ち合わせが断続的に入るので、副学長室を離れているのは
難しい状況で、それで本日は一度もガリラボに行ってません。
ガリラボのシクラメンが気になります。断水していたので、もう一週間ほど
水をやっていません。枯れているのではないかと心配しています。
本部棟での仕事続きのシクラメンが犠牲(?)になったかもしれませんが、そのおかげで、
大学の復興に向けた検討はかなり進みました(多分)。


ところで、今日はゼミ生の安否確認と現在どういった状態かの確認作業をゼミ長に
依頼しました。
行き違いで14ゼミ生だけ私からメールを出すことになり、直接確認を取ったのですが、
そのおかげで、返信メールで非常に元気をもらいました。
それ以外にもらったメールもありました。全員のメールは紹介できませんが、その一部は
次のような内容でした(全文ではなく抜粋です)。

(M15)福永
一応なんとか大学におります。
先生もたいへんだと思いますが、何かありましたら御連絡ください。
(13)塚田
おはようございます。先生もその後、お変わりないでしょうか?私は、元気です!(^^)
5月9日に授業開始ですが、地震も落ち着いたら来週中にゼミ室などの片付けもお手伝したいのですが、
立ち入りはできるのでしょうか?
(13)松崎
先生、お元気ですか? 私はいつも通りずっと笑ってます。
来週あたり、学校行ってガリラボの復旧の手伝いさせて下さい!
(14)古谷
14 古谷生きております!
(14)秋山
無事です!!ガリラボの状況はガリラボ通信で見ました……。はやくあのガリラボでみんなといつも通り
活動していきたいです😭片付ける際は絶対かけつけます!!(笑)
(14)早瀬
早くゼミの皆さんと活動したいです(/ _ ; )!!
ゼミ室の片付け、手伝えることがあれば手伝います!
(14)塚田
体調も崩さず、なんとか元気でいます。
先生も身体に気をつけてお過ごしください。
またゼミ室でお会いするのが楽しみです。
(12)河辺
少し落ち着いてから先生にメールを送ろうと考えていたのですが、ガリラボ通信を見る限り、とても
お忙しいようですね(涙)。しかしご無事で何よりです。
私の家は片付ければ暮らせる程度でした。
ガリラボの復旧作業、お手伝いに行きますので、是非おっしゃってください!
 
卒業生からもメールやツイッター等でエールをもらっています。
これらのメール等を読み、言いようのない感激と元気をもらいました。
社交辞令で言ってるわけではなく、心底、そう思いました。
その感情を冷静に分析してみると、(自分で言うのも何ですが)私は、つくづく、
ガリラボのゼミ生たちが好きなのだと思います。
まだ1週間しか経っていないのですが、早く会いたいですね。
ガリラボで、ゼミ生と、ゼミ課題や卒論について一緒にあーだこーだと言いながら
考えていきたい。
また、大学全体で言えば、たくさんのゼミ生が普通にキャンパス内を歩ける大学に
戻したい。
そんな希望を叶えるため、微力ながら、大学の復興そして授業再開に向け本部棟での
仕事を頑張りたいと思います。
  
(お知らせ)ガリラボの復旧作業は4月27日(水)12時ぐらいからにしようと
      考えています。
 

2016年4月21日木曜日

「日常」へと向かう3歩目

本日は、朝から1日中、本部棟での仕事でした。
午前中は打ち合わせ、午後から3、4時間ほどかけて学内の建物検査に随行しました。
専門家の意見を現場で聞きながら、授業再開のメドを考える際の肌感覚を得ようと思って。
学内を今日ほどくまなく見て回ったのは初めてでした。
あちこちで物が散乱している状況でした。
図書館です。職員の方(安達さん)が懸命に復旧作業をしておられました。


多くの教員が研究室の片付けに頑張っておられました。
この様子であれば、徐々に復興していくものと思います。
一方で、私はと言えば、大学全体の復興に向けた仕事が最優先であるため、自分の
時間を自由に作ることが難しく、結果、片付けはほぼ手付かず・・・
先生方の片付けができる自由が少し羨ましくありました。
ガリラボの復興はいつになるかなぁ・・・(涙)。

学内を歩き回り、大小の被害を見てきましたが、大ホール前のこの巨大な壁画が
落下してなくて良かったなと思います。



検査の際、空中庭園にも行きました。
最初の地震から今日で1週間が経ちます。1週間で、チューリップの花は枯れ、雑草が
生い茂っておりました。

残っているチューリップです。

ホサカザクラは元気に育っていました。^^


 
今日、久々に、ガリラボのゼミ生一人とメールですが、接触しました。
相手は、新入生のM1(16)大野。
午後3時頃に大野からメールが届いておりました。大野によれば、
  勉強したくて大学に入学したのに、講義が受けられなくてとても残念です・・・。
  まだ研究の方向性、構想の立て方もままなりません。
  先生の空いている時間に、研究に当たり、「読んでいた方がためになる本」を
  数冊教えていただければと思います。
  またお手伝いできることがあれば、是非おっしゃってください。
  できることは何でもやります。
ということです。
確かにそうですね。入学してすぐに放り出す形になってしまい申し訳ない限りです。
学部の1年生とかはどうなんでしょう。入学して頑張るぞと思っていた時に、地震。
気持ちが切れてしまっている新入生が出ていないか心配しています。

さて、来週になったらどうにか自分の時間を作り、ガリラボの復旧作業がやれれば
いいなと思います。
 
 
これは昨晩の写真です。見慣れた光景ですが、地震後初めて普通に営業していたのです。
4年(13)中村がバイトしているところです。
見慣れた光景が失われていて、それが戻ってきたのを見て、非常にホッとしました。
自分でも意外なほどに感激したように思います。
「日常」の大切さを改めて、コンビニの営業再開で教えてもらいました。