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2020年1月12日日曜日

とうらぶのパワー

4年(16)岡林から雑誌「BRUTUS」に刀剣乱舞が特集されているようですと教えてもらったので、dマガジンで電子版を見てみると2月1日号で特集されていました。

雑誌紹介に「各地の美術館に長蛇の列を作り、社会現象ともなった刀剣ブームを生んだ、革新的なゲームの世界に潜ります」とあります。
そして特集の最初のページは次で、ここに、編集部から
いま、日本に烈風のごとく吹き荒れる刀剣ブーム。振り返れば2015年の1月、その風が生まれた端緒のひとつのゲームの誕生だった。「刀剣乱舞ーONLINE」。5年の月日のうちに、魅力的なキャラクターと世界観はゲームの内外において広がりを見せ、もはや社会現象に。

とのメッセージがあります。そして、
BRUTUSがゲーム単体で特集を組むのも、40年の歴史において初めてのことだ。時代を象徴する作品の現在地を確認し、さらなる幸福の予兆を感じてほしい。

ともあります。ゲームに全く詳しくない私としては、このメッセージを読み、刀剣乱舞がかなり特殊なことなんだと認識しました。


刀剣乱舞が「とうらぶ」と呼ばれるようになったこと(「とうけん」の略であることに今更ながら気づきました)など、このゲームの始まりの経緯は次の「すべての始まり」にあります。
そして、ゲームを始める際の最初の一振りは、5つから選ぶのだとか。そこに「歌仙兼定」があるんですね。


歌仙兼定は、細川ガラシャの夫「細川忠興」の愛刀。それについて知ったのは、Artractと熊本県立美術館の細川ガラシャ展を取材したときのことでした。
ガリラボ通信2018/8/4


そしてこの展覧会のことを県美が事前予告でツイートしたら大変なことになりました。
次のツイートは7月24日時点のものです(ガリラボ通信2018/7/24)。
ものすごい勢いでリツイートされ、このツイートは、この日、リツート速度が国内で14位に入るほど凄まじいものでした。
刀剣乱舞、そして歌仙兼定の威力を思い知らされた出来事でした。



また、とうらぶが発表されてから5月後、2015年5月。玉名では、同田貫を巡ってあるハプニングが起こっていました。
 玉名フィールドワークとハプニングガリラボ通信2015/5/30
この時のハプニングは12ゼミ生のチーム「たまガリ」が遭遇したものですが、その後、13ゼミ生のチーム「たまラボ」が同田貫を積極的に活用して
 たまラボの玉名現地ロケガリラボ通信2016/8/20
広報に使うことになりました。
たまラボの活動が終わると、ガリラボ内では刀剣ブームは一時終息し、3年後の16ゼミ生のチームArtractで再燃することになるのですが、世の中ではずっとそれが継続していたようです。
ゲームの持つパワーはすごいものです。



2018年5月12日土曜日

「玉名に行かにゃん」増刷とチームたまラボと。

15ゼミ生の3年後期プロジェクト「たまbook360°+」で作成した「玉名に
行かにゃん」が玉名市役所で増刷していただき、昨日の午後、200部がガリ
ラボに届きました。感謝です。
来週にはこの冊子の出来具合について、アンケートにより評価してもらう予定です。


この夜、卒業したたまラボメンバー(OG(13)松崎・塚田)に会う予定があったので
早速、増刷した「玉名に行かにゃん」を渡しておきました。じっくりと見てくれて
ました。評価高かったように思います。^^;


どうして会うことになったのか理由は思い出せないのですが、2人の仕事の話を聞き
ながら、愉快な時間を過ごさせてもらいました。
話題豊富でほんと面白いメンバーです。
ところで、チーム「たまレンジャー」が玉名に関わった卒業生に「アイデア求む」と
依頼していました。
それについては「仕事が忙しく考えるのが無理でした」とのこと。
松崎とか12月以降、週末自宅にいたのは1回だけというのですから(この翌日は
県南で接待ゴルフと言ってたような?)。
ただ、この夜にアイデアをいくつかもらいました。バラバラにするのではなく、
玉名に関わるものを拾い集めるやり方がいいのではないかと熱い議論になったの
ですが、一夜が明け、頑張りましたが思い出せず、せっかく聞いたアイデアの詳細は
結局忘れてしまいました。申し訳ない。(T_T)


 

帰り際、私たち夫婦にプレゼントをもらいました。毎年、ほんと感謝です。
私の好きなブルーでまとめられた花束とお菓子でした。花束は自宅に飾りました。




2017年7月25日火曜日

ゴジラ襲来の痕跡とその後継チームこいたま

昨晩、ガリラボで暴れまわった女帝(=モモ・ゴジラ)→ガリラボ通信2017/7/24
ゴジラがコミュニケーションノートにその襲来の痕跡を残しているのを
発見しました。
非常に貴重な発見ではないかと思っているところです。笑
痕跡によれば、(13)ももさんは、ゴジラよりは女帝を好んでいるようです。
興津会ではどっちの名前で暴れ回るのでしょう。興味津々です。www
ところで、興味津々とは、興津会の名称の由来になっている言葉です。知ってました?





女帝がリーダーで活躍したのはチームたまラボでした。そのたまラボの後継チームと
なったのはチームこいたま。

こいたまは、本日は、玉名市商工会に出かけ、今年度の旬たまWEEKの会議に参加して
きました。着地型観光を取材し、それを広報に用いながら、最終的にそれらを書籍とし
てまとめ、一つの成果にしようと考えています。
会議の他に、タマにゃんの撮影もしてきたようです。

猛暑日だったと思いますが、みんな(特にタマにゃん)大丈夫だったでしょうか?


タマにゃん、人気がありますね。www



2017年5月27日土曜日

ゼミ紹介の内容を考えながらガリラボの原点を振り返る

2年生向けのゼミ募集が始まっているため、ガリラボの紹介を作っています。
これまで私(津曲)が紹介することはなかったのですが、今年初めて私も
話をすることにしました。
ずっとサボっていたわけですが、、、、、
改めて、自分のゼミについて考えてみると、外見は色々と変わってきている
ものの本質は変化していないのだと気づきました。
次はパワポの極々一部です。


情報産業という言葉を作ったのは梅棹忠夫という方です。ガリラボは
この情報産業がテーマなのだと改めて確認しました。
確かにそうでした。
プログラミングを主にやっていた情報「科」学という少し狭いところで
活動していたガリラボが、「科」を取って「情報学」という少し広い
ところで活動を始めた時、情報産業についての思いがあったのでした。
梅棹忠夫の文献(「情報の文明学」とか)を熱心に読んでいた時でも
ありました。

ゼミ紹介のパワポを作りながら、ガリラボの原点というか、本質というか
その部分を改めて振り返ることができました。
ガリラボが地域への眼差しが深くなったのも、そこに、地域資源=地域遺伝子と
いう情報の視点で捉えるべきものがあることに気づいたからでした。
・・・それからどっぷりと地域に入っていくことになります。
 
さらにガリラボの特徴というか、目指していたひとつが京都大学人文科学研究所(人文研)。
梅棹忠夫氏もここに所属したようです。
この研究所の話が私は大好きでした。
それについてはガリラボにプレゼン研究サークル「ほら吹きサークル」が
立がった時のガリラボ通信に書いています。5年前のことです。
 ほら吹きサークルキックオフガリラボ通信2012/10/19
該当部分を再録します。
  「ホラ」にはもうひとつ別の思いも込めています。
  昔、何か論文かエッセイで読んだ、京都大学の人文研のこと。
  詳細は忘れたのですが(正確かどうかも定かではありませんが)、
  昔の人文研にはほら吹きがたくさんいたというのです。
  大ぼら吹き集団だったようです。
  「それ本当!?」などと思わせるようなほらを平気で吹いて回る
  愉快な集団です。
  この愉快な、場合によっては胡散臭い集団の大ぼらが、従来のパラ
  ダイムを壊し、新しい創造的な分野を開拓していくことになったと、
  そういった話だったと記憶しています。
  かなり昔にこれを読み、この話が大好きで、それもあって、その思い
  を「健全なホラを吹こう」とのスローガンには込めました。
  単なる嘘ではなく、楽しいほらを吹きながら、これまでの枠組みを
  越えていくようなサークルへと成長していく事を期待しています。
最近だと、これに少し近かったのはチーム「たまラボ」だったかもしれません。
が、ガリラボではこれをもっとも実践したのは、社会人と一緒にやっていた
ノットワーキング(KW)塾(ガリラボ通信2009/12/28だったように思います。
あの頃はほんとの単純なことをワイワイと言いながらやっていたのですが、
その時のワイワイのほとんどが「ガリラボの今」につながっているようです。

時間を作ってまたこういった活動をしていきたいものです。
来年度になると、今よりは遥かに時間ができるので、そうしたことが出来るように
なるのではないかと思っているところです。
そろそろ大学教員としての最終コーナーにも入るので、そうした活動を時間を忘れ
打ち込みながらゴールを切れたらなぁと考え始めております。
そのためにはノリの良い、何にでも挑戦していく人たちがゼミに入ってきてくれると
一緒に楽しくやれるでしょうから、嬉しいですね。
 
ゼミ紹介のパワポの最後は次のスライドとしました。^^;




2017年3月15日水曜日

チーム「たまラボ」の解散

昨年のチームたまガリの時と同様、新市街のお店で、チームたまラボの
解散式を玉名市役所の職員さんを交え、昨晩(3/14)行いました。
19時ちょうどに集合。
お酒のコンテナが椅子になっているお店で、魚(のみ)料理で楽しみました。

市役所からたまラボに、活躍をねぎらってもらい、玉名のいちごマラソンで
各部門の1~3位にしかもらえないというイチゴ形メダルをかけてもらっていました。

 
手に持つと意外に重い。
ただ、これをどこで身につけ、そして誰に見せればよいのでしょう?
酔った時に渡せば、どうせわからないだろうとの和田さんの策略だったのでしょうが、
酔っていても理性的判断のできる私に対しては、このメダルがプレゼントされることは
ありませんでした。笑


たまラボからも市の職員さんにお礼が渡されました。
玉名市からのものとは異なり、酔っていなくても価値のある心のこもったプレゼントでした。


21時過ぎに終了。


昨年のたまガリの解散式の頃、たまラボのメンバーは同じく、街にして作戦
会議を開いていました(ガリラボ通信2016/3/23)。
そして、平成28年熊本地震の前震の日に玉名市役所との最初の会合を持った
のでした⇒ガリラボ通信2016/4/14
あれから約1年。
玉名の地で活躍し、数々の業績を上げてきたチーム「たまラボ」は2017年
3月14日でもって解散となりました。
 
ガリラボ通信で「たまラボ」とのタグのついたエントリーは、今回を入れて
 78エントリーこちら
となります。たまガリが57エントリーでしたので、それを大きく超える数でした。
4年(13)松崎リーダー、そして4年(13)塚田、中村、藤村のメンバーで活動してきました。
明るくて、楽しくて、そして色々なアイデアを出してそれを実行してきたチームで、
そのおかげで私もたくさん玉名に行くことがなり、非常に楽しませてもらいました。
4人ともに異なる能力を発揮し、優秀でした。
ご苦労様でした。
 
追伸
ところで、たまラボのライバル、チームCoho'zuが本日時点で73エントリーです。
微妙な感じですが、最終的にどちらが多くなるでしょう。^^



2017年3月3日金曜日

たまラボと出かける最後の玉名

ひな祭りの日のGoogle


今朝のシクラメンです。


本日午前中、Nコンへと挑戦するチーム「ら・ふれーず」がこれからの
取材やロケのための事前調査に出かけることになり、そのための打ち合
わせを行いました。
震災からの復興を映像化していくことに挑戦しようとしているチームです。
事前調査は阿蘇の門前町。調査隊メンバーは2年(15)八並、青、江藤、鍬田、
永田、宿利の5人。5人で門前町の状況をとりあえず一度見てきて、撮影も
してきて、4月6日(木)の一日ワークショップでその様子を流しながら、
今後の方向性を見出していくことになりました。
 
午後はチームたまラボの4年(13)松崎、藤村、中村、塚田と玉名へ。
1年間の活動を、市長、産業経済部長、商工観光課長さんに報告して
きました。


意見交換のなかで、タマにゃんの認知度をたまラボがどのようにして
上げてきたのかその努力を理解してもらったようでした。


来年度はチーム「こいたま」に活動を引き継ぐわけですが、それに関して
玉名市の全面的な協力を依頼し、了解をもらって、玉名を後にしてきました。


たまラボと出かける最後の玉名ということで、ずっと前からガリラボで話題に
なっていたB級グルメ「バター焼き」のお店に行ってきました。


 
普通、バター焼きといえば、アサリとか鮭とかですが、お好み焼きがバター
で焼かれたものでした。
ちなみにGoogleで「バター焼き」と検索すると、3番目に玉名のお店が
検索されます(橘屋本舗)。すごいですね。^^
たくあんが入っているということで、「ちょとなー」と思っていましたが、
食べてみたら、予想に反し(笑)、結構いけました。

お店は、玉名駅のTSUTAYAのすぐそばです。お昼時、たくさんのお客さんでした。

何回、たまラボと一緒に玉名に行ったでしょうか?
思い出すと、もう懐かしい限りです。
往復している時の雑談も含め、1年間、なかなか楽しい時間を過ごしました。

活動の最後は、3月14日の市役所とたまラボとのコンパが締めくくりとなります。
 


 

2017年2月14日火曜日

北へ南へと移動するゼミ生と不動点としてガリラボ(たまらぼ、こいたま、Coho'zu)

大学コンソーシアム神戸の主催で明日から始まる「全国学生ボランティア交流
フォーラムin神戸」に4年(13)多賀と中村が参加してきます。
神戸に着きましたと多賀からメールが届きました。
ここで2人は震災に絡んで発表をしてくることになっています。震災時の対応や
復興に向けて多賀たちがやってきたことを発表してくるはずです。発表以外にも
みっちりと予定が組まれていますが、内容を見る限り、2人の得意分野だなと
思いました。たまラボとCoho'zuで鍛えてきた2人は、この方面の能力について、
本学の中では恐らく随分と高いポジションにあると思いますので。


北に向かった2人に対し、かなりのメンバーは南へ。
美里町の日本一の石段(3,333段)に出かけていきました。目的は、ゆるキャラ
グランプリ2016で100位内に入らかった罰ゲームとしてタマにゃんに石段上りを
させようという企画でした。その撮影を行ってきたのです。
チームの引継ぎの意味で、新チーム「こいたま」も同行。玉名市役所と職員さんと
親睦を深められたのではないでしょうか。


石段頂上。すごい雪ですね。こんなにも違うものかと驚きました。
写真はゴールしたメンバーということです。
たまラボ:4年(13)松崎、塚田
こいたま:3年(14)秋山、塘添、古谷


脱落組は
 たまらぼ:4年(13)藤村、 こいたま:3年(14)塚田
そして、
 玉名市役所全員は放棄
だったそうです。笑

美里町組からのお土産です。天草の塩で作られた「塩大福」とのこと。美里町で
売られていたそうです。^^;



北へも南へも、そして東にも西にも移動もせずガリラボで黙々とCoho'zuの
4年(13)飯沼は作業。
私も石段行きをキャンセルし、ガリラボにこもり作業。ひたすら作業。地道に作業。
締切りに間に合わせるには、今週でおおよその形を作る必要があります。
飯沼は原稿の確認作業や原稿に盛り込む写真データ収集などを大津町との間に入って
頻繁にやってくれております。
2月21日の業者さんへの原稿入稿までに、私の担当分はさっさと終わらせ
飯沼に早く渡さねばと思っているところです。  
今日、飯沼がぼやいてました。笑
  こんなに忙しい学生生活ラストの時期を送るとは思っていませんでしたが、
  きっと思い出に残るラストになると思います。
  今は大変でも、完成した時の喜びはその分大きいと思うので頑張ります!
そうだと思います。大津町の職員さんも全力で応援してくれてますし、Coho'zuに
とって卒業の良い記念になるだろうと思います。
今の予定だと、製本された書籍は卒業式直前には大津町に持参できるはず。
一緒にやってきた役場の人たちと出版祝いをできるといいかなと思っています。

ギリギリまで大変なことやらないと、やはり、充実感は得られない。
真の楽しさは、非常に大変ことの中にしかありません。
いつもそう思っています。(間違っているかもしれませんけど)
 

 

2017年1月27日金曜日

たまラボ引継ぎ/キャリア形成論(卒業生)

「ついに、次世代へ」とのスライドの前に立つたまラボリーダー4年(13)松崎。


午前中、平成28年度学生GPチームとして玉名をフィールドに活躍した「たまラボ(4年(13)松崎、
塚田、中村、藤村)」が、次のチームへと、引継ぎの儀式を行いました。


たまラボがどういったことをやってきたかそのポイントをメンバーが、それぞれの想いを込めて
プレゼンしていきます。
非常に楽しかったので、私も、例年以上に一緒にこのチームと玉名に出かけたので、思い出す
ことも多く、感慨深いものがありました。
リーダー松崎の底抜けの明るさ、明るさしかない松崎のキャラクターがこのチームの楽しさを
醸成していったのだと思います。
もちろん、楽しさは大変さを乗り込めるためのものでした。
そうした大変さを乗り越えた活動は、充実したものでした。
たまラボメンバーは達成感を感じてているのではないでしょうか。
会議に呼ばれ、一緒に玉名に出かけたこのチームが解散し、別れるのは非常に寂しい限りです。
ただしまだしばらくは活動を続けます。
タマにゃんとの最後のロケ、市長への表敬訪問、そして市役所チームとの懇親会等です(ロケ
以外は、徐々に定番になってきたように思います)。
沢山の濃厚な8ヶ月を1時間ほどに濃縮して話をしてくれました。


その話を熱心に聞いているのが、新メンバー(チーム名はまだありません)。
3年(14)秋山、塘添、古谷、島田、塚田の5人です。
玉名の地名も何もほとんど知らない、そして市役所職員の顔と名前もわからないでしょうから、
たまラボの熱い話もなかなか伝わっていなかっただろうと思います。
が、必死で聞いて、質問もたくさんしておりました。
最初はヨチヨチ歩きでしょうが、これからメンバーで協力してしっかりとした足取りとなり、これ
までのチーム同様、玉名の地を力強く駆けまわっていくことになるでしょう。
新メンバーの未来もきっと明るいはず。明るく、楽しく、真面目に(真摯に)やっていってほしい。


たまラボメンバーと新メンバーで。新旧メンバー全員での写真は最初で最後に
なるかもしれません。貴重な写真となるかもしれません。



最後の記念撮影をして、メデタシ、メデタシで終わる・・・・と思ったら大間違いです。
ガリラボはそんなに甘くありません。
楽しそうに写真を撮っていますが、私からのたまラボへの宿題です。

引継ぎは、主として口頭での引継ぎでした。雰囲気は伝わりましたが、緻密な部分が
あれでは全く伝わりません。
たまラボが8ヶ月も濃厚に活動し、玉名で培った知識があれでは伝わりません。
引継ぎには、書類が必要です。
例えば、たまラボが玉名で獲得してきた人脈がまるで伝わっていません。連絡先とか、
名前とか、どういった人なのか(所属、性格)とか、そしてそういた人たちが所属している
組織とその関係とかですね。
玉名の地域資源リストも作っておいたほうがいい。
他にもたくさんあるはず。
玉名での行動に熟達していくごとに自分たちの暗黙の知識となってしまったものを、きちんと
振り返り、言語化・図式化して、それを引継ぎ書類として残していってほしい。
引継ぎの書類とは、こうあるべきという見本を示してくれると嬉しい。
たまラボの持っている能力であればやれるはずです。

そうでないと、あれだけ活動してきたたまラボ4人の貴重な知識資源が4人が卒業すると
同時に消えてしまうように思います。

Coho'zuは書籍として活動の証しを残していきます。
たまラボも同様に活動の証し=たまラボの遺伝子をきちんと残し、次の世代に手渡してほしい。
以上、宿題です。^^;


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3限目。 4年(13)ゼミ・・・・に一瞬見えますが、もちろん違います。
冒頭、塚田4年ゼミ長が3年生にお願いがあってやってきたのです。

塚田が去り、本来の3年(14)ゼミが始まりました。児玉3年ゼミ長が取り仕切ります。



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お土産。OG(11)上田からです。


本日5限目はキャリア形成論の最後の授業。
今日は卒業生によるキャリア形成体験談でした。

卒業生には「流動化した現代社会を生きる」というテーマで話をしてもらいました。
1人目がOG(11)上田。

淡々と話していく上田。自分に降りかかったある問題が、上田の生き方に強い影響を与え、
それが上田の、前に進んでいく原動力になっていることがわかりました。
人にはやはりそれぞれにドラマがあり、そうした文脈において人生を歩いているのだな
と思います。
引き込まれました。
大学1年の頃から知っていて、その頃のことも話題として出てきましたが、知らない話も
あったりして、当時、そして今の上田の生き方に深く感動しました。
自分のことを振り返る機会を持つということはこんなにも豊かに生きていくことにつな
がることを上田が教えてくれました。感謝。


2人目はOB(M08)佐藤。現在、教学IR室で特任講師として本学の教育の中心部分で
活動している佐藤です。
流動化している社会を逞しく生きている代表的人物だと思い、話をしてもらいました。
菊池市役所にいたところを、ヘッドハンティングというか、半分強制的に連れてきた(拉致?)
のですが、期待以上に優秀な活躍をしてくれています。

その佐藤も大学の初年次ではダメダメだったということ。それをあることを契機に深く
反省し、ある意味では人生をやり直すつもりで、考え方と行動を変えたということでした。

日々の少しの行動の変化は、様々な変化を引き起こしていきます。その変化をきちんと
捉える力を持つことで、この流動化した社会も逞しく生きていけるのだというのを、
非常にわかりやすい講義で1年生に教えてくれました。
ところで、話を聞きにきていたガリラボの3・4年生が佐藤の授業のうまさにはしきりに感心
しておりました。
確かにうまい。私などは、しっとしそうです。杭として出てくるようであれば、しっかりと見張っ
ていて、きちんと叩き潰しておこうかと思うぐらいに、上手です。
人はやはり、苦労していないといけません。そう思います。


キャリア形成論が終わり、ガリラボでそのことを振り返っていると、上田の話はもちろんですが、
佐藤の話などは特に卒業する前の4年生に聞かせた方が良いのではないかという話になりました。
流動化した社会にすぐに出て行く時期なので、特にそうだなと思いました。
卒業前のキャリア形成論とういうのが必要なのかもしれません(どこかの大学ではそういう
授業を開講していたような。。東大とかはかなり早い時に取り入れていたような・・・)。

上田と佐藤の2人で60分ほど。大ホールには貴重な時間が流れていたように思います。

Photo by ゼミ新聞部


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M2(15)有馬と福永からのお礼とお詫び(?)を兼ねた差し入れ。
有馬は修論が終わったお礼、福永は終わっていないお詫び。
安堵と苦悩が表現されたカップ麺。
思いのこもったカップ麺ですが、段ボール箱を開けたら、ガリラボのゼミ生はそんなことには
無頓着にただただ喜んでおりました。笑



2016年12月27日火曜日

書籍化に向けたCoho'zuとの打合せ/タマにゃん引退否定会見のTV放送

お昼にCoho'zuの4年(13)上田、飯沼、多賀と、オーラルヒストリーの書籍化に向けた
突っ込んだ打ち合わせを行いました。
2月末を目途に書籍原稿完成を目指し、そこから逆算して今後のスケジュールを固め
ました。
Coho'zuは卒論との並行作業となり、またボランティアとして手伝ってくれる3・4年生も
それぞれに課題を持っている人たちですから、そっちも並行した作業になるはずです。
書籍づくりの基礎となるのはCoho'zuが大変努力して取材してきた膨大なオーラルヒス
トリーです。10万字を超えるこのテキストデータベースを使って、明日から書籍づくりに
挑んでいきます。


少し前になりますが(ガリラボ通信2016/11/17)、タマにゃんの引退否定記者会見の
TV放送をようやく手にすることができました。
2016/11/17の記者会見後、夕方の番組で放送されたものです。くまモンとツーショットでTVに
放映されるなんて贅沢に思えます。
たまラボの活躍が多少はこの結果に結びついたものでないかと思っていますが、どうだった
でしょうか。


たまラボはその後、パタリと動きを止めてしまっているようですので、そろそろ世代交代の
時期なのかもしれません。
年が明けたら、引継ぎをしないといけないですね。^^

本日のガリラボは比較的多くのゼミ生がいたので、昨日のOB(08)松永のクリスマスケーキを
食べ尽くしてくれました。
 4年(13)飯沼、上田、多賀、出口、(12)河邉
 3年(14)児玉、秋山、塚田、塘添
といったメンバーが松永の餌付け作戦に乗せられたメンバーです。笑
  


<お願い>
現在、ガリラボの10大ニュースを投票を行っています(ガリラボ通信2016/12/24)。
まだの方は次のサイトから投票してください(在学生、卒業生問いませんので)。
明日(12/28)までです。
10大ニュース投票サイト

   

2016年12月24日土曜日

クリスマスイブに玉名新チーム結成

本日のGoogle。クリスマスイブ仕様でした。^^



たまラボ(4年(13)松崎、塚田、中村、藤村)の後を継ぎ、玉名市での活動を
展開していくことになる新チームを本日結成しました。
まだ名前はありません。新年になってたまラボから仕事を引き継いだ後に
チーム名も決めることになるでしょう。
学生GPの公開審査会で最優秀賞を受賞したたまラボの後継チームですから、
期待が大きく、プレッシャーはかなりのものになるでしょうが、頑張ってほしいと
思います。


玉名新チーム
リーダー: 3年(14)秋山
メンバー: 3年(14)島田、塚田、古谷

クリスマスイブに結成したチームです。
現在夢の国モードになってしまい遊び呆けているようなので年明けになりますが、女帝4年(13)
松崎が戻ってきたら、たまラボが努力して培ってきた知識についてのレクチャーと方法論など
について厳しい指導を受けることになります。
その研修を無事に終えることができたら、その後の1年間、この新チームで玉名市をフィール
ドに活動していくことになります。

関係の皆様(特に、玉名市役所や玉名観光協会の皆様)は応援よろしくお願いします。
  
  

2016年12月22日木曜日

学生GP公開審査会の様子が大学HPで紹介されています

今日、学生GP公開審査会(ガリラボ通信2016/12/15)の様子が、大学のホーム
ページで紹介されていました(こちら)。
ガリラボ関係者が載っている写真として次の3つが掲載されていました。

チームたまラボの最優秀賞表彰


表彰式後の記念撮影。改めて見ると、たまラボとCoho'zuだけが一番前で
非常に目立ってますねぇ。良かったんでしょうか。笑


表彰式後の連携先との意見交換会の様子です。1時間近くあったので、大津町の
みなさんと随分と色々な話をすることができました。