2024年5月1日水曜日

4月のアクセス統計/ガリラボ通信の役割変更

2024年3月末でガリラボは閉店しました。
ただ、卒業生間の情報交換の役に立てばと思い、4月になってからも、卒業生について私が知りえたことをここで発信しています。

4月のアクセス状況は以下の状況でした。閉店直後は良くアクセスされたようです。それは確かにそうなのでしょうが、それにしても平均的にアクセスがどうも多い気がします。


エントリー数は、純粋は5エントリーしかなかったのですが、総PVは
 8,999 (PV/月) ( 300.0 PV/日 )
と最近になく増えました。
3月までのエントリーを読んだ人が多かったこともあるでしょうが、それにしても4月の5エントリーに対しては多すぎます。
で、思いあたったのがChatGPT。実は最近、ChatGPTにガリラボついて調べさせていました。おそらく今回の増加はChatGPTによるアクセスの影響ではないかと想像しています。
来月になればその真偽は明らかになるでしょう。


 よく読まれたエントリーは以下の通りです。トップはかなり前に書いたエスノメソドロジーについてのエントリーです。このエントリーは定期的によく読まれているように思います。ガリラボ向けに書いたものが、誰かの役に多少でもなっているようでうれしい限りです。
以降は、4月に5つのエントリーが続いておりました。


卒業生のみなさん、近況に変化などあれば連絡ください。ガリラボ通信で紹介して支障がないようであれば、この場で紹介していこうかと思います。
3月まではガリラボの活動を主に紹介するメディアとして機能してガリラボ通信でした。ガリラボが活動を終えた今、4月以降は、卒業生の近況を紹介する
 ガリラボ同窓会「興津会(こうしんかい)」広報誌
のような役割を担わせていければと考えています。

2024年4月30日火曜日

ガリラボについてChatGPTに聞いてみた

生成AIが登場して、いろいろな変化が生まれているようです。
教育の現場もそのようで、本日(4/30)の読売オンラインに、生成AIは「無料の代行業者だ」との中学校の先生の嘆きの声が掲載されていました。

大学生も同様で、この記事の中である大学生の言葉として、

「興味がない必修科目のリポートは基本、生成AIに丸投げ。不必要な時間をとられたり、不完全なリポートを出して単位を落としたりしたくない」

というのが引用されていました。

こうした混乱は、WWWの登場時期、そしてネット検索の発明のときにも起きていて、その時もほぼ似たような議論が展開されていたように思います。
ネット検索についての否定的な意見も散見されましたが、現在は小学生もひとり一台のタブレットで検索することを前提に学んでいるはずなので、生成AIも時間の経過とともに利用形態は収束していくことでしょう。

私も、例えば「ガリラボについてまとめなさい」とのレポート課題がでたら、間違いなくChatGPTに助けを求めるだろうと思います。
実際に聞いてみました。

:ガリラボとはどんな研究室か。 

ChatGPT:研究室の活動から、学生が主体となって多様なプロジェクトやイベントに取り組む実践的な学びの場であると考えられます。また、ドキュメンタリーやスポーツ大会、映像コンテストへの参加など、多岐にわたる分野での活動が行われていることから、研究室が広い視野を持ち、学際的なアプローチを取り入れている可能性が高いと推測できます。これらの情報から、「ガリラボ」は革新的で学生の創造性や多様性を重んじる研究室だと思われます。ただし、より具体的な情報が必要であれば、データ内の該当する記述を探し出す作業が必要です。もし特定の情報を求めている場合は、もう少し具体的な質問をいただけますと幸いです。 


なんとも見事なもの。これなどみると、レポートは、生成AIが作ってくれるようになるのは間違いないだろうと感じます。
便利なものです。
ただ、気になるのはデータ。生成AIが動くためにはデータが必要です。生成AIの燃料であるデータの在り方については少し気になります。


よかおごじょ2人から便り

GW前半が終わりました。みんなどうしていたでしょう。社会人1年目の20ゼミ生はとにかくぐったりしていたのではないでしょうか。笑
私は27~29日で南九州方面を(旅行ではなく)用事であちこち移動し、帰宅後に走行距離をみたら970kmとなっていました。
とにかく移動したGW前半だったように思います。

その途中、鹿児島からいったん熊本に戻った日の夜(28日)にOG(19)川口からLINEが届きました。

福岡からのよかおごじょさんとおやっとさぁ会をしています。

との薩摩弁LINEと共に次の写真が届きました。
この2人のツーショット写真は昨年の12月以来かと思います(ガリラボ通信2023/12/17)。

「福岡からのよかおごじょさん」とはOG(17)岩奥のこと。岩奥は、鹿児島を離れこの4月からは福岡勤務となりました。
またLINEによれば、社会人2年目となった川口は(気持ちに少し余裕ができたのでしょう)新しくテニスを始めたとのこと。
職場以外の関係が生まれ、関係が広がっていくことでしょう。

退職してすぐ、私のことを学生時代の先輩が「熟年1年目」と表現されました。
なるほど熟年か、と。
熟年にしてはまだふらふらしているので少し落ち着いたら、川口を見習い、新しいことを始めようと思います。
 

2024年4月17日水曜日

アフターコロナの福岡大キャンパス

ガリラボとは全く関係ありませんが、大学についての話題なのでここに記録しておこうかと思います(私の生存確認の意味を兼ねて^^)。

昨日、福岡大にでかけました。
数年前に、キャンパスの中央に、すり鉢状の広場が整備されたのですが、ここの目的が何だったのか初めて理解できました。
ステージが設置され、すり鉢のところにはお弁当を食べながらステージを見ている学生たちでいっぱいでした。
広場の横にはキッチンカー2台が来ていて、長蛇の列だったので、学生たちが食べていたお弁当はきっとこのキッチンカーから買ってきたものも多かったに違いありません。

私が見かけ時、ステージにアカペラサークルが立っていて、サークルの紹介をした後、グループで歌っていました(かなり上手で、しばし立ち止まり聞いてました)

コロナ前のキャンパスが完全に戻り、活気のあるキャンパスの中を気分よく教室に向かいました。
授業(情報社会の問題についての講義)も、最初の授業だったからでしょうが、100名近くの学生が熱心に聞いてくれ、気分の良く話ができました。
学生たちと接触するのはやはり楽しい。私は何を楽しいと感じるのか、改めて理解しました。

4月に新社会人となった20ゼミはどうしているでしょう?
スムーズに社会人へのトランジションを果たしているだろうと思ってはいます。
ガリラボで愚痴を聞いてやれないのがちょっと残念です。
 

2024年4月12日金曜日

OG(06)松尾と(07)上村

昨晩、福岡での仕事から熊本に戻っている際に、OG(06)松尾から写真を添えてメッセージが届きました。
先日紹介したOG(07)上村(ガリラボ通信2024/4/7)と2人でランチをしてきたという連絡でした。
上村が東京から帰省してきていて、水俣に戻った上村のところに鹿児島の(といっても隣町なのですが)松尾が出かけて再会したということです。
2人はゼミ以外の活動も一緒にやっていたので、大学時代はかなり密に接触していたはずです。
それだからでしょうが、学年が違っていても、卒業後13年が過ぎてもランチできるわけで、なかなか良い関係です。
松尾はもうすぐ大阪に引っ越します。

 


さて、私も退職して2週間ほどが経ちました。
大学の研究室から我が家の研究室に移動しただけで、まるで変らぬ生活です。
特に昨日から講義が始まり、帰宅したのは夜10時少し前。
今日は朝から提出された課題の整理、合間には新たに進めようかと考えている研究の準備と、変わらず慌ただしい1日を過ごしています。
ひとつ変わったことは出勤しなくてよくなったので、朝のウォーキングができるようになったこと。渋滞している車列の横をカメラ片手に歩くのは申し訳なく思いつつも、朝の散歩は季節もよくなかなか気持ちの良いものです。
細川刑部邸
ハナミズキ

せっかくなので散歩のついでに街を観察しながら、風景写真を収集していこうかと思っています。それを色々な視点で組織的に整理するところまでいけるといいかなとは思っていますが、ちょっと無理かな・・・。

2024年4月7日日曜日

OG(07)上村からのプレゼント

OG(07)上村(現在は結婚して「辻」となってます)からプレゼントをもらいました。

上村が卒業して、もう13年が経ちます。結婚して熊本から東京に引っ越したのが2020年のことでした。随分と時が経ったのにもかかわらず、こうしてプレゼントや感謝の言葉をもらうことができて、私の方が感謝したいぐらいです。

上村は、ゼミ生による新聞投稿について「ガリボイス」とう名称を考案してくれ、そして地域での活動も熱心で、水俣でのフィールドワークでは随分と活躍したことをよく覚えています。
昨年の興津会では、07ゼミ生でオンラインで議論して発表内容を決めていったと前に話をしてくれてました。そうしたことで、大学時代のワクワク感が蘇ってきたと手紙にありました。
学生時代、頑張り屋の上村。
東京では、国の機関で元気に仕事をしているようです。

これまでに比べ、時間はできたのでもらったお茶を家内とゆっくりと飲みたいと思います。
ありがとう。
 

 

2024年4月1日月曜日

3月のアクセス統計

ガリラボは閉店したのですが、やるべきことはやって終わるという意味で、3月のアクセス統計を紹介しておきます。

3月のアクセスの様子です。ガリラボの閉店が近づく3月末にずいぶんとPVが増えました。


総ページビューも、フィナーレにふさわしく、かなり増えました。
7,380 (PV/月)( 238.1 PV/日 )
4年ぶりぐらいに高いレベルとなっていて、3月分だけみると、2018年3月以降はもっとも高いPV数となりました。

よく読まれたのは最後の日について書いたものでした。100PVを超えるエントリーが4つもあって、ここ最近ではなかったことでした。

今日から4月。新しい年度が始まり、環境が変わるゼミ生がいることと思います。特に20ゼミ生は新社会人となって、それぞれの道を歩み始める日となります。
ゼミ生皆がそれぞれの道で充実した人生を歩んでいくことを願ってます。


さて、私は、今日からは組織に属さず、フリーとなりました。
制約が全くなくなったので気分は非常に気楽です。
今週の予定はプライベートな用事だけ。特に初日の今日は、孫たちを連れ、ピーナツを持参し、金峰山に登ってくる予定です。
来週から福岡と熊本とで授業が始まります。

2024年3月30日土曜日

ガリラボ閉店

令和5年(2024年)3月29日、ガリラボを閉店しました。

41年の教員生活に区切りをつけることができました。

ガリラボに終わりが近づくと、最近はたくさんの卒業生がガリラボを訪問してくれました。
昨日の最後の日も、駆け込みで卒業生が色々やってきました。

OB(M16)大野(現在、小学校の校長先生)。すれ違いが多くてなかなか会えなかったのですが、昨日、ようやく会えました。

OG(07)小田原及び興梠。数日前に、「先生、29日に会えますか?」との連絡があり、最後の日なので色々と大学内の儀式があったので、2人と時間調整をして辛うじて会えました。

OG(03)菅原。
ガリラボが閉店するのを見届けたいと仕事(現在、教員です)を休み駆けつけてくれました。
菅原は、実はガリラボの卒業生を代表するミッションもあって来ておりました。
卒業生一同からの卒業アルバム、そしてお礼の品を届けるためです。
(卒業生のみなへ。どうもありがとう)
卒業アルバムの中身は、これまでの卒業生からのたくさんのメッセージで溢れていました。
最後のページあたりでは、私がガリラボを卒業する写真が飾ってありました。
アルバム内の一人ひとりのメッセージをじっくりと読み、感動しました。ゼミ生としてガリラボを選んでくれた卒業生みんなにただただ感謝しています。
つくづく教員とはよい職業だと思いました。
41年間の教員をやってきて、並行して研究者としての仕事、そして大学運営の仕事もやってきましたが、一番はやはり教員としてゼミ生と接してきたことが私にとってはもっとも幸せなことだったと退職の日に改めて強く思いました。ガリラボを巣立った253名のゼミ生は私にとって家族と同じぐらいに大事な宝物です。


17時頃、ガリラボを出ました。

最後となる施錠して、ガリラボの鍵は大学に返却しました。

最後を見届けてくれた3人と施錠した研究室前で記念撮影。

別れ際、研究室下の桜(私が勝手にツマガリザクラと呼んでいた桜です)を背景に写真を撮り、私は大学を後にしました。


3階の角部屋。3月29日でもって、この場所から、「津曲」であるとか、「ガリラボ」という語はなくなりました。
明日からは、次にこの場所を利用する先生が、新しい研究室を立ち上げ、ここは第2のガリラボとなっていってくれるでしょう。

いや、第2のガリラボはもう生まれているのでした。
OB(M08)佐藤の研究室。
九州産業大学の佐藤研究室は、ガリラボをさらに発展させる研究室になっていくのに違いありません。
佐藤研究室では「さとらぼ通信」が始まっており、それを読むと(パスワード付きなので誰でもは閲覧できません)、活発な研究室であることがよくわかります。
ガリラボの卒業生には、佐藤研究室のように、職場であるいは家庭で、ガリラボの優れた遺伝子だけを選び、それを使ってそれぞれ良好な空間を生み出していってほしい。

8年前、ガリラボの追いコンの場で大学院を卒業するOG(10,M14)吉村が、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で紹介された言葉を使って話したことを思い出します(ガリラボ通信2016/3/19)。学校の校長先生の卒業式でのスピーチで、それは次のような内容です。

今から何十年後かに あなた方がこの学校生活を思い出して、
あの時代が一番幸せだった 楽しかったと 心の底から感じるならば、
わたしはこの学校の教育が 失敗だったと言わなければなりません。
人生は進歩です
若い時代は準備の時であり、
最上のものは過去にあるのではなく将来にあります
旅路の最後まで
希望と理想を持ち続け 進んでいくものでありますように

ガリラボの卒業生は、ガリラボで培ったスキルや考え方でもって、今後も常に進歩していってほしいと願っています。

最後になりますが、これまでガリラボを支えてくれたすべての皆様にお礼を申し上げます。
ゼミ生はもちろんです。それ以外に、ガリラボは大学職員や地域の方々と関係が深ったので、こうした大学内外の方々には大変感謝しております。
多くの方の支援があってガリラボでの活動は長きにわたり継続していくことができました。
ありがとうございました。
撮影 OG(03)菅原

               2024年3月29日
                      津曲隆


※ガリラボは閉店しましたが、このガリラボ通信は、今後もたまにでしょうが更新するかもしれません。

 

2024年3月27日水曜日

OG(10)+αの襲来

昨日のことになりますが、OG(10)吉村が、そして辛島が、14時ごろにやってきました。
最後なのでガリラボをみておこうということのようです。
ただいつもの如くで、「遠慮」という語彙が吉村の辞書にありません。orz
よくしゃべります。
帰っていったのは17:30で、吉村が来たのは13:30でしたので、4時間ほどしゃべっていたことになります。
すごいもんです。

10ゼミ生が卒業記念品として寄付していった時計(道場に掛けていたものです)を2人に返却しました。

10という数字しか書かれていない極めて特徴的な時計でしたが、これでも時間はおおよそわかり、この時計に10年間お世話になりました。
その場で、10ゼミのLINEグループに「時計がほしい人」と尋ねておりました。

ところで、途中、私からのレクチャーも少し。
現在のAI化社会にまるでついてきていないようなので、ChatGPTについて解説しておききました。
これからは「検索」によって何かを探すというよりも、必要なことをその場で「生成」していく時代になっていくこと、研究やビジネスの場だけでなく、生活の場でもそれが普通になっていくことを話すと、さっそく2人で実践しておりました。

そして、、、、

吉村のLINEへの投稿に、「まだそっちにいる?」との反応があり、やってきたのがOG(10)清原とそのジュニアです。
福岡からちょうど帰省してたようで、16:30頃に急ぎやってきました。
それから1時間近くお話をすることなり、清原ジュニアはちょっと疲れ気味(笑)。

荷物がすべてなくなった研究室は広く、そして声が響く異様な空間です。
その中で4時間ほどしゃべり続けたOG(10)軍団は、最後は静かに帰っていきました。

そういえば、この軍団でした。ガリラボがもっとも騒がしかったのは。
私の誕生日の時のドタバタ劇を思い出します(笑)。
54回目の日のサプライズ(後日談)ガリラボ通信2012/12/16

もう10年以上も前のことになりますが、つい先日だったような気もします。
懐かしい限りです。

さて、2日後はガリラボは閉店となります。

 

2024年3月23日土曜日

最後の夜にガリラボでピザパ

卒業式を終えた20ゼミ生5名が夕方17時に集まってきました。
これがガリラボでの最後の日(夜)となります。

この時点ではまだ配属先が未定者もいますが、5人の勤務地は確実にバラバラとなります。
この5人と私とで、ガリラボで過ごしたこと、4月から働く先での話題などたくさん、たくさん駄弁りました。
そして、2時間が経ち、お腹がすいてきたのでピザをゲット。
ガリラボの最後の夜はピザパーティとなりました。

ピザやお菓子を食べながら、気づけば21:30過ぎ。4時間半ほどこの場でのにぎやかな時間でした。
実は、このメンバーは、卒業制作の動画づくりのため合宿と称し、道場に泊まった強者たちです。そしてこの日、このメンバーが、大学の最後の最後になって、コロナ禍前のガリラボの日常を連れ戻してくれて非常に感慨深いものがありました。ガリラボは、夜な夜な、この日のような状況の中で、新たな活動に向けた種が生まれ、そして発芽までさせていたのでした。
ゼミ生とのこうしたワイワイ・ガヤガヤした時間は貴重な時間だったことを改めて実感させられました。


解散した後、私が「ガリラボGoodGirls」というLINEグループを作り(この日、この5人を「ガリラボGoodGirls」と命名しました ^^)、「昨晩のGoodGirlsの写真を送る。みんな、元気で。しっかりと生き抜いていくように。がんばれ。」とのメッセージを添え、アルバムに写真をアップロードしました。
それに対し、5人から次のメッセージが届きました。

●物理的にも心理的にも、あんなにも先生と近い距離でご飯を食べたのは初めてだったので、とても楽しかったです

●最後に思い出が増え、楽しい時間を過ごすことができ、いい卒業式になりました🎓
先生もお元気で☺️ また集まれる時を楽しみに生き抜きます!

●思い出の詰まった研究室で先生と一緒に、ゼミ生最後の夜を過ごせてよかったです。また集まれた時にたくさんの土産話を持ってこられるよう、これからの社会を生き抜いていきます!

●とても楽しい会ありがとうございました🥰 最後の日を先生と一緒に過ごすことが出来て良かったです! 次また集まるときにgoodなままでいられるように生き抜いていきます

●昨日はありがとうございました。学生最後に研究室のみんなと先生と喋りながらごはんを食べられてよかったです。研究室での思い出を胸に人吉の1人暮らしを楽しみます!

こうしたゼミ生と教員として一緒に過ごせて、ほんとよかったと心から思います。



プレゼント
この日、5人からサプライズプレゼントをもらいました。
5人それぞれのデザインが描かれたクッキーです。いや、驚きました。
帰宅後、家内にも見せたところ、驚いた大きな声を上げてました。^^;
これはやはり誰でも驚きますね。
4年(20)藤田が私が箱を開けた瞬間の写真を撮っていました。
ほんとに驚きました。完璧なサプライズでした。
4月中旬まで賞味期限とのことですが、こんなクッキーを食べることはできないですよ。
私にとって大切だったガリラボの日常を忘れないために自宅の私の部屋に飾っておきます。
ありがとう。
 

2024年3月22日金曜日

ガリラボ最後のゼミ生が卒業しました

3月21日、県立大学の卒業式は穏やかな日でした。

ガリラボの最後の卒業生となる20ゼミ生の大学からの巣立ちの日です。

ガリラボ恒例の県立劇場外の掲示板の前で記念撮影をして別れました。
都合がつかず3人おりませんが、20ゼミ生全員が無事に卒業しました。
卒業おめでとう。

20ゼミ生の社会人へのスムーズなトランジションを祈るばかりです。

私もこれで卒業式から卒業することになりました。
最後の卒業生20ゼミ生との上の集合写真は、私が教員であったことの証として記憶に留めておきたいと思います。
 

2024年3月17日日曜日

ガリラボ卒業生一同からの退職祝い

バスケットに入ってきれいに咲いています。大学の研究室をほぼ片づけたので、代わりの仕事場として自宅の部屋を研究室化していますが、そこが一気に明るくなりました。

このフラワーバスケットは、昨年の興津会(ガリラボ通信2023/10/9)の実行委員が、昨晩、並木坂にあるガリラボにとっては思い出のお店「古酒家 和来」(ガリラボ通信2012/7/15)に集まった際にもらったものです。退職祝いということでした。

この日集合した実行委員たち。年代はバラバラですが、まあ愉快な時間でした。

現役教員の最後の時期にわざわざ設定した飲み会だったので花束はもらうのだろうと予想はしていましたが、それ以上に、ここでのプレゼントは昨年9月ごろから企画していたことをこの日に知ってびっくり仰天しました。
まだ完成していないそうなので目録だけもらいました。卒業アルバムを作成しているそうです。どんな内容になっているのでしょうか。多彩なゼミ生の集まりですので、きっと楽しいアルバムが出来上がっているのではないかと思っています。

もうひとつ。目録をもらいました。
旅行券だとその場で聞きましたが、翌朝、開けて金額にびっくりしました。
10万円の旅行券。
昨年の興津会前に、各代のゼミ長を通して、卒業生全体に寄付を募っていたのだそうです。
ガリファン」とか呼んでました。ガリラボファンディングといった意味のようです。

なんともサプライズ過ぎて、反応に困りました。
元々、挨拶はもっとも苦手にしているのですが、驚いて混乱したせいで自分で何を言ってるのか・・・なんともさっぱりでした。
「先生、泣くところですよ」と卒業生が言ってましたが、混乱で泣くどころでなく、そんな様子に、ひとりOG(03)宮川だけは泣いているようにみてましたが(目にゴミがはいっていてのかもしれません笑)、実行委員みんなは大笑いしてました。
なんだかんだと最後はOB(12)丸野の一本締めで、明るく終わりました。

私自身、あまりお世話をした感覚はないのですが、ゼミ生と一緒に過ごしてことはただただ楽しくて、私の人生に明るいものにしてもらえました。
そんな253名のゼミ生と出会えたことにほんと感謝してます。

ガリラボ通信はこの投稿で6,330回目となります。
楽しかったことを忘れないようにと、これまでここに記録してきました。
振り返ると、貴重なガリラボに集った稀有な民族のエスノグラフィーとなっているのではないかと思います。
私にとって大切な記録となりました。
 

ガリラボ卒業生みんな、どうもありがとう。
もうすぐ届くガリラボの卒業アルバムを楽しみに、そして旅行券ではこの夏に家内とどこかこれまで行ってなかったとこに二人旅をしてこようと思います。
旅したら、この通信で旅の記録を報告します。