2015年11月28日土曜日

夢について漠然と考え、つらつらと書いてみました

グーグル米国本社の元副社長村上憲郎さんが、
  長期的なビジョンほど、誰にも見えていない。それは、ちょうど30年前に、
  電電公社が民営化され、その後、携帯電話がこんなことになること、イン
  ターネットがこんなことになることは1986年には誰も思っていなかっただろう。
と語っておられるそうです(参考)。
未来予測はあまり当てにならない、未来は誰もわからない、というわけです。
1986年というと私が大学を出て教員として働き始めた頃です。
その頃、インターネットはもちろんなく、パソコンもまだ普及していない頃でした。
その当時、どうやって仕事していたのか、思い出せないほどですが、
 もしもインターネットがなかったら・・・
とのテーマで、昭和のビジネスを再現した記事がありました(こちらからどうぞ)。
いやはや大変そうです。
信じがたい。
今だと一瞬で終わるようなことを、非常に時間をかけてやっているわけで、
昔は大変悠長な時代でした。
悠長な時代であったから、若い世代も仕事に余裕で、楽勝でついていけた。
だけど、今は仕事が新人が持つ人間の感覚を超えて、猛烈な勢いで流れる時代に
なっているように思います(全てがそうかどうかは不明ですけど)。
例えば、昭和の時代だと1週間かかっていた資料作りが、今だと10分で終わる
ことも珍しくないでしょう。
図書館に行って資料を探し、データを手書きで整理し、グラフなどは手作業で
紙の上に丁寧に清書して時代から、自分のデスク上でネット検索し、見つけたデータを
Excelにコピペしてグラフを瞬時に描いて資料を作っていく時代です。
ぼんやりしていて、こんな高速な時代についていけるとはとても思えませんね。
 
ところで、今、3年(13)生が「しょせきかプロジェクト」を開始しました。
そこでのテーマは「夢=どりぃむ」です。
夢とは多くは未来の出来事でしょう。
となると、上で述べたことから類推すれば、こうした夢の多くはそのまま実現する
ことはなさそうです。
特に遠い未来の夢であればあるほどそうなるでしょう。
夢を描いた時と、それが実現するであろう未来では、時代状況が全く変わっていて、
そして自分自身が変化しているわけで、そうした影響で夢は変化してしまうのに違い
ありません。

私自身が思うには、夢とは固定したものではなく、実はかなり変化するものでは
ないか、と。
もしも変化しないとするならば、その人は夢を実現したいと思っているだけで、
行動に移さず、前に進んでいない可能性があります。
当初、夢とは漠然としている。漠然としているけれども、その状態であえて前に
きちんと進んでいくことで、ぼんやりとしていた夢に徐々に形が与えられていき
クリアなものになっていく。
そういった(変化していく)夢を実現していくことも多いのではないかと思うのです。

次は、残念ながら先のプレミア12の準決勝で韓国に敗れた野球のナショナル
チーム監督・小久保さんの言葉です。
つい最近見かけた言葉ですが、これって夢を具体化していくための必要条件だと
思いました。


小久保さんは「花」と表現されていますが、夢のことと考えてよいでしょうね。
夢(花)は、目の前の現在をしっかりとやりきり、それを繰り返して、豊かな
過去(キャリア)が形成されていくことで実現(咲く)していくわけですが、
そのキャリア=軌跡は最初から決まっているわけでありません。
未来は誰にもわからない、のですから。
そうしたキャリアの結果として夢が実現した時、それは当初のイメージしていた
ものとは同じではないだろうと思います。
(ちなみに私の中学時代の夢は「エンジニア」でした。最近話題のTVの「下町ロケット」に
登場するよう人たちを目指していたのですが、残念ながらその夢は破れ・・・、orz)
外見上は同様の夢を実現している場合でも、前に着実に進んできた人にとっては、
その意味合いは相当に違っているでしょう、おそらく。

夢って単純ではなさそうです。当たり前ですけど。
「しょせきかプロジェクト」で3年(12)生はこの難しい夢の問題にどう立ち向かうのでしょう。
私の希望としては、そのことを徹底的に話し合ってほしいと思います。
真剣に考えないまま、取材に行くのは失礼でしょうし、それ以上に、真剣に考えていない
状態で出かけていっても取材の成果は大したものにならないし、あえて強く表現すると、
無駄になりかねない。
ということで、きちんと考え、深く考え、十分にみんなで議論してほしいと思います。
それをやること自体が、実は「しょせきかプロジェクト」の核心でしょうから。
「え〜、メンドー」とかまさか一瞬でも思わなかったですよね? 笑
「面倒」という言葉は辞書から捨てようとゼミ心得で伝えた通りです。
今目の前にあることこそが天職(取り組むのに値する大事なこと)であり、そこに
100%時間を使って(可能な限りの時間を使って)取り組んでいってほしいと
思います。
ということで、私もプロジェクトの一員としての義務感(?)から時間のあった今日、少しだけ
真剣に、そして調査もしながら考えてみた次第です。


さて、本日は久々にほとんど仕事をせず、溜まっていた私的な作業を処理するのに1日を
過ごしました。
体は使うものの、頭は暇だったので、夢の話題がつらつらと出てきて、それで
思いついたことを順に脈絡なくつらつらとここまで書いてきました。
全く見直していないので、非常に内容が揺れているでしょう、きっと。

読んで、酔いました?

4年生の卒論を添削する際、いつも私はこの酔いに苦しまされます。
酔い止めも一緒に送りましょうかと言ってたのは、確か4年(12)尾堂でした。
私にとっての優れた酔い止めの薬は、皆さんの徹底した推敲です。
どうぞよろしく。笑
 

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