2020年7月11日土曜日

リベラルアーツとしての美術教育

今日は発行をお休みするつもりでしたが、次の本を知って書き留めておきたくなりました。

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中学校の美術の先生が書かれた次の本が話題になっているようです。
Amazonで見てもかなりの書評があって、しかも評価も高い。


この方、美術の授業で、美術を学ぶのではなく、美術を題材にしてものの見方などを学ぶという視点で授業をされているようで、次のように語られています。
美術を通して、その先にある「本質的なもの」を学ぶ。もう少し具体的に言えば、「ものの見方」を広げる、とか、「自分なりの答え」をつくる――それが大事だと私は思っているんです。(ダイヤモンド・オンラインより)

これは美術を専門教育ではなく、一般教育としてみたときのものです。きちんとそうした区別をされていて見事なものです。これまであまり区別がなかったのですかね。一般教育としての美術はまさにリベラルアーツだと思えます。
こんな授業を受けていれば、私などももう少し多様な視点を持つことが出来たのかもしれません。

一般教育と専門教育がうまく区別されずに授業が行われることが意外に多いのかもしれません。大学でもその区別があまりできてないものもたくさんありそうです。
私が担当しているキャリア形成論などもそのあたり未分化な状態です。
 
美術館に通うようになり、学芸員さんの話を聞く機会を多く持つことができるようになりました。
どの年代の、どの地域の美術品、どれをとっても解説を聞くと面白いものばかりです。
美術品を通して色々な学びがそこにはあります。
Artractのメンバーとは美術館の広報のお手伝いをしていますが、美術を通して学ぶという点もうまく広報していけるといいかなと思います。
特に今は視覚障害の方に対し、絵などの美術品をどう紹介していくかを大事なテーマにしています。その点について、「13歳からのアート思考」から、少しヒントをもらえた気もします。

余談ですが、ガリラボには美術の才能に秀でたゼミ生が多くいます。
卒業したOG(15)八並とかかなりすごかった。
それと次は、4年(17)岩奥が今日のArtractツイートに添付していたぬり絵です。
おうちで美術館の支援として行っている取組みです。
ガリラボには色々なタレントが揃っております。




別件ですが、次は、リクルートワークス研究所の調査結果です。
ネットでのアンケートで、しかも600人程度の調査ですが、その調査データから高校生を8つのクラスターに分けることができたそうです。
それによれば、Type2「プロ突進タイプ」は2014年に25%だったのが2019になると34%となり、他のクラスタに比べると大幅に増えているそうです。
なりたい自分を明確になっていることはすごく良いことです。
しかしそれは、リベラルアーツが不足しがちになる可能性を持っています。


私などは中学の時から完璧にType2でした。そのために専門教科だけを重視して学びを深めていったのですが、今思うと、両方の重要性にどこかの時点で気づくべきでした。
「突進」をしていたので残念ながらそのことに気づかずに・・。
ある時、例えば、プログラミングなどもどんなものでも作れる自信が出来たものの、ただ何を作っていいかがさっぱり分からないという・・・。
人間のことをあまりにも学んでなさ過ぎたと、随分と年齢が重ねてから気づきました。
一般教育というのは、非常に面白いのだと、魅力に気づかせてくれる授業は、Type2の学生たちには特に必要かもしれません。
私の学部では、公務員を目指している人が多くいるはずですが、そうした人たちはType2の人もいるはず。災害が発生したときその対応の核となるのが公務員。そんな人たちには一般教育は当然ながら大切なんだろうと思います。
 
そして私などがその代表例ですが、TYpe2が多くいるはずの大学教員自体がそれに該当しそうで、昔で言えば、丸山真男が「蛸壷」の比喩でそれを表現していました。また、蛸壺内で絶対的地位を獲得してしまうと、今度はそれが絶対的ゆえに、蛸壷から出ると、他の蛸たちと、マックス・ウェーバーのいう神々の闘争を繰り広げることになります。
ただそれも、自分たちの中でそれが閉じていれば問題はなく、筒井康隆が描いた「文学部唯野教授」のような感じで闘争をしておけば、自分たちにとってはそれがやりがいになって幸せではあるのかもしれません。

 




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