2020年7月31日金曜日

ガラシャの生涯〜胡桃に酒

コロナの影響もあり、ガリラボにゼミ生が長く居ることもなくなり、必然的に私も居る必要がなくなり、早めに帰宅することが多くなりました、
少し前まではガリラボを出るのが23時というのがしょっちゅうだったのですが、今は(年齢のせいもありでしょうが)どんなに遅くても22時前に出るようになりました。
コロナの影響が本格化してからゼミ生ともZOOMで話すことを多く、そうなると自宅でもできるので益々帰宅が早くなりました。

帰宅が早くなったせいで、鶴瓶の「家族に乾杯」という番組をたまたま見ました。
(その後は見ていないので、このときたまたまだったのですが)鹿児島が舞台。
しかも日置市。OB(12)尾堂が住んでいるところです。
2008年に放送されたものでした。
鶴瓶さんがたまたま入ったところ(確か、トイレを借りに入られた気がします)が「沈壽官(ちん・じゅかん)」氏の工房だったんですね。
私も初めて知った方ですが、鶴瓶さんは司馬遼太郎氏の「故郷(こきょう)忘(ぼう)じがたく候(そうろう)」を読んでおられ、沈壽官氏がどういった生き方をされてきたかはご存知だったようです。
それが、たまたま入ったところにその方が目の前におられて、ほんとに驚いておられました。

豊臣秀吉の頃に遡る歴史の中で語られる方で、人間国宝にもなっておられる方でした。
番組を見ながらかなり気になり司馬遼太郎の本を取り寄せ、昨日届いたので、今日読了しました。
薩摩の焼き物の価値のルーツが朝鮮半島にあり、歴史の中を現在形として生きている人たちがいることを知りました。
コロナが収まり、鹿児島に出かけることができたら、尾堂に会いにいくついでに、ここに立ち寄ってきたいと思います(逆かな、ついでに尾堂に会ってくるのが正解かも。笑)
なお、尾堂たちもこのコロナにかなりの影響を受けることになりました。


ところで、この本は短編集となっていて、他に「胡桃に酒」という短編も収められていました。
続きで、なんとなくページをめくって驚きました。
「胡桃に酒」は細川ガラシャの生涯が描かれた短編でした。
読んでみて驚きました。
司馬遼太郎の描くガラシャ像からガラシャの人生ですが、それは辞世の歌
  散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
から勝手に想像していたものとは随分と違ったものになりました。
美貌の持ち主であったがために、その聡明さを発揮させることもできないまま、抑圧された生涯になってしまったことは大変残念なことでした。

コロナの影響で、室内時間が増えたせいか、読書する(できる)時間が増えました。
動画も見ていますが、それ以上に読書時間が増えました。
福岡大学の講義の中で「情報産業社会を生きる」というテーマで1コマ話をしています(今回は動画で)。
先週で15回が終わったので、最後のレポートにどの講義が印象的だったかとの質問をしたら、このテーマがダントツ1位でした。
動画を媒介にしたコミュニケーションが増え、ガリラボでもその流れに乗って動画制作を進めているわけですが、この授業は、読書の重要性を訴えるものになっています。
動画を見る人は読書してなくてもよいかもしれませんが、動画を作る側が読書をしてなかったら間違いなく薄ぺっらなものしかできないでしょう。
消費する側から表現を生産する側に回るとき、読書量は決定的な意味を持つようになるはずです。
義父である細川幽斎から「学がある」と一目置かれたガラシャの優れた知性も読書によって形成されたものでしょう。
おうちでは、動画を消費するだけに終わらず、動画を視聴しながらもそれを分析する眼を読書によって鍛える時間にできるといいですけどね。
今日で7月が終わります。8月は読書に耽り、充電する時間にしたいと思っています。

 
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コロナの感染拡大に伴い、大学の対応方針がワンランク上がったことは昨日も書きました。
現状が変わらなければ、後期に向けても遠隔での授業が継続することになります。
後期は私がメインにしている「情報社会とコンピュータ」の授業があります。
特別講師として熊本県、総務省、熊日新聞社から3人の方をお招きしていましたが、遠隔での授業をお願いするのは厳しそうなので2人の方にはお断りの連絡をしました。
コロナ以後の世界になってから、どういったことを起きているかを来年になって紹介してもらおうかと思います。
ただ、ひとりだけ、熊日新聞社の山口さんには今年もお願いしました。激動の年になった2020年、記者として取材の現場に身をおかれているわけで、その辺りのことも講義してもらえるといいかなと思い、無理を承知で遠隔授業の特別講師をお願いしました。快諾して頂きました。よかった。^^



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