2020年7月31日金曜日

ガラシャの生涯〜胡桃に酒

コロナの影響もあり、ガリラボにゼミ生が長く居ることもなくなり、必然的に私も居る必要がなくなり、早めに帰宅することが多くなりました、
少し前まではガリラボを出るのが23時というのがしょっちゅうだったのですが、今は(年齢のせいもありでしょうが)どんなに遅くても22時前に出るようになりました。
コロナの影響が本格化してからゼミ生ともZOOMで話すことを多く、そうなると自宅でもできるので益々帰宅が早くなりました。

帰宅が早くなったせいで、鶴瓶の「家族に乾杯」という番組をたまたま見ました。
(その後は見ていないので、このときたまたまだったのですが)鹿児島が舞台。
しかも日置市。OB(12)尾堂が住んでいるところです。
2008年に放送されたものでした。
鶴瓶さんがたまたま入ったところ(確か、トイレを借りに入られた気がします)が「沈壽官(ちん・じゅかん)」氏の工房だったんですね。
私も初めて知った方ですが、鶴瓶さんは司馬遼太郎氏の「故郷(こきょう)忘(ぼう)じがたく候(そうろう)」を読んでおられ、沈壽官氏がどういった生き方をされてきたかはご存知だったようです。
それが、たまたま入ったところにその方が目の前におられて、ほんとに驚いておられました。

豊臣秀吉の頃に遡る歴史の中で語られる方で、人間国宝にもなっておられる方でした。
番組を見ながらかなり気になり司馬遼太郎の本を取り寄せ、昨日届いたので、今日読了しました。
薩摩の焼き物の価値のルーツが朝鮮半島にあり、歴史の中を現在形として生きている人たちがいることを知りました。
コロナが収まり、鹿児島に出かけることができたら、尾堂に会いにいくついでに、ここに立ち寄ってきたいと思います(逆かな、ついでに尾堂に会ってくるのが正解かも。笑)
なお、尾堂たちもこのコロナにかなりの影響を受けることになりました。


ところで、この本は短編集となっていて、他に「胡桃に酒」という短編も収められていました。
続きで、なんとなくページをめくって驚きました。
「胡桃に酒」は細川ガラシャの生涯が描かれた短編でした。
読んでみて驚きました。
司馬遼太郎の描くガラシャ像からガラシャの人生ですが、それは辞世の歌
  散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
から勝手に想像していたものとは随分と違ったものになりました。
美貌の持ち主であったがために、その聡明さを発揮させることもできないまま、抑圧された生涯になってしまったことは大変残念なことでした。

コロナの影響で、室内時間が増えたせいか、読書する(できる)時間が増えました。
動画も見ていますが、それ以上に読書時間が増えました。
福岡大学の講義の中で「情報産業社会を生きる」というテーマで1コマ話をしています(今回は動画で)。
先週で15回が終わったので、最後のレポートにどの講義が印象的だったかとの質問をしたら、このテーマがダントツ1位でした。
動画を媒介にしたコミュニケーションが増え、ガリラボでもその流れに乗って動画制作を進めているわけですが、この授業は、読書の重要性を訴えるものになっています。
動画を見る人は読書してなくてもよいかもしれませんが、動画を作る側が読書をしてなかったら間違いなく薄ぺっらなものしかできないでしょう。
消費する側から表現を生産する側に回るとき、読書量は決定的な意味を持つようになるはずです。
義父である細川幽斎から「学がある」と一目置かれたガラシャの優れた知性も読書によって形成されたものでしょう。
おうちでは、動画を消費するだけに終わらず、動画を視聴しながらもそれを分析する眼を読書によって鍛える時間にできるといいですけどね。
今日で7月が終わります。8月は読書に耽り、充電する時間にしたいと思っています。

 
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コロナの感染拡大に伴い、大学の対応方針がワンランク上がったことは昨日も書きました。
現状が変わらなければ、後期に向けても遠隔での授業が継続することになります。
後期は私がメインにしている「情報社会とコンピュータ」の授業があります。
特別講師として熊本県、総務省、熊日新聞社から3人の方をお招きしていましたが、遠隔での授業をお願いするのは厳しそうなので2人の方にはお断りの連絡をしました。
コロナ以後の世界になってから、どういったことを起きているかを来年になって紹介してもらおうかと思います。
ただ、ひとりだけ、熊日新聞社の山口さんには今年もお願いしました。激動の年になった2020年、記者として取材の現場に身をおかれているわけで、その辺りのことも講義してもらえるといいかなと思い、無理を承知で遠隔授業の特別講師をお願いしました。快諾して頂きました。よかった。^^



2020年7月30日木曜日

テーマとはあぶり出されてくるもの

梅雨が明け、強烈な日差しとなり、ニュースでは「危険な暑さ」として注意が呼びかけられていました。


少し前、ウィルスは紫外線に弱いから6月以降は感染拡大は抑えられるのではないかという希望的観測がありましたが、事態は全く逆になっています。
7月に入り、検査数増加の影響はあるにしろ、4月以上に感染者数が増加してきました。


日本の都市部のだけのようにも見えていたのが、人の移動が増えた影響でしょうが、感染リスクが高まり、熊本でもクラスターが発生し、感染者がここ数日で一気に増えました。
危険な暑さにコロナにと8月はどんな夏が待っているのでしょう。


県内の感染拡大を受けて、本日、大学の対応レベルが1ランク引き上げられました。
色々と制約がありますが、一番気になったのは、授業とサークル以外でのテニスコート利用は禁止ということ。また運動不足になりそうです。orz


愚痴はさておき、本日はArtractのメンバー(4年(17)三角、西)がArtract小学校企画の動画編集を行っていました。
また、白亜祭実行委員(実行委員長4年(17)河野)も集合し、企画内容を詰めているようでした。
私は今日はレポートの採点を必死でやっていましたが、白亜祭メンバーから「トリックアート」だったかな、そんな言葉が聞こえました。それだけしか聞こえなかったのですが、色々なトリックが組み込まれた場を作るのは楽しそうに思えました。
もしも、実際の白亜祭がコロナの影響で中止になっても、それだったらガリラボ単独でオンラインでの開催もできそうにも思えました。
そして、Artractはそこに積極的に関わる必要もあるなとも思いました。
ただし、具体的に何かアイデアがあるわけではなく、直感的にそう思っただけのことなのですけど・・・(「13歳からのアート思考」の本が強く影響しているようです)

夕方はM2(19)塘添とのZOOM院ゼミ。
多忙な塘添ですが、徐々にテーマが固まってきて、ようやく骨格が見えてくるようになりました。
テーマとは色々と話をしていくうちに徐々に固まっていくものです。
何も考えていない人が、突然、テーマを思いつくということはありません。
あぶり出しで浮かび上がってくる文字のようなものだ思っていた方がいい。
4年生はもうすぐテーマを定めないといけません。
突然ぱっと浮かぶなどということはありません。
考えてない人にテーマは出てきません。
熟考という熱をずっと加えていくことでテーマは徐々にあぶり出されていくものだとということを肝に銘じておくこと。
 

<おまけ1>
次は古代エジプトにてい描かれたものですが、かなり独特な表現です。
ほぼトリックアートになっています。
この絵で「おかしいところを見つけなさい」というクイズを出すのは面白い鑑賞方法になりそうです。
そして、私は、その答え=この絵の描かれ方に関する解説を読んで、かなりの衝撃を受けました。

https://www.japanjournals.com/feature/survivor/12728-britishmuseum-2019.html


<おまけ2>
次は昨日の熊日新聞からです。昨年、(熊本城総合事務所の副所長さんの仕掛けかけられたサプライズで)紹介してもらった方が登場されていました。笑

この方と少し話をしたらなんと隣の中学校だったということを知って、その時、事務所内でひっくり返りそうになるぐらい驚きました。


 

2020年7月29日水曜日

梅雨明け/Artract小学校の編集作業

昨日の夕方、金峰山の方向に沈む夕日を国体道路から撮ったものです。
きれいな夕焼けとはいきませんでしたが、ちょうど日の落ちる瞬間はなかなかきれいな風景でした。


一夜明け、熊本地方は梅雨明けしたようです。
青空が広がっていました。
研究室から見る分はきれいな青空ですが、外に出ると蝉の大合唱とともにうだるような暑さになっているはずです。
熊本はコロナの感染が激増している中、夏本番となります。


今朝の熊日新聞。県立美術館の「江戸の動物絵大集合」が広告で掲載されていました。


この展覧会に関係し、Artractが企画しているのが「Artract小学校」です。
先日、道場での撮影を終え、4年(17)橘、岩奥、川上が編集作業を精力的に行っておりました。





2020年7月28日火曜日

アートとは何かを問い直してきた20世紀のアート界

(問)ある男がその息子を乗せて車で運転していた。すると、車はダンプカーと激突して大破した。
救急車で搬送中に、運転していた父親は死亡し、息子は意識不明の重体。
救急病院の手術室で、運び込まれてきた後者の顔を見た外科医は息を呑んで、つぎのような意味のことを口にした。
「自分はこの手術はできない、なぜならこの怪我人は自分の息子だから」
これはいったいどういうことか。

上記の問いは、読了した物語の関する新書「人はなぜ物語を求めるのか」からのものです。
わかりますでしょうか。
このクイズから、人は、その人に対し問いとして立ち現れることがない、その人にとって何の関係もない未知のことを自動的に当てはめ、そしてそうしたことに全く気付かずに物事を見ていることを実感しました。
人は自分が何を知らないかということを無自覚に生きているようです。
認知心理学的にはよく知られた事実なのでしょうが、ちょっとショックです。
また、自分の感情の赴くままに生きる人は「感情の奴隷」であり、何ら自由を持たない生き方をしているのだとのこと。よくわかりまし。お腹がすけばコンビニに向かい、時間ができると自動的にゲームか動画に向かい・・・というのはまったく自由な生活とは思えませんので。

今日は次の本を読了しました。デザイン思考という言葉はよく聞きますが「アート思考」というのは聞きなれない言葉です。中学・高校の美術の先生が書かれた本です。


冒頭、次のモネを絵を鑑賞してくださいというところから始まります。

https://bijutsutecho.com/artists/226

ある美術館で、4歳の子どもがこの絵をみて「かえるがいる」と言ったそうです。
さて、本当に蛙がいるでしょうか?

19世紀以前の絵とは写実的なものが中心でした。
その理由は●●や■■ということでした。
それが20世紀になって▲▲が出てきて、絵画の意味が問い直されることになり、それに挑戦したアーティストの考え方を実践を交えながら学んでいくのがこの本の特徴です。
▲▲とはアートの世界にそんな本質的な影響を与えることになったのかと思って、すごく刺激を受け、それからの類推で今起きているオンライン革命は教育に意味を問いなおすことになるのだろうと思い、その点でもかなりの刺激を受けました(その意味を深く理解していく大学が今後発展していくのだろうと思います)。
ともかく、20世紀のアートがどういうことをやってきたのかよく理解できました。
(●●、■■、▲▲の部分は実際に本で確かめてください)

同時に、アートは視覚偏重のものでないことも理解できました。
Artractには視覚障がい者向けに色々なことを考えてみようと話をしていました。
昨年からそのことを考えていた、ただ深く考えた上で話していたわけではありませんでした。
しかし、この本を読み、そうした行動は20世紀のアーティストが世界のリアルを表現しようと挑戦してきたひとつの方向だったことを知りました。

こんな美術の授業であれば、私などもずいぶんと喰いついて受講したのではないかと思いました。
文章は中学生向けに平易に書かれていて楽に読めます。
非常に知的な刺激を受けました。

なお、この本に出てくるアウトプット鑑賞は、Artractにはひとつのやり方として取り入れてもらいたいと思います。



2020年7月27日月曜日

卒業生からの連絡/卒論を進ませるパターン

7月初旬に熊本県南部で豪雨被害が起き、それがもう気づけば7月下旬になっています。
被害の後、この地域に勤務しているはずの卒業生に連絡を取りましたが、ひとりだけ返信がありませんでした。
 
その卒業生から昨日、長文の連絡が届きました。
被害の状況、現在の状況が詳しく綴られていましたが、新聞報道でもひどい状況は理解していましたが、よく知っている卒業生からの詳細な報告は生々しく、読みながら言葉にならないほどでした。
学校に勤務している卒業生です。
今現在はまだ災害からの復旧に向けての第1フェーズの段階なんだと思います。
熊本地震の時がそうでしたが、今後、被災地は様々なフェーズに移行していくことになるはずです。
そして復興は非常に長期にわたることになるはずです。
卒業生からのメールを読み、復興のフェーズのどの段階になるかはわかりませんが、私の研究室でできる支援を考えねばと思った次第です。


今日は、卒論チーム「たま応援隊」と「Artract」とが活動していました。
たま応援隊は会議、Artractは「おうちで美術館」に向けた独自コンテンツの撮影でした。
もう7月末になります。
コロナの影響のせいですが、例年の卒論チームに比べると具体的な行動ができていません。
動けていないので、なかなか私が興味を持つような結果についての報告をもらうことが少なく、その結果、活動のインフレーションにつながっていかないというのがジレンマです。例年だと、
 こんなのをやってみたい(卒論チーム)
  ⇒なら、こういうのがありそうだ(私)
   ⇒やってみたら、こんな感じになりますけど(卒論チーム)
    ⇒面白い、じゃこういうのもあるんじゃないか(私)
     ⇒じゃ、それもやってみよう(卒論チーム)
という感じで活動のインフレが起きて、そうなるとやっているテーマが非常に楽しくなって、その結果、当初想像していたよりも遥かに面白い成果につながっていくのですが、この形(パターン)の連鎖が今はまだ生じていない気がします。
特に大事なのはこの連鎖を高速に動かすことです(ガリラボ通信2014/8/22)。
そこがなかなか出来ていない。
卒論チームは2014/8/22のガリラボ通信を読んでおいてほしい。
せっかくやるのだから、非常に詰まらない結果で終わることは避けたいものです。
油断しているとそうなってしまう危険性がかなり高い。
しかし、ただ悩んでいるだけでは、持ち時間は徐々に少なくなっていきます。
 

2020年7月26日日曜日

スマホデビュー

私事ですが、約8年前、長女から譲り受けたガラケーをついに手放し、スマートフォンに切り替えました。
まだ十分に使えたのですが、諸事情により変更させられました。


安価だと聞いていたiPhone SEにするつもりだったでしたが、ガラケーからの変更の場合、iPhone XRが劇的に安いことを店舗で知り、また老眼気味の私たち夫婦には大きな画面の方が良さそうだとも思い、そちらに即決。
白と黒が1台づつ在庫があるということだったので、家内と私とでそれらを購入してきました。
世の中はSociety5.0への変化が始まっており、また5Gもこれから普及期に入ろうとしているとき、数世代前ぐらいの世間のレベルにようやく追いつけそうです。
私にとっては10年に一度レベルの大きな変化が、この4連休におきました。
これからは外出してもネットにつながる生活となります。
常時オンラインの生活によってどういった変化が生じていくのか、自分自身を題材にできるだけ観察していこうかと思っています。

常時オンラインで、ひとつだけ良いことだなと思っているのは、外でふいに予定を聞かれたとき、自分の予定がわからず周囲に迷惑をかけていた点が解消されることです。
外では基本的にオフライン生活であったのに、なぜか予定表は全てネット上で管理していました。それゆえ、外出すると自分の予定表がわかりません。非常に矛盾した行動をしていたのが、ようやく止揚(?)されます。
 

2020年7月22日水曜日

久々のインプット作業

国際会議に投稿していた論文が受理され、レフリーからの審査コメントに答える形での修正も昨日で終わり、その日であったのは偶然ですが、半年ぶりぐらいに(恐る恐るですが)外食の会に参加して刺激もいただきました。
目の前にいた方がやたら元気だったせいか、こっちも元気になり、最後には勢い余って余計なこととを話してしまった気がします。
後悔先に立たず
面倒なことに発展していかないと良いのですが・・・。
口は禍の門。(どんなに歳を重ねてもこの点は学習していないことを知りました。)
 

それはさておき、今日は久々にアウトプットを全くやらなくてよい日となりました。
前に買っていた「人はなぜ物語を求めるのか」なる本を手に取り読んでおりました。
なんでこんな本を買ったのか、今となってはその記憶もないまま、読み進めるとかなり面白い本です。
13歳からのアート思考という美術教育に関する本も届き、パラパラめくってみるとこれもかなり面白そうです。つい、そのまま手を出してしまいそうでしたが思いとどまり、物語の本に戻りました。

この中で興味深かったのが
  「がっかり」は期待しているときにだけ出てくる希望まみれの言葉
                            枡野浩一
という短歌でした。
人は、がっかりすることが多いわけですが、それはそこに期待があるからで、「がっかり」とは希望にまみれた言葉なんだという捉え方が新鮮でした。
そして「期待」と「希望」の関係に議論が発展し、著者の千野さんは、
  人は期待しているときには希望が持てないのではないでしょうか。
と語られていました。
ナチスの強制収容所の中で絶望している2人の人物に、フランクルという精神科医が、
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ。

と話したそうです。
何度読んでもよく理解できない内容ですが、これは、自分が人生に期待することをやめるということです。逆に、人生が自分に何を期待しているのかを考えるべき、そしてこのことは、何(誰)が自分を待っているのかを考えるのと同等だというのです。
期待とは「待つ」という言葉が含まれている言葉です。
この問いかけにより、絶望していた2人の人物は、やり残した仕事が自分を「待っている」こと気づき、もうひとりは自分を「待っている」子どもがいることを思い出します。
そして絶望から逃れることができたようです。
フランクルはこの点について
自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

と語っています。
積極的に引用しながら、どうにも明確には理解できていないのですが、何か自分の外に対する責任を強く自覚したとき、自分が存在する意味を確信し、強くなるということなのでしょうか。

私自身について「待っている」のはどういったものがあるか、考えてみました。
思いつくものをリストアップしていったら、どうにも絶望しか感じなくなったので途中でやめました。orz

なんだかさっぱりわからない内容になってしまいました。

それはさておき、世間は明日から4連休。
東京では感染拡大から外出自粛も求められています。
おうちで過ごす方も多いかと思います。
そういった方のためにArtractが「#おうちで美術館」の取り組みをツイッターで行っています。
https://twitter.com/artract16
参加してみてください。

4連休中はガリラボ通信もお休みします(気が向いたら、あるいはゼミ生が何らか方法で私に接触してきたら発行するかもしれません)。
 


2020年7月21日火曜日

大学院生の話題

午後、OB(08)坂本から近況報告が届きました。
安定から挑戦を目指し転職をしたのが昨年12月。新しい会社で現場を志向していたわけですが、突然、人事をやれとの辞令が降り、今後は採用と研修を担当することになったそうです。
坂本の能力を見込んでの抜擢なんでしょう。故梅棹忠夫さんが
  請われれば一差し舞える人物になれ
という言葉を残されています。これまでの経験で、坂本という人間は、人事という仕事を十分に舞える人物であると周囲が認めたということなのでしょう。
頑張ってほしい。
坂本は学部卒卒業後そのまま大学院に進学し(M12)院生としても活躍しておりました。

今日は現役院生ともやりとりがありました。
M1(20)アクストとは、午前中に調査の方針について打ち合わせ。
合志市の教育長さんのアドバイスなども踏まえながら検討。どう考えても大規模な調査になりそうです。
腹を据えてやる必要がありそうです。

午後、M2(19)福嶋から連絡があり、予備調査で得られた結果を使って作成していた論文原稿が出来上がり、共同研究者との調整も済み、次のタイトルで雑誌論文として投稿することになりました。



なお、福嶋は現在2,000~3,000人対象にした調査にも挑んでいます。


ところで、津曲ゼミ院生同窓会「隆生会」は今年は中止にしました。
M06小松、黒田と私の3人で2006年から始まった飲み会で、それから年を経るごとに生が増えていって現在は25名が隆生会のメンバーになっています。
アドミニ研究科でこれだけの院生を抱える研究室は、現時点では津曲ゼミだけだと思います。
継続してきた会が行えないのは残念ですが、次年度の開催を楽しみにしたいと思います。
 


2020年7月20日月曜日

卒論チームとの会議/一歩を踏みだすということ

午後、卒論2チームの会議でした。
13時からArtractとの会議は2時間ほど。
熊本県立美術館で7月18日から始まった「江戸の動物絵集合」についてのArtract独自の広報「Artract小学校」について細かな詰めの部分の打合せでした。
写真は打合せが終わってからのArtract小学校企画の実験をやっているところです。
こうした実験などを通して、新しい生活様式が求められる昨今、Artractは、#おうちで美術館のための方法を独自に開発していきます。


また、#おうちで美術館にもつながることですが、視覚に障害を持つ方々に対する鑑賞に向けた方法についても議論しました。今日はその中でも評価の方法が話題になったので、「セサミストリート」がうまくいった秘密でもある形成的評価の方法を紹介しておきました。
形成的評価は、学生たちが苦手とする部分だと感じています。
とりあえずやってみて、それをその都度評価して、徐々に修正していく方法ですが、この「とりあえずやってみる」こと、「完璧を目指すよりさっさと完成させろ」をどうも苦手です(自分ではあまり自覚できてないのでしょうけど)。
例年ですが、卒論が始まるとこの状態になる学生が意外に多い。
実際に動くというのは面倒だからでしょうが、だけど、
 ゴールに辿り着くのは一歩踏み出した人だけガリラボ通信2013/9/1
なんですよねぇ。

15:30からはたま応援隊との会議。こっちも2時間ほどやっていましたが、行動に移す部分で少し停滞気味のところがありました。
慣性のためか、動き出すことには困難が伴います。
しかしそれでも、どうにかして動き出しましょう。
 

<余談>新しく一歩を踏み出している人たち
世の中は今、これまで動けなかった部分が大きく動き出しています。
コロナ禍の影響です。
大学も同様で、従来であれば到底不可能であった遠隔授業に踏み出し、問題はあるにしろ、遠隔授業を可能にしてしまいました。大学というのはやっぱりすごいものです。
この動きを踏まえ、国立情報学研究所の船守准教授がこんなことを話されています。
世界の大学はオンライン教育に移行している。大学側も学生側も不満を抱える一方で、これからは、感染者数を横目に、オンラインとオンキャンパスを随時切り替えいくことが求められる。授業時間も可変となることから、学修時間ではなく、学習到達度で、学位や単位の付与をするといった切り替えも必要

大学は大きく変化していくでしょう。そして、今後の世界は、
ポストコロナに待っているのは、教育・就労・生活のいたる面でデジタルとフィジカルが融合した世界だ。こうした近未来の世界像に適合した教育に投資することは、これまで呼び込むことができなかった層を高等教育に誘うことにもつながる。これからの大学は、社会に溶け込み、学習や協働の場を提供することが求められている。

ということで教育の場も随分と変わっていきそうです。というか、そう変化するように行動を始めている人たちがいるのに違いありません。
大教室に学生を集めて成立していた大学が、新しい動きの中で形成的評価を受けながら新しいスタイルへと脱皮していくのに違いありません。
こうした動きは大学だけに限ることでもありません。
あらゆる職場にて起きていく変化だろうと思います。
そうした変化に対抗する唯一の方法はアンラーニングと新たな学びです。
形成的評価を続けていくことはそれを逐次実践しているのではないかと思います。




2020年7月19日日曜日

ひのくに殺人(?)事件ワークショップ2020発表会

今年のひのくに殺人(?)事件ワークショップは6月26日に始まりました(ガリラボ通信2020/6/26)。
その発表が7月17日(金)に行われました。
3年(18)生に発表の前、その1時間前に4年(17)ゼミでは、キャストとなって3年の取材陣を迎え撃った4年生の振り返りが、ひのくにワークショップの全体統括をした岩奥ゼミ長を中心に行われていました。
色々な意見をリフレクションのパワポに組込み、準備完了。3年生の発表を待ちます。


7月17日(金)4限目。発表会となりました。4年生も集合してどういった発表をするのかと気になっているようです。
さらに、もうひとり興味深い人物も混ざっております。注意深くご覧ください。^^


ひのくに2020発表開始。
今年は4チームあり、すべて雑誌メディアでした。取材内容そしてどうしてその記事構成にしたのかという視点で発表は行われます。
なお、成果物は10ページ以上の冊子とすることという条件が付けられています。

発表1番手は「肥後日日新聞」チーム。デスク担当の3年(18)村田を中心に発表していきました。
このチームは事件の真相をほぼつかんでおり、事件関係者の人物相関図も完璧なものが出来上がっていました。優れた取材ができていたようです。


2番手は「週刊ダスト」チーム。男3人のこのチームは、雑誌はとりあえず出来上がっていましたが、取材が今一つだったようで、記事に訴える力が少し不足しているようでした。


3番手は「女性ナイン」チーム。こちらは女子学生3人チーム。ここが一番、取材に積極的でまた取材マナーも非常に良かったと4年生から評価されていたチームです。記事の構成も女性週刊誌に適したものに仕上がっているように思いました。サプライズ参加していた方が、この週刊誌の読者層となる女性心理をよくついていると評価しておりました。^^


最後は「週刊文秋」チーム。デスクの中山がこの期間に事情が生じて本格的にかかわることができなくて取材が出来なかったようで、スクープ的な記事に仕上がっていない印象を持ちました。また使わっている写真も、せっかくいるキャストでなくフリー写真とのことで、キャストの一人4年(17)松原は不満そうでした。笑
またメガネ店の広告になぜ時計が出ているのかとの素朴な質問も出てました。担当した(18)山本によれば、「ミス」だそうです。笑


発表が終わって4年生からの講評。
4年(17)宮嶋は取材態度をもう少し考えてほしいと伝えてました。

4年(17)稲富は、うまくひっかけるような質問をしてくるところがあり、取材の仕方がうまいなと思ったとの感想を話していました。


そして全体を統括した4年(17)岩奥が、この事件の全体像はどういうものだったのかという種明かしと、2週間続いたワークショップ期間中に4年生が3年生について気づいた点を伝えながら、全体リフレクションを進行しました。


次は4年(17)岩奥が制作した事件の真相を紹介する動画です。



岩奥の言動を横で見ていたのがサプライズゲスト。
2枚目の写真に写っていた人物が誰かわかったでしょうか?
興津会会長のOG(03)宮川です。
この日、ちょうど時間が出来て大学に立ち寄ってくれ、その時にちょうどひのくにワークショップの発表会だったわけです。
このワークショップは、宮川たちのときに初めて行いました。
その時からやり方や内容は少し変わっていますが、もう十数年前のことです、「覚えている?」と聞いたら、辛うじて覚えているようで、懐かしく思いながら後輩たちの発表を聞いていたようです。

発表全体をみて宮川は4年(17)岩奥を絶賛しておりました。
確かにうまかった。
なので、私の出る幕はなく、一応は講評しましたが、付け加える必要もないと思ったので、私からの講評は「神は細部に宿る」との話を1,2分ぐらいして終わりました。


さて、大学に久々に顔を出してくれたOG(03)宮川。
私に会う前に、4年(17)阿部が証拠写真を撮ろうと思ったところ、一緒に撮ろうとなったようです。

ガリラボにお土産を置いて行ってくれました。この夜、22時ぐらいまで4年(17)岩奥、宮嶋、河野に私も入って駄弁っていたのですが(ゲームの話を散々教えてくれました。もう何も記憶にありませんが)、その間に、このお土産をいただきながらでした。
感謝。




<おまけ>
この日は5限目にプレゼミもありました。最後のプレゼミも発表会。高校と大学との学びの違いについて感じたことを発表しなさいという課題(ただし、パワポは使用禁止でという条件)。1年生ですが、みんなしっかりしていて驚きます。




2020年7月18日土曜日

19ゼミ生初顔合わせ

7月17日(金)、コロナ禍の中、金曜日は前期の最後の授業日となりました。
その昼休み、ガリラボの新しい顔となる19(いちきゅー)ゼミ生の顔合わせ会が開催されました(全体統括は3年(18)中山ゼミ長)。


ガリラボは4年(17)生が12名、3年(18)生が11名、そして2年(19)生が13名、そして(18)生が1名で、全部で37名のコミュニティとなるわけですが(院生3名を入れると全部で40めいとなります)、その全体を統括するのが4年(17)岩奥ゼミ長です。
冒頭、私の簡単なあいさつの後、岩奥が「ガリラボ心得」を配布して「ガリラボとは」というのを19ゼミ生に伝えておりました。


その後は19ゼミ生13名がそれぞれ1分間で自己紹介。みんなしっかりしているように感じました。


最後、サプライズで(18)山本もさわやかな新人挨拶。2年後期は筋トレにはまってましたということでした(笑)。


2年生の挨拶が終わると、今度は上級生によるガリラボ内サークルへの勧誘大会。

まずは広報部。代表して3年(18)伊東が広報部紹介と一緒に広報紙を作ろうと誘ってました。


次はガリラボの白亜祭実行委員会。11代目となる委員長は4年(17)河野。
白亜祭実行委員会に入って企画力と実行力を高めましょうと誘ってました。


体育委員会。14代目となる委員長は3年(18)小林。今はほぼ男ばかりなので、ぜひとも女子学生に入ってほしいと訴えてました。私もそれはそう思います。男ばかりだと、企画に緻密さが欠ける傾向があるように感じますので。特に昨年とか。笑


最後に興津会実行委員会。委員長を務めるのは3年(18)中山で、13代目となります。
今年はZOOMでの開催となるので、かなりのアイデア力、企画力が要求されそうです。


最後に19ゼミ生と(18)山本とで記念撮影。

1名、熱発で不在のため、後日、この集合写真の中にPhotoshopで合成をしてもらいます(4年(17)岩奥に依頼中)。
 
ガリラボコミュニティの皆様、新しいガリラボの仲間をどうぞよろしくお願いします。



2020年7月17日金曜日

初会合~たま応援隊x玉名市

本当は先週の予定でしたが、爆破予告の影響で本日となった
  たま応援隊x玉名市の初対面会議
です。
たま応援隊の4年(17)園田と松原により、たま応援隊が考えていることをプレゼンし、その後は意見交換でした。2時間ぐらいの会合となりました。


先週であれば、玉名市からも多くの人が参加できたのですが、日程が変更になったために、玉名市からの参加者が財津さんだけになってしまいました。

新しいメディアへの挑戦についての支援は当然してもらうでしょうが、今後、賞品付きのキャンペーンについてもどの程度の協力ができるか、持ち帰ってもらうことになりました。
 
2時間近く意見交換をして、最後に、記念撮影して散会。





2020年7月16日木曜日

OG(M13)坂口の来訪/白亜&Artract会議

教頭先生として天水中学校に赴任している大学院OG(M13)坂口が昨晩やってきました。
本当は先週の予定だったのですが、爆破予告騒ぎのせいで延期にさせてもらい、それで昨晩になったのでした。
約束の時間ちょうどの19時に到着し、それからすぐに天水中学校で取り組もうとしている総合的学習の時間を利用したプロジェクト学習についての相談の受けました。
子どもたちは、小学校に入るとそれからずっと年齢で輪切りされたフレームワークの中に入れられて学習をしていくことがほとんどです。
天水中で考えていることはそこに縦軸を導入する仕組みを考え出して、実践を始めようとしているところでした。
しかもそれが全学的な取り組みになっていて、聞いていると大変そうです。
コロナ禍でそれまでやっていたことが出来なくなったため、先生方と一緒に必死で知恵を絞りたどり着いたアイデアのようでした。
さすがは坂口ですね。
コロナで大変な時に、それを乗り越えるためにさらに大変なこと導入しようとしているわけです。
話が前後しますが、翌朝届いたメールには、「覚悟を決めました」とありました。
恐らくあちこちで、新しいアイデアが生まれ、そして具体的な行動となっているのだと思います。


M1(20)アクストも加わり、3人での夜の議論(?)は22時過ぎに終了。
3時間ほど議論していたようです。
もちろん、本題以上に、雑談の方が多かったですけど。笑


翌朝、坂口からWordファイルが添付されたメールが届きました。

大学院時代の癖でしょうが、何かやった後の振り返りをしたそうです。
それを文書にまとめ、こういうことだったでしょうか、とのこと。
少し手直しして返送しましたが、昨晩遅くに帰宅し、朝にはこうした振り返りの文書が届いたわけで、それに驚きました。
ちゃんと睡眠を取っているのでしょうか。
パワフルさに驚かされます。
見習わねばと思います。

今日はガリラボの動き。
昨晩、坂口の熱い話の場に同席したM1(20)アクストは、今日は管内の教育委員会にて教育長さんに研究協力のお願いに出かけていきました。
その報告を夕方もらい、教育長さんが「ならば」ともう少し調査の範囲を広げてはどうかと提案をされたようです。
現在考えている範囲でも結構な広さなので、それをさらに広げるとなると・・・・。
「どうしましょうか」ということで、来週、作戦会議をすることになりました。

お昼、ガリラボの白亜祭実行委員長4年(17)河野が出てきて、全体の招集会議に出かけていきました。
戻ってきて、ガリラボの白亜祭実行委員が全員集合。
4年(17)河野、園田、橘、3年(18)河合、中村で企画を練っておりました。
お化け屋敷をテーマにした企画が徐々に進んでいるようです。

私は会議で不在でしたが、15時からはArtractが企画会議をしたようです。
4年(17)橘、河野、岩奥、西、川上で、明後日(7/18)から始まる県美の「江戸の動物絵大集合」展を紹介する企画を練っているようでした。
シリーズものになる予定で、その予告動画を開会日には発信するはずです。
どんなのが出来上がってくるのでしょうか。楽しみですね。

18:30からはM2(19)塘添との院ゼミ。コロナ禍での大学生のアイデンティティをテーマに研究を始めました。理論的基盤は随分としっかりとしてきたので、今後はそれを問題意識を明確にしていくことが課題となります。
一方、M2(19)福嶋についてはもう混沌としたところはなくなり、調査内容が明確になっているんで、今は2000~3000人を対象に調査に邁進しているところです。ただ、仕事しながらなので大変そうですけど。




<追記>
今日の熊日新聞に「泥まみれのアルバム」とのコラムが掲載されていました。
私もアルバムの重要性はものすごく理解しております。
アルバムの劣化が進んでいたので、思い立ち、30年分ぐらいになるわが家の紙媒体写真を電子化する作業を数年計画で進めています。その過程は、自分の人生の振り返りになっていて、大げさかもしれませんが、なんだか自分が生きてきた証がそこにあるように感じました。


東日本大震災でこうしたアルバムの修復を行った方々は
  災害ボランティア[思い出サルベール]
という名称でグッドデザイン賞を受賞されています。
この取り組みで、災害ボランティアというものの多様性を教えてもらいました。
次のガリラボ通信でそれを紹介しています。
ガリラボ通信2017/8/21




2020年7月15日水曜日

記事「このままで街がなくなってしまう」を目にして

ひのくにワークショップの原稿は本日の23:59で締め切りとなります。
コロナ禍で大学での作業がほとんど出来ないため、ガリラボで様子を見ることができません。
進んでいるのか、進んでいないのか、全くわからずです。
自宅のPCではどうも今一つといって3年(18)高田は出てきていました。
今日やってきたのは、午前中にM1(20)アクストとゼミでしたが、学部生で出てきたのは高田のみ。空間を共有すると、多少なりとも会話が発生するものです。
高田にはいくつかアドバイスはしておきました。それを取り入れたかどうかは不明ですけど。笑

さて、今朝の熊日1面では衝撃的でした。
タイトルの「壊滅的被害」の後、リード文は「このままで街がなくなってしまう-。」との書き出しで始まっています。
それを読み、一瞬、動きを止めてしまいました。
熊本地震の時、ここまでの衝撃的な表現はなかったように記憶しています。
県南部の深刻さの程度は想像をはるかに超えるレベルにあるようです。
今現在も非常に大変な状況でしょうが、この記事を読み、場合によっては次のステージの方がさらに困難が待ち受けているのでないかと、そんなことを想像してしまいました。


県南部の復興に向けた作業は並大抵のものではない可能性が高そうです。
水の被害はほんとにひどい。
津波によって壊滅的被害を受けた東北地方のある一定の広域市町村に同程度のレベルでの支援が必要となるのに違いありません。



2020年7月14日火曜日

卒業生2人からの連絡

最近、卒業生2人から連絡がありました。

ひとりはOB。
9月に結婚式の予定でしたが、コロナ禍によって延期にすることにしたそうです。
色々な方々との相談の結果とはいえ、苦渋の決断だったのに違いありません。
ただ、私の家内にも人気のあったしっかり者の卒業生です。
式自体は延期になったにしても、希望に満ち溢れた生活がこれから始まっていくことでしょう。

もうひとりはOB(15)宿利。
4年生の時、玉名の活動で使っいていた360度カメラを購入したそうです。
宿利の住む日田地方は、数年前の九州北部豪雨では甚大な被害を受けましたが、今回の豪雨でも被害がでています。災害ボランティアに行った際、何らの記録として使えるのではないかということもあって購入したようです(さすが)。


宿利からの連絡をもらって、こうした記録はほんと重要だと思いました。
たまたま熊本大学のホームページを見ていたら、熊本大学は県南部の被災地に入って、広域調査を行っていおり、調査結果の報告書が速報として出ていました。
被害の全容を記録しておくため、すぐ動ける近隣大学として専門的な調査を組織的に進めたのに違いありません。
内容は異なりますが、なんだか水俣病調査を(直接知っているわけでありませんが)みているかのようです。
災害現場では当事者や支援者はその復旧に向けた活動に従事しているため、記録というのは到底できません。
メディアがその役割を担い、災害報道によって貴重な記録が蓄積されていくことなりますが、学術調査はまた違った視点での客観的な記録となっていくはずです。
発災からの混乱が落ち着いたとき、そうした調査結果は重要な資料となると思いますので、大学ができる、そして近隣大学だからこそできる迅速な地域貢献のひとつのやり方なんだと思いました。
たまたまでしたが、ガリラボでは、熊本地震の時は発災から1カ月して大津町に入り、それから半年ほどかけてオーラルヒストリーの形で現地の人の声を拾っていきました。
特段意識していたわけではないのですが、熊本地震についてそうした記録が少ないことに後々気づきました。
県大は、熊本地震の際に多くのノウハウを学んだはず。ただ、学ぶ主体として重要な部署のひとつだったCOC推進室が解体されているのでノウハウが散逸しているのではないかと気になります。
  



2020年7月13日月曜日

卒論チームとの打合せ/ひのくにWSに関する衝撃

全国の多くの大学に対する爆破予告を受けてわが大学は大学封鎖に踏み切り、教員の学生も入れませんでした。
予告期間を過ぎても何事もなく、無事に大学が再開しました。
久々となる今日はArtractとは対面会議。そしてたま応援隊とはZOOM会議でした。

Artractとは7月18日から始まる県立美術館の「江戸の動物絵大集合!」にどんな形でアプローチしていこうかというのが今日のテーマ。

https://www.museum.pref.kumamoto.jp/event_cal/pub/detail.aspx?c_id=10&id=161&trk_kbn=A

対面で2時間ぐらいの議論でした。かなりの議論をしたので内容があやふやですが、即座に送られてきた議事録(文責:4年(17)岩奥)を参照すると、議論で出てきたコンテンツ(クイズ、解説風、リアル動物との対比)を使って、体験型とみなせるシリーズ作品を仕上げ、最後にはそれをまとめて子ども美術館につなげていくことになりました。
夏休み期間中の展覧会なので、Artractとしても子供向けのコンテンツ作りを行う方向でまとまったように思います。

次は4年(17)川上の手によるものだと思われます。これは子供向けなのでしょうか?笑



その後、たま応援隊とのZOOM会議。参加メンバーは4名(4年(17)園田、松原、阿部、宮嶋)。爆破予告で中止にしてしまった玉名市役所との会議について、内容を再度打ち合わせました。たま応援隊がやってきたこと、また今後やっていくことについて説明することになります。
今後やっていくことのひとつにTikTokでのPR活動があります。これまでの先輩たちが、ツイッターを開設し、そしてYoutubeを開設し、独自のPR活動に取り組んできたわけで、たま応援隊としても新しいメディアに挑戦すべく、そこで目を付けたのがTikTok。
4年(17)稲富が中心になって進めていく予定です。

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ところで、今日一番衝撃を受けたのはひのくに殺人(?)事件ワークショップのことでした。
取材される予定の4年(17)河野がいたので、取材の様子を聞いてみたら、なんと4チーム中2チームにしか取材を受けていないとのこと。
目がテンになってしまいました。
居合わせた17ゼミ生の多くにも衝撃が走っているようでした。
取材可能な人物を取材しないというのは、どういう理屈のもとで成立する話なのか。
ガリラボの活動では今後多様な取材を行っていくことになるので、そのトレーニングの場としてもう10年以上このワークショップを継続してきたわけですが、取材をしないという選択をしたのはたぶん初めてのはず。
何故取材しなくてよかったのか、その理屈につての説明をしっかりと聞かなければと思います。
当然ながら、取材されると思って予定を空けていた4年生たちも聞いてみたいと思っているはずですので。
7月17日が発表の日となります。


  

2020年7月11日土曜日

リベラルアーツとしての美術教育

今日は発行をお休みするつもりでしたが、次の本を知って書き留めておきたくなりました。

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中学校の美術の先生が書かれた次の本が話題になっているようです。
Amazonで見てもかなりの書評があって、しかも評価も高い。


この方、美術の授業で、美術を学ぶのではなく、美術を題材にしてものの見方などを学ぶという視点で授業をされているようで、次のように語られています。
美術を通して、その先にある「本質的なもの」を学ぶ。もう少し具体的に言えば、「ものの見方」を広げる、とか、「自分なりの答え」をつくる――それが大事だと私は思っているんです。(ダイヤモンド・オンラインより)

これは美術を専門教育ではなく、一般教育としてみたときのものです。きちんとそうした区別をされていて見事なものです。これまであまり区別がなかったのですかね。一般教育としての美術はまさにリベラルアーツだと思えます。
こんな授業を受けていれば、私などももう少し多様な視点を持つことが出来たのかもしれません。

一般教育と専門教育がうまく区別されずに授業が行われることが意外に多いのかもしれません。大学でもその区別があまりできてないものもたくさんありそうです。
私が担当しているキャリア形成論などもそのあたり未分化な状態です。
 
美術館に通うようになり、学芸員さんの話を聞く機会を多く持つことができるようになりました。
どの年代の、どの地域の美術品、どれをとっても解説を聞くと面白いものばかりです。
美術品を通して色々な学びがそこにはあります。
Artractのメンバーとは美術館の広報のお手伝いをしていますが、美術を通して学ぶという点もうまく広報していけるといいかなと思います。
特に今は視覚障害の方に対し、絵などの美術品をどう紹介していくかを大事なテーマにしています。その点について、「13歳からのアート思考」から、少しヒントをもらえた気もします。

余談ですが、ガリラボには美術の才能に秀でたゼミ生が多くいます。
卒業したOG(15)八並とかかなりすごかった。
それと次は、4年(17)岩奥が今日のArtractツイートに添付していたぬり絵です。
おうちで美術館の支援として行っている取組みです。
ガリラボには色々なタレントが揃っております。




別件ですが、次は、リクルートワークス研究所の調査結果です。
ネットでのアンケートで、しかも600人程度の調査ですが、その調査データから高校生を8つのクラスターに分けることができたそうです。
それによれば、Type2「プロ突進タイプ」は2014年に25%だったのが2019になると34%となり、他のクラスタに比べると大幅に増えているそうです。
なりたい自分を明確になっていることはすごく良いことです。
しかしそれは、リベラルアーツが不足しがちになる可能性を持っています。


私などは中学の時から完璧にType2でした。そのために専門教科だけを重視して学びを深めていったのですが、今思うと、両方の重要性にどこかの時点で気づくべきでした。
「突進」をしていたので残念ながらそのことに気づかずに・・。
ある時、例えば、プログラミングなどもどんなものでも作れる自信が出来たものの、ただ何を作っていいかがさっぱり分からないという・・・。
人間のことをあまりにも学んでなさ過ぎたと、随分と年齢が重ねてから気づきました。
一般教育というのは、非常に面白いのだと、魅力に気づかせてくれる授業は、Type2の学生たちには特に必要かもしれません。
私の学部では、公務員を目指している人が多くいるはずですが、そうした人たちはType2の人もいるはず。災害が発生したときその対応の核となるのが公務員。そんな人たちには一般教育は当然ながら大切なんだろうと思います。
 
そして私などがその代表例ですが、TYpe2が多くいるはずの大学教員自体がそれに該当しそうで、昔で言えば、丸山真男が「蛸壷」の比喩でそれを表現していました。また、蛸壺内で絶対的地位を獲得してしまうと、今度はそれが絶対的ゆえに、蛸壷から出ると、他の蛸たちと、マックス・ウェーバーのいう神々の闘争を繰り広げることになります。
ただそれも、自分たちの中でそれが閉じていれば問題はなく、筒井康隆が描いた「文学部唯野教授」のような感じで闘争をしておけば、自分たちにとってはそれがやりがいになって幸せではあるのかもしれません。

 




2020年7月10日金曜日

網革命

今日もまた雨になっています。
いつまで続くのでしょう。シトシトレベルだったらまだ我慢できるのですが・・。

さて、ある方が、こんな年表を作っておられました。

2001年 同時多発テロ
2011年 東日本大震災
2020年 新型コロナウィルス感染拡大

熊本場合は地震と今回の水害などがあるので、少し異なる年表になりますが、おおむね、世の中を大きく動かす出来事が10年ぐらいにおきに起きていることがわかります。

どの事件も人とのつながり(絆)について考えるきっかけになったように思います。
テロは、米国にはとっては多くの人のつなぐ方向に向かいました。
東日本大震災は日本人全体をつなぐ方向に向かいました(「絆」という言葉が広く普及しました)。
コロナ禍は、人のつながりをオンラインに向かわせる方向に駆動していて、オンラインはごく当たり前になってきました。
大学封鎖中ですが、ゼミでは卒論チームがZOOMを使って活動しているようです。

社会は
 狩猟社会 1.0
 農業社会 2.0
 工業社会 3.0
 情報社会 4.0
へと変化してきて、今後の5.0への転換していく中で、明らか
 ネット革命
が並行しています。

ネット(網)は、このコロナ禍によって人とのつながりのあり方をどう変化させていくことになるのでしょう。


ところで今日は爆破予告の最終日。
全国で予告された大学ではどうだったのでしょう。
ある方が、熊本だとこんなに雨なんだから爆弾の火薬もしけって不発になるのではないかと冗談を言ってましたが、実際、冗談で終わるようになってほしい。
ほんと人騒がせです。
犯人はぜひとも捕まえてほしい。


2020年7月9日木曜日

ガリラボ白亜祭の方向性決まる

大学が封鎖され身動きが取れないようにも思いますが、オンラインに慣れた我々からすると全く問題ありません。
木曜日はガリラボの白亜祭実行委員会(委員長4年(17)河野)の定例ミーティングの日。
委員会メンバーの
 4年(17)河野、園田、橘 3年(18)河合、中村
の5人でZOOMで打ち合わせをおこなったようです。
打ち合わせた内容について、詳しい議事録が河野から届きました。
しっかりとは読めていませんが、次の大きな赤い文字には目が留まりました。

11月になってリアルな白亜祭は中止かあるいは大幅な規模縮小が考えられるので、オンラインでもやれるものを考えておいた方がいいとアドバイスしていた結果が、上のアイデアのようです。
ちらちらと企画を読んでみましたが、まあ色々とアイデアがでていて、どれも非常に面白いんです。
楽しそうです。
リアルな白亜祭が実施できた場合には、Society5.0時代にふさわしいリアルとサイバー空間とを融合させて企画していくのもいいかもしれません。
まあ、それにしても楽しい企画を考えてくれました。
これを具体化していく過程で、面白味が失われていかないよう、私も支援を惜しまないつもりです。
これまでにないガリラボの白亜祭が実現しそうです。^^


昨日撮影できなかったの車両門の様子です。
守衛さんが門を閉めようとされています。
物々しい限りです。


この写真はバスの中から撮ったものです。バスに乗るのはたぶん1月以来、半年ぶりです。
そして街にでかけるのも半年ぶりです。
コロナで中止になっていた会議がようやく開催され、鶴屋東館まで出かけてきました。
一部の県内大学の学長あるいは副学長が集まる会議で、休憩の際には各大学の事情について色々と情報交換してきました。
熊本大学も爆破予告が届いているはずですが、わが大学ほどには厳重な封鎖はしていないようです。所帯が大きいのでとても無理ということでしょうか。だいたい、病院を持っているので封鎖しようにもできないでしょうから。警戒はかなり厳重になっているようです。平成音大の学長さんとの会話が楽しかった。音大での遠隔や対面授業は大変そうです。それをまたユーモラスに話されるので、不謹慎ながらも笑ってしまいました。