先日入手した次の本「21世紀の民俗学」をパラパラと眺めました。
そこに「自撮り棒」についての記載があったのですが、驚いたことに自撮り棒とは
約30年前、1983年にミノルタ・カメラのアクセサリーとして発売されたのが最初
だったそうです。意外に歴史が古い。
その後は、カメラは、タイマー機能が主流となって自撮り棒は姿を消すわけですが、
2014年に再発見され、ブレークすることになりました。
こうした自撮り棒は、居合わせた全員を撮るという意味で、自撮り棒を使った
撮影とは、記念撮影の意味合いが強くなります。
カメラが誕生した頃、写真が高価だった頃は、写真とは、ある特別なハレ(晴)の
日の記念撮影の意味が強く、人生の区切りの日やどこかに移動する際にみんなで撮る
ことが普通であったようです。
昔は確かにそうでした。
ただ、現代はもうそれだけではなくなっていることは明らかです。
日常が、<記念写真>として撮影され、そうして固定されるようになりました。
その日常を撮影した写真が、私たちの記憶を形成していくことになります。
先日のガリラボ通信で、写真をサルベージする災害ボランティアのみなさんのことを
紹介しました(ガリラボ通信2017/8/21)。
写真は、人々の記憶を形成し、家族アルバムとかは、家族そのものにもなっている
ようです。
私も頻繁に写真を撮っています。
それらはプライベートでは家族用のデジタルアーカイブに、大学のものはガリラボ通信
の中に埋め込んでいます。
ガリラボ通信は、もう今は非常に大事な記憶になっています。
もしこのガリラボ通信が消えることになったら、果たして、どうするでしょう。
そんな事態、想像するのも恐ろしい限りです。
さて、冒頭の本の中に民俗学者の坪井洋史の「故郷の精神誌」の紹介があり、
この坪井さんが、1974年の多摩川の堤防決壊、1985年の長野県の地滑りという災害の
さい、罹災者たちは家庭アルバムや写真を探し求めたそうですが、そのことを次のよう
に記述されているようです。
水害に遭った狛江市や地滑りの被害を蒙った長野市の人びとが求めた
家庭アルバムは、その様相を少し異にしていた。それは現在われわれが
家庭に持っているアルバムを見ればわかることで、鶴見のいう人口移動の
契機や区切り目の思想による非日常の状態を撮ったものよりも、そうした
非日常を迎えるために、営々と生産的活動に従事し、努力している日常的
写真のほうが多いのです。写真を撮る空間や時間が拡大され、人間関係も
多様化していて、晴と晴とをつなぐ日常の生活に意味を求め、それによって
晴の写真にいたる経過を説明するという、ライフ・ヒストリーの性格を強く
もったものとなっていて、家や地域の居住区から離れたところまで拡大され
ている。
最近では写真を投稿するSNSがものすごい勢いで発展をしてきて、この中では
写真は記念だけのものではなく、ライフ・ヒストリーにおける過程を表現して
いく基本的な材料になりました。
facebookやInstagramとかを見ると明らかにそうですね。
従来は文字がその役割を果たしていたわけですが、文字がなくなることはないに
しても写真(さらには動画)というメディアが、ごく普通の日常を記憶をする
メディアとして今後はさらに重要なものなっていくことになるでしょう。
ほんと簡単に写真や動画が撮れる時代になったものです。
20年前だと想像もできないほどで、メディア活用について革命=パラダイム転換に
私たちは今現在いるのだと思います。
ただし、こうしたパラダイムの中で生き生きと過ごしていくための力を養っていくのに
手軽なのはやはり文字であり、本ではないかと思います。
本を使って、主体的に考えていく力をないことには、新しいメディアの活用は難しい
でしょう。
受動的に意識を駆動されるメディアによって時間を過ごさせてもらうのではなく、
夏休み中、色々な行動の合間に、ちょっと難しい本に挑戦し、主体的に意識を駆動
させていくことをやってみてはどうでしょう。
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