周囲の田んぼを見渡すと、どこも稲穂が実り、黄金色に染まっています。
熊日の「きょうは何色」はその黄金色が紹介されていました。この時期なので、稲穂のことが出てくるのかと思ったら、なんと「漢委奴国王印」が出てきてびっくりでした。
作り物なのではないかと疑うほど、何も変化がなかったのですが、新芽が出ていることに気づきました。
新芽が出ているのをみて、気配を消しつつじっくりと、半年もかけて、新しい芽を自分の中で育てていたのかと思うと、少し感動してしまいました。
様々な人々が交差しコミュニケートする場としてのガリラボ。その日常を描写してきた記録です。
周囲の田んぼを見渡すと、どこも稲穂が実り、黄金色に染まっています。
熊日の「きょうは何色」はその黄金色が紹介されていました。この時期なので、稲穂のことが出てくるのかと思ったら、なんと「漢委奴国王印」が出てきてびっくりでした。
ガリフェスをやろうと、3年(20)の体育委員が企画を立てていたのですが、なんだか進みが遅く、直近になって「体育祭のようなもの」というタイトルで出欠調査が回ってきました。
周知が徹底していないこと、当初の予定で10:00~16:00という無謀な時間設定もあり、参加者は少なめ。
集まったのは3・4年生合わせて9名でした。それに私(津曲)を入れて10名。
隙間に少しだけ出てくることはありましたが、 先週は夏季休暇をまとめてとっていた関係で、今日はほぼ1週間ぶりのガリラボでした。
久しぶりだと、色々と溜まっていて慌ただしい1日でした。
なお、先週の1週間はリフレッシュではなく苦行の連続でしたので(体重が減りました)、ガリラボでの慌ただしさは、随分と心地よいものでした。^^;
午前中、溜まっていたペーパーワークをやって、午後は共通教育センターへ。
学生GP(地域連携型卒業研究)の制度が発足したのは2011年度で、それから約10年継続してきたわけですが、今年度から内容はそのままに名称が「地域連携型学生研究」と変わりました。
この変更を受け、地域連携型学生研究のロゴを学内に募集していました。本日、その表彰式を行い、私から総合管理学部の4年生に賞状と副賞を渡してきました。なぜ私が表彰式の場にいるのかというと、今年度、私は地域連携型学生研究の制度運営の責任者となっているためです(なお、来年度で退職ですが、来年度も担当することになりそうです)。
その後は、4年生との卒論面談。
今日は4年(19)元山と横山の2人。今週末の金曜日にはテーマ提出となっているのですが、それを今日話しているわけで、ギリギリ感は半端ないものがあります。
2人ともアイデアがふわふわしており、卒論テーマとしては非常に厳しい状態だったので、面談はかなり難航しました。
私はちょっと油断していたからでしょうが、昨年以上に難航している気がします。orz
あーでもない、こーでもないという話し合いをしている横で、3年生の緑コンの1チームが動画作成を精力的に行っていました。
昼前に、3年(20)松岡、江﨑、濱崎がでてきて、夕方まで、動画作成そして10月8日に発表準備をしていました。
こっちは事前準備は万全のようです。
あと、もうひとり、4年(19)中西が卒論のことを、ずっとやっていました。中西とは随分前に面談をしており、その時に計画した実験を現在やっているのですが、その途中経過を本日聞いて、吹き出してしまいました。実験結果は「暇」というのがキーワードでした。言われれば予想されることではありますが、それを実験的に検証して示しているわけで、そこが重要。そして、その実験をしていないときは「暇」というキーワードがでてこないようで、そこが興味深い。「暇」から色々な話が展開できそうで、面白い結果だと思います。
テーマを決めて、地道にやっていると、何か面白い結果にぶちあたるものです。「地道に」が非常に大切。4年生はぜひ「地道」にを念頭において研究を進めてほしい。
今日は 卒論面談の4人目・5人目として4年(19)川口、中西と午前中に話をしました。
9時ぐらい始めて、終わったのはお昼午後。2人で3時間ぐらいほど話をしていたようです。
2人とも漠然としていましたが、特に、中西はかなり漠然としていましたが、話をしていくことがカオスの状態に秩序(オーダー)が生まれていきました。
かなり昔に流行った、複雑系というものに相当するのだと思います(懐かしい)。
複雑系とは、カオス現象とかを扱う分野で、1990年代後半、すごく流行になったのですが(熱狂に近いぐらいでした)、しばらくすると下火になり、今はもう複雑系と言う言葉は少なくとも一般にはほぼ聞かなくなりました。ごく普通に利用するようになったということかもしれません。これと同様、今現在、流行している言葉もじきに聞かなくなることでしょう(いくつか思い当たります)。
流行以上に目を向ける必要があるのは、時代を経て生き残ってきた、いわゆる古典的なものだろうと、私は思っています。
古典的、伝統的なもので今に存在しているのは、時代に応じて内容を変革させながら、その時々でその時代に重要であったから生き残っている。
そうでなければ、淘汰され、消滅しています。
ホットで華やかな流行に、あえて目を背ける必要はないとは思いますが、流行だけに目を向けるのではなく、淘汰されず生き残ってきた古典(的なモノやスキル)をきちんと学んでいくことが、結局は、自分の未来を切り開いていくのではないかと思います。
大学の学生である今、流行の中にいて、目立つ必要はない。
消費されるだけです。
学生時代は、地道に、重要な古典をしっかりと確実に身につけていくことが将来にも使える武器を手にすることなり、最後は良い方向に行くのではないかと思います。
「急がば回れ」がこの場合大事かな、と。
話が変な展開をしてしまいました。
川口の時に複雑系の話をして、そしてその後、中西との話では、上に記したことを異なる言葉で話したように思います。
簡単に言えば、人には言葉が大事だよねーということです(あまりに簡単すぎて意味不明でしょうが、どういう意味は中西の卒論が出来上がったとき(随分先ですが)わかるはずです笑)。
じっくりと考えれば、テーマとは非常に身近にところにあるもので、流行に目が向き、熱狂に踊らさせると人は身近な優れたテーマも見えなくなるもの。
流行だけを追い、熱狂してしまうのは、非常に危険。
(参考)熱狂しつつも、冷静に~アラブの春のその後からの教訓(ガリラボ通信2015/3/22)
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19時からオンラインでの興津会実行委員会。
3年(20)濱崎(実行委員長)、松本、徳田が集合(藤田は急な用事で欠席)。
今日は午後から立入禁止としました。研究会にオンライン参加したためです。
開始30分前、指定されたアドレスを入力し、ZOOMの接続確認を終えて待っていたら数分後に突如ZOOMから退出させられ(ホスト側が停止したようです)、しばらく接続できない状態になってしまいました。
約30分後ぐらい、開始時刻を少し過ぎてから、メールで連絡が届きました。新しいアドレスが提示され、予定時間から遅れて研究会スタート。
それにしても30分近く、何も連絡がない状態のまま放置されてました。
状況がまったくつかめないというのはほんと困ります。
再開するつもりなのか、どうするつもりなのかがまるでわからず、九州各地から20名ほどの参加者がいましたが、遮断された状態のまま困惑していたのに違いありません。
再開後の対応も今一つで・・・。
ガリラボの興津会もZOOMでした。が、念のため、バックアップのチャンネルとしてLINEグループを立ち上げており、トラブルにはリアルタイム対応できるようにしていました。
ガリラボの方が危機管理がきちんとできてると、放置され困惑状態のときに思ったことでした。
災害のときはもちろんですが、平時でも、特に(インフラになりつつある)オンラインのときは(コロナ禍以後つながって当然という気持ちを多くの人が持っていると思うので)バックアップということを真面目に考えておかないといけないようです。
ついでに、、、
熊日に「きょうは何色」というコーナーがあることをご存知でしょうか。毎日見ているのに、気づいてなかったのですが、家内が教えてもらいました。家内も友達から聞いたらしく、この年代の方々にはどうも人気のようです。
今朝の色は次のようなものでした。赤のような、ちょっと薄いような…色ですね。
ニュースをみる限り、台風11号は県内では大きな被害につながらなかったようで良かったですね。
県内各自治体では避難所が開設されていたので、避難所で夜を過ごされた々も多くおらえたと思いますが、夜が明け、避難指示解除となってからは、みなさんほっとして自宅に戻られたのではないでしょうか。
朝は吹き返しの風が多少強かったですが、そこまでのことはなく、ここ熊本地方は少なくとも朝は通常通りでした。
私は今朝は健康診断だったので、朝7:30には日赤健康管理センターに出かけました。
至って、ごく普通でした。
秋の台風というと、「台風一過」で、過ぎてからは快晴というイメージがあります。
今回はそれがなく、過ぎた後も何だかどんよりとしてます。
秋にはまだほど遠いということなのかもしれません。
私は平成2年(1990年)9月19日の日本列島を縦断し大きな被害を出した台風19号により、住んでいた官舎が全壊させられた経験があります。
19号はピーク時は890hPaという信じがたいレベルまで発達した台風でした。
非常に古い官舎で、さらに子どもも1歳だったので、強烈台風を用心して前日のうちに車で1時間ほどのところにあった実家に避難していました。
台風一過で快晴となった翌日、実家から戻り、自宅の中に入り、室内からきれいな秋空が見えたときはほんと衝撃的でした。
まるでマンガみたいですが、屋根が全てなくなっていたのです。
何が起きているのかつかめず、むちゃくちゃになっている室内から、しばしぽかんと上を見上げていたように思います。
我に返り、破壊されるとき、子どもを抱えて自宅にいたとしたら、あの暴風の中でどうしていただろうかと想像してしまいました。
停電していたはずです。さらに、目の前はガードレールもなく道路と境目のない川があり、濁流になっていはずです。
室内から見える真っ青な秋空は、私の中では、身の毛もよだつ恐怖感とセットとなってます。
(この時、生まれて初めて「り災証明」なるものをもらいました)
台風にはこれからまだしばし気を付ける必要があるでしょう。それ以外の災害もありえます。
災害に対する意識、備えはきちんとしておかないといけません。
先日講演した研究会は、防災学習をテーマにしたものでした。私にとって平成2年台風19号は防災に関して強烈な教材で、防災についてはそれが起点になって考えているところがあります。
そうした生の被害経験によるものではなく、みなが自分事になれるような優れた学習プログラムが開発されるといいですね。