「へー」と思って、提出者の名前を見たら3年(18)伊東でした。^^;
2020年9月30日水曜日
OG(15)八並からの突然の電話
「へー」と思って、提出者の名前を見たら3年(18)伊東でした。^^;
2020年9月29日火曜日
手ぶらでやってきた3年(18)村田の兄/地方創生政策アイデアコンテストチーム
仕事で大学に来たとのこと。ふらりと3年(18)村田の兄貴がやってきました。
村田の兄貴は手ぶらでした。
そのことを3年(18)村田に伝えたら、「注意しておきます」とのことでした。
なお、手ぶらでやってきた村田の兄貴は、帰り際に研究室の飴玉を取って帰っていきました。
そのことも3年(18)村田に伝えたら「嘘だと思いたいです」とのこと。笑
(妹は、ゼミ幹部としてしっかりしています)
3年(18)村田の兄貴とは、OB(15)村田のことです。
少し盛った表現にしましたが、相手がOB(15)村田だからです。許してくれるでしょう。
手ぶらでしたが、至って元気そうでした。
最近、生まれて初めての一人暮らしを始めたようです。
普通、卒業生が来ると、「卒業生」と「お土産」をセットにしてラベル(タグ)をつけるのですが、今日は「卒業生」だけしかラベルの付かない珍しい日でした。^^
なお、「次は何かもってきます」とOB(15)村田は飴玉を取りながら明るい声を残し帰っていきました。笑
2020年9月28日月曜日
卒業生からの結婚報告/学生GPチーム打合せ
2020年9月27日日曜日
半沢直樹:AirDropが急に有名に
今夜は半沢直樹の最終回。今年一番の視聴率を獲得したドラマです。どういった結末になるか今から楽しみデス(Death)。
金曜日の18ゼミで、夏休みの近況報告をしているとき、3年(18)宮川が「AirDropをさっと使いこなせるようになりたい」と話していました。
何のことかと思ったら、ドラマの1シーンで半沢直樹がAirDropを使うシーンがあり、あんな風にささっと使いこないのだということでした。
そんなに惹きつけるシーンなのかと思って「半沢 AirDrop」で検索してみると確かに色々とでており、次のような記事もありました。
2020年9月26日土曜日
アマゾンでの「よい会議資料」とは
アマゾンの会議資料は、箇条書き表現はNGだそうです。パワポでの資料作りはあまり推奨されていないということでした。
疑問に思う方が多いでしょう。
最近発売された次の書籍がその疑問には答えてくれるようです(私はまだ読んでませんけど)。
2020年9月25日金曜日
後期授業スタート(18ゼミ)
2020年9月24日木曜日
恒例のガリラボ大掃除
2020年9月23日水曜日
卒論・中間報告・地方創生政策アイデアコンテスト打ち合わせ
2020年9月22日火曜日
秋/コロナ禍を詠んだ学生川柳
さて、秋の到来は大学では後期授業の始まりの知らせでもあります。
後期もオンラインが続きますが、オンライン授業を受けた学生たちの気持ちを知るために、関西大学は、後輩学生の授業支援アルバイトをしていた学生25人に対し、コロナ禍のキャンパスライフを表現する川柳を募集したそうです。54句が集まったそうです。
「そうだよなー」と思うものばかりでした。
忘れてる 提出期限と 通学路
タイピング 上達したが 口下手に
繋(つな)がらぬ ネット回線 人づきあい
それ以外にも、次のような句があったそうです(聖学院大学も同様な川柳を募集したようで、双方の大学のものが日経新聞に掲載されていました)。
2020年9月21日月曜日
2020年9月20日日曜日
なぜ大学だけ、日常が戻らないのか
コロナ禍は、私たちに多様な変化をもたらしました。昨日書いた、オンライン文化もそのひとつでしょう。
それ以外にも、人々の日常に様々な影響を与えています。大学生への影響も非常に大きいでしょう。ただ、その中でも特に大学1年生への影響はかなりものがあるはずです。
私が非常勤講師をしている福岡大はすでに後期授業が始まっていますが、後期も多くの授業が遠隔で行われているようです。対面で行う場合、その必要性を申請しないといけなかったように記憶しています。私は当然ながら遠隔で行っており、学生の顔は見ることないままのオンデマンドの授業となっています。ただし、講義動画を事前に視聴した学生たちには授業時間帯だけ質疑応答の許可しているので、いわゆる反転授業を遠隔で実施しています。なので授業時間帯はPCの前に張り付いて質問をいつでも受けれる状態にしています。
そうした遠隔授業が後期も続くわけで、大学生には過去にあった日常が戻ってくることはありません。小中高校生には学校生活という日常が戻ってきているのに大学生だけ戻らないわけで、文句を言いたくもなります。
が、「それは諦めろ」とおっしゃっている方がいます。
人間の力ではどうしようもないことに文句を言うのではなく、現実をありのままに受け入れたうえで何ができるかを考える。そのほうが人生においては、はるかに有益なのではないかと思います。