2020年2月9日日曜日

タンクマ休刊をメディア変化の流れの中で考えてみる

タンクマが休刊になるとのニュースが出たのが1月25日のこと(ガリラボ通信2020/1/27)でした。
その3日後に熊日の記者さんがノートとして次のコラムを掲載され、興味深く読ませてもらいました。


情報の摂取自体は皆がいつの時代でも必要としているはずです。
ただ、使用する媒体が変化することで、摂取の仕方が大きく変わったのではないかと思います。

グーテンベルクが印刷機を発明する以前は、人々はどのように情報に収集していたのでしょう。
おそらく、対面で、口頭でというのがメインであったはず。
口コミ(今も大事な情報収集方法です)。
対面+口頭というメディアの時代から、印刷物が普及し人々が紙から情報を摂取するようになると、それは口コミ時代の情報の作り方と同じではないでしょう。
話し言葉と書き言葉は大きく異なります。
琵琶法師では、リズムやアクセントを付加した音声情報の作り方が大事であったと思いますが、グーテンベルク以降の人たちが作り出す情報では琵琶法師が重視していた表現スタイルが使えないので、情報の表現の仕方(ここでは「文体」と呼びたいと思います)は随分と異なることになったはずです。

メディアの性質によって、人間はそれからの情報摂取が容易な形へと文体を変化させていくはずです。
現在のメディアは紙媒体とは大きく異なってきているわけで、今、この変化に合う文体作りが現在進行形で行われているのはないかと思います。
タンクマ休刊というのは、そうした過程の中で生じる出来事ではないかと思われます。

文体の変化については、ニューヨーク大学(確か)のクレイ・シャーキー(だったかな?)という政治関係の教授がTEDで語っていました。
現在のメディアの変革は、人々の政治参加を変えていきます。
そのためには、現代に合った文体を作り出していかねばならないのだと語っていました。

そこまでの大きな話は私にはわかりませんが、メディアの変化は、情報を伝え方について強い変化を促していることは間違いないだろうと思います。
これからは小学校からタブレットが当たり前になっていくわけで、このことは、プログラミング教育という一部の話ではなく、紙媒体ではない形での情報摂取を国民教育として提供していく点が重要ではないかと思います。
昔、CAIというコンピュータに支援された教育が重視された時、1980年代だったと思いますが、米国の大学ではCAI用としてコンピュータがばらまかれました。そこで生まれた変革は、CAI以上に、多くの人がメールやWordやExcelに慣れ親しむ機会を提供したことが大きな意味を持ち、それ以後、大学内での情報化が一気に進んだのでした。
デジタルメディアからの情報摂取が当たり前の人々が世の中のマジョリティになった場合、グーテンベルク以降に起きたような文体の変化が起きるはず・・・ではないかと思いますが、いかがででしょう。

熊日の記者さんの危機意識、よくわかります。
媒体の変化は、現在、琵琶法師がまだ多く存在している学校教育の現場の在り方も強烈に変えていくものだと思いますので。
でも、私も含め、そうしたことを危機と捉える教員は少ない気もします。
タンクマ休刊のような象徴的なことが学校教育においても起きると目覚めることになるのかもしれません。



0 件のコメント:

コメントを投稿