お昼にガリラボに戻ると、M2(14)吉村が片づけをしていました。
特に、大学院の2年間、吉村の定位置であった机の周辺を入念に掃除しているようでした。
見違えるほどキレイになりました。
吉村がここで過ごしていた痕跡がほとんどなくなった状態を見届けると、喪失感と
いいますか、何といいますか・・・・何とも言えません。
寂しさをうまく表現できないもどかしさを感じます。
修了(卒業)記念にと、ちょうどのサイズのコンパクトな水屋(お茶やコーヒーなどを
入れる棚になります)を寄贈してくれました。
色々と調べたんでしょうね。すっきり片付いて、有り難い限りです。
2年前の同じ日、3月28日は、吉村と卒論を共にしたゼミ同期OB(10)保坂がガリラボ
から巣立った日でした(ガリラボ通信2014/3/28)。
最後の最後に、iPhoneを探すという騒動を起こしていったのですが、「ガリラボ史上最大の迷惑男」の異名を持つ保坂らしい別れでした。
そして、その1年前の3月29日には、吉村の先輩であるOG(09)がガリラボを巣立ったのでした。
村中とは別れる際、最後の夜の雑談をしました(ガリラボ通信2013/3/30)。
よく村中とは夜になって色々と議論をしていたので(その頃は本部棟に行くことが
少なかったので可能でしたが)、その意味で、夜の雑談は、村中との最後の別れに
ふさわしい時間であったと思います。
吉村との最後は、片づけが終わってからすぐ、特に話をすることもなく、
吉村:色々とありがとうございました。
私: 4月から頑張れよ。
だけであっさりと終わりました。あっけないものでした。
時間にしてわずか10秒ほどだったでしょうか。^^;
6年間を共にしたと思えないほど、ほんとあっけないものでした。
色々と話をするわけでもなく、騒ぎを起こしていくわけでもない。
吉村とのガリラボでの最後は(繰り返しになりますが)ほんとにあっけないものでした。
ただ「ありがとうございました」とだけ告げ、それ以外は何も言わずに去っていったのです。
あれだけ、表現の重要性を伝えてきたのに、これ以上ないほど「シンプルな最後」でした。
(もっともこのシンプルさは互いに意図的だったような・・・。少なくとも私はそうでした)。
吉村がガリラボを後にして、吉村の車が動き出すのを研究室から見届けると、これまでの
6年間を思い出しながら、誰もいないガリラボで、ひとり自分の机でぼんやりとしていました。
しばらくして、ようやく椅子から立ち上がると、ガリラボテーブル上に手提げ袋がおいてあるのに気づきました。
一瞬何のことか、状況を理解できませんでした。
私が本部棟からガリラボに戻った時にはなかったので、私には何も言ってないわけですから、
吉村がゼミ生にと、置いていっただろうと思いました。
そう思いつつ眺めていると、遠目に「津曲先生」という宛名が書かれた封筒が見え、
それで完全に「???」となりました。
その直前、わずか10秒ほどの別れを済ませたばかりでしたから。
12ゼミ生が卒業して、ここしばらく、誰もいないことの多いガリラボで、ひとり静かに
手紙を、じっくりと読ませてもらいました。
吉村からこんな手紙をもらうのは初めてのような気がします。
(吉村が怒りそうですが・・・、以下、その極一部です)
校長先生!(笑)。
1年の時、吉村はある間違った判断でMOREに入りました。
そのためにガリラボと出会うことになり、そして、その出会いがなかったら面倒くさがりな
吉村がゼミ選択の際にガリラボを候補にすることもなかったでしょう。
いくつかの偶然が働いて(その偶然は、入試とから始まったような気がします)、この出会いが実現したように思います。
吉村の1年の時にMOREの間違って入ってくれた判断に、今は感謝しています。
出会えてよかった。
ガリラボの後輩たちに大きな影響を残した吉村です。
ほとんどのゼミ生が「ゆうこさん」と呼び、慕っていました。
吉村がいなくなり、ガリラボは大事な軸を失ったように思います。
(これから急ぎ新たな軸を作らないといけません。)
それにしても、お昼、吉村が立ち去る際、私は吉村のすぐ目の前にいたのです。
そこでの最後の会話は一言、二言だけでした。
まさかですね、置手紙での別れになるとは想像もしていませんでした。
恥ずかしがり屋なので思ったことをそのまま表現しきれないのですよね、きっと。
優しい性格なのに、ぶっきらぼうだし。気は利きませんけど。笑
そうした性格を総合して、置手紙という方法を使ったのでしょう。
4月1日からもまだ学内にはいるので、完全に巣立ったというわけではないのですが、
可能であれば、吉村とも最後は夜の雑談とかでじっくりと話をして別れてみたかったなと
今になって思います。
ただ今後も話す機会が十分にあるので、そんな必要はないのかもしれませんが、ゼミ生と
教員という関係ではもう無くなるので、今後は今までと同じような感じでは話はできないだろうとも思いますので。
吉村は、これまでたくさんいるゼミ生の中で、わが子と同じぐらい真剣に何度も怒ったゼミ生でした。
伸びようと愚直に頑張ろうとする意志がヒシヒシと伝わってくるゼミ生でしたので。
人は伸びようとしている人に手を差し伸べる性質を持つ動物です。
その特徴通り、私の方も可能なかぎり叱ったのでした。
その結果、もっとも印象に残る愛弟子となりました。
楽しかった。大変感謝している。
色々なことが今後あるのでしょうけど、自分の夢に向かって徹底的に考え、課題を
着実に乗り越えながら豊かな人生を歩んでいってほしいと思っています。
がんばれ、ゆうこ!
吉村が去った後のガリラボは、非常に静かでした。
静けさを破ってくれたのは、3年(13)飯沼。
お礼状を書いています。「どりぃむ」制作でお世話になった紫苑会事務局に出来上がった本をお渡しするのに添えるお礼状です。
お礼状が出来上がると、図書館で勉強していた3年(13)多賀を呼び出し、2人で紫苑会
事務局に「どりぃむ」を寄贈しに出かけていきました。
次は、紫苑会に届けた時の様子だそうです。
0 件のコメント:
コメントを投稿