2023年2月6日月曜日

ChatGPTの衝撃と私たちがやるべきこと

最近よくChatGPTがメディアに登場し、かなり注目を浴びています。
Microsoftがこれに1兆円投資したり、Googleが非常事態を宣言したりといったニュースも飛び交っています。次はそれらの紹介記事のひとつです。

私も、いわゆるアーリーアダプターとして、ChatGPTが公開された昨年11月末から割合早い時期に登録し、年が明けてから使っています。
使った感想はというと・・・、驚愕に近いものでした。
例えば、「情報社会について300文字で模範的なレポートを書いてくれ」というと、300文字程度でそれっぽいレポートを書いてくれるのです。しかも、非常に読みやすい日本語なのです。一部、学生たちの、推敲されていない奇妙な日本語よりはるかに読みやすい文章でした。
ChatGPTの登場に対し、クリエイティブ・ディレクターの佐藤尚之さんが、最近、次のようにつぶやいておられました。
「チャットGPT」にマイクロソフトが1兆円。
あぁ「検索の時代」が終わるなぁ。
「検索みたいなアナログで不便なものを使っていたんですね」とか、いま小学生くらいの子どもたちが成人した頃にきっと言われるなぁ。
でもさ。もし検索が廃れると、ボクたち個人が想いを込めて書いたブログとかコラムとか投稿とかって、見つけてもらえるのかな。
AIに集合知的にまとめられちゃって、サンプル数のひとつになってしまうのかな。
どうなるんだろう。
わからんけど、「オープン世界」の知識や知恵はAI側でまとめてもらって、ボクたちはコミュニティみたいな「クローズド世界」で共感しあって生きていくんじゃないかな。
そうなると経済圏にもそういう変化が波及して、少子化や超高齢化なんかの「今現在の課題」も、見方や捉え方が変わるのかもしれない。
万物流転。
おもしろいね。せっかくだから変化を楽しもう。

Googleが創業したのが1998年のこと。またネット検索という新時代を開いたYahooの創業は1994年のことでした。検索を軸にそれから1/4世紀ほど、ネットは単調に発展してきたのでした。ChatGPTは次の1/4世紀=2050年頃へと向かう発展の変曲点となっていくのかもしれません。
もちろん、こうしたニュースに盛んに取り上げられる状況なので、インフラとしてはまだ全く役に立っていないのでしょうが、これから先、あとどれぐらいでしょうか、よくわかりませんが、10年もすると「検索っていうのが昔あったらしいね」という状態になるのかもしれません。

ところで、次はChatGPTに私が聞いた結果の一例です。
何も知らない人だとこの結果を鵜呑みにしてしまいそうですが、これは全くのでたらめです。一心行の大桜は樹齢400年ですので、昭和とは無関係。そして、一般の人たちの目に留まるきっかけになったのは1999年のテレビ放映でした(こうしたローカルな情報は、ChatGPTの学習がまだ進んでいないようです)。
私たちに必要なのはChatGPTなどAIが出力してくる情報の正しさを見極めていく力になりそうです。
こうした力は、検索時代も重要な力であり、恐らく今の時代だけでなく、古来から必要な力であったのではないでしょうか(流言に惑わされないために)。

ChatGPTの衝撃は確かに大きい気がします。
私はたぶんこれから手放せなくなりそうです(有料プランが2月1日に発表されました(参考)が、有料プランまで使わないように思います)。
ただ、こうした新しい技術の出現は、歴史的に繰り返されてきたことであり、その意味ではChatGPTの登場も別に驚くべき事態ではありません。
もちろんすごい技術あることに違いありませんが、そのこと以上に、こうした技術が普及していくとき、私たちに求められる力とは何かということを考えることが大事ではないかと思います。
おそらく、その答えは流行とあまり関係ないところにありそうに感じています。

すぐ役立つものはすぐ役立たなくなる。