2019年9月9日月曜日

明日からガリラボ通信再開します。

先週は4日間ほど旅に出てました。
その間、ガリラボ通信をお休みしてましたが、その後もしばしお休みし、明日からガリラボ通信も11年目を迎えるので(初回=ガリラボ通信2009/9/10)、そのタイミングにあわせ明日からガリラボ通信を再開したいと思います。
明日から本格的にガリラボの様子を伝えていきます。

本格再開する前に、今日はしばし通信を休む原因となった旅、その旅で回った中で2つの旅先について少し書いてみたいと思います。
もし地域のことについて興味があるようでしたら、以下、どうぞ。
  
今回の旅は九州北部の全県を車で回ってきました。
ただし、その行先は8割がた私の好み。
宿泊先だけを先に決め(1日目は大分、2日目は福岡、3日目が長崎)、Googleマップで移動時間を計算しつつ、行先とそれぞれの滞在時間を決めていきました。
3ページほどに旅行計画をまとめて出発。
 
旅先のひとつは大分県豊後高田市に昭和の町。
地域づくりとして有名なところだったので一度は行ってみたいと思っていて、それでこの機会に旅先としてチョイスしました。
展示館みたいなところがありましたが、これについてはまあどこでも、何とか実現できるだろうなと思いました。


ただ、ほんとに大変だったろうなと思ったのが、商店街全体が昭和の町に徹してイメージ作りに協力しているところでした。

商店街を端から端まで散策しながら、特に私も家内も子ども時代、昭和を生きてきただけに当時のものがどの商店にも陳列されている様子を楽しみながら観光させてもらいました。
「昔ながらのコロッケ」とか「昭和の珈琲」とかいただきながら。
お店ごとに個別の事情があるはずですが、その個別性を乗り越えて、町(商店街)全体でひとつのコンセプトとしてまとめていったのは並大抵のことではなかったはず。
ものすごいパワーをお持ちの方々がおられて実現したのでしょう。
感服しました。

昭和の町を訪問したのは9月2日の月曜日のこと。平日にも関わらず、観光バスが数台来ていて驚きました。
何もしなければ、単なる廃れた商店街だったはずですが、そのことをあえて認め、「廃れている」ことを徹底させてひとつのコンセプトにまとめることで「廃れていない」街へと昇華させるアイデアとそれを具体化していくパワーがほんとすごい。
(繰り返しになりますが)感服しました。



もうひとつ行ってみたかったのが「長崎さるく」。
長崎さるくは、現在の長崎市長さんが現職の市役所職員の時に企画し始められたものです。
地域のことを勉強し始めた随分前に読んだ本で、この長崎さるくを扱ったものがあり、そこには長崎さるくのコンセプトとその実現に向けた努力が詳しく書かれていました。
現在の長崎市市長さんが現職の市役所職員のときの熱意は相当なものだったようで、そうした高い熱量があって実現したようです。
そうした努力の結果生み出されたのが、「街をただ歩くことが優れた観光商品になる」ということでした。そのことを学び、なんとも衝撃を覚えたことを記憶しています。

長崎さるくの凄いところは、観光客側から開始時間を自由自在に指定できること。
個人単位でそれができるのです。
ネットでの予約だけで、ちゃちゃっと。
ネットでコースをこっちの都合の良い時間で予約すると、翌日には担当のガイドさんの名前が送られてきて、開始時間も私たちが指定した時間になっていました。
観光客はあちこちを動いている人も多いわけで、それに合わせてサービスを柔軟に調整できる仕組みがあるのは、そこが選ばれるための条件とも言えます。
着地型観光であれば多くの場合それは必要条件のようにも思えます。
ちなみに、私たち2人のためにひとりのガイドさんがついてくれてのまち歩きです。
こうした個々人の依頼にも対応しているのですから驚きます。

選んだコースは「龍馬が見上げた長崎の空」というもの。龍馬通りを通って初めて亀山社中跡を見ることができました。


ガイドさんです。

長崎さるくが始まった2006年からガイドをされているそうで、今年で13年目。
80歳とのことですが、坂道をひょいひょいと歩かれている様子から、年齢を聞いたときには私も家内もかなり驚きました。
ガイドをやってすごく長崎のことを勉強して、非常に良かったとおっしゃってました。
それと見事だったのが時間!
10時から予約して12時半終了の予定でしたが、コースをまわって終点に到着したのは12時半ジャスト。
観光客は次の予定を持っている人も多いわけで、特にこうした着地型観光を体験していく人たちにとっては時間は重要で(私たちもそうでした)、そのことを十分理解されてガイドされているようでした。

長崎さるくに参加してそれ以外に思ったのが、街の人たちにとって「さるく」が市民権を得ているというか、市民が長崎さるくのことをよく知っておられるように感じたことです。
集合場所が今ひとつわからず車でウロウロしたとき、駐車しているタクシーの運転手さんい「長崎さるく」といって話したらすぐに理解してくれて駐車場を教えてくれたこと、またガイドさんについて歩いていると、長崎さるくの観光客の私たちを見て日傘をさした(一般市民らしい)女性から「長崎はいいところですよ。ぜひ色々と回ってください」と声をかけられたりしました。
2つの経験だけ一般化する危険は承知の上ですが、きっと長崎さるくは多くの長崎市民に浸透しているのだろうと思いました。
地元の人たちが知らないことがうまくいくことはないでしょう。
長崎さるくは市民の協力を得て、それゆえに13年間安定(成長)し継続してきたんだろうと思いました。

他にも色々と回ってきました。
8月末には鹿児島・宮崎にでかけ、9月初旬に大分・福岡・佐賀・長崎と回ってきて、走行距離はトータル1400kmほどでした。
随分と車で走り、到着した現地では毎日10kmほど2人で歩きまわりました。
4日間で疲労困憊でしたが、それでも出かけることができたのは九州内の極々一部。
九州は広いものだと深く実感した旅でもありました。
 
 

家内が私に付き合ってくれた旅でしたが、家内の付き合いで出かけたところもあって、そのひとつが福岡にある宮地嶽神社。
境内からまっすぐに伸びる参道があり、道が切れている先は海、玄界灘です。
年に2回、境内からこの道の前方に夕日が沈むということで、ここは「光の道」と呼ばれています。
階段を上り、境内からの後ろを振り向いて見た次の光景にははっとさせられましたが、私はただそれだけでした。
しかし、家内にとっては、昭和の町よりも、長崎さるくでの龍馬よりも、この光景の方がはるかに印象的だったようです。
人それぞれ色々な感じ方があります。^^;




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