2020年2月24日月曜日

日常の意味~最期の「7日間」を読んで

連休でガリラボの話題が乏しかったので、私が感動した(最近知った)ある話を紹介したいと思います。
以下、私の個人的日記になっていますので、ご注意ください。
 
次の新聞投稿は2018年3月9日のものす。
SNSで瞬く間に広がり、何十万ものいいねで広くシェアされたそうです。
(それをつい最近、SNSではなく、フェースツーフェースの口コミで知りました。家内からですけど)。


詩の全文は、次のサイトにあります。
https://withnews.jp/article/f0180411001qq000000000000000G00110401qq000017141A

念のため、以下でも引用させてもらいます。
「七日間」
神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください
一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ
二日目には趣味の手作り 作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ 心残りがないほどいっぱい作る
三日目にはお片付け 私の好きな古布や紅絹
どれも思いが詰まったものだけど どなたか貰ってくださいね
四日目には愛犬連れて あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く
五日目には子供や孫の 一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って プレゼントも用意しておくわ
六日目には友達集まって 憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか そしてカラオケで十八番を歌うの
七日目にはあなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう
神様お願い七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ

この詩を読み、多くの方と同様、私も号泣してしまいました。
どれもが普通に暮らしていたときのことを表現したものです。
「日常」の大切さをガリラボでは(以前は)よく話していましたが、この詩にはそのことが強く表現されています。
ごく普通の生活の中、ごく普通のことをやっている中に、とっても大切なものが育まれていくことを教えてくれます。
そうしたことがわかるから、多くの方に共感されているのではないでしょうか。
(ただ、これは経験がないとなかなか共感はできないこともまた事実。実験してみましたが、若い世代への共感力は弱いようです ^^;)
私は、おととしの夏ぐらいから、休みの時に少し時間が取れるようになってきたので、片づけが主目的ですが、結婚してから今まで35年間の写真や資料を電子化してアーカイブ化する作業をやっています。
電子化したものはどんどん捨てています。
もう1年半近くやってますが、なかなか終わりません。
電子化したデータは、私の人生のポートフォリオを時系列に並べていく作業を並行してやっているのです。
遅々として進まない作業ですが、なんだか結婚してからの自分の人生を追体験している気分になります。
追体験の中で、何が大切なのかが少しわかってきました。
上記の7日間の詩の意味もよく理解できました。。
だから、号泣してしまったのかもしれません。

16ゼミ生のラストゼミについてのエントリーで五百旗頭前理事長の大学案内でのメッセージを紹介しました。⇒ガリラボ通信2020/2/2



自分のポートフォリオを眺めていく過程は、最後の「何を大事にして生きるかを考えるよき機会ではないかと思う」という前理事長のメッセージにある「機会」であったように思います。


振り返りの時、振り返りの材料を持っていることは都合がいいものです。
ただ、自分の経験を残していく作業は大変です。
特に日常を残すのは注意しておかないと消え去っていきます。
日常とはもろいものです。
日常は、その時々では当たり前のことなので、記録として残そうとは微塵も思わないからでしょう。
そこをあえて意識しておく。
そうすると、後々それらの記録は、貴重なポートフォリオとなっていくのではないかと思います。

今はそのための便利がツールがたくさんあります。
ちなみに、ガリラボの日常は、2009年からであれば、このガリラボ通信に残してあります。
私の目から見た一方的な日常ですけど。
私以外の誰かの役に多少でも立っていると良いのですけど。
 


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