2021年7月30日金曜日
18ゼミ生の月例報告会
2021年7月29日木曜日
再びリスクレベル5に
2021年7月28日水曜日
タマにゃんず広報チームの企画/ハイハイへの挑戦
(参考) ゴールに辿り着けるのは一歩踏み出した人だけ(ガリラボ通信2013/9/1)
ハイハイというスキルの発見(発明)の現場に遭遇して
2人目の孫は現在8カ月。もう8ヶ月ですが、まったくハイハイをしようとしません。ゴロゴロしているだけ。気配も感じられません。
先日、iPadで「しまじろう」をたまたま見せたら、興味を持ったようで、手を出そうとします。
「これは!」と思い、iPadをギリギリ手が届くか届かないかのところに置いてみました。
お腹が床にくっつき、手と足を空中でバタバタさせています。
ほとんど亀状態です。
そのうち泣き始めました。
iPadを触らせてやりました。嬉々として触りまくります。
そしてまたちょっとだけ離してやりました。またバタバタしてます。
が、それを繰り返していたら、ある時、足が床にあたり(蹴った感じになり)少しだけ前に進ました。
コツをつかんだようです。
超ぎこちないのですが、前や斜めに進むようになりました。
前に進むとiPadをまた遠ざけ、動かないとそのままにしてを繰り返していると、「しまじろう」という目標に、泣きながらでも必死に近づいていくではありませんか。
かたつむりよりも遥かに遅い速度で。
泣きながらもなんとかその動きを止めなかった。
その翌日から、自分で、ハイハイができるようになりました。
これは大人でも同じです。
新しいことは誰も最初は出来ません。
身近な目標を設定し、そこで試行錯誤して目標に近づく方法を発見していくことが大事。
孫息子は、泣きながら、本人にとって超難問の課題を前にして、手足バタバタという試行錯誤を繰り返していました。
その結果、ハイハイという新しい次元の(本人にとっては)未知のスキルを学習し、修得したのでした。
試行錯誤を諦めず、そうやって体の動かし方を自律的に学習していったわけです(AIの機械学習と同様ですね)。
人は誰でも生まれながらに知ることを欲する、といったはアリストテレスだったと思います。それと同様に、人は誰でも生まれながらにして学習者でもあります。
自ら一歩踏み出す人は学習者です。そして、そうした人だけがゴール(新しい次元)に、それまで見たこともない世界に辿り着けます。
ハイハイを獲得する赤ちゃんはみんな立派な学習者です。
学習者に年齢は関係がありません。若くても学習者でなくなる人もいますが、一方で高齢でも学習者である人もいます。
好き好きなのでどっちでもよいとは思いますが、私自身は学習者であることをやめたくないと思っています。いくつになっても自分の力で新しい世界を見てみたいですからね。
2021年7月27日火曜日
お土産の謎(続報)/卒業生(17)園田と松本
2021年7月26日月曜日
19Nコンチームの名称/謎のお土産
朝、来たら、ガリラボ前のシクラメンが咲いていて、その横にお土産らしきものがおいてありました。
こんなお土産なのですが、何も書置きがなく、またメールでも誰も連絡してなく、果たしてガリラボへのお土産なのかどうかも不明ですが、とりあず部屋の中に入れておきました。
卒業生が来たのではないかと思いますが、誰でしょう!? 良かったら連絡してほしい。
2021年7月16日金曜日
ひのくにWSエンディングと19ゼミ前期振り返り
20ゼミ生の顔合わせ会
2021年7月15日木曜日
19Nコンチーム活動開始
2021年7月14日水曜日
3年生でも予定を合わせるのが難しい状況にあるようです
この分野でそれなりの方なのだと思いますが、この分野全体への期待を少し失ってしまいました。
2021年7月13日火曜日
今後のデジタル社会に関して/タマにゃんずの会議
デジタルとリアルが融合することで膨大で高頻度な行動データを使い、企業競争の原理が商品販売型から体験提供型にある、つまりバリュージャーニーを作って運用していくことを踏まえ、新たな顧客との関係とはどのようなものであり、どのような体験を提供する存在になるべきかを考える活動
2021年7月12日月曜日
OB(M08)佐藤から連絡
・・・・
私は今日は国際学会があって(冒頭の挨拶の中で採択率30%ということが紹介され、よく通過したものだと驚きでした)、発表者ではありませんでしたが、論文の連名者のため落ち着かない1日でした。何もしていないはずなのに、終わった時はくたくた。何もしていないのに、無駄に神経をすり減らしていたようです。
今日はArtractが打合せと活動をしていたはずですが、学会のためさぼりました。^^;
2021年7月9日金曜日
失敗を経験にする/20ゼミ生の顔合わせ会の延期
ランニングが上達する3つの条件素直になることあきらめないこと夢を持つことby 高橋尚子
今日は20ゼミ生の初顔合わせ会の予定にしていましたが、これから熊本地方ではひどい雨が予想されています。顔合わせは、16日(金)昼休みに延期にします。あちこちで豪雨災害の起きているときなので、回避できる危険は回避しておきたいと思います。
2021年7月8日木曜日
終焉に向けた良いモデルを見つけねば/OB(17)松本からの便り
昨日、赤の女王仮説について触れた10年以上も前のガリラボ通信のことを書きました。
今日、アクセス統計を見てみたら、何人かの方がこのエントリーを読まれたようです。
ガリラボでは、特に大学院では「学習」の問題をテーマにしているため、私にとって人の「成長」というのがいつも頭の中にあります。
人は、その能力を維持するためだけでも相当な努力が不可欠です。
足腰の筋力を例に考えれば容易に理解できると思います。筋力維持には、一定程度の努力を要することが誰でも想像できるでしょう。
このことは、実は、思考の筋肉である「脳」にも当てはまります。
学びを止めた脳は、仮に年齢が若くても、衰退していきます。
脳は目に見えないだけに気づきにくいですが、もしも可視化される状況に立たされた時は悲惨なことになりそうです。
人は、学びを止めなければ、たぶん生きてる限り成長していく動物です。そのため、人は、赤の女王仮説を死ぬまで信じてよいのだと思いますが、研究室になるとちょっと違う気がいます。
研究室も通常は赤の女王仮説に従って、チームとしての学びを続けていくことで、成長していきます。ガリラボの歴史を見ても、それは歴然としているように思います。
ただ研究室には終わりがあります。ガリラボだとあと2年半!
終焉を迎えます。
ガリラボ内には依然と異なる性質の変化が起きているように感じていますが、これも終焉と関係しているのかもしれないとふと思いました。
終焉のことを考えば、赤の女王仮説や”生き残るのは変化に適応した種”だというダーウィンの話などは、今後のガリラボにつていはあまり使えない理論かもしれません。
終焉のための理論などあるのでしょうか?
よくわかりませんが、今現在在籍しているゼミ生が、ガリラボでよかったと卒業していくような終わり方をしたいと思っています。
何か良いモデルを探さなければ。
さえ、明日は、新しいゼミ生=20(にいぜろ)ゼミ生の初顔合わせ会です。
そして、ガリラボにとっては最後の初顔合わせ会となります。
・・・
今日、私にかなりの迷惑をかけつつ卒業したOB(17)松本から連絡がありました。
現在、宮崎で勤務する松本ですが、7月下旬に夏休みをもらい帰省してくるので研究室に顔を出したいとの連絡でした。
ただ、縁がないんですかね(笑)。松本が来室したい日は私が都合が悪く、結局、会うことは難しそうです。残念です。
なお、松本とのやりとりして、少し成長していることを感じました。
社会は人を随分と成長させる場所だということを実感しました。
2021年7月7日水曜日
消えたガリラボの七夕文化
2021年7月6日火曜日
シリーズ「岐路に立つ美術館」最終回とArtract
昨日の熊日記事に、シリーズ「岐路に立つ美術館」の最終回が掲載されていました。
その中に、名前は出ていませんが、初代Artractチーム(リーダーOG(16)岡林)がとったアンケート結果が引用されていました。まさか、あの時の取り組みが、3年後になって引用され役立つことになるとは。
このデータは、報告書としてしっかりとまとめ美術館に提出してたものです。何でもそうですが、やった結果をしっかりと他人がわかるように、きちんとまとめて報告しておくことは大事ですね。
2021年7月5日月曜日
19ゼミT完成/ひのくにワークショップの発表形態
参加した19ゼミ幹部会議では、ひのくにワークショップの発表形態について入念な打ち合わせをしました。内容は、川口ゼミ長から各取材チームに連絡される予定です。
7月16日を前期の最終日とする予定で、この日はひのくにワークショップの発表会ですが、同時に前期の振り返りもすることになりました。
2021年7月3日土曜日
OB(13,M17)多賀が久しぶりに来室
2021年7月2日金曜日
ハイブリッド方式ゼミ/見当識その後
2021年7月1日木曜日
卒業生(OB(14)谷口、OB(M07)山部)からの便り
午後、OB(M07)山部からメールが届きました。
先日、大学院生及び修了生全員に広報紙9号発行をメールで紹介していたのですが、その感想でした。
その中に近況報告があり、3月末で無事に副校長先生を定年退職し、この4月からは市内の中高一貫校での勤務が始まったようです。
これまでずっと管理職だったので、久々に授業を担当されているようで、新たな気持ちで次のステージに立っているのだろうと思います。
<おまけ>
ふと窓の外を見ると、テニスコート辺りからさっとレジ袋が舞い上がり、その後、ふわりふわりと移動していきます。
全く落ちる気配もなく、ふわりふわりとゆっくりと、周りに様子を見ながらまるで意思があるかのように移動し、そのうち見えなくなりました。
(こうして写真が撮れるぐらいですからほんとゆっくりとふわりふわりで、まるでレジ袋が空中で遊んでいるかのように見えました)
(人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみないと分からない。)